親睦を深めましょう

 山のように積まれた決裁書類の隣に置かれた封筒は、明らかにこの執務室には不似合いなものだった。

 訝しげに桐人皇子が手に取ると、お茶の支度をしていた侍女頭の桔梗が穏やかに告げる。


「先ほど姫様から持ってこられたのですよ」

「此花が?」


 ここで姫様は、第四皇女の此花のことを指す。

 第一皇女の芙蓉ふようと第二皇女の紫苑しおんは、すでに他国に嫁いでいる。第三皇女の桐花きりはな も、来年の春には侯爵家へ降嫁する。彼女は「桐花様」と呼ばれている。

 実質この王宮で「姫様」と呼ばれているのは此花だけだ。


「兄上様に渡してくださいと、わざわざ持ってこられたのですよ」


 桔梗は微笑ましげに顔を綻ばせている。しかし彼は興味の欠片も無さそうに「ふうん」と息を吐く。そして、執務机の片隅に追いやった。


「ご覧にならないのですか?」

「この山が一段落したら見るよ」


 桐人は綺麗に微笑むと、椅子に深く腰を降ろす。


 滅多に顔を合わせることのない妹の此花。たまに顔を合わせても、おどおどした態度を取る妹。

 異母兄妹である兄と距離を取ろうとしているのか、ただ戸惑っているのか。

 純粋無垢な顔をしているが、此花とて皇族だ。腹の底では何を考えているのかわからない。


 彼女は下位といえども皇位継承権を持っている。此花が意図せずとも、正統な血筋を持つ彼女を皇位に付け、夫を摂政にしようと動く輩も出てくるだろう。


 皇太子になる自分に、今のうちからすり寄ろうとしているのか。

 はたまた自分を次期皇太子の座から引きずり落とそうとしているのか。


「そんなに欲しければ、皇太子こんなものなどくれてろうか、此花」


 初めて此花から渡された手紙。

 桐人は静かに手に取ると、執務机の引き出しにしまい込んだ。



* * *


「はあ……」

「どうされたのですか? 姫様」

「兄上から、お返事が来ないの」

「……きっとお忙しいのでしょう」

「そうかしら……ううん、そうよね」


 お茶会の招待状を兄上に送ってから三日が経った。お茶会の準備は着々と進んでいる。なのに肝心な兄上からのお返事が来ない。

 読んでいないのか、はたまた無視されているのか。

 送ってすぐには返事はできないだろうと思って待っていたけれど、兄上は返事をしないまま、これから五日間に渡る辺境への視察へ行ってしまった。


 兄上……家を開ける前に声くらいかけて欲しかった。

 今まで、兄上にわたしから声を掛けるなんてなかったもんね。怪しむ兄上の気持ちはわからないこともない。


 今は前世の記憶を持つわたしの意志が強く働いているところはあるけれど、此花の根本には家族との交流を望む気持ちがあることは知っている。

 ゲーム本編でも、結婚したら今まで得ることが出来なかった理想の家族像を求めている描写が多かったし。結婚前からそんなこと言ってたら相手に引かれるんじゃないかと、モニタの前で心配していたのよね。

 わたし自身と、此花のために、一体もどうしたらいいのだろう?


 ……などと思い悩んでいるうちにお茶会当日を迎えてしまった。兄上は昨日辺境から戻ってこられたけれど、まともに会話もしていない。

 どうしよう。兄上がお茶会に来られるかわからないのに。

 わたしと兄上だけのお茶会なのだから、中止にしたって構わない。でも、せっかく美味しいお茶もお菓子も用意してくれたのに。


「どうなさいますか、姫様」


 ここ最近、ずっと溜息ばかりのわたしを気遣うように綾女は訊ねる。


「ずっと考えていたのだけれど……」


 もしかしたら、敢えて避けられている可能性だってある。招待状だって見ていないかもしれない。

 ううん、うっかり忘れちゃったって可能性だってあるわけだ……なんて、あの真面目な兄上に限って「うっかり忘れた」なんて無いだろうけれど。

 兄上の公務が無い日を設定したのだから、気づいたら来てくれるかもしれない。


 でもさ。よくよく考えてみたら、これまで交流がなかった人から「仲良くしましょう!」なんて突然言われても面食らってしまうわよね……。

 最初はわたしの未来を軌道修正するために兄上と仲良くなろうと動き始めたのだけれども、やっぱり手紙を書いても無反応って寂し過ぎる。

 庶民でも、家族皆で仲良し……ってわけじゃないしね。現にわたしの前世も、けして良好な関係を築いていたとは言えないのだから。


 前世で出来なかったことを今世で出来るのか。それを言ってしまったら「カイと幸せになる」という野望も無理ってことになってしまうから、敢えて考えないようにしていたけれど。身内ですら仲良くするのが難しいというのに、好感度が低くそうな相手と恋愛関係になるのって、かなり難度が高いんじゃない?


 だ、ダメだ。これ以上考えたら、マイナス思考の沼に嵌まって浮上できなくなってしまう!

 澱んだ思考を脳内から追い出すように、頭をぶんぶんと振る。


「姫様?」

「予定通り、お茶会を開きましょう」


 大丈夫、と自分に言い聞かせて無理にでも笑って見せる。

 一瞬、綾女は何か言いたげな目でわたしを見る。でもすぐに口元を引き締めると、ふわりと一礼する。


「かしこまりました。予定通り準備を進めます」

「ありがとう。あとね、もう一つお願いがあるの」

「……なんでしょう?」

「あのね……」




 天気がいいので庭園のテラスにセッティングする。兄上は現れる気配すらない。

 でもいいの。せっかくだから、綾女や庭師の方たちにも参加してもらうことにしました。

 ほら、一人より二人、二人より大勢いた方が楽しいでしょ? 

 そんなわけで、庭師の頭であるゴウ、若手庭師のサイ、見習いのカイ、そして侍女の綾女に参加して貰いました。


「姫様、俺らまでいいんですか?」

「ええ勿論。ちゃんと説明しておいたから大丈夫よ。それよりも、わたくしの我が儘に付き合ってくれてありがとう」


 そう不安げに帽子を握りしめるのは、庭師のサイ。二十代半ばの庭師の青年は、少し気弱そうな印象だ。

 態度で言えばまだ十代のカイの方が悠々と構えているって、どうなのかしら?

 けれど薔薇を育てるのがとても上手で、彼が手掛けた薔薇園は溜息が出るほど美しい。


「さあ、召し上がって」


 はい、と彼らにティーカップを手渡す。

 ゴウ、サイの前では姫君らしい優雅な笑顔で振る舞えるけど、次はカイにとティーカップを持った途端、カタカタとカップとソーサーが小刻みに震えて音を立てている。


 うわああ……やっぱりカイを目の前にすると緊張する!

 でも緊張を悟られないように、無邪気に振る舞って見せる。


「はい、どうぞ」


 カイにティーカップを手渡すと、何かを言いたげに、じいっとわたしを見つめる。

 そんなに見つめられたら、恥ずかしいっ!

 それが訝しむような目つきでも、とにかく恥ずかしいったら恥ずかしい!

 

「……なあに」

「いえ、別に」


 ふいっと目を逸らされてしまう。ううう、つれない。


 それにしても……。ちらり、とそっぽを向くカイの横顔を盗み見る。

 若いカイも……最高ですな。ふふふ。 


 改めて再認識してしまいました。

 青年の彼も素敵だけれど、少年のカイも良い! 可愛い!

 まだ成長期の途中らしくて、まだ目線の位置が近い。肩もまだ細い。少年らしいちょっと丸みのある顔の輪郭が、声もまだ少し高くて……すべてにおいて最高ですわ。

 ふふふ、と思わず笑ってしまいました。にやけるのを堪えたけれど無理。


「何、笑っているんですか?」

 怪訝そうなカイの声。うわわ、バレた。

「ううん、なんでもないの」


 まさかカイが可愛すぎて、なんて言えるはずもない。

 でもやっぱり彼は「なんでもない」なんて返答に納得がいかないようだ。思案する彼に告げた。


「……あのね、とっても楽しいから嬉しくて」

「嬉しい?」

 目を瞬く彼に微笑みかける。

「ええ、そうよ」


 カイが可愛いこともあるけれど、今この場にいることが楽しいのは本当。

 まだ社交の場や公務に出る年齢ではないうえ、家族との交流も少ない。此花が親しい人物は、この宮廷で働く使用人たち。

 だから、こうして親しい人たちと美味しいお茶と、美味しいお菓子を「美味しいね」って楽しめるのは嬉しいし、楽しい。本当に貴重なひとときだって思う。


 ……でもわかっている。彼らは皇女の我が儘に付き合ってくれているだけだってことくらい。

 普段は「皇女殿下とご一緒になど滅相もございません」とお茶の席を同席することのない彼らが付き合ってくれているのは、わたしが兄上に……家族に相手にされていないから。

 可哀想な皇女殿下に付き合ってくれているのだと、忘れてはいけないと思いつつ、つい忘れたくなってしまう。


「……姫様」

「なあに?」

「嬉しいのなら……なぜ今度は泣きそうな顔をしているのですか?」

 怖いほど真っ直ぐなカイの瞳に、不意に胸の奥を突かれる。

「……え?」


 わたし、泣きそうな顔をしているの?

 そんなことないわ。

 そう告げようとしたのに、何故か声が詰まってしまった。

 そして、不意に目から転がり落ちた滴に、きっと誰よりも驚いたのは、わたし自身だろう。

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