推しとの親睦が深まったかも

 雨上がりの空の色をした瞳は、驚きと戸惑いの色を浮かべていた。

 カイもそんな表情をするのね、と思ったのは束の間。視界が歪んでしまったのは、馬鹿みたいに溢れて止まらない涙のせいだと遅ればせながら気が付いた。


 どうした、此花!?

 感情が追い付かないまま、涙だけがほろほろと溢れ落ちる。

 ああ、そっか……。

 ようやく此花の感情を理解して、ようやく自身の感情として理解する。

 ……寂しいのかな、やっぱり。


 此花は自分だというのに、まるで他人事のように感じる。けれどこの身体は、此花の感情に引きずられている。

 今だってほら、仕方がないことだって頭では思っているのに、寂しい悲しいって反応している。


 幼い頃は両親や兄姉と離れて暮らすことに疑問を持っていなかった。

 赤子の時から世話をしてくれるのは乳母と子守りの女官たち。当たり前のことだと思っていたが、心のどこかでは寂しさを感じていたのだろう。


 此花は疎まれているわけでも虐げられてもいない。ただ関心を持たれていないだけ。家族からも、臣下たちからも。

 直系の男子をと期待された中、生まれた女児。それが第四皇女の此花だ。政略のためには女児はもう三人もいるから大して必要もなかった。


 桐人だけは、幼い此花の面倒を見てくれていた時期もあった。幼子の面倒に慣れていたわけではないので、絵本を黙々と読んでくれるくらいだったけれど。それでも此花にとっては温かい思い出となって心に残っていたのだろう。

 今回のお茶会は前世のわたしの意思だと思っていたけれど、無意識のうちに此花の意思でもあったのだろうな。


「姫様……」


 ほら、カイが困っている。いい加減泣き止みなさい、[[rb:此花 > わたし]]!


「……ごめんなさい。わたくし、のことは……気にしないで。ほら、美味しいお菓子もあるのよ」


 ぐいっと涙を拭う。

 泣いてしまったぁ……恥ずかしい。

 誤魔化すように微笑んでみせる。ちょっとくらい不細工でも大目に見てください。


「姫様」

「なあに?」

「これ、持っていてください」


 カイがティーカップを突きつける。よくわからないまま、まだ温かいお茶で満たされたティーカップを素直に受け取る。


「ここで待っていてください」

「え、ええ……」


 カイはお茶菓子が乗ったテーブルへ近付いていく。どうやらお菓子を取りに行っていたらしく、焼き菓子や果物で山盛りになったお皿を持って引き返してきた。


「姫様、口を開けてください」

「え?」


 クロテッドクリームと林檎ジャムを「これでもか!」っていうくらい塗りたくったスコーンを、目の前に差し出してきた。

 さすがにこんなにクリームとジャムがてんこ盛りになったスコーンは口に入らない。入れるとしたら大口を開けるのを覚悟するしかない。


 前世のわたしなら、これくらい余裕だけど、姫君が大口で齧り付くって……あり?

 ここで断ったら、カイの好感度が下がりそうだよね。でも大口開けた方が好感度が下がるかもしれない。

 うーん、どうしよう。待ってる。スコーンを構えたカイが、わたしが口を開くのを待っている。

 え……もしかして、これって「はい、あーん」ってやつじゃないの?

 これは……嬉し恥ずかしのシチュエーションではないですか!?


「あの、カイ?」

「はい、あーんしてください」

「…………!」


 これはもう、食べるしかないでしょ!

 覚悟を決めて恐る恐る口を開く。すると、待ちかねたカようにスコーンを、一応食べやすいサイズに割って、わたしの口に放り込んできた。


 ほんのり温かいスコーンは、口に入れた途端ほろりと崩れる。そこにはこってりしたほの甘いクリーム、そして甘酸っぱいジャムがたっぷり塗られていた。


「美味しい」


 あまりの美味しさに、悲しさも薄れて思わず頬が緩む。カイは少し悪戯っぽく笑った。


「うちの近所のチビ共が泣きわめく時は、大抵腹が減っているか眠たいかのどちらかなんですよ」


 わたし、子供扱いされていたの?

 口の中のスコーンを手にしたお茶で飲み下す。いくら推しでも、言ってはいけないこともあるのよ!


「わたくし、来年は社交界デビューなの」

「それはそれは……おめでとうございます」

「もう……! 小さな子供ではないという意味なの!」

「はい、おっしゃるとおりです」


 ちょっと悔しくて大人アピールをしてみるものの、相手にされないどころかカイは小さく肩を震わせて笑い出す始末。

 カイの笑顔を拝めてありがたいのですが。わたし、ご近所のおチビさんたちと一緒ですか?!

 くすくすと笑いながら、カイが手を伸ばす。他人事のようにそれを眺めていると、彼の温かい指がわたしの頬に触れる。


 え………?


 軽く頬を突くように撫でると、あっという間にその指は離れて行く。しかも、そのクリームを拭った指を軽く舐め取り、微かに眉を顰める。


「甘いですね」

「……そう、ね」


 今のは……何?!

 わたしの驚いた様子に、カイも一拍置いてから気が付いた。


「姫様。御身に触れたこと、お許しください」

「え、ええ。許す……わ」


 いえ、むしろ触れてくれて「ありがとう!」っていいたいくらいなんですけど。

 ほっぺのクリームを取って舐めるなんて、小さい子を相手にしたお母さんみたいな対応だよね。

 やっぱりわたし、お子様扱いなの?

 嬉しいやら情けないやら。でもカイが触れた指の感触が残っていて。頬がみるみる熱くなる。


 ああもう。来年から公務にも、社交の場にも顔を出す年齢だとというのに……近所のチビさんたちと同じかあ。


「姫様、この間姫様が所望されたお茶ですよ」


 いつの間にか、新しいお茶が用意されていた。

 カイは空になったカップの代わりに、淡い琥珀色をしたお茶で満たされたカップを用意してくれた。


「……ありがとう」


 素直にお茶に口を付ける。ふわりと林檎の香りが鼻孔をくすぐる。さっき林檎ジャムを乗せたスコーンを食べた後にぴったりだった。


「美味しい……我が儘に付き合ってくれて、ありがとう。カイ」

「これくらい、我が儘のうちに入りません」


 ふいっと目を逸らしてしまう。あら、またぶっきら棒なカイに戻ってしまったわ。

 お茶を飲みながら、ふとさっきまでの胸を押し潰すような気持ちが、いつの間に薄れていることに気が付いた。


 これもカイのお陰かな。

 ううん、お茶会を用意してくれた綾女も、忙しいのに付き合ってくれたゴウとサイも。美味しいお菓子を焼いてくれた料理長、きっとたくさんの人たちのお陰なんだ。


 それにしても……他の皆はどうしたんだろう。

 気付いたら周りに誰もいないんだけれど。


「綾女も、ゴウもサイもどこへ行ったのかしら」

「実は、急遽もうひとりお客様をお迎えする羽目になりまして……」

「もしかして、兄上が?」

「いいえ」


 なーんだ、残念。ん? じゃあ誰が来るの?


「姫様の母君です」


 一瞬、ぽかんとしてしまった。


「……母君って、わたくしの?」

「はい。つまりは皇后陛下です」


 はい、皇后陛下ですね……って。


「え……え……ええっ!?」


 なんで?! どうして!!

 まさかのラスボス(?)が登場!?


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