第十二相 月白の誘い
「たまには一緒にご飯を食べよう」
そんなことをいきなり言い出したのは、俺の後ろの席に座り今向き合っている月白涼だった。放課後の雑談の中、完全に略脈の無い話題振りに、俺は咄嗟に何も返さずにただぼんやりと、涼の顔を眺めていた。
「銀?」
「……あぁ、話の流れを完全に無視したお前の話に放心してた」
「酷いな、親友の話くらいしっかり聞いて欲しい」
「生憎だが俺には外食に行くような余裕はない、妹も居るしな」
「なら妹さんと浹を誘って行こうよ、奢るからさ」
「何がお前をそう駆り立ててるんだ……」
「最近、銀とあまり会話する時間なかったなと思った」
「会話が無くても死にはしないだろうに……」
涼の事を形容するなら、マイペースな大食漢だろう。俺は気にしていないが、会話や行動のペースがかなり独特であるし、割と奇怪な部類の人間だと思っている。そこらの女子からはそういう点が逆にいいと評判らしい。女子の思考は理解に苦しむ。
しかし、涼の提案は卑しいながらも魅力的な提案ではあった。うちは常に家計が圧迫している。俺はともかく、妹の眞銀に満足に食わせることができない状況は常に俺の問題事項として頭を悩ませているので、奢りを妹に適用してくれると言うのは願ったりなものだ。だが、だからと言って首を縦には振れない。折角の誘いを断るのは親友として心苦しくはあるが、いくら涼が裕福な人間であろうとそう言った金銭のとやかくをしたくはない。それは人間としての矜持と言うのか、貧乏人の安いプライドか。親しき仲であるからこその遠慮だろう。
「あー……魅力的な提案でありがたい限りだが――――」
「こんちわっすぎんじろ先輩、涼もおつかれー」
俺が断りを述べようとした矢先に、涼の幼馴染であり俺とも顔馴染みの浹が飴を咥えながらやってきた。こいつは上級生の階やクラスに来ることへの抵抗がないのかとも思っていたが、こうも意識せずに来られると言う気も失せる。別段校則に反している訳でも、迷惑行為を働いている訳でもないので何も言っていないが。
「お疲れ浹。今、今朝話してたことを銀に伝えてたんだ」
「あー一緒にご飯?」
「そうそう」
「どうせぎんじろ先輩、『いくら友人と言えど奢られるのは悪いから遠慮する』って言いそっすね」
「……………………何故わかる」
「割と一緒に居る時間が長いからね、言いそうなことは予想がつくよ」
「なら話は早いんだが」
「そうは問屋がなんとやらっすよ」
人差し指を立て横に振りながら舌を鳴らす浹。何故そんな得意げな顔をしているのかが俺にはわからない。
「正直に言って、俺を奢ることによるお前達へのメリットが皆目見当がつかない」
「先輩はメリットデメリットで考えすぎなんすよー。行きたいから行くでも理由にはなってんすから」
「それでも奢る理由にはなっていない」
金銭において見返りを求めないと言うのは、本来極めて特殊な状態だ。何かを対価にして得ることが殆どなそれを、一切の返還の意思なく他人に使うと言うことが、常に金と言うものに悩まされている俺にはどうにも理解がしがたい。
「うーん……銀にこの理由は理解できるのかわからないけど……」
「言うだけ言え、聞くだけ聞く」
「いつも世話になってるから」
「――――は?」
「銀、何かと俺とか浹のこと気にかけてくれてるからさ。そっちは何も言わないし見返りも求めてこないし、こっちとしてはそれこそやってもらってばかりだから」
「何かした覚えはないんだが」
「涼、いつも女子に囲まれてるの割と苦労してたらしいっすよ。ぎんじろ先輩と一緒にいるようになってそれが減ったから助かってるみたいで。私も美術部の備品と部費関連でこの間先輩に相談しましたし」
「前者については偶然、後者についてはまだ審議中だ。何も為しちゃいない」
「強情だなぁ銀は」
「らしいと言えばらしいっすけどね。でもやっぱ行きましょうよぎんじろ先輩」
「だから――――」
と、尚も食い下がる二人に反論しようとした時だ。懐から振動を感じ、ポケットにしまっていたスマートフォンを取り出す。ディスプレイには着信中の文字と、妹である眞銀の名前が表示されていた。涼と浹に確認を取り、俺は電話を取る。
「もしもし、どうした」
『もしもし兄さん、ちょっと連絡したいことがあって』
「なんだ?」
『今日の夜、友達の家に泊まりに行くことになったの』
「……は?」
『今家を出る準備してて、帰ってくるのは日曜の午後かも』
「相手の親御さんには……」
『もう一回挨拶してきたわ、住所とか兄さんの電話番号も教えてある』
「…………眞銀、そういうことは一回俺に話をしてからにしてくれ。取り敢えず泊りについてはわかった、ただし、相手の家に着いたら一度俺に相手の親御さんと電話で挨拶をさせてくれ」
『……ごめんなさい、わかったわ』
「別に怒ってはいない、泊りはしっかり楽しんでくるといい」
『うん、それじゃあ』
そう言い電話が切れる。何の相談も無く外泊をすることに関しては小言を言おうかとも思ったが、珍しく我儘を言わない眞銀からのお願いに、甘いのを自覚しながらも承諾をした。普段から不便な生活をさせてしまっている負い目もあるが。
ふと、後ろから視線を感じ振り向くと、癇に障る様な笑みを浮かべた涼と浹、更には何時来たのか雪乃がそこに居た。
「言いたいことがあるなら言え、そして何時来た雪乃」
「私はさっき、暇だから散歩してたら銀士郎君を見かけたから」
「いや、会長さん美人さんすね」
「ありがと、嬉しいなぁ」
「言いたいことだっけ? 相変わらず銀は妹さんに甘いなぁって」
「妹の我儘を極力聞いてあげたいと思うのは兄としては当然の感情だと思うが」
「ぎんじろ先輩の場合、それほぼ父性っすよ」
「父親になったつもりはないが、父親代わりになろうとは思っている」
「わぁ……重……」
「アイアンクローをご所望か浹」
「やーこわーい、助けて涼!」
「自業自得かなって」
わざとらしく怖がりながら涼の背後に隠れる浹。素直なのはいいことだが、そう認識されるのは時と場合にしっかり合致した時だけだ。まぁ、今の状況的には何の問題も無いが。
「さて……銀、妹さんが今夜外泊で居ないと言うことで間違いはないね?」
「……あぁ」
「なら尚更、どうせ銀は夕飯も適当に済ませて勉強しようと思ってるだろうね?」
「……わかった、折れよう」
「うん、よかった。それで提案なんだけどね」
パンと拍手を一度した涼は、妙案アリと言う表情を浮かべていた。
「外食だと銀が遠慮する事には変わりがない。なら皆で作ろう」
「涼の家で自炊ってこと?」
「うん、生徒会長もどうです?」
「そんな固い呼び方でなくていいよ? でも私がいきなり混ざるのは流石に悪いかなって」
「銀も居ますし、一緒に食べるなら人が多い方が良いですよ。幸い俺の家は広いので」
「んー……銀士郎君的にはどう?」
「知らん、涼が良いと言うなら後は雪乃次第だ」
「銀士郎君は私に来て欲しい?」
「なんで俺の意思が関係するんだ」
「いいからいいから~」
「……来たけりゃ来い」
「はーい。それじゃあ月白君、突然の参加で申し訳ないけどいいかな?」
「勿論、そもそもこの食事の話も今さっき出た話題ですから」
何故か雪乃が来ることにはなったものの、話はまとまった。俺としても外でただ奢られるよりは材料費を持ってもらい調理を共にする方が気が楽だ。食事をおざなりにすると眞銀からも怒られるだろうし。
「むー……」
「浹?」
ニコニコとこちらを見てくる雪乃に気を取られていると、ふくれっ面をしている浹が小さく唸り声をあげていた。今の何処にそんな顔をすることがあったのだろうか。
「涼……会長さんとばっか話してる……」
「そりゃあ俺と承和さんに関係ある話だし」
「美人と話すのがそんなに楽しいか!?」
「いきなりキャラぶち壊さないで、浹」
「あはー、美人と言われると恥ずかしいなぁ」
「会長さんも涼が格好良いのはわかりますが色目使っちゃダメっすよ!」
「えっと……私そんな事しちゃってた?」
「俺に聞くな」
「浹、落ち着いて。俺も承和さんもそう言うの一切ないから」
「……嘘ついてないよね?」
「勿論」
「ならいいやー」
「わぁ、凄い茶番」
この2人、羞恥心とかそういうものは無いのだろうか。流石に俺でもわかる様なベタな展開に流石に閉口せざるを得なかった。別にいつもはこんなものじゃないという訳ではないが、普段居ない人間が加わるとこうなるのか。
巻き込まれたくない俺は口を開かずに静観する。雄弁は銀、沈黙は金とも言う。ここは沈黙こそが正答だろう。
「安心してね、三毛さん。私には銀士郎君が居るから」
コイツ、俺を巻き込みやがった。しかも最悪な部類の巻き込みだ。内輪差を考え徐行していた俺を敢えて巻き込み轢き殺そうとしてきた。
「おぉ……会長さん大胆……」
「おい雪乃」
「怒った?」
「何で火の気のない俺の所にガソリン撒いて火をつけた?」
「なんででしょう?聡い銀士郎君ならわかるよね」
「質の悪い」
コイツが何かを画策したり考えがあるような素振りを見せるときは大抵ロクな事じゃない。特にこの手の話題になった時は。
「……あれ? ぎんじろ先輩」
「なんだ、もう俺は疲れたんだが」
「なんかその言い方だと会長さんの言ってることがわかってるような気がするんすけど……」
「わかってるよ、だって前に銀士郎君でもわかる様に言ったことあるもん」
――――涼と浹が絶句している。なんて顔をしているんだこいつらは。
「え、マジっすか?」
「…………俺の意思関係無くコイツが一方的に言ってきただけだ。俺はそれに応えてはいない」
「うわ酷いっすね、なんで応えてないんすか?」
「単純に俺にそういうことをする暇は今無い、と言うことともう一つある」
「なんすか?」
「言わない、とにかく俺には今雪乃のその言葉に応える余裕も権利も無い」
「うーん……私としてはそれ大分困ってるんだよね」
「そうか、すまないな」
「いいよ、銀士郎君の事は良く知ってるから」
――――朗らかに笑ってはいるが、俺が今いる状況と言うのは自分でもわかるくらいには不誠実だと理解している。寧ろ屑だのクソ野郎だのと貶し誹りを受けても尚お釣りがくるとも思える。雪乃はそれを理解して尚俺の側に居るんだろうが、いつ愛想をつかされてもおかしくは無い。と言うかそもそも愛想を尽かしているべきだろう。
それらを踏まえた上で、俺にはそれに応えることができない。過去を引きずったままの男はさぞ滑稽で愚かなんだろうが、俺は今誰かと特別な関係になるだけの余白がない。
結局は言い訳、自分を正当化したいがための戯言だ。そう思うと、あの憎々しい女の血が流れていると感じて、苦虫を噛み潰したような感情が湧きだした。
「……まぁ、その話はあとで聞こうかな」
「なぜわざわざ掘り返そうとする」
「たまには腹を割って話そう、俺そう言うの憧れててね」
「他の男とやれ」
「銀とが一番楽しそうだし」
「巻き込むな」
「そっちがやるなら、会長さんも私と赤裸々トークでもします?」
「いいねー、お二人さんの話とか普段の銀士郎君の様子を聞きたいな」
「おい」
何やら雲行きが俺に限って怪しい。何故こいつらは俺に対してそうも干渉してくるんだ。
「さて、それじゃあ俺の家に向かおうか」
「話は終わってない」
「まままぎんじろ先輩、それは家についてからで」
「話をずるずる引っ張って遅くなると迷惑になっちゃうからね」
「……味方はいないのか」
小さくごちたが、誰にも聞き届けられることなく虚空に消えていった。最早何を言っても自分にとっては不利になるので、俺は再び金を選ぶことにした。
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