Code:Ⅳ 血濡れの湯浴み
人気の少ない廊下に、ブーツが床を叩く音が響く。
煤けた薄桃色の長髪を靡かせ、蓬はアリスと李雨が待っている待合室へと向かっていた。急ぎの用事が無いことに加え、一泊を取り付けた余裕も相まって足取りはゆっくりとしたものだった。
深夜とは言え軍事会社、一定数歩き回っている人々に若干の憐憫を感じながらも、迷いなく待合室に歩いて行く。その道中にあった鏡に自分の姿が映り、はたと足を止めた。
「……返り血塗れね、こちらに視線が行くのもそれならしょうがないわね」
べっとりと髪や顔、衣服にかかり黒っぽく変色した血液のシミが蓬を覆っていた。近接戦闘をする以上避けられない事ではあるが、首を捻じり切ったのが響いたのか、任務内容に対しあまりにも過量の血液を被っていた。鏡に近寄り、前髪に触れる。乾燥した血液が紅いメッシュに混ざり何処までが血液でどこからがメッシュなのかわからなくなっていた。触り心地も少し傷んでいる様な感触だったので、早めに風呂に入るべきかと思案していると横から声がかかった。
「あら蓬、報告終わりに身だしなみチェックなんて可愛いわね」
「別に深い意味はないわよ、李雨。待合室にいたんじゃなかったのかしら?」
「煙草吸いたかったの。そういえばさっき喫煙ルームでカルミアと艾に会ったわよ」
「変態クズと艾ね、大方カルミアの職務怠慢状態の身を確保しに来たんでしょ」
「ご名答、あと艾からよろしく言っておいて欲しいって伝言なんだかよくわからない事を言っていたわ。どうせすぐ帰るだろうからって」
「残念ながら今日はリリーからの懇願で一泊よ、アリスを拾い次第あてがわれた部屋に行って温泉に入りましょう」
そういう蓬の顔を、李雨は珍しいものでも見たかのように目を見開いた。
「何よその顔は」
「てっきり引き止められてもさっさと帰ると思ってたわ」
「今回は例外、流石にここまで血濡れだと服が染みだらけになりそうだし。なにより鬱陶しいもの」
「それには同感ね、なら待合室で待ってるアリスを拾いに行きましょう」
「えぇ」
身軽な李雨は足取り軽く前に、ケースを抱えた蓬はその後を追う形で再び歩き出した。李雨からかすかに漂う煙草の煙の臭いに、蓬も一服くらいはしたかったなと内心呟く。しかし今はアリスの迎えに行くのが先故、その欲求は一旦仕舞うことにした。簡単な任務だったとはいえ戦闘後休みなく動いていたせいか、空腹感が襲ってきたのを感じアリスに携帯食を渡すべきではなかったかと若干の後悔を抱いた。しかし過ぎたことを言っても仕方がない。今は無駄なく行動をするのが先決。
そう気持ちを切り替えた蓬は一つ息を吐いた。その様子をなんとなく察していた李雨は、相変わらず難儀な性格をしていると苦笑する。
「後で食事も手配してもらいましょうか」
「……意地が悪いわね」
「あら、私は何も言ってないのだけれど?」
「そういうところよ。ま……空腹であることは事実、後でリリーに頼んでおくわ」
「よろしくね」
会話をする内に待合室に着く。人気が無く静かなその部屋のドアを開けると、
「あ、おふぁえひー」
頬をハムスターの様に膨らませながら大福を頬張り、粉を口元に付けているアリスの姿があった。
それを見た李雨は苦笑し、蓬は大きく息を吐いた。
「ただいまアリス、どうやら今日はここで一泊するみたいよ?」
「ほえー、まぁいいや」
「口元を拭きなさい、汚れてるわよ」
「拭いてー蓬」
「……まったく」
ソファーに座りなおしたアリスが笑みを浮かべながら蓬にそう言う。李雨に視線を向けると、肩を竦ませ彼女のケースが置かれている場所まで歩いて行った。仕方がないとばかりにテーブルの上にあった未使用の布巾を手に取ると、アリスの口元を優しく拭う。
「動かないで、すぐとれるから……ん」
「ありがとー、じゃあこれから部屋に行くの?」
「そうね、もう部屋は準備されてると思うからガンケースを置きに行って血を洗い流しましょう」
「あ、だからすごい見られてたのか」
「私達はただでさえ裏の方でも目立つもの、その上血まみれならね」
会話をしている内に李雨が戻ってくる。その手には二つのガンケースが難なく持たれていた。
「あ、アリスのケース!」
「一緒の場所にあったから持ってきたわ、行きましょうか」
「そうね」
アリスがソファーから跳ね立ち上がり、ガンケースを肩にかける。それを確認した蓬は扉へと歩き出し、李雨とアリスもそれに続き待合室を後にした。
場所は変わりウロボロス管轄の温泉場。若干湿気が鬱陶しく感じるその場所はウロボロス内とは思えない木製の壁で囲まれた廊下と部屋が続いていた。
「檜を使うとは随分本格的ね、職員の環境整備を怠っていないのは流石と言うべきかしら」
「ヒノキってなぁに?」
「檜は東洋の島国にある木ね。建材として優秀みたいよ」
「へー、なんか良い匂いするね」
「湿気に強いんだったかしら、取り敢えず入るわよ李雨、アリス」
鉄製ではなく木製の引き戸を開く。暖色が視界に広がり、仄かに暖かな空気が体を包む。冬の空の下、寒風に晒された後に鉄に囲まれた建物に居た三人の肌を温めるそれに、つい全身の力が緩む。
「あったかーい」
「しっかり地下から湯を引いてるみたいね、本格的」
「なんちゃって温泉かと思ったけど杞憂だったみたいねぇ」
「二人はオンセンってやつ知ってるの?」
「一応生まれ的には近いのよ、だから文化圏的に残ってたものとか資料で知ってたの」
「ほぼ以下同文、私もそんな感じで知ったわ」
「へぇー……ねぇ蓬、ここで着替えるの?」
「壁の棚にある籠に着替えとか脱いだ服を入れなさい、タオルは一枚で十分よ」
「はーい」
手際よく衣服を脱いでいく李雨と蓬。血濡れの服一枚ずつ脱ぎそれらを畳み入れていく二人の姿に倣い、アリスも自身の服を脱いでいく。比較的軽装か枚数が少ないのもありスムーズに脱衣を終わらせ、小走りで先に向かったアリスがガラスの張られた扉を引いた。
「おぉお……」
アリスが感嘆の声を漏らした。眼前に広がっていたのは温泉は温泉でも露天の形式になっているものだった。竹を組み合わせてできた囲いの内側に石畳の床が広がり、簡素なシャワーが備え付けられた文献に残る一般的な温泉の形式になっていた。夜空と遠くに望むビル群を背景に湯気を燻らすその光景は、三人に幻想的な心地を味合わせた。
「ここまで作りこんでいるとは恐れ入ったわ、ランヴァルトとリリーに感謝しましょう」
「温泉に入るのは初めてなのよね私。体洗う?」
「本来は掛け湯すれば入れるけど、血がこびり付いてるからしっかり洗いましょう」
「アリス二人洗ったげるー!」
「遠慮するわ」
「何でよ蓬!」
「貴女いつもどさくさに紛れて胸揉むから」
「正直こんなおっきいの目の前にあったら女でも揉むと思う、でしょ?李雨」
「憎たらしいわ」
「どんな返答よ……」
「隙あり!」
にこやかな笑顔で呪詛を吐かんばかりに吐き捨てた李雨に蓬が苦言を呈していると、何時の間にか背後に回っていたアリスが蓬の豊満な胸を下から鷲掴みにしていた。指の動きに合わせて大きく形を歪ませるそれに、アリスは満足げな顔をしていた。
「やっぱりこれ反則だよねぇ……ってあいたぁ!?」
意識が一部分に向いていたが故か、蓬の肘が頭上から降ってきていることに気が付かず、アリスは鈍い音を聞きながら不意な痛みに叫んだ。
「何するのさ!」
「こっちのセリフよ、人の体勝手に触らないでって言ってるでしょ」
「そう言いながら、無理やり剥がさないわよね」
「何貴女もサラッと触ってるのよ、いいから早く血を流すわよ」
横から突いてくる李雨の手をいなし、木製の椅子を手に持ちシャワーの前に座る。蛇口の栓を開け、熱い湯が頭上から降り注ぐ。李雨とアリスもその横に座り湯を出した。
こびり付いた血液が落ちていく。それぞれの肢体に水が伝っていき、自然と三人が同時に吐息を漏らした。
「あー……きもちいー」
「広い空間でシャワーを浴びるのもいいものね、拠点にもこの位欲しいわね?」
「うちの財政と拠点の大きさを考えたら無理ね、もう少し稼げれば話は別だけれど」
「えー欲しいー」
「いずれね」
頭を泡立てたシャンプーで洗い、リンスやコンディショナーを馴染ませた後、体を洗い流しす。アリスが泡を立てて遊び、李雨は丁寧に髪を梳き、蓬は洗顔で目元の紅隈を落としていく。各々が体を流した後、タオルを畳み湯船の縁に乗せ湯の中に浸かった。
「……ふぅ」
「いい湯ねぇ、体の疲れがじわじわ溶けていく感じがするわ」
「そうね、偶には熱いお湯につかるのも悪くないわ」
「ねぇねぇ、これ泳げるんじゃない? 泳いでいい?」
「マナー違反だからやめなさい、あまり騒がしいと隣の男湯から文句が――――」
「おやおやおやその声は400分隊かな?」
「……出ましょうか蓬、アリス」
「つれないなぁ李雨、何が不満かな?」
「貴方の声が聞こえる事よカルミア」
男湯から竹垣越しに聞こえてきた声に反応し李雨の顔が一瞬にして歪む。意地の悪い声を発しているカルミアはその反応を楽しむように煽り文句を言う。
「阿呆な真似は止せカルミア、とっとと湯浴みを終わらせろ」
「……何故オレまで連れてきた艾、別にいなくてもいいだろう」
「ついでだ」
「げ……篝火」
「艾、奇遇ね」
「どうやら一泊するようだな、ランヴァルトから話は聞いた」
「そ、こんな時間までご苦労様」
「お互い様だ。カルミア、篝火、さっさと浸かって出るぞ」
「少しはゆっくりさせてくれないのか?」
「お前が仕事をしっかり早く終わらせられればゆっくりできるぞカルミア、オレの様に少しは真面目にやれ」
「人と関わりたくないから引きこもって仕事してる奴に言われる筋合いはないなぁ篝火」
男湯から平和とは言えない言い合いをまるで普段のなんてことない会話の様にしているのを聞き、女湯三人は肩を竦める。
「馬っ鹿みたい」
「変態クズが悪いわね」
「……どうしてこうも相性の悪い者同士が関わり深いのかしら」
不毛な争いの応酬をしながら夜空を眺める。硝煙と銃声に包まれた世界から、束の間の安寧に肩から浸かるこの状態は、それぞれ程度の差はあれど心穏やかになるひと時となっている。少なくとも女湯は。
「熱い……このオンセンとやら温度管理間違っているんじゃないか?」
「これが温泉の適温だ、我慢しろ。篝火は普通にしているだろう」
「幾分か熱耐性はあるからね」
「風情も何もない言い方だな」
「篝火はフゼーが無い」
「煩いクソガキ、黙って水に沈んでいてくれ」
「嫌でーす」
「李雨、この後俺の実験に手を貸す気は――――」
「無いわ」
和気藹々とは言わないが、それなりに会話の体は為している状態が続く。時折湯から体を出し縁に腰を掛けたり、掛け湯をしたりと自由に過ごしていたその時。突然警報が鳴り響いた。
『警備課より全職員に通達。現在地下駐車場より未確認の信号を確認、敵性存在の可能性あり。非戦闘員は速やかに防護隔壁まで退避、戦闘員は武装の後所定の位置に就いて下さい。繰り返し――――』
刹那、温泉の湯が大きくうねりを上げ飛沫を立たせた。
風呂の縁に足をかけ、蓬と艾が頭上の屋根まで跳び上がり姿を消していった。
――――全裸で。
「あの二人、服も着ずに迎撃に行ったんだが?」
「艾と……四ツ木君なら事足りるだろう。俺達が行くまでも無い面倒臭い」
「蓬よカルミア、ドタマブチ抜くわよ」
「おぉ怖い怖い」
「恥じらいなさすぎるよねあの二人、艾はともかく蓬も」
「人間じゃない奴に人間の感性を求める方が間違っているだろガキンチョ」
「うるさいなぁ……本当に」
「喧嘩はやめなさいな、すぐに鎮圧完了の放送が流れるわ」
ウロボロス暗部地下駐車場、若干の明かりだけが灯るそこに、ウロボロス職員と不法侵入者たちが遮蔽を挟み睨みあっていた。
「……どうする、睨みあっている暇はないぞ」
「ここには車両が置いてある、そうそう銃撃戦が出来ないからな……」
「しかしいつまでも睨みあう訳には……」
膠着した状況に痺れを切らす職員達。その背後に二つの人影が近づいてきた。
「お前達は援護をしてくれ、俺達が行く」
「艾さっ……!?」
「格好は気にするな、湯浴みの途中で来ただけだ」
「ナイフを貸して頂戴、行くわ」
「貴女までそんな恰好で……!」
「見たければ見なさい、減る物じゃないから」
「お前は少し格好を考えろ」
「タオルは羽織っている」
「気休めだそれは」
薄い布一枚だけを纏った蓬と艾が武装した職員からナイフを受け取る。それを手に持つと、素性不明の敵の方へと悠々と歩き出した。
遮蔽越しにも相手がざわついているのがわかる。それを確認しお互い目を合わせると、蓬と艾は左右に跳んだ。
艾は飛んだと同時に右側の壁を走り、超高速で遮蔽の裏を視認する。蓬は左に跳ぶと、天井に張り付くように上下逆さまになると、死角である頭上に移動した。
「合わせろ」
「勿論」
その声を合図に、両者は弾かれるように跳び遮蔽裏に隠れていた者達に向かい飛び掛かる。
艾のナイフが首を絶つ。蓬のナイフが脳天を穿つ。艾の両手が心臓を貫く。蓬の脚が頭部を叩き潰す。そして、艾と蓬は同時に残った一人の男に向かった。
「ヒッ……!」
「チェックメイトだ」
「ご苦労様、徒労だったわね」
蓬が鋭く脚を蹴り上げ手に持っていたハンドガンを弾く。艾がそれを掴み取ると、男の頭部を押さえ仰向けに押し倒し、一発、二発、三発と弾丸を脳天に打ち込んだ。痙攣し跳ねる男の体はやがて力無く地面に凭れる。それを確認し、二人は遮蔽から職員達の元に戻っていく。
「殲滅完了、死体処理を任せる」
「ハ……ハッ!」
「死体処理を始めろ、解剖課と情報課への連絡を忘れるな!」
「清掃班! 準備!」
「警備班は第二警戒状態を維持しろ、哨戒も忘れるな!」
「戻るか、また血に汚れた」
「折角洗ったのに二度手間ね」
「さっさと戻るぞ」
「そうね」
慌ただしく走り回り無線連絡をする職員の隙間を縫い、蓬と艾は温泉のある棟まで戻っていった。タオルの血濡れに気が付いた二人は近くにいた職員にタオルの処理を任せるため脱ぎ取り投げ渡して去っていく。その姿をぼんやりと数人の職員が眺めていた。
「……本当、とことん人間らしくない二人だよな」
「正直不謹慎ではあるが眼福ではあるんだよな……」
「恐ろしくてとても大っぴらに言えたもんじゃないがな」
「だそうだ、蓬」
「興味ないわ」
「だろうな」
『全職員に通達、侵入者の排除が完了したことにより先程布かれていた警戒態勢が解除されました。これより呼ぶ課の者は速やかに第三研究所までお願いします。――――』
「本当にあっという間だったね」
「そんなものよ、私達が出向く必要が無くなってよかったわ」
「でもあの二人本当に全裸で行ったのかな?」
「多分ね」
「あの殺戮マシンいい加減どうにかした方が良いんじゃないか?」
「あれに手綱は無理だよ。俺でも匙を投げる」
「お前も大概だカルミア」
「心外だな」
一方温泉に居た四人はと言うと、大した緊迫感も無くのんびりと温泉に浸かっていた。
誰もがわざわざ温泉で疲れを癒しているのにまた汚れるのは嫌だと言わんばかりに不動。何処から持ってきたのか、李雨が酒を飲んでいた。
「この後はどうしようかしらね、アリス」
「ご飯!」
「夕食を摂ってなかったわね、蓬もお腹を空かせていたし帰ってきたら食べに行きましょう」
「やったぜぃ」
「オレはあがる、待っている義理はないからね」
「俺もあがろう、元々来るつもりが無かったからな。では李雨、エイジス君、先にあがる」
「アリス!!」
「暫く会いたくないわ」
「ははは、すまないすまない」
嫌味の含んだような言葉を残しカルミアが去っていった。篝火もそれに続き出ていく。
アリスと李雨はその後、蓬と艾が帰ってくるまで湯に浸かりながら微睡み待っていた。
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