Code:Ⅲ ウロボロス
イグナテス統括軍事会社ウロボロス軍事事務局、その待合室に蓬は気だるげに椅子に座っていた。その様子を隣で見ているウロボロス設立者にして現最高指揮官であるランヴァルト・ハイデッガーは葉巻を手に持ちながら溜息を吐いた。
「年頃の娘がそうだらしのない恰好をするな、自分の所作に少しは気を遣え」
「まるで父親みたいな言い草ね。私みたいな目つきの悪い長身女に目をやるような男なんてここには居ないでしょ?」
「近日にはここに新人も配属される。直属ではないとはいえお前はここの古参だ、ある程度の意識は持ってくれ。お前たち三人はこのウロボロスでも容姿が整っている、お前も例外なく男たちの視線の対象だ」
「……本当に父親みたいね、なにかあったのかしら?」
「お前の気の抜け具合に呆れている」
「気が抜けていることは否定しないわ」
崩していた姿勢を直し、椅子に座りなおす蓬。相変わらず血に汚れたままのその見た目でも通り過ぎて行く男達は時折こちらを見てくるのがわかる。何を見ることがあるのかと内心疑問に思う蓬の考えが透けて見えたのか、ランヴァルトが一息葉巻を吸い煙を吐きながら言う。
「お前は自分の容姿に頓着しないが、他人もまたお前の容姿に頓着しないという考えは捨てておけ。余計ないざこざは面倒だ」
「頭の隅に置いておくわ」
「……そろそろ時間だ」
「じゃあ報告に行きましょうか」
葉巻を消したランヴァルトの言葉を合図に、蓬は椅子から立ち上がる。ガンケースを背負い自身より大きなランヴァルトの背を追うように歩く。
固く無機質な床をブーツが叩く音だけが響く廊下を進み、一つの扉の前に着くと扉が開かれた。中にはパッとしない顔つきの男がノブを持ち頭を下げながら立っていた。
「ご苦労」
ランヴァルトは一言そう言うと男の横を通り過ぎ、蓬はそれに続き手を軽く振り横を過ぎる。中には仰々しく設置された石造りのテーブルとスプリングの調子が丁度良いソファーがあり、そこでは忙しなく書類にペンを走らせる女性が一人座っていた。
「職務に励んでいるようだな、リリネット」
「あっ、お疲れ様ですランヴァルトさん! それに蓬さんも!」
「昨日ぶりねリリー、任務達成の報告に来たわ」
「例の末端殲滅ですね、少々お待ちくださいなー」
リリネットと呼ばれた快活な女性はそう言い、積み重なった書類の山から慣れた手つきで一枚の書類束を引っ張り出す。グラリグラリと揺れる書類の山を見る蓬は何故いつもこれは倒れないのかと疑問を持っていたが、然して重要な質問でもないので黙っている。
「これですねー、密売組織の末端、実行部隊の役割でストリートギャングの様な集団を形成している者達でしたね」
「えぇ、現場で全員塵殺したから確認が要るなら現地へ確認して頂戴」
「今更400分隊にそんな確認入りませんよ~、強いて言うなら何か有益な情報の獲得などあったりとかしたら教えてほしいな~なんて」
「情報でなくていいのなら、損傷軽微の防弾加工済み四駆車両を相手から鹵獲したわ。地下の駐車場に停めてある」
「おお! それは追加報酬が必要ですねー、いいですか?ランヴァルトさん」
「君に一任しよう」
「ならば追加報酬の旨を加えておきますねー」
「ありがと、助かるわ。これで足元見られたら本部上層部を襲わなくちゃいけなくなるもの」
「出来ればやめてもらえれば助かるがな、施設破損や市街地破壊などされたら経費がかかる」
「金銭の問題?」
「この世界で唐突に死ぬのはある意味自然な現象だ」
「他の人間に聴かれたら査問委員会にしょっぴかれそうね」
「私をどうこうできるのならやっているだろう」
「恐ろしい話を平然としますねぇ……っと、報告はこれで終わりですね」
ボールペンを走らせていた書類をテーブルで整えクリップでまとめたリリネットは、それを確認済みと書かれたボックスにしまう。蓬は一つ息を吐き、ソファーから立ち上がった。
「じゃあ私は帰るわ、本当は終わった後ここに報告に来るつもりはなかったから帰りが遅くなったし」
荷物を持ち、踵を返した蓬に、リリネットは大声で引き留めた。
「えぇ!? 泊っていかないんですか!?」
「なんでそれで驚くのよ……」
「えーいいじゃないですかー泊っていきましょうよー。そんな返り血塗れだと気持ち悪いでしょう? ここならシャワーも浴槽もありますし……えーっと、なんでしたっけあれ、東の島国の文化だった……」
「温泉、か?」
「そうですそうです!オンセンとやらも設置されましたし、一緒に入りましょうよー」
「…………」
「観念しろ蓬、部屋やアメニティはいつものようにしておく様に伝えておく」
「……李雨とアリスに一声確認だけさせて頂戴」
「了解でーす」
珍しく眉を下げた蓬はまた溜め息を吐きつつ、勢いよく手を振るリリネットと疲れた顔のランヴァルトを尻目に部屋を後にした。
「らいふくおいひい~」
待合室にて一人ソファーに腰掛け、サイドテーブルに置かれた大福を頬張っているアリス。頬に粉を着けながら咀嚼をし、誰にともなく一人感想を呟いていた。
「おい……あれ」
「400分隊の奴だろ…目を合わせると何されるかわからねぇから行くぞ」
「…………聞こえてるんだよなー」
待合室に入ってきたウロボロス職員がアリスを見るや否や、小声での会話をした後にそそくさと部屋を出ていった。その小声にアリスは気付きながらも、咀嚼をやめる事は無く、つまらない事をしているなと消えていった男達の姿を一瞬想起しながら串団子に手を伸ばす。
共に居た李雨は席を外すと一言言い、今ここには居ない。蓬の帰りを待ちながら和菓子に舌鼓を打っていると、その頭上から影が落ちてきた。
「食い過ぎじゃないか? クソガキ」
「……わざわざアリスのところに来る必要はないと思うんだけど」
「ここは公共スペースだ、君の様なクソガキにわざわざ会いに来たわけじゃない」
「よく言うね」
ワインレッドのウェーブがかったの短髪に灰色の瞳を持った男が眼前に立っている。凡そ年若い少女に向ける成人の男の眼ではないそれが、二人の関係を知らぬ人間にも何かを察せられることができる。同様に少女の声色と目線も、男と同じ感情が孕んでいるのがわかる。視線は向けつつ尚も串団子を口元に運び頬張るアリスの左手を男が唐突に掴み上着の袖を捲った。
「……随分サポーターの摩耗が激しいな、使い方が荒過ぎるんじゃないか?」
「こんな女の子の本気に耐えられない物しか作れない機械技師なんてウロボロス主任機械技師の名前もお飾りなんじゃないかなぁ?
「口が減らないガキだなぁ……そもそのサポーターも君の無茶な要望を可能な限り叶えた代物だ。故に強度もそれに相応のものになっている。それがここまで摩耗するのは君があの二人の無茶な動きについて行こうとしているからだ」
「そんなことない」
「事実だよ、君はサポーターを着け卓越した戦闘技能と常人を超えた身体能力を持っていようと、オレの嫌いな人間だ。手を貸している現状が自分でも理解できないくらいに、君は人間だ」
容赦のない言葉での応酬を繰り広げながら、アリスと会話をしている男、篝火はサポータに手をかけ微調整を施していた。いつかけたのかモノクル越しに、細部を観察する篝火の言葉にアリスは口を閉じた。
「忘れるな。限界を自分で安易に定める人間は愚鈍な死体だが、自分の限界を理解していない人間は愚図だ。君があの分隊でまだ生きていたいなら自分への理解をもっと深めることだ」
「……余計なお世話なんですけど、篝火みたいな年間夢見がち男よりアリスはアリスの事を知ってる」
「これ以上の問答はオレが続けられない。サポーターは間に合わせの整備はした、命が惜しいなら後日オレのラボに来ることだね」
やや力を込めて篝火はサポーターを着けたアリスの左腕をはたく。あいたっと声を上げるアリスを気にも留めず、二人以外誰もいない待合室の出入り口向かう。
「精々その命を取りこぼさない様にすることだ、滑稽話にもならない死に模様なんてここには山ほど溢れているからね」
「言われなくても、そっちこそそのひ弱な体でさっくり大嫌いな人間にあっさり殺されないようにね」
「よく言うよ」
鼻で笑った篝火は扉を開けると、右目だけでこちらを肩越しに見ながら廊下の奥に消えていった。
「せっかくの和菓子の味が台無しになっちゃった、新しいお茶入れて仕切り直しじゃー!」
ソファーから軽快に跳び、給湯器のあるテーブルに移動するアリス。使っていた湯飲みに、東の島国伝来の緑茶と言う飲み物を注いだ。湯気の立つ暖かい飲料は手先を温め少し荒れた心を落ち着かせてくれた。それを片手に隣の戸棚から新しい大福を取り出すと、上機嫌にソファーに戻り、再び頬張り始めた。
誰もいない部屋に、一つの鼻歌だけが響く。
「……ふぅ」
ウロボロス内にいくつか設置されている喫煙ルームの一つ、そこに李雨の姿があった。煙草を片手に簡易的なベンチに腰を掛け、天井にある換気扇に呑まれていく紫煙を眺めながら、何をするでもなくただ無心でニコチンを吸い続けていた。
口で上下に動かす煙草の動きが視界に入る。灰が今にも落ちそうだが、どうにも手に持ち灰皿に落とすただそれだけの行動にまで移れない。落ちたとしてこの服なら燃えはしないだろうという一種の安心感のせいもある。
自分の姿を見るや畏れの視線を向けながら出ていった先客たちに感謝したいと思った。誰もいない密室で何も考えずに煙草を吸う、それだけで体に溜まる疲労が少し緩和された様だった。
「やぁやぁやぁ李雨、そんな湿気た煙草以下の面白みの欠片も無い可笑しな顔でチンタラ煙草を吸っていてどうしたんだい?」
「………………」
「無視とはこの恩人を相手に随分不遜不敬極まりない対応じゃないか? 今時子供でも予防接種を受けたら涙目でやや恨めしげな念を向けつつ親から言われ渋々感謝の言葉と挨拶をするんだが?」
「……会話をしたくないのよ、煙草が吸いたいなら別をあたって頂戴カルミア」
「残念ながら今すぐ吸いたいのでね、失礼するよ」
「……チッ」
軽快な歩みで喫煙ルームに入ってきた長身の男は、弧を描いた口元から嫌味と言う嫌味を呪詛の様に吐き出しながら李雨の隣に腰掛けた。絹糸の様に靡く白い長髪と、そこから覗く群青の瞳を持つ人を小馬鹿にしたような声色と表情。それを見た李雨は人間が出来る最大限の嫌悪の表情で大きく舌打ちをした。部屋内はおろか、廊下の先まで聞こえるほどの大きさで。
李雨の吸う煙草が残り少なくなる。今ここでこの火を消して蓬の帰りを待つアリスの元へと帰ってもいいのだが、万が一カルミアが気まぐれに待合室まで来ようとした場合面倒臭いことこの上ない。不本意極まりないがカルミアの気が逸れてここから立ち去るか、誰かカルミアの手綱を握ることが出来る数少ない人物が来ることに賭けることにした李雨は、もう一度溜め息を吐いた。
「先程にも増して煤けた顔をしているが?」
「誰のせいだと?」
「さぁ、李雨のせいじゃないか?」
「……今ここでその首叩き切ってやろうかしら」
「物騒物騒」
口の端に咥えた煙草はゆらゆらと煙を漂わせる。李雨の吸う煙草の凡そ7倍のニコチンを含んだ物を何ら不自然さも無く吸うカルミア。その煙は受動喫煙で肺を一瞬に黒く染められるのではないかと錯覚するようなものだったが、李雨はしかしそれをまた同じように気にすることなく気だるげに新たな煙草に火をつけていた。
ジッとライターに火を点し、軽く息を吸いながら先端に火をつけ、一度ゆっくり吸い込むと、その香りや味をじっくり感じた後に煙を口から吐き出した。
その様は、内に溜まる李雨のフラストレーションの様でもあった。
「任務はどうだった」
こちらに視線は向けず、しかし声はこちらに向けてカルミアはそう問うた。
「どうもこうもないわ、手応えの無い相手を一方的に蹂躙して感慨なんて浮かばないでしょう」
「その割に頭部出血の跡があるが?」
「流れ弾」
トントンとわざとらしく自分の頭を叩き指摘してきたカルミアの顔は、首を獲ったかの様な笑みだった。李雨は異を唱えたかったが、しかし被弾したことには変わりはないのも事実であり、一言返すのみとなった。
「ヤケヤニをするくらい不満があるならあのオーダーに直接言えばいいだろう、何て名前だったか……草木君?」
「蓬」
「あぁ蓬君だっけか」
「再三言っているけれどいい加減人の名前を覚えようとする努力をしてほしいのだけれど?」
「俺の脳に興味の無い物を記憶するリソースは作っていないんだ。まぁ彼女はまだ興味を持つ範囲内に入るから覚えることも吝かではないが?」
「蓬の方が願い下げそうだけど。で、蓬に直接言えばいいと?」
「そう、手っ取り早いだろう?」
咥えた煙草を徐に手に持ち、その口を気味の悪いほど歪めるカルミアはそう言った。確かに直談判でもすれば蓬は快くそれを聞き届け、最大限奔走し依頼を得て戻ってくるだろう。あの鉄仮面からは誰も想像できないほど分隊への、李雨とアリスへの愛情を持ち注いでいるのを知っているからこそ余計にその行動の結果がわかる。
だが、
「それはしないわ」
「何故だい?」
想像していた答えではなかったからか、それとも思慮に欠ける結論に嘲笑したのか、半笑いでカルミアは問い返す。
「確かに任務の難易度は物足りない、無理にでも探せばいくらでも私たちにとって手応えのあるものは存在している」
「そうだろう」
「だけど他ならぬあの蓬が私達の事を考えた上で起こした行動なら文句は一切ないわ。私も、アリスも」
「随分心酔しているようじゃあないか?」
「心酔? 違うわ、そんなつまらないものじゃないのよ」
返答を理解できないだろうなと李雨が視線を向けると、カルミアは案の定眉を顰め怪訝な表情をしていた。何故かそれが李雨には一矢報いた結果に見え、内心ほくそえんでいた。
「多分貴方の様な人間には一生理解できないわ、残念だけれど」
「なら理解しないことにしよう、俺が一度で理解できないものは今後一切必要ないままだ」
「でしょうね」
互いに視線を一度交錯させ、そして逸らす。会話の合間に李雨の元の灰皿には2本、カルミアの元の灰皿には7本の吸い殻が溜まっていた。紫煙は換気扇からの脱出が困難になるほど充満し、いっそ工業地帯の方がまだ空気が澄んでいると錯覚するような空気に満たされていた。
そんな部屋の扉が不意に開かれた。満ちていた煙を纏った空気は思わぬ出口の出現に我先にと出ていき、李雨とカルミアの肺に新鮮な空気が流れ込んできた。
視線を動かす。出入り口の扉の前に、カルミアを優に超す背丈の男が立っていた。カルミアと同じ白い髪に紅いメッシュの混ざった短髪と、変色した血液の様な瞳に深く染み込んだクマを携えているその男は、李雨の姿を見つけそちらに体を向ける。
「帰ってきていたのか、
「作戦中でもないのにその呼び方はやめてくださいな、
「それもそうか、蓬はどうした」
「任務達成の報告に行っているわ、会ってなかったの?」
「俺は別件で人探しをしていた、そこでヤニに塗れた男をな」
「どうせまたつまらない作戦の参加をしろって話だろう?艾」
「普段から医療事務局と医療課の仕事を疎かにしているのを見逃しているのは誰だと思っている」
「感謝はしているさ」
「なら来い、お前が少し話を聞きさえすれば俺もお前も業務が終わる」
「はいはい行けばいいんだろう?君はもう少し俺への対応を緩めるべきだ」
「仕事を俺に急かされずこなせば考えてやろう」
「すみませんね」
「李雨の気にすることじゃあない。恐らくもう帰るのだろう、代わりに蓬によろしく伝えておいてくれ」
「えぇ」
艾と呼ばれた男はカルミアの腕を片手で掴むと軽々と立ち上がらせた。心底面倒くさそうに火を消したカルミアは、足取りもそれを反映しているかのようにゆっくりと動かし、喫煙ルームから出ていった。艾もそれに続き出ていき、ようやく李雨はまた一人になった。
「……そろそろ戻ろうかしら」
吸いかけの煙草を灰皿に投げ入れる。火が消える音が小さく聞こえたのを確認し、大きく一度伸びをしてから待合室の方へと歩いて行った。
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