Code:Ⅺ 機械仕掛けと無法者

「――――…………」

 風が吹き荒れる。耳に装着した物々しい造形のインカム型マルチ無線機『コントラクト』を撫でながら、地に伏せ長大なライフル『AMR-2500 デゾレーション・スタビライザー』を構える蓬はスコープ越しに今回のミッションでの目標のある建物を眺めていた。本来であれば約300㎞もの距離の先を正確に、ハッキリと視認できる倍率スコープは今尚存在していない。そもそも狙撃用ライフルは良くて1000から3000mが有効射程距離であり、しかも2000mを超えた場合は狙撃の成功が運によるものになってしまう。風や気温湿度、その他の要因を考えた場合、そこまでの長距離狙撃は本来するものではなく、やるとしても静止した目標物を安定した環境で狙撃するスポーツとしての場面などに限定される。

 しかし、蓬の持つAMR-2500に装着されたスコープは倍率10倍のもの。普通に考えれば、メートル換算にして300000mの距離を狙撃するには役者不足もいい所な代物。視認距離は言うに及ばず、それで正確な射撃をしようなどと土台無理な話だ。

 しかし、可能である。こと蓬に関して言えば、長距離狙撃に特化した義眼を持っている李雨とは方向性が違う役割を担っている。李雨が中〜長距離レンジでの精密射撃と移動が容易いスタイルでいるのに対し、蓬は中〜超々長距離までの広いレンジと固定砲台の様な役割を担う場面が多い。蓬に関しては普通のスナイパーライフルも使用する事は多く、彼女の自室には夥しい数のガンケースや保管庫があり、ガンコレクターの如く旧時代現代関係無く銃火器を収集している。そんな彼女だが、やはり役割として最大火力が最も高く個体能力の高さもあり、今使っている規格外の威力を誇るスナイパーライフルなどを用いることが多い。厳密には対物・対障壁銃だが。

 そう言った特殊な銃が使えることに加えて、彼女にはもう一つの能力――――と言えばよいか。特殊なスキルがある。

 人ならざる者。アンドロイド。戦闘能力を極限まで高められた、今はもう製造方法が原因不明の事故で消えてしまい、もう生まれる事の無い人造品。機械人形。そんな彼女が有する演算能力は、人間には不可能な距離を視認可能にしてしまうだけの力がある。蓬及び艾が保有している演算機構は、今の世界全土に現存する最新鋭の計算能力を有する機械類の全てを上回っている。あらゆる機械が同時接続され一切のラグ無く計算開始をしたとして、その二体は同時に計算開始をした場合、一体毎でそれらの計算機器の総体を上回る速さと正確さを実現させることができる。正しくオーバーテクノロジー、ロストテクノロジーと化したオーパーツであり、その事実は一部の存在以外秘匿されている。そんな彼女たちにとっては、数百㎞単位の視覚補正と狙撃補助は単独で可能なため、度々単独での破壊工作任務を行うこともあった。故に、彼女は今も冷静に、レンズ越しの建物を見続けていた。

 ジッ――――チッ――――ジッ――――と。ノイズにも似た音が周囲の空間に鳴り消えていく。蓬が演算機構を起動している時特有の音、それが不定期にコントラクトに聴こえたのか、無線越しに李雨が話しかけてきた。

『その演算時のノイズ、キャンセラーでどうにか軽減できない?偶に敵の音かと誤認しそう』

「機能上の問題を言わないで頂戴、私にどうにかできるならとっくにしているわよ」

『機械の体も不便は多いのね』

「人間よりデリケートな場合もあるもの」

 他愛も無い会話が続く。互いに差はあれど、遠距離から同じ対象を見ているため必然的にやることは似てきてしまう。手持無沙汰になれば、唯一会話が可能な相手に益も無く必要も無い会話を振ってしまうのも仕方のないことなのだろう。蓬は言葉には出さずに、李雨の話を静かに聞いていた。

『あの子、大丈夫かしら』

「そう簡単には死なないわよ」

『酷い言い草ねぇ』

「事実よ、私達は簡単に死ねる世界に居るから、簡単に死なない程度の力は最低限持っている。貴女も私も起爆者も」

『そうね、自殺志願者には最適な環境じゃかしら?』

「そう言う人間は面倒で惨めな死を進んで望む割合は少ないわよ、楽で簡潔な死が救いになるんだもの、まぁ……上手くいくことは少ないけれど」

『機械にとって自死は理解しがたい物なのかしら、前から気になってたの』

「…………さぁ、自分から死に向かおうとした経験が無いからわからないわ。死ねと言われたら合理的理由に限り即座に実行するけれど」

『ふぅん……』

「何よ」

『てっきり「それをする理由がわからないわ」と切り捨てそうだと思ってたから』

 李雨の言葉は特に不可思議なものではない。機械の体と無機質な判断基準が前提にある蓬にとって、人間の精神構造から発生する自死の行為は理解しがたいもの。その考えは間違ってはいないし、現に蓬の思考回路内での自死への答えは「理解不能」だった。

 それでも彼女の答えが思考の末の理解不能ではなく、未経験故の理解不能であることに、李雨は内心驚いていた。

「稼働年数が数十年ならともかく、もっと長いこと人間を見てきているんだから。多少なりとも論理機構にそういった精神構造から発生する人間の思考への理解も深まっているわ」

『ディープラーニングもここまで行くと人間にそっくりになるのね、今に思った事じゃないけど』

「おかげさまでね」

 ふ、と。頬を風が撫でた。生暖かい、腐敗した血の臭いが混じった空気。それが蓬の嗅覚を刺激する。

「……処刑人、もし何か建物に変化があったら教えて頂戴」

『…………どうかしたの?』

「距離が離れていると思って放置してたんだけれどね、どうやら染みついた血の臭いにお客さんが誘われちゃったみたい」

『あぁ……そういう』

「それじゃあ、また後で」

 無線が切れる。絶対に切る必要と言うのがある訳ではないが、演算処理能力割合を極力戦闘に割きたいがための行動。プツリと切れたのを確認し、腹ばいになっていた体を背後に向けながら立ち上がる。

 そこには、所々から淡い緑の液体が零れ溢れている、人体の構造が崩壊した人間のような何かが群れを成して階下から蓬の居る屋上に上がってきていた。

『曝露者』。それがこのゾンビ擬きの名称。単純明快にUA-275に適切ではない接触の末に脳機能の破壊によって自我が崩壊し、生体屍リビングデッドとなった人間の成れの果て。世界が一つの物質に汚染された先にあった、人類の衰退の要因の一つ。それがこれだ。

 ただ殺すのに時間や手間がかかるだけならいくらでも対処のしようはあった。だが、この曝露者達はその曝露した物質故に、身体能力の強化や特殊な能力の開花が発生し、生半可な抵抗では全く歯が立たないほど厄介な存在となっていた。各コミュニティが保有する軍事力兵力を用いてこれら曝露者の対処は行っているが、しかしそれにかかる費用も人命も馬鹿にならない。今尚現状維持がこの世界に生きる人間の唯一の抵抗だ。

「……遘√r…………遘�#繧呈ョコ縺励※縺上l」

「……それにしても、どうやってここに気が付いたのかしら」

 効率も何もない、ただの手の振り回しを避けつつ太腿に備えていたナイフで脳天を深く穿つ。心臓が既に機能していないこの物体を行動不能にするには、唯一動作している脳を破壊する以外に方法はない。旧時代に存在していた娯楽作品にあるゾンビと大して変わった事の無い対処法。脳を破壊するために接近して返り討ちに合うということも当然あるのが難しい所だが。

 一体、また一体と接近してくる屍擬きを仕留めていく。苦ではないが、今はやるべきことがある以上何時までもこれの相手をするわけにもいかない。蓬はナイフを仕舞い、側にあった程々の長さの錆びた鉄パイプを右手に持った。体勢を低くし、前方に弾かれたように走る。最も近くに居た曝露者の足を横払いに弾き、上下反転した足が捻じ曲がるその胴体に掌底を打ち込む。弾丸のように後方へ飛んだ曝露者の体は、背後に居た他の曝露者ごと屋上端にあった壁に飛んでいく。蓬はすかさずその後を追い、纏まって壁に張り付けられた曝露者の塊に向かって右手に持った鉄パイプを団子の串の様に突き刺す。

 濁った叫び声の連鎖。曝露者と言えど多少の痛覚があるのか、はたまた衝撃に対するただの反射行動かは知らないが、蓬の耳には鼓膜を腐らせるような声が絶え間なく聞こえてくる。それに一切表情を変えることなく、壁に固定された曝露者達の頭部に、蓬はその拳を一体ずつ打ち込んでいく。

「――――ッ!」

 熟した無花果と言うにはあまりに融解した頭部の破片が辺りに散らばっていく。飛び散り付着する腐敗した血液と鈍く光を発するUA-275をものともせず、潰す、潰す、潰して、潰す。本来UA-275に汚染された体液に接触するのは危険だが、蓬にはその心配をする必要はない。彼女の体が、それによる汚濁を受け入れる事は無い

 粘っこい音が響きながら、張り付けの屍達は一体また一体と四肢から力を抜いて行った。

「…………一体何の用かしら、大人数を嗾けてから出てくるなんて女を手籠めにするには悪手よ」

「それは申し訳ない、生憎女性をエスコートしたことも君を女性と認識したことも無くてね」

 蓬が声をかけた先、階下に続く階段から一人の男が現れた。紫がかった短い黒髪と青い切れ長の目、細身で長身のその姿がゆらりと壁の向こうから現れる。

 蓬はその男を知っている。そして、この男が現れたことで思考の隅にあった不安要素が急激に浮上した。

「ジリア、貴方がここに現れたと言事はつまり、そう言う事なのね」

「君のそう言った言い回しは私は嫌いだ、早急に是正して欲しい」

「そう言うのなら直さないわ」

「そうかい」

 ジリアと呼ばれた男は、蓬の正面に立つ。凡そ4㎝差のその視線は間近で交錯し、互いの温度の無い目は一切ぶれることなく相手を捉えていた。

「ある報告があってね、君達BR分隊が我々の拠点に来るという話を耳にした。ならば君のやることを予測しそれに則って居場所を追跡すれば…………この通り」

「…………うちの情報も随分軽いものになったわね」

 蓬達400分隊、又はBR分隊はその存在自体が正規の情報としてどこにも存在していない。姿の無い、闇に潜む透明の刃。それが彼女達。故に、それに関わる情報は如何なるものであっても外部に出る事は無く、その規制も厳重なプロテクトの重ねがけが行われている。だからこそ、蓬は何故この男とその組織に情報が漏れていたのかがわからなかった。

「しかし骨が折れた、まさか我々が予測していた150㎞程度の距離の倍の地点に居たとは。お陰で曝露者は現地調達のそれら限りだ」

「また悪趣味なことしてるのね」

「我々は君と彼女に一度、苦汁を飲まされたからね。警戒に警戒を重ね、情報は常に先へ先へと掴む。彼女の眼も、君そのものも我々には脅威だ」

「それで?ここに来たのは私を足止めするため?それとも破壊しに来たのかしら」

「いいや、今回は挨拶だ」

「…………?」

 珍しく蓬が眉を顰める。挨拶、この男は確かにそう言った。蓬の会話ログにも確かにそう記録されている。

「あと少し、もう少しで我々は悲願を成す。その為に、未だ不足しているピースを求めている」

「何の話かしら、主語も何もないせいでさっぱりわからないわ」

「理解する必要はない、いずれ判る。今回君達はあの研究所の探索に来たのだろう?恐らくキリアが今あの少女の相手をしているのだろう。果たして生きているか」

「生憎と、簡単に死なない様な地力を付けさせているの、甘く見ないで」

「そうかい、まぁ我々にとってあの研究所は大した価値はない。必要なものは手に入れ、必要な事は既に終わっている」

「…………まさか、宣戦布告の真似事かしら?」

「そうだな、その解釈が近い。我々は――――非合法の化学者達(ICO)は後しばらくの時が過ぎた後に、牙を剥く。我々の望むように」

 非合法の化学者達――――Illegal Chemist Organization。それは、世界各地に存在する何れの組織団体コミュニティのどれにも属さない化学者達の組織。現在においても禁止されている人体実験を始めとした研究や、非合法で高額取り引きされる薬物の生成流通販売を行っている、旧時代で言う国際指名手配犯。数々の事件を起こしており、それは一般人をも巻き込んでいるためテロリストの色も持っていると世間では認識されている。

 過去に蓬は、李雨と共にこの組織への妨害破壊工作を行ったことがあった。麻薬や不正なUA-275の流通経路を割り出し、その取引の現場を一掃。幾人かの捕縛も行い、一旦は大規模なICOの活動は収まった。しかし、今彼女の目の前にこの男が現れたということは、再びあの狂人集団が動き出す事を示している。

「させるとでも?かつて私と李雨に手も足も出なかった貴方達が」

「あぁ、させてもらうさ。その為に、我々は人の身を超越し、君達を屠る力を得たのだから」

「…………っ!?」

 パキンと。足元から音が鳴った。それは空気中の水分が凍り付いた音に似ていた。目を足元に向けると、蓬の足がコンクリートの床諸共氷漬けになっていた。

「今はまだ君達に攻勢は仕掛けない。まだそれでは、君達を打倒できないからね。だからこその『挨拶』だ」

「まさか……っ!」

「気が付いたのかい?流石は失われた遺物。彼と君はやはり、我々にとって興味の対象に相応しい」

 ジリアは懐から何かデバイスを取り出す。すると、今まで質量が確かにあったその姿が、蓬の視覚にはホログラムの様に電子情報に置換されていくのがわかった。

「ではまたどこかで会おう、殲滅者。あの研究所は放置しても構わないが、君の仲間と今後の被害を考えた場合、きっとそんな選択は取れないだろう。キリアは好きにすると言い。あれは戦えればなんでもいいからね」

 そう言い残し、男の姿は僅かな電子の残滓を残して消えた。蓬は足を地面に固定していた氷を放熱によって溶かした。力づくで剥がす事も可能だったが、これからの作戦行動を考えて損壊の可能性を確実に潰したかった蓬は自身の体温で融解させた。

「…………起爆者が心配ね。処刑人、応答して処刑人」

 蓬がコントラクトを起動し李雨の機器に接続する。ノイズが聴こえ、接続されたのが確認できた蓬は李雨の名を呼ぶ。だが――――。

『――――ぎ、まず―――――――――』

「…………始まってるみたいね、ならもうやることは決まった」

 李雨からの返答は若干のノイズ交じりの途切れ途切れな言葉のみだった。それが何を意味しているのかを蓬は理解し、通信を一旦切る。今はもう、アリスの破壊工作の成功確認と李雨の生存報告を待ちながらここで待つのみ。再び伏せ、スコープを覗き込む。その先に見える建物は依然として変化はなかった。

「…………起爆者、処刑人、気を付けなさい。今回の任務は想像していたよりも更に根が深いわ」

 小さく呟いた言葉は、鼻につく血の臭いと共に消えていった。

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