第二十七相 鏡合わせの問題

「やっほー我妻君、遊びに来たよー」

 授業が終わり昼休みに入った時間。生徒達は各々昼食を摂るために、ある者は弁当箱を持って教室で、ある者は購買で、ある者は食堂で、自由な時間を過ごさんと移動していた。かく言う俺は、家計が今少し心許ないのもあり、一人教室でテキストを片手に復習をしていた。模試や期末を見据えているのもあるが、なにより普段の習慣と化した行動に最早涼ですら何も言う事無く教室を後にしていた。元々クラスメイトに涼と紅以外仲のいい人間はいない。涼は浹と、紅はクラスメイトの女子達と、それぞれ教室を既に後にしている。紅が去り際に何か言いかけていたのだが、一体何だったのだろうかと思いつつシャープペンシルを走らせていると、教室の出入り口から聞き慣れた快活な声が聞こえてきたのが今。

「…………」

「あれ、無視? こんな美少女を相手に無視する? 本当に?」

「静かにしろ月乃、お前は目立つ」

「目立つくらい可愛いってこと?」

「…………」

「あはっ、顔こわーい」

 俺の席まで近づいてきた月乃は、人だかりを器用に避けながら俺の前に来て頬を突いてきた。周囲の奴らの視線が集まる。ただでさえ生徒会役員であり見た目も整っているこいつが騒げば人目を惹く。悪目立ちをする俺と見目を惹く月乃が共に居れば、結果は分かり切っているだろう。嘆息すると、月乃はワザとらしく頬を膨らます。

「対応雑じゃない?」

「人の平穏とは言わずとも調和を取っていた状況をぶち壊した人間にどう丁寧に接しろと?」

「一人で寂しく勉強してるから、一緒にご飯でもどうかなって」

「結構だ、財布の中が今苦しいからな」

 それは事実だ。いくら高給取りのバイト――――雪乃の専属執事をしているとは言え、やはり妹の学費や俺含めた学業関連の雑費、生活費光熱費、家賃、諸々を一手に引き受けてやっとの生活ができるのが現状だ。あの破格のバイトが無ければそれこそ、複数のバイトに身を窶していたかもしれない。勉学に支障を来す真似はしないだろうが、それでも今以上の負担があったと思えば、雪乃は俺の、そして妹の命の恩人だ。最近給金の中に私的な金を含ませている事については後で問い質すつもりだが。俺は正当な労働に対する対価で自分達を生き永らえさせる。余計な世話を受ける権利はない。

 とは言え、この理由を知らない月乃にとってみれば、ただの付き合いの悪い男にしか映らないだろう。それでもいい。変な同情を向けられるよりはマシだ。

「うーん……」

「何だ、用が無いなら月夜の所なり友人の所なり戻れ」

「いやぁ……私って結構モテる訳なのさ」

「…………は?」

「それでさ、気付いてるかもだけど我妻君、今私の誘いを断ってる訳だよね?」

「そうだな」

「どうなると思う?」

「……質問の意図が――――」

 と言いかけた所で、俺は動きと発声を止めた。一見何の因果関係があるのかわからない月乃の言葉。しかし、雑極まりない置き方の点と点を繋いだ時、ある一つの疑問が現れた。

 ――――社交性の高い見目麗しい異性からの人気のある女子が、一人の男を食事に誘い断られる。ではその女子に好意を向ける異性はその光景を見た時どうなるのか、と。

「…………」

 刺さる視線と向けられる殺意にも似た敵意。浅ましくも色恋に現を抜かす高校生とは、どうしてこうもわかりやすいのか。しかし、この状況で尚勉強を続ける気分にはなれない。あまりにも効率が悪い上に、月乃と言う人間はより悪質に俺にヘイトが向く行為を重ねるのは想像に容易かった。

「…………場所を変えるぞ」

「いいよ、何処が良い?」

「任せる」

「おっけー、ついて来て」

 もう一度嘆息しながら白旗を上げた俺を見て、月乃は満足げに笑う。腰をかがめた姿勢から背筋をまっすぐに伸ばし、くるりと反転し出入り口へと歩きだす月乃。白い髪はシルクのカーテンの様にふわりと靡き、仄かなバニラに似た香りがした。

 俺は筆記用具とテキスト、ノートを片付け立ち上がり、クラス内の男女の突き刺すような視線から逃れるように、月乃の背を追って教室を後にした。





 月乃の背を追って暫く経つ。辿り着いたのは、夏ももう目前に迫り肌を焼く暑さを若干思わせる日光が容赦無く射す屋上。今の時代には珍しく解放されているそこは、やはりと言うべきか暑さ故に人影が無かった。俺としては、余計な視線の筵にされずに済んだと安堵の心持ちでいた。

「こっちこっち、ちょうど今の時間日陰になるんだ、ここ」

 月乃が俺の手を引いて着いたのは、出入り口の扉からぐるりと後ろへ回った場所。コンクリートの壁によって日影ができ、人二人なら座れるスペースができていた。そこに月乃はスカートの裾を手で押さえ座ると、視線をこちらに向け隣に座れと無言の指示を出してくる。俺はそれに従い、少し隙間を開けて隣に座る。

「……おい、なんでこっちに詰めた」

「近い方が話しやすいし」

 俺が開けた隙間を月乃は即座に消し去った。何故肩と肩が触れ合うほどの距離に詰めるのか甚だ疑問だ。会話をするのに不適当な距離であった訳でもないし、汗ばむ懸念すらある中で近づく正当性のある理由は俺にはわからなかった。

「はぁ……で、何だ」

「ん?」

「俺の所にわざわざ来たんだ、何か用事があったんだろ?」

「…………察しが良いから助かるんだけど、肝心な時に察しが悪くなるのは仕様?」

「安定しない評価だな」

「まぁいいや、話があったのは本当だし」

 意味の分からない月乃の言葉はさておき、何か用事があったのは当たっていたようだ。そもそも俺に個々人で訪ねてくる人間は滅多に居ない。役員仲間であるコイツや他の面々もそれの例外である訳ではなく、俺が意図的に不必要な接触をしない事が主な原因ではあるが、放課後になるまで基本的に接触はない。それでも接触を試みたと言うことは、つまり伝えるべき要項があり、そしてそれが放課後より早く伝える必要がある、或いは人目に触れる場所ではできない話なのだろう。それくらいの予想はついて然るべきだ。

 俺の問いに首肯した月乃は、上半身ごと俺の方に向き、顔を至近距離にまで近付けてきた。コイツらのパーソナルスペースは異常に狭いのが秘かな謎だが、しかし真剣な表情の相手に茶化しの様な疑問を投げる程鈍感でも道化でもない。

「ね、何で夜姉と私を見分けられるの?」

「お前達の細かな癖を把握したからだ」

「本当? 私達、これでも17年間一緒に過ごしてて、よくお互いに入れ替わって遊んだり人を騙したりしてたんだよ? たった数ヶ月でできるとは思えないんだよねぇ……」

「何が言いたい?」

「教えてよ、カラクリ。どんな方法で私達を判別しているのか」

「…………」

 見分け。恐らく白百合月夜と月乃の双子にとって、それが本人達の中で異常なほど大きなキーワードになっている事は既に知っていた。あまりにも容姿が似通うその二人が人を欺こうと画策し成り代わった時、恐らくほぼ全ての人間が正答する事が無いだろう。仕草、声色、表情、視線の動き、癖、嗜好、その他。それらを互いに知り尽くしている姉妹にとって、それを知らぬ他人を騙すのは呼吸の如く容易なのだろう。本人達曰く、本気でやれば実の家族ですら欺く事が可能だと言う。ならば、俺を完全に騙すのは訳も無いのだろう。

 しかし、俺は彼女達を、絶対の確率ではないとは言え判別する事が可能になっている。全力の偽称を明かす事こそ現時点では不可能なのは当然だが、ある程度の気の緩みが出る普段のやり取りの中の偽称ならば見抜くのは容易となってきたのは実感としてある。月夜と月乃は俺を試すように現れ、俺はそれを明かす。当たる時もあれば見落として外す場合もある。その一連のやり取りを、この二人は楽しんでいる節があると感じるのは気のせいなのだろうか。

 それはさておき、何故判別することができるのか。と言うことを聞いているらしい。答えは先程述べたのだが、どうやらこの目の前で期待大とばかりに笑みを浮かべている彼女にはそれは理由として弱いらしい。一体どうすればよいのか俺にはわからなかった。

「教えてと言われてもな……さっきの答えじゃダメなのか?」

「さっきの答えが全てだったら、私達の入れ替わりに気付く人はもっと多いと思う。それでもわからないのが普通だから、我妻君には何かあるんじゃないかってこの間夜姉と話してたんだ」

「成程」

 どうやら俺が言った理論ではダメな事が断定された。それならばあと残っているのは、感覚的な、確証性が薄いもので探るしかない。

「……感覚的な、感性に所以するなにか……か」

「私達を見分ける、見分けようとする人間は並の感覚での付き合いじゃ不可能。ただの友達感覚ならそれこそむりむり。友達は気付かないもん」

「つまり?」

「我妻君は私と夜姉に何か特別な感情を抱いている、ってね」

「……頭の痛い話だな」

「なんでぇ!? 私達結構女として自信あるよ!?」

「静かにしろ、お前達は確かに何処に行っても人目を惹くことができるのは分かってる」

「なら余計酷くない? 流石に面と向かって魅力的に感じてないって言われてるようなものだよ?」

「解釈迷子極まれりだな……まぁ、異性としてどうこうではないが、お前たち含めた生徒会の奴らは俺にとって特別な存在だと思えるくらいには考えている」

「……ふぅん」

 何やら不満気な眼をする月乃だが、事実そうなのだからどうしようも無い。俺にとって生徒会役員――――雪乃、いろは、七望、月夜、月乃、瑠璃、紅。その七人はこの僅かな期間ではあるが俺の中で他の人間とは違う存在になっている。事実だ、偽るつもりはない。だが、そこに俺は色を混ぜた感情を抱いているつもりはない。それを律してここまで生きてきた人間だから。まぁ、雪乃に関して言えば少し事情が異なると言えば異なるのだが。

 では焦点を絞る。白百合姉妹を判別する上で、その時点で抱いている感情がどうやら鍵となると仮定する。では俺は目の前の月乃に何を抱いているのか。自分は何を考えているのか。

 僅かに射し込む日光が梳くように透過し、淡く色付いた白髪。雪乃が良く口にしているチョコレートケーキの中にある、イチゴのソースの様に煌めく紅い瞳。病的なまでに白く、陶磁器と形容するのが正しそうな肌。楽観的な様で思慮深く、打たれ強いようで実は脆く、楽し気なのに寂し気。明瞭単純な見目と、対照的な精神。それを俺は何と見ている?

「……そうだな、俺にとってお前は、居て欲しい存在……だ」

「……居て欲しい?」

「白百合月乃と言う個人が居て欲しい、そう俺は感じていると思う。お前の塩梅のいい仲裁や仲介、脆弱さを理解した振る舞い、そう言ったものを俺は尊敬している。だからこそ、お前の様な人間の力になれれば、もしかしたら――――」

「…………もしかしたら?」

「……少しは、自分を許せると錯覚させてもらえるかもしれない、と。傲慢で独善的な理由がある。だが、それはあくまで副次的な理由、第一はお前へ感じた何処か悲し気な雰囲気を、俺がどうにかできるのかと思案していた故に感情が孤立した独特のものになったのかもしれない。だから、お前の言う特別な感情を抱いたことによって見分けられると言うのもそれを考えれば強ち間違ってはいないだろう」

 人の雰囲気――――とは言うが、実際にはその人間の所作や視線の動き、表情筋の状態、声色を総合的に感知し無意識の内に感じたものこそ雰囲気と言われるものなのだろうと俺は考えている。ゼロから何かを感じ取る事は不可能だ。ならば目に見える、視覚的情報で相手の機微を感知している結果にあるのが人の雰囲気であるはずだ。

 俺は月夜と月乃に対し、一見随分と友好的な人間だと感じつつ、その姿は巧妙に偽装されたものだと無意識的に感じていた。それに気がついてから観察をした結果、あの二人はあの二人で完結する世界の心地良さを理解していながら、それでも届かないものに手を伸ばしている、それを理解した。そして俺は憐憫と、共感を抱いた。

 二人だけで作られた世界に満足していても尚、個として欲する何かがある双子。一人で完成を目指しながら、しかし完成すること能わないと理解している我妻銀士郎と言う愚者。仔細は違えど筋は似通っているがために、俺は彼女達を知らずの内に自分の中で特殊な位置付けにし、彼女達を双子としてではなく個として認識するようになったのだろう。推論としては大きな間違いは無いはずだ。

「……我妻君はさ」

 体育座りになり、膝を抱え長い髪で隠れた表情は読み取れず、それでいて体重をこちらに傾け寄りかかる様にする月乃を、俺は止める事は無かった。声色が沈んでいながら、どこか縋る様な女性を突き放すだけの非情さは、どうやら俺には無いようだった。

「何時か私を私だって、絶対に騙すつもりの夜姉に騙されないで、私を見つけてくれる? 私に騙されないで、夜姉を見つけてくれる?」

 いっそ懇願にも似た弱々しい問い。願いと言うには圧が無く、命令と言うには力が無い。彼女の本音、それがこの懇願であり哀願なのだろう。その奥にある意味を俺は理解できていないが、その今にも崩れ消えそうな砂の様な言葉に応えることはできる。それが正しいのかどうかは、残念ながら今判別する事はできない。それでも、今は何かをアンサーする事が、俺にできる事なのだろう。

「何時になるかはわからない、が。お前が、月夜が、それを望むのなら。暗夜に浮かぶ月を見つける様に容易く見つけられるようにしよう。それが水面の月でない事を願うのみではあるが」

「……そっか、うん。やっぱり夜姉の言った通りだ」

 そう言うと、月乃は床に下ろしていた俺の手を握った。力は弱くとも、何故か俺にはそれを振りほどけるだけの力が無いことに気が付くのに、少しの時間を要した。持ったままそれを自分の胸元に寄せた月乃は、まるで小さな少女が光り輝く玩具の宝石を抱き慈しむ様に、俺の手を抱いた。

「絶対に、見つけてね。約束して」

「……あぁ」

「私は月乃、月乃だよ」

「あぁ、月乃だ」

「……私を見てくれる人、我妻君――――ううん、銀士郎君、ぎんじろ君」

「……なんだ急に、今まで名字だっただろ」

「一歩前進して、私を見てくれるって言ったから。それにみんな、名前で呼んでるんだもん、ずるい」

「狡いってなんだ……その名前呼びの異常な固執はお前達の共通認識なのか?」

「大事だよ、名前。だってその人を表してくれる大事な記号だもん」

 月乃が立ち上がる。掴まれた手の動きに釣られ、俺も立ち上がった。

「ありがと、急に呼び出しちゃってごめんね?」

「別に用事も無かったからな、構わん」

「優しいねぇ」

「普通だ。そろそろ昼休みも終わる、帰るぞ」

「おっけー」

 ゆっくりと立ち上がる。日差しは時間が進むごとに強まっている様で、微かにセミの鳴く音が聴こえた気がした。間も無く始まる林間学校は避暑地だと聞く。遊びに呆ける訳ではないが、束の間の休息くらいは許してもらえるだろう。そんな考えを抱きながら階下へ続く階段のある踊り場に扉を開けて戻った。

 僅かに感じた人の気配を確認したい気持ちはあったが、わざわざ潜むようにしていると言うことは何か理由があるのだろうと、俺は知らん振りを装いつつその場を後にした。





 銀士郎と月乃が居た屋上の一角の死角になる場所。会話なら容易く聞こえるその場所で、一つの影がゆらりと動いた。豊かな胸を支える様に腕を組み、眉間に皺が寄っている様に顏を顰めている少女。白のブラウスを若干汗で透けさせながら、ひんやりとしたコンクリートの壁に背を預け溜息を吐く。紅色の髪が揺れ、黒い髪留めがふわりと浮き上がる。伏せ目がちな紅い目は青年と少女が潜り消えていった鉄扉のある方へと向き、一度目を伏せ、そして開いた。

「…………もう遅い、わね」

 小さく呟く声は昼休みの終了と、五限の授業の準備を促す予鈴で掻き消えた。果たして暑さによるものなのだろうか、少女の頬は赤みを帯び、その眼は陰になりながらも熱を孕んでいる事が容易にわかる。未だそれを認める訳にも、それを受け入れる訳にもいかない、そもそも理解する段階にも行っていない自身の感情が治まるまで、少女はそこで佇んでいた。掻き毟る様な感情を、自分の底に圧し沈める様に蒼天を仰いだ。そこには、憎々しいほどに白い雲がこちらを見下ろしている。

 まだ、それを下しては駄目だと。心の中で何度も、何度も、何度も何度も、少女は繰り返した。

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