推しキャラと幸せになるためには
カイと幸せになる!
……と決意をしたのはいいけれど、具体的にどうすればいいのだろう?
ゲームがスタートするのは、十六歳の生誕祝いの日に、攻略キャラが勢揃いする。
ということは、生誕祝いのその日までに行動を起こさないと、カイとくっつく可能性はゼロ。
まずは皇太子にならない! これが最優先事項だ。
そう、桐人皇子が皇太子になれば、何の問題はないはず。そもそもこの人が出奔なんかしなければ、主人公が皇位を継ぐなんて話にならないのだから。
出奔をした桐人皇子は、傭兵となり異国の戦で命を落としたと聞く。
絶対に、そんな未来はダメ。認めません。
よーし、明るい未来を迎えるためにも、不安の芽を摘まないと!
* * *
『桐人皇子は立太子の礼を目前にしたある日、不意に行方をくらませた。風の噂では異国で傭兵となり命を落としたと聞く』
桐人皇子は皇后の子ではなく、世継ぎを産むために用意された女官の子。
ご正室から世継ぎが産まれないから、女官に産ませるなんてことは、やんごとない身分の方々の間ではよくある話のようだけど……皇后にとっては、簡単には割り切れないだろう。
皇后は夫を奪った女官を、そんな彼女が産んだ子である桐人も妬ましく思っていたらしい。
桐人皇子自身、野心とかない人だっだから、妬まれ憎まれ帝なんて重たい責任を追わされるくらいなら、いっそ自由になってしまいたかったのかもしれない。
公式設定には、桐人皇子のことは掘り下げられていなかったから推測でしかないのだけれど。
問題は、どうしたら桐人皇子を留めることができるかだ。
皇后との和解?
皇后陛下は此花の実母だけど、なかなか近寄りがたいし、帝である父上は、家族にはあまり関心がない。
上の二人の姉たちは異国に嫁いで滅多に会えないし、年の近い姉上に相談してみる?
でも何て相談すればいいのだろう。まさか「兄上が家出しないためにはどうすればいい?」なんて言えないし。
「はあ……」
紙の上は思い付いたことを書き散らかしただけで、何もまとまっていない。
「姫様、少しお休みなってはいかがです?」
ふわりといい香りがする。タイミングよく綾女がお茶を淹れてくれたようだ。窓際の小さな丸いテーブルには、お茶の用意が整っていた。綾女は音も立てずに、繊細なデザインのティーカップを音をテーブルに置く。
「ありがとう、ちょうど一休みしたいところだったの」
軽く伸びをして、丸いテーブルに近づく。ティーカップのお茶は茶褐色ではなく、淡い琥珀のような水色をしていた。席についてティーカップを手に取ると、優しい甘い匂いが鼻をくすぐる。
「これは香草のお茶?」
「はい、新入りの者が用意したと伺っております」
「庭師の?」
「はい」
新入りの庭師。きっと、カイに違いない。
口に含むと、林檎に似た爽やかで甘い香りでいっぱいになる。喉を通った後は、ほのかな甘みと酸味が舌に残る。
「とても美味しいわ。ね、よかったら綾女も飲んでみて」
「すでに毒見は済んでおります。それに、わたくしごときが王女殿下とお茶をご一緒するわけにはゆきません」
つれない……。
美味しいねって、分かち合う相手が欲しいだけなのに。でも彼女の立場を考えると、我が儘を押し付けるわけにもいかない。
「そうね……わたくしの我が儘でした。ごめんなさい」
つい今の立場を忘れてしまう。気を付けないといけないわ。
沈む気持ちを押しやって、再びお茶に口を付けようとする。すると、綾女は伏せてあった予備のティーカップを上に反した。
「……わかりました。殿下のお毒見お受け致します」
「いいの?」
「あくまでお毒見ですから」
「ありがとう、綾女」
返事に窮した綾女は、軽く頬を赤らめる。
優しいなあ、綾女。
「……問題ございません」
「では、こちらの焼菓子のお毒見もお願い」
「…………承知しました」
副料理長の作る焼菓子は悶絶級の腕前だ。美味しいに決まっている。
シンプルなバターサブレを手に取ると、綾女は恐る恐る口にした。
「……どう?」
「…………とても、いえ問題ありません」
お毒見が終わったので、わたしもサブレをいただいた。噛ると、さくりと軽い音。軽い食感だけど、しっかりとした甘みとバターの風味が口の中に広がる。
「美味しい」
「……はい」
ほら、綾女の口元もあまりの美味しさに綻んでいる。
嬉しいなあ。困り顔の綾女には申し訳ないけれど、お友達とお茶をしているみたい。
そう。此花は滅多に表に出ないせいもあって、友人と呼べる相手がいないんだよね。だから、身近にいて歳も近い綾女と親しくなったんだろうな。
「ねえ、あなたのご家族について伺ってもいいかしら?」
何気なく、頭に浮かんだことを率直に口にしていた。
「私の家族、ですか?」
案の定、面食らったように綾女は瞬きをする。
それもそうだ。これまで彼女の家族のことなど気にしたこともなかったのだから。
「ええ。ご兄弟はいるの?」
「はい、兄がひとりおります。昨年結婚をして家業を継ぎました」
綾女の実家は子爵家だが、服飾業を営んでいる。元は呉服屋で財を成し、華族の身分を得たという。
両親は当然のように家業で忙しく、食事さえ全員揃って取ることのほうが少なかったと、綾女は話す。
「唯一家族の団欒と言いますと、週末のお茶の時間です」
「お茶の時間?」
「はい。休日の前夜、ちょっとだけ夜更かしをするのです」
綾女は懐かしそうに目を細める。
「父は秘蔵の蒸留酒を、母は薬草茶、わたしと兄は暖かい牛乳を。それぞれが好きな飲み物と、明日の朝食に響かない程度のお菓子を囲んでお喋りをするのです。他愛もないお喋りですが、週末が来るのをいつも楽しみにしておりました」
いつも淡々としている綾女が珍しい。きっと彼女にとっては楽しい思い出なのだろう。
「とても素敵な思い出ね」
「ありがとうございます」
はにかむ綾女の笑顔は優しい。
いいなあ、お茶会かあ。でもうちも家族が揃うことなんてないものね。
ん、まてよ。ここは兄上と交流を深めるためにも、お茶会っていいんじゃないの?
そうよ。兄上と仲良くなったら、出奔を引き留める切っ掛けになるんじゃない?
「素敵なお話を聞かせてくれてありがとう」
「いえ、滅相もございません」
彼女は照れくさそうに顔を赤らめる。
「父上も母上も、兄上も姉上もお忙しいから、家族の団欒っていうものがなくて……だから憧れがあるの。あなたのご家族がとても羨ましいわ。お茶会、わたくしもやってみたい」
「姫様……」
贅沢な悩みだとはわかっている。でも、もう少し家族で他愛もないことも話せるような関係だったら、兄上も家を出ることはなかったんじゃないかなって思うの。
前世のわたしの家族はどうだったかな? 兄弟はいたっけ? 両親は? ゲームにバイトに明け暮れていたから、きっと家族の団欒なんて今と同じくらいなかったんじゃないかな。
ああ、多分前世も今世も同じようなものだったのかもしれない。
思い出が無いって、結構寂しいものね。唯一の前世の記憶が乙女ゲームって、わたし、友達もいなかったんだなあ……。
色々思い出したら、悲しいのを通り越して情けなくなってきた。
「せめて兄上と、できないかしら……」
あれこれ頭を悩ませながらお茶菓子をもぐもぐたべていると、じっと考え込んでいた綾女が突然、すっくと立ち上がった。
「姫様、やりましょう。お茶会を」
「え……?」
「この綾女がお手伝いいたします」
「本当?」
「はい」
「ありがとう、綾女!」
仕事だからかもしれないけれど、綾女がこうして話を聞いてくれるだけで嬉しい。しかも、力になってくれるなんて。いい人だなあ……人の情けが身に沁みる。
「そうね、わたくし開きたいわ。お茶会を」
よーし! 兄上と仲良し大作戦! わたし、頑張るわ!
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