Code:Ⅻ 蠢く蛇に絡む魔手

 最低限の照明のみが灯る部屋。そこで青白い光に顔を照らされる男が一人、沈黙のまま無機質な音を響かせる。ぼんやりとした明かりは、元々人間らしくない顔をより質感の無いものにしていた。いくつも設置されたモニターに映る夥しい数のウインドウには、弾薬の補充申請や在庫の報告、直近の作戦報告書に各部隊に新たに回される任務の概要書などが書き込まれていた。男の持つ演算機構を使った並列演算によって、全てのウインドウ上に同時に書き込みが行われていく。その様は一人の存在が操作しているとは思えないものだった。ひたすらにホログラムで表示されたキーボードを指で操作し、ジッ――――チッ――――と音を部屋に響かせながら男は作業を進める。

「根を詰め過ぎるとシステムに支障を来すわ、少し休憩を入れましょう?」

 男の背後から声がした。透明で、仄かに温度の感じるそれを聞いた男――――艾は座っている椅子をくるりと回転させ、後ろに立つ者に体を向けた。

「入室時には何かしら合図をしろと再三言っていたはずだが?」

「あら、したと思っていたのだけれど。ごめんなさい」

「お前の場合はわざとやっているんだろう、何を意図しているのか知らないが」

「ふふ……艾の気を引きたくて」

「くだらないことをするな、ノナリア」

「酷い……私はこんなに貴方を見ているのに……!」

「目を伏せた状態がデフォルトのお前が言うと途端に滑稽になるな」

「でしょう?」

 艾の背後に立っていた表情豊かな女性。ノナリアと呼ばれたスーパーロングの白髪を持つ彼女は、起伏のあるモデル体型と言って相応しいその体を艾の傍まで近付け、その閉じられた目はまるで視えているかのように艾の顔を観察し始めた。

「何の真似だ」

「バイタルチェック、貴方自分の体のメンテナンスを適当にするでしょう?」

「多少の支障は問題の内に入らない、お前がわざわざやる事でもないだろう」

「補佐として管理は徹底する、それが私の仕事の一つだもの」

「ご苦労な事だ」

 ノナリアが艾から体を離し、側にあるテーブルの上に置いていたトレーに乗ったカップを渡す。廉価品の豆で作られたコーヒーが入ったそれを受け取った艾は、苦みの塊となったそれを啜る。目を伏せ、嗅覚機能と味覚機能に刺激を与える黒色の液体の余韻に浸っていると、それを見ているノナリアが楽し気な笑みを浮かべながら椅子に座っていた。

「何だ」

「貴方が珍しく楽しそうにコーヒーを飲んでいるのが嬉しいの」

「人を無遠慮に見るな、人形と言えど嗜好品を楽しむのくらいは許せ」

「人間で嗜好品を嫌う存在も居るもの、人形だからなんて思わないわ」

「そう思っていても俺を凝視していい理由にはなっていない」

「バレちゃった」

 楽しいわね、と呟きノナリアは合成ミルクと人工甘味料を入れたコーヒーを啜る。湯気の立つカップを両手で包みながら、その視線と思しきものは机上のモニターへと移った。

「相変わらず狂ったような仕事量ね。超過労働じゃないかしら」

「人形に人間の法は適用されない、残念ながらな」

「手伝うわ、一人で並列できるにしても回せない範囲はあるでしょう?」

「お前の仕事は?」

「私の仕事ならもう終わってるわ。誰かさんが一人で仕事を回しているお陰でこっちに来る仕事が少なくてね」

「それはなにより」

 艾が言い終わるよりも早く、ノナリアはモニターの傍らにあったデータ保存デバイスを手に取る。そして、彼の作業していたデスクの隣のモニターを起動し、スプリングの効いた作業用チェアに座る。

「さ、仕事に戻りましょう」

「勝手なことこの上ないな」

「迷惑だった?」

「感謝の言葉を述べておこう、効率がいいに越した事は無い」

「そうね」

 艾は手に持ったカップを元々乗っていたトレーに戻し、椅子を回転させモニターに向き直る。再び部屋の中に薄暗い光と打鍵の音が響く。白の髪を垂らす二つの影は、その白をより一層不気味に暗闇に浮かび上がらせながら、無言でモニターを凝視していた。

 ――――が、暫くした後に不意にノナリアの手が止まる。聴覚に届き続けるはずだった音が消えたことに違和感を覚えた艾が顔を左側に向けると、あるファイルにカーソルを合わせているノナリアの姿があった。

「どうした」

「いえ、見慣れないファイルがあるなと」

「それか、お前には関係ない」

「セキュリティプロテクトを七重に、更に攻勢防御プログラムを設置したファイルを見て、関係無いからと興味を失わせる訳がない。そうでしょう?」

「…………はぁ、セキュリティをかけているから管理を適当にしていたが、お前に見つかるのは想定外だった」

「デバイスをそこいらに放置していたのが悪いわね」

「ごもっとも」

 心底面倒臭そうに、そして苦虫を噛み潰したような顔で背凭れに体重を預ける艾の姿に、ノナリアは笑う。

「それで?このファイルはなあに?」

「…………他言無用を誓えるなら話す」

「えぇ、構わないわ」

「そのファイルは俺の義体に搭載されている、カタログスペックデータの中でも俺のみしか知り得ない機能に関する情報と、俺と蓬の両名アンドロイド、或いはオートマタと呼称される個体の機密情報だ」

「それはぺらぺらと話してもいいものなのかしら?」

「聞いてきたお前が何を言っている」

「ふふ……」

「お前に話すということは、その情報が万が一お前に漏れたとしても俺達の損害にならないという前提があるからだ。機密の中の機密を話すということは、それがどうなろうと今後一切の負債にならないということだ」

「私がそれを外部に流そうとした場合はどうするのかしら?」

「お前程度、制圧できない訳がない。俺ならな」

 それに、と。艾は懐から人形用に調合された超高濃度の煙草を取り出すと、マッチを擦り火を点しながら続ける。

「――――ふぅ……お前がそれをどう使おうが俺は止めやしない。そもそのプロテクトはフェムト秒毎に俺の論理機構がランダムで書き換えている。解除するには七つのパスをフェムト秒を下回る時間に同時に入力しなければならないからな。それを万が一越えられたとして、次に待っているのは俺の疑似概念体からの攻勢プログラムを全て倒す必要がある」

「過剰な程の手の打ちようね」

「要らぬ労力をかけてもいい訳ではないからな。解除されても対処できることと、鍵を掛けないままにすることはイコールにならない」

「なるほど」

 吐き出す紫煙をノナリアは目で追う。彼女はその閉じた視界で、それでも彼の姿とその周りを認識できていた。しかし、彼女はそこで初めてその閉じた瞼を上げ瞳を晒す。その瞳はモニターの光のせいか、はたまた自ずとそうなっているのか、鈍く淡く紫檀と赤紫色を混ぜた様な色を発していた。立ち上がり、先程以上に彼に体を寄せた。座る椅子の余白に膝を乗せ、太腿の上に座る。椅子の背もたれに手をかけ、ノナリアは艾の顔の鼻先数センチに自信の顔を近づけた。

「…………」

「なんだ、邪魔なんだが」

「こんな綺麗な女が凭れかかってきて第一声が邪魔って、酷いと思わない?」

「お前の容姿が整っているのは否定しないが、今は仕事中だ。邪魔なものは邪魔だ」

「休憩しましょう?」

「ふざけているのか?」

「真剣よ」

「尚更悪い」

「だって最近は中々顔を見られなかったんだもの、少しは相手して欲しいわ」

「くっつくな」

「スキンシップ、良好な関係には必要よ?」

「他の奴にでもしていろ」

「貴方にしかしないわ」

「湯だった頭を冷水で冷やしてこい」

「シャワーを浴びて待っていろってこと?貴方の部屋で良いかしら」

「……………………」

「ふふ、怒ったかしら」

「…………何があったかは知らないが、ストレスの蓄積で俺で遊ぶならもっと上手くやれ、目に見えて雑だ」

 艾が眉間に皺を寄せながら言ったその言葉に、ノナリアはその顔に浮かべていた笑みを消し、陶磁器の人形の様に冷たい表情になった。暫くの無言の時間が経過し、今度は弱々しい表情で伏せ目がちになった。

「筒抜けになってたなんて恥ずかしいわね」

「お前とは長い。今更お前の行動一つに文句も何もないが、雑になるくらいならやるな。そんなことで俺の演算機能を使わせるな」

「そういう時は気の利いた一言でも言うものじゃないかしら?」

「機械に何を求めている、合理性以外を求めてるなら軟派な男にでも聞きに行け」

「嫌」

 ぐいと、艾の顎がノナリアのしなやかで細い指によって持ち上げられる。開かれた眼は、揶揄いでも悦でもなく、熱だけが籠った視線を向けてきていた。

「私は貴方を理解していて、貴方は私を理解している。彼女以上に」

「……蓬の事か?」

「えぇ」

「あいつは俺の、そうだな、一種母親の様なものだ。お前の考えるような関係じゃない」

「親子が肉体関係を持つのかしら?」

「比喩だ、この世界に居るのなら貞操なんざ腐った肉片に湧く蠅程の価値も無い。ハニートラップの技能をつけるには実践も行うのは自然だ」

「なら私を抱いて、それほどの価値しかないと思っているのでしょう?」

「お前はここでは事務従事者だ、現場にはまだ出る段階に居ない。確かにお前ほどの見目ならば面白いほど情報が集まりそうだがな」

「じゃあ」

「だが駄目だ、まだな」

「何時ならいいのかしら」

「さぁな」

 そう言い、艾はノナリアを抱きかかえる。軽々と持ち上げられた女性にしては長身のその体は、優しく部屋の隅にあるソファーへと下ろされた。

「直接の行為はしないが、同衾くらいならいつでもしてやる。今はそこで甘味でも食んで休憩していろ」

「仕事が……」

「お前の手を借りずとも終わる量には調整している、大人しくそこで見ていろ」

 湿った音と感触がノナリアの髪の掻き上げられた額から感じた。それが何なのかを理解するのに、彼女らしくも無く僅かに時間を要した。

「俺の記憶領域に無理矢理入れられた知識にこういうのがあったからな。今はそれで十分だろう」

 艾はノナリアの顔を確認し、自分が座っていた椅子に戻る。部屋には再び打鍵の音が響き、何時の間にか起動されていた湯沸かし器がボコボコと煮沸の音を鳴らす。

 ソファーに体を鎮めるノナリアは、眼前にある淡い光の輪郭に象られた大きな背を、ぼんやりと眺めていた。





 時を同じくして場所は変わり、廃棄された研究所周辺。EMPエリアの外周に待機していた李雨は、しかしスコープを覗いてはいなかった。

 携行していたハンドガンを構え、普段浮かべている取って付けたような笑顔は無かった。

「…………相変わらず、表情を作るのが下手なのね。処刑人さん」

「……貴女は表情を変えないじゃない、ペンタリア」

 ペンタリア。そう呼ばれたのは李雨の目の前に立つ小柄な女性。ロングの金髪と碧眼を持つその女性は、手に持った本をぽんと閉じ、懐に入れ李雨を見据えた。

「ある所から情報が入ってね、貴女達がここに来るのは既に把握していたの。今頃中に居る小さい子はキリアと遊んでいるんじゃないかしら」

「…………」

 何故。李雨はそう疑問を抱いた。あらゆる情報が秘匿・隠匿され漏出のリスクを消している400分隊の情報が彼女達に筒抜けになっているのか。しかし今その原因を考える時間はない。問題は今この状況をどうするかだ。

「安心して、本格的に貴女達と今戦うつもりは無いわ。ジリアもそう言いに行っているでしょうね」

「……殲滅者に、かしら?」

「えぇ、彼女にも久しく会ってないわね。元気かしら」

「お陰様で」

 じりじりと距離を取る。化学者たる彼女が自分の前にそのままの姿で出てきていることに、李雨は言い知れぬ違和感を覚えている。それと共に感じる警戒心は肥大していき、距離を詰めれば即座に制圧できるはずのペンタリアに、何故か接近することができずにいた。

「そんなに警戒しなくても悪いようにはしないわ」

「そんな言葉を簡単に信じる程、優しい世界を知っている訳では無いの」

「そう」

 姿が消えた。何故か発生している雷電を残して、ペンタリアの姿が消えた。李雨は即座に左の眼孔に収められている義眼を起動し、直前に彼女の居た場所から僅かに残る電気信号の跡を辿る。そして――――。

「っ!」

「流石」

 背後へと鋭く体を向け、咄嗟に左手を前方に向けた。その左手に合わさる様に突き出されたペンタリアの腕は、激しい雷電を発しながら視界を眩ませる。

 ペンタリアは李雨の背後に、気配を感じる隙も無く移動し接近していた。その事実に李雨は首筋に水滴が伝うのを感じると共に、所々黒く焦げた左腕の状態に困惑した。

「……ペンタリア、何時から貴女は超能力者になったのかしら」

 自分の心理を気取られない様に、李雨はペンタリアへ声を投げる。まさか本当に超能力を使っている訳ではないはず。何かカラクリがあり、それをまだ自分は認識できていないのだと。そう思い問うた李雨に、ペンタリアは眉一つ動かさずに答えた。

「えぇ、そうよ」

「………………は?」

「貴女の言う通り、私達は新たな力を手に入れた。あの時の様に貴女と殲滅者に煮え湯を飲まされない様に、ね」

「……それじゃあ、まさか」

「そう」

 ペンタリアは頷く。

「私達はUA-275を用いて人間を超越するための、その一段階目を超えた。同時に、貴方達の様な強さに対抗するための力も手に入れて」

「…………本当に実現させるとは思わなかったわ」

「でしょう」

 腕を振るいペンタリアから距離を取る李雨。若干黒煙を上げる義手は、しかし機能に支障を来すまでの損傷は受けていなかった。それに安堵し、前に立つ碧眼の双眸を見据える。

「まさか……他の面々もこんな頓智来な能力を持っているのかしら?」

「酷い言い草ね、素晴らしいものなのに。でもそうね、貴女の言葉は正しいわ」

「……なら、吐いてもらいましょうか」

 ぐ、と体勢を低くする。腰から抜いたナイフをペンタリアの喉に合わせ、李雨の瞳は細く獰猛な殺意に染まっていく。

「残念、時間よ」

 だが、その殺意の矛先を向けるべき相手が視線を逸らし、傍らに浮かび上がるホログラムを眺めながらそう言った。そして、視界に映るペンタリアの姿にノイズが走った。

「……ッシ!!」

 距離を一気に詰め、側面に回り込んだ李雨はナイフを喉元に振るう。切っ先は確かに喉を捉えていた。が、肝心の感触は無く、ただただノイズ交じりのペンタリアの体をすり抜けただけに終わった。

「また会いましょう、処刑人。殲滅者にもよろしくお願いね」

 一方的にそう言ったペンタリアの姿が霧散するように消えた。そこに残ったのは、電撃によって焦げた地面と静電気を帯びた空間、ナイフを片手に険しい顔をした李雨の姿だけだった。

「…………取り敢えず、殲滅者に連絡しましょうか。さっき何か通信が来ていた――――と言うか、十中八九同じ話でしょうけれど」

 李雨はコントラクトを起動しつつ、手に持ったナイフを仕舞う。次いでホルスター内のハンドガンのセーフティをかけ、腹這いに伏せながら研究所へと銃口を向けた狙撃銃に手をかけた。

 視界の先にある研究所の変化も、アリスからの連絡も、未だにないまま。李雨は静かに逸る血流を鎮め、ただ待つことを再開した。

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