Code:XIII 蛮神と殺戮の天使
「…………ッ」
狭いダクトを這いずる。小柄な体躯の内側から突き刺す鈍痛に顔を歪めながら、アリスは離脱したそのままに場所もわからぬ方向を進んでいた。軋む体に顔を歪めながら、ようやく見つけた人気のない部屋のダクト口を蹴破り、転がる様に部屋の隅へと降り進んだ。
「いった……ッ!」
思わず声を上げる。できる限り抑えた声量だったが、しかし人の気配も環境音も乏しいここではそれでさえ過ぎたものに感じてしまう。今は準起動状態の左腕肘にあるサポーターから供給されるUA-275の微量供給のよって、自己再生能力を活性化させる。再生によってヒビの入った肋骨や傷付いた内臓がぐちゅりぐちゅりと音を立てながら元に戻っていくが、その際に発生する痛みにまたアリスは顔を歪めた。
「…………マッピング」
上着の内側から音響マッピングデバイスを取り出す。常時起動状態のまま持っていたその画面には、超音波の反響によってある程度の範囲の構造が把握されていた。入り組んだ廊下と各所に点在する研究室と思しき部屋、そして今しがた使っていたダクトの構造もそこには表示されている。その中に一点、アリスは不可解なものを見つけた。
「……なんでここだけ不自然なノイズがあるんだろ」
アリスが見つけた不可解なもの、それはマップ上に発生している一区画のノイズだった。ある場所までは正確にマップ表示されているのにもかかわらず、その区画から先の表示が常に揺らぎと共に改竄を繰り返されている。一見すれば何かを秘匿している場所――――の様に見せるダミーだろう。わざわざある場所だけに妨害工作をすれば却ってそこに何かがあることを逆説的に語っていることになる。故に、アリスは普段の破壊工作においても秘匿のための不自然さが発生しない様にしている。
しかし、この施設はそもそもEMPによってデバイスの尽くを封じられている状態になっている。恐らくはそのEMP発生装置による妨害電磁波の副次効果だろう。つまりはこのマップ上のノイズ発生区画の中に、破壊すべき目標物があるということになる。
「よし……」
損傷個所の応急的な再生が終わったことを確認する。添えた掌の加圧に対しての痛みは感じなくなった。完治とまではいかないが、現状支障のない状態にまで治癒したことが確認できた。右手を握っては開き、動きに問題がないこともわかったアリスは、再びダクトの中に跳び入った。音響マッピングデバイスで向かうべき方向とルートを頭に入れ、上着の内側に収納し這い進む。
依然として無音の建物の中は想像以上に広く、マップで確認しただけでも敷地面積で言えば一つの軍事基地程度の大きさがあると推測できた。更には、正確性は低いとはいえ地下にもまだ何かがある探査結果になっていた。EMP発生装置を破壊したとして、その後の探査にも骨が折れるだろうと、アリスは意味も無く考えた。今それを考えた所で、自分の窮地に一切の好転を齎す事がないというのに。
ズルズルと重い体を引きずりながら進む。薄暗く、いくらか清潔とは言え狭い空間にいると息苦しくなり、アリスは一度その場に留まり脱力する。強張った体は自分の想像していたよりも疲労が蓄積していたらしい。ミッションが開始してから二時間ほどだろうか。自分が当初想定していたよりも時間をかけてしまっている現状に、アリスは思わず舌打ちをしそうになる。あまりにもイレギュラーな要素が出てきた誤算はあるが、それを含めてもあまりにも緩慢な進捗はアリスの心を逸らせる。考えればきっと怒られるのは分かっているのに、もしも李雨なら、もしも蓬ならと無意味に考えてしまう。それが余計に自分の未熟さを痛感させられるので、アリスは頭を振って思考からそれを消した。今求められているのは壁の破壊。その為に、自分はここに居るのだと言い聞かせ、再び進み始めた。
そして数分後、マップにあったノイズのある区画の手前まで来たのを確認し、ダクト口を蹴破る。硬質的な音が響き、次いでアリスの着地の音が鳴る。不自然な人気のなさは変わらないままに、先ほど見た廊下とは若干作りが違うことにアリスが気が付いた。
「……なんか、壁の材質が変わった?」
手で壁に触れると、元々の白い混凝土でできていた壁ではない、合金と思しき素材であることが分かった。蓬ではないので正確な材質までは判別がつかなかったが、アリスは自分の読みが強ち間違っていなかったことを感じた。堅牢だがしかし脆弱性の残る混凝土ではない、破壊や劣化の危険性を限りなく低くした特殊な金属を用いているということは、この先、或いはここら一帯に重要度の高いものがある推論の補強となる。アリスは肩に下げていたUMP45を構え、セーフティを解除する。重心を低くし、クリアリングと共に周囲の音や振動をできる限りキャッチできるように息を殺す。
自分のブーツの音だけが反響する。金属と硬質なゴムを接触させ合いながら、ゆっくり、まるでそこに道があるのかどうかを確認する様に一歩一歩踏みしめていく。神経が再び研ぎ澄まされ、意味も無く汗が喉を伝うのを感じた。歩みを進めれば進める程肌を刺激する感触が強まる。それが目標物に近づいてきていることをアリスに伝えてくれる唯一のシグナルだった。それだけが、不安と焦燥感に駆られるアリスの足の逸りを諫めてくれるものだった。
やがてその肌の痺れにも似た刺激は、ある大きく堅牢な扉に閉ざされた部屋の前で最も強くなった。それが意味するものを、アリスはすぐに理解した。
「……ここだ」
そっと扉を手で触る。怪しい細工は無く、まるで旧時代に存在していた銀行と呼ばれるものの巨大金庫に見えた。アリスは試しに大きな歯車の取っ手に手をかけ、サポーターの力を使い回してみる。開かない。無駄だとわかりながらも蹴り飛ばす。開かない。
「……できるかな?」
そう言い、懐から出したのは小さく細いペンのような物体。それはペンの形に偽装された小型爆弾であり、掌サイズながら簡単な鋼鉄製の扉なら破壊可能な特殊な調合がなされている、アリスが作った自信作の爆発物だ。アリスはそれを、この施設には似つかわしくない錠タイプの鍵穴の中に入れられるか試す。すると、奇跡的に細さに問題無く差し込まれる。それを見たアリスは口元を楽し気に微笑み、ゆっくりと距離を取る。そして、手の中に握った起爆スイッチを小さく二回、カチカチと音を鳴らしながら押した。
爆破音。
比較的小さくはあるが、しかし破壊能力に相応しい音を発した扉の鍵穴は見事に内部から壊され、錠ごと粉々になっていた。それによりカギとしての機能が無くなり、扉はその衝撃でゆっくりと開いた。
「よし……っ!」
自分の思考が見事に通ったアリスは歓喜の声を小さく上げた。そして取っ手に手をかけ、重々しい扉を開ける。
その先に鎮座していたのは、電磁波を纏い宙に浮かぶ琥珀色の球体だった。
バチリ、と。アリスの鼓膜を叩く音がした。それが目の前の球体、もといEMP発生装置のコアであることに気が付いたのは、数秒の間があってからだった。ハッと目を剥きアリスは慌てて銃を構え人がいないかどうかの確認をする。呆けてクリアリングが遅れたのはこの際気にせずに視線を巡らすと、そこは無人の部屋だった。あるのは禍々しい電磁波を常に帯びている琥珀色のコアのみ。それが破壊対象であるべきものだと理解したアリスの次の行動は、壁の材質の確認だった。手で触れ、軽く拳で叩く。その音が通常用いられる材質ではない事は感覚で分かった。凡そ先程の廊下に使われていた材質を更に強化し、打撃などの衝撃でも破壊できない様に造られているはずだ。だが。
「…………行けそうかな、内側はそんなに緻密にできてなさそう」
やはりと言うべきか、あれほど堅牢な扉を用意していたからであろう。外壁こそわからないが、内壁は若干作りの甘さが垣間見える。アリスでも認識できるその脆弱性は、今の状況では願ってもいない事だった。蓬の推察は概ね当たっていた。
(多分、ここは上階の更に上の場所のはず。蓬の読みが正しければ、突起の様に建物の上から出てる)
マッピングの際の現在位置と地面との距離は大事だ。外が把握できていない上に、途中方向も考えずに逃げた身であれば余計に位置情報の把握が大切となる。ダクトでの移動ではあったが、アリスは上へと進んでいく感覚と階段の有無の確認でここが地上部分ではなく数階上のフロアであることは分かっていた。蓬が言っていたように、やはり遮蔽の少ない上へコアを置き、より広い範囲にEMPエリアを作っていたらしい。それならば話は早い。
「始めよう」
そう呟いたアリスの耳に、微かに何かの破砕音の連続が聴こえてきたが、それを敢えて無視して作業を急いだ。その音が徐々に迫ってきている様に感じるのは、恐らく正しいのだろうから。
「チッ……居ねェな」
軍用ブーツの底床に叩き付けるようにして、キリアは苛立った顔を隠すことなく歩いていた。先程交戦した少女が目の前から消えて数十分、或いは一時間ほど経ったのだろうか。依然痕跡が見つけられないキリアは、壁を数階殴る。そこがへこみ歪むことも気にせず、まるで歩いた道標にでもしている様に壁を殴り続ける。
「こっちは追いかけっこなんざ柄じゃあねェんだ、野良犬は野良犬らしく尻尾振って出てくりゃいいんだよ」
悪態を誰にでも無く吐く。キリアと言う男にとって、自分に利益があるのは一に戦闘二に研究作業、それ以外に価値を見出す事が無い。その上で、今の状況であるただ目的の人間を当ても無く探す行為は、彼にとって苦痛とストレスを無意味に感じるだけの時間になっていた。初めこそすぐに見つけ出し真っ直ぐに殺す算段だったのにもかかわらず、現実は一向に見つけることができずにただ徘徊するだけ。蓄積していくストレスは既に臨界近くに達し、額やこめかみに青筋が浮かび上がっていた。
「何処使って隠れてやがる……小せェとは言え隠れるのにも限度が……あん?」
ただ過ぎていく時間にひたすら苛立ちを募らせていたキリアの耳に、微かに振動の様な、爆発の際に起きる音の様な何かが聴こえた。それの出所を目で探すと、そこには天井裏にあるダクトを塞ぐ金蓋の張られたダクト口があった。カタカタと金属の蓋が揺れているその様子を見て、キリアは一つの答えを導き出した。
「……ッやってくれたなァ起爆者ァ! 確かにお前ならダクトを使って移動ができても不思議じゃあねェ! その音からしてコアに辿り着いたかァ!!」
叫ぶ。心底楽し気に、出し抜かれたことすら、自分にとっては戦闘の延長線上のやり取りだと言わんばかりに笑った。そして、ダクト口から続くダクトを天井の混凝土ごと殴り潰し始める。歩いて、潰し。歩いて、潰す。既にダクト内に少女がいない事は分かっている。その上でキリアは、出し抜かれた憤慨と喜悦の感情を拳に乗せ、出し抜かれる原因となったダクトを段々と潰し歩く。
「ハッハァ!!! いいぜ起爆者ァ! 小手先で出し抜いたのは褒めてやる!! コアまで辿り着いたことは俺の評価不足だと謝罪するぜェ! テメェは立派な俺の敵だッ!!!!」
廊下の混凝土が震える。硬質で、堅牢なはずの耐震性を持った建物の壁は、しかし大量の爆発物か、はたまた地殻変動によって発生した地震で衝撃が訪れたかのように振動を続ける。圧倒的な声量で心の底から嬉し気な声を発する男は、口角を歪め拳を振るい、軽やかかつ重低な足運びで進む。向かう先はEMP発生装置を格納した部屋。恐らく扉を何らかの方法で破壊した少女の息の根を今度こそ止めるため、脈動する血管と熱を持つ筋肉を膨張させる。凡そ人の域を超えたその姿の男に、コアの破壊を防ぐという行動は頭になかった。ただひたすらに、自身が仕留め損ねた二回りも小さな体格の少女を殺すための餌。それがキリアの精々の認識だった。
歩く、歩く、歩いて、壊して、歩いて、笑って、叫ぶ。
――――今からお前を殺す。
その
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