Code:Ⅴ 酒気に揺蕩う

 騒々しい喧噪はまるで初めから無かったかのように消え失せ、ウロボロスは通常通りの運営に戻っていた。夜も深まった時刻、先刻身元不明の侵入者を撃退し戻ってきた蓬が温泉に戻ってくると、血色の良くなっているリリネットが唇を尖らせ半眼でこちらを見つめていた。一体何なのかと李雨とアリスに目線を送るも、肩を竦ませるばかりだった。

「リリー、何か言いたいことがあるならハッキリ言って頂戴」

 血を洗い流し終わり湯に浸かった蓬が、溜め息交じりに問う。リリネットはついと視線を横に逸らし頬を膨らませながら不満げな声で言った。

「……私が一緒に温泉入りましょうって言ったのに、蓬さんさっさと入ってましたよね……? 私頑張って仕事を終わらせてきたのに!」

「私は『温泉に入り宿泊すること』は受け入れたけど、『貴女を待って一緒に温泉に入る』とは一言も言ってないわ」

「酷い! 私の事は遊びだったんですね!」

「わー蓬ひどーい、リリー泣かせたー」

「期待だけさせて裏をかくなんて悪女ねぇ蓬」

「……はぁ、見え透いた小芝居はやめて頂戴。大体後から入っても一緒に入ったことにはなるでしょう、私達が早々に出る事が無いのはわかってたでしょ」

「……てへ、怒られちゃった」

 リリネットが舌を小さく出しばつの悪そうな顔をする。呆れる蓬を他所に、アリスは口まで浸かり湯を泡立たせ、李雨は相変わらず酒を呷っていた。

「辛気臭い顔で温泉に入っていたらこっちまで気が滅入るのだけれど、もう少しましな顔にならない? 蓬」

「最高の皮肉ね、私は常にこの顔よ」

「怖いわぁ、ほらにっこりにっこり」

 李雨が持っていたお猪口を盆に乗せると、徐に両手の指で蓬の口端を上に持ち上げる。不自然に作られた笑みの表情は李雨の予想以上に歪で、思わず吹き出す。辛うじて顔は背けたため蓬に唾液がかかる事は無かったが、ジト目の視線が容赦無く李雨を刺していた。そしてゆっくりと立ち上がった蓬は肩を震わせ笑いを堪えている李雨の頭を掴む。

「――――遺言はあるかしら?」

「ッフ……いい笑顔になって痛い痛い痛い」

「笑顔が致命的に似合わない存在って蓬の事を言うんだなぁって思った」

「アリスちゃん中々にエグイことさらっと言いますね……」

「随分な言い様ね、笑顔の表情を作れるパッチでも当てようかしら?常時笑顔になってあげるわ」

「いたた……そう拗ねないで蓬、何時もの貴女が一番よ」

「白々しい」

 漸く放されたアイアンクローの余韻に貌を顰める李雨。蓬はそれを意に介すことなくまた湯に浸かった。

 常に湧き出ているお湯の音だけが場を包み、沈黙が続く。しかし誰もそれに気まずさを感じている訳でもなく、暫くの間無言のやり取りが続く。

 ふと思い立った李雨は盆の上にあるもう一つのお猪口に酒を注ぎ、蓬に差し出す。数拍間があった後、小さく息を吐き蓬はそのお猪口を受けとった。満足そうな顔をした李雨は自分の器を蓬の器に軽く当てる。カチンと小さく鳴るお猪口と波紋の立つ酒。お互いが図ったかのように同時に呷り、そしてまた小さく息を吐いた。

「……いいなぁ」

 アリスが呟く。かつて存在していた法が無くなったこの世界だが、しかし飲酒や喫煙は基本的に青年になっていなければできない物なのには変わりはない。一人だけ十五歳という少女と呼ばれる年齢のアリスは、羨ましそうな目で二人を見ていた。

「酒はいいことはないわ、こんな仕事してて酒好きにロクなのはいないもの」

「私も貴方も酒を好んでいるんだけれどそれについては?」

「私は個人的な趣味。強い酩酊状態は人間にはきついでしょうけど、アンドロイドにはいい刺激になるの」

「ふぅん……私は楽しく酔いたいから適量しか飲まないけど。リリーは?」

「私はお二人ほどは飲みませんが、お付き合い程度なら……」

「アリスもお酒飲みたーい!」

 バシャバシャと湯を掻き立てながら駄々を捏ねるアリス。それを見かねたのか、李雨はすいとアリスの側に寄ると、お猪口を手渡した。

「あまり多くは飲ませられないけれど、お試しにね」

「やった! いただきまーす」

 目を輝かせお猪口をその両の小さな掌で持ち、いざ飲まんと傾ける様を蓬は半眼で眺めていた。そして間髪入れずに顔を歪ませるアリス。勢い余って全て飲み干したアリスは、その独特の芳香とアルコールに大きく唸り声をあげた。

「うえぇぇぇ……なにこれぇ……」

「慣れない人間がいきなり酒を呷るからそうなるのよ、李雨もわかっててやったでしょ」

「身を以て体験させるのが一番わかる物よ」

「はぁ……アリス、こっちに来なさい」

「うぇ……」

 未だしかめっ面のアリスを呼ぶ蓬。ふらふらと湯をかき分け来たアリスを百八十度逆に向き直させ、その胸に抱き寄せた。

「暫く私を背もたれにして静かになさい、慣れない体に急なアルコールを湯の中で摂るのは危ないから」

「うぅ……ふかふか……李雨とは大違い……」

「追いアルコールをご所望かしら?」

「まぁまぁ李雨さん……」

 ふらつきながらなお煽る言葉を発するアリスに半ば呆れ交じりの驚嘆の感情を抱きつつ胸の内に仕舞い込んだ蓬は、アリスの腹部に手をやりながら頭を撫でる。纏め上げた艶やかな金髪が掌をくすぐる心地を楽しみながら、怒気を孕んだ笑みでリリーに抑えられる李雨を見る。酒の入った徳利を手にアリスに注ごうとしているあたり、やはりどうにも胸部のボリュームに対して思うところは依然としてあると見えた。蓬からすれば元々からほぼデザインされたも同然の存在なため、その見た目の特徴に対して固執する行為を理解し難い。しかし以前まだ分隊結成間もない頃、なんの気なしに交わした会話の中でそれらの事が彼女の琴線に触れ、危うく惨事になりかけたのを思い出しそっと言葉を飲み込んだ。

 蓬は視線を下に向ける。そこには正直な所作戦行動や火器使用の際に邪魔なことこの上ないサイズのものがあった。急な装備交換や暗所での足元の確認、狭い場所などの潜入にはどうしても荷物にしかならず、何故自分を造った人間はこんな体にしたのかと問い質したい位だった。余程李雨やアリスの方が小柄でスレンダーなので作戦行動にも支障を来さず、また女性として美しい体系でもあり可愛らしい衣服も似合うだろう。自分の体が有意義に使えるのはハニートラップが精々だろう。

「蓬、言っておくけれど大抵の女性は貴方程とは言わずともある程度は豊かさが欲しいと思っているの。それ以上考えるのはこっちが惨めになるからやめて」

「なんで思考を読んでるのよ」

「今この瞬間の貴方の思考なんて考えなくてもわかるわよ、どれだけ普段一緒に居ると思ってるの」

「それもそうね」

「ぅあー……」

「逆上せそうですねアリスちゃん、上がります?」

「これ以上ふやけられて吐かれでもしたら大惨事ね、上がりましょうか。李雨はその盆と食器忘れない様に」

「わかってるわ、はー……いいお湯だった。ずっとここに住みたいわ」

「いいんじゃないです? ね、蓬さん」

 弛緩した表情筋で名残惜し気に肩に湯をかける李雨の言葉を聞きリリーは提案をするが、蓬は首を横に振った。

「あくまで私達は傭兵、一時的な間借りはできてもここの正規職員でない以上部屋を圧迫する訳にもいかないわ」

「真面目ですねぇ」

「義理よ。さ、出ましょう」

 大きく水音を立て蓬とアリスが立ち上がる。それに続いて李雨とリリーも名残惜し気に立ち、石畳を濡らしながら脱衣所の引き戸を開ける。湯だった肢体から滴る水滴と仄かな湯気を携えながらバスタオルを持ち、体を入念に拭く。李雨は手早く自身を拭き終わると、手間取るアリスの髪の水分を拭きとっていく。

「んぁー……あぃあとー」

「随分アルコールに弱いわね、新発見」

「歳考えれば当然と言えば当然ですよね……」

 完全に茹蛸の様に出来上がっているアリスはされるがままに髪を乾かされる。上気した頬と潤んだ瞳が歳不相応な雰囲気を見せているが、ここにそれで絆される者はいない。淡々と各々が着替えを済ませ衣類を纏めていると、李雨があることに気が付く。

「あら……蓬そんな服持ってたの?」

 蓬が来ている服、元々常用していた服は黒のタートルネックセーターにダークグレーのパーカー、グレーのマフラーとショートパンツにサイハイソックスであった。

 しかし今しがた蓬の着替えた衣服は、黒の肩出しタートルネックに拘束衣の様なベルトを巻き、下にはサイハイソックスのみという露出度の高いものだった。髪も左のもみあげを三つ編みにしていたりと、少し前までは見なかった格好をしていた。

「前々からここに予備の着替えとして置いていた服よ。今日は着替えを持ってきてなかったから出してきたの」

「あぁそういう」

「りうー頭とおんない」

「入れる場所間違えてるわよ、ほら」

「なんだかお母さんみたいですねぇ」

「この子の親代わりと言えばそうなのかもしれないわね、まだ十五の子供だもの」

 袖を通すべき場所に頭を捻じ込もうとするアリスを制し、然るべき場所へ誘導する。李雨はまだ水気の残る髪を耳にかけ髪をゴムで簡単に結び、金色の毛玉を椅子に座らせる。備え付けられたドライヤーを点け、毛玉の髪を緩い温風で乾かしていく。ふわりと踊る様に靡く金髪からは仄かな柑橘系の香りがし、しっとりとしながらごわついていた髪はやがて程よい軽さのウェーブがかったものに変わっていく。李雨は内心、この毛の量は洗うのも乾かすのも毎回一苦労ね、と思った。

 やがて全体的に乾いたのを確認すると一旦電源を切った。ポンと背を軽く叩くと、アリスはゆらりと立ち上がり手近な椅子に腰かけた。

(この様子なら大丈夫そうね)

 李雨はそれを確認するとドライヤーを手にアリスが座っていた椅子に座ると、電源を入れた――――はずだった。スイッチへと伸びた指は空を切り、手にあった重みはするりと蜘蛛の糸の様に切れていなくなっていた。頭上に目を移す。

「……蓬?」

「自分でやるのは手間でしょ、偶にはやってあげるわ」

「珍しい、どういう風の吹き回し?」

「気の抜ける環境で穏やかな気持ちになったから、でどうかしら」

「納得するわ、じゃあお願い」

「ん」

 上げた顔を前方に向け直す。焦げ茶の髪が蓬の手で持ち上げられ、全体に行きわたる様に風を当てていく。その温かな風は湯上りのほんのりとした肌寒さとを緩和する様で、瞼がやや重くなるのを感じる。

「ん……他人にやってもらうと気持ちよくて眠くなるわね」

「今日の貴方、何時もより表情が強張ってたからね」

 はた、と。沈みかけていた瞼が止まる。

「安心しなさい、何も聞くつもりはないわ」

 やや小声になる蓬。それは少し離れた所に居るアリスとそのアリスを膝枕しているリリーに聞こえないようにするためだろう。一瞬張り詰めた神経は戦場の中でのそれの様になり、意味も無く蓬に意識を集中させてしまう。

「…………本当、そこいらの人間より余程よく視てるわね」

「これでも分隊長みたいな役割を担っているつもりだもの。でも、話す気が無いのなら何も聞かないし詮索もしないわ」

「さっぱり何を言ってるのかわからないけれど、仮に何か思うところがあったとしていいのかしら? 部隊員が何かしら隠し事をしているのよ?」

 李雨はややトーンを上げて疑問を投げる。当然と言えば当然だが、情報の秘匿は仲間内に限ってはメリットは一切ない。寧ろ詳らかにすることで不穏因子を無くし、より円滑な行動・活動が行えるようになる。そう考えれば、部隊を統率するものとしては多少なりとも聞くのが筋だろう。無論聞かれたからと言って私情に関わる事ではあるので語るつもりは毛頭ない。しかし蓬にしては珍しい指摘に、つい挑発的とも言えるようなはぐらかし方をしてしまった。

「私には私なりの秘密がある。アリスにも、そしてあなたにもあるわ。李雨。それを無理にこじ開ける必要がどこにあるのかしら」

 髪が李雨の顔を覆う様に靡いた。

「私はそれを聞きたいがために言ったのではなく、自分で何とかしなさいと指示をしただけに過ぎないわ。別に何を強制するつもりでもないけれど、私にバレるような表情なら何とかしてほしいと伝えたまでよ」

「……そ、でも私にはやっぱりさっぱりだわ」

「なら私の勘違いね、ごめんなさい。後で認識プログラムを見直すわ」

「そうして頂戴……そろそろ乾いたかしら?」

「そうね、手入れをするならしておきなさい」

 カチリと音が鳴り風が止む。乾いた髪が重力に従い下に落ちる。手櫛をすれば指通りも滑らかで、普段自分がやるよりも幾分が仕上がりがいいのを見て、次から頼んだらよいのでは?と思うが言わなかった。

 蓬はその様子を見るとそのまま自分の髪を乾かし始める。その様子を尻目に、李雨はアリスとリリーに声をかけ、荷物を纏め始めた。

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