ここはゲームの世界でした

 幼い頃から感じてきた既視感を、気のせいと思って追及してこなかったツケが、一気に回ってきたみたい。


 わたしには、過去の記憶があった。


 どこにでもいるような平凡な子で、暮らしはそれほど裕福ではない。でも、贅沢を望まなければ十分なくらいの生活を送っていた。

 恐らく恋人なんていなかったのだろう。友人もいたのかいないのか。


 ただ覚えているのは、放課後、必死にアルバイトをしていたこと。

 稼いだお金は「乙女ゲーム」に、ほとんどを費やしていたこと。

 そのゲームの世界が、わたしの世界を満たしていたこと。

 後は……覚えていない。


* * *


 薬師の診療を受け、侍女の綾女あやめが用意したお茶を一杯飲み終える頃には、自分が置かれた状況を把握するくらいには冷静になった。


 この世界がゲームに似ているのか、ゲームの世界がこの世界に似ているのか。

 はたまた、わたし自身がゲームの世界に転生してしまったのか。


 どうやらわたしは、過去の……前世と言うべきかしら、前世のわたしが大好きだった乙女ゲームの世界観そっくりの世界にいるらしい。


「どうされたのですか姫様」

「ううん、気にしないで」


 しっかりして、わたし! 今のわたしは陽出皇国ひいづるこうこく の皇女に間違いないのだから。


 この顔も、どこかで見たような気がしていた。

 手鏡に映った自分の顔を、まじまじと見つめながら思い起こす。

 別に自分の顔に見惚れているわけじゃありません。自分の顔なんだから当たり前だと言われたらそれまでだけど、そうじゃないの。もっと客観的な視点でこの顔を見ていた記憶がある。


 柔らかな流れる銀髪と、淡い翠色の瞳。

 整った顔立ちも手伝って冷たい印象になりそうなところだけれど、少し垂れ気味な大きな目が愛嬌を醸し出している。

 この顔は、わたしが知っている顔よりもまだ少し幼い。

 デフォルトの名前は此花このはなだ。陽出皇国 の第四皇女、此花姫だ。


 自由に名前は変更できるけれど、わたしはもっぱらデフォルトのままにしていた。

 デフォルトのままだと、攻略キャラクターたちが名前を呼んでくれるんだよね。

 せっかくのフルボイスなのに名前を呼ばれないって悲しすぎる!

 わたしは主人公を自分に投影させることなく、純粋に此花皇女の物語としてこのゲームを楽しんでいたの。


 ちなみに乙女ゲームというのは、何人かの攻略キャラクターとの恋愛を楽しむゲームのこと。主人公は、大体が誰にも好かれるような愛らしい美少女であります。

 で、そのゲームの主人公が、今のわたし……らしい。

 極々平凡な容姿、ぼっち気質で人見知りなわたしが主人公?! なんて、なんておこがましいのかしら……!


「う、わあ……」

「どうされました、姫様?」


 頭を抱えて漏らした奇声に、いよいよおかしいと思ったようだ。[[rb:綾女 > あやめ]]は慌ててわたしの額に手を添えた。


「お熱は……ないようですが」

「違うの、ちょっと事実を受け入れられなくて」

「事実、ですか?」

「ううん、こっちの話」


 にっこりと微笑む。

 侍女の綾女も、乙女ゲームに登場するキャラクターだ。主人公である此花とは主従の関係を越えて親しい間柄、という設定になっていた。

 今の時点ではそこまで親しいとは言えないかな。確かストーリーは十六歳の誕生日からスタートするから、あと四年の間に変わるのかもしれない。


「綾女。ノート……ううん、日記帳とインクを用意してくださらない?」

「かしこまりました」


 過去の自分と今の自分。思い出してきたものの、ほんの少し。思い出せないことばかりだ。

 過去のわたしが好きだった乙女ゲームについて。今、生まれ変わってゲームの世界とよく似た世界にいる意味。そして、庭師の青年カイの存在。


 思い出したことを片っ端から書き連ねるしかない。まだ思い出せないけれど、わたしにはやらなければならないことがある、やりたかったことがある。多分、そんな気がする。

 思い出せ、思い出すんだ。

 真っ白な日記帳を開くと、頭に浮かんだ文字があった。手が勝手に動くそのままに、その文字を書き綴る。


「恋に落ちた花園で」


 きっとこれが、このゲームのタイトル。


 今のわたしは、この世を統べる時の帝の五番目の子供。兄と三人の姉を持つ、第四皇女である此花(このはな)。

 皇位継承権からほど遠く、呑気にのどかに育ったお姫様。それが今のわたし。


 この乙女ゲーム「恋に落ちた花園で」では、今の私……つまりこの国の第四皇女が、皇太子、つまり次期帝になってしまっていたところから始まる。


 そもそもの原因は本来の皇太子である兄桐人が出奔し、そのまま行方知れずとなってしまったこと。

 ならば三人の姉たちに……とはならなかった。

 上の姉である二人は、隣国の王子様と結婚。夫婦円満なうえ、子宝にも恵まれた。

 離婚なんて望んでもいないし、姉たちも望んではいないだろう。

 歳が近い三番目の姉は、自国の侯爵家嫡男と婚約中。結婚は秒読み状態。


 そんなわけで、残ったわたしにお鉢が廻って来てしまった……というのが物語の序盤。

 兄上が失踪するのは、わたしの十六歳の生誕祝いの宴の前日。その宴は、わたしの皇太子即位発表の場となった。

 そして、集められた花婿候補が名乗りを上げることになる。


 攻略キャラクターは四、五人だったかな?

 攻略対象となるキャラクターの中に、庭師の青年はいない。

 だって彼はモブキャラだから。

 だって「庭師その1」なんだもの。名前なんてあるわけがない。

 記憶にある庭師その1の姿は、大抵庭園のスチルに描かれたもの。ほぼ背景の一部と化していたけれど、もっと背も高くて大人っぽかった。


「尊い……」


 四年前だから、きっと今はまだ十代ね。

 恐らく十六、七歳くらい?

 ああ! 若い庭師その1もといカイも最高です!


 思わず身悶えてしまいそうなところを、ぐっと堪えて再びペンを取る。

 控えめで、いつも主人公を見守るような笑顔が素敵なの!

 なのに主人公ってば、攻略キャラにばっかり気を取られて……まあ、ゲームはそういうものだから仕方ないのだけれど。


 わたしだったら絶対に彼を選ぶのに。

 なんどモニタの前で思ったことか。


「…………そうだわ」


 わたし、気づいてしまいました。

 もしかして、もしかてこれは……カイと結ばれるために神様が用意してくれた、わたしへのご褒美なんじゃない?!


 前世のわたしは死んでしまった。記憶は曖昧だけれど、多分わたしは此花同じ十六歳だった。

 歳が同じなのに、わたしには恋いの予感のひとつもない……と嘆いていたのを思い出してしまった。


「……決めたわ」


 手にしたペンを握りしめる。

 わたしは、わたしは……絶対にカイと幸せになる!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る