第十相 月は夜、乃至は乃
数分後、暫く待っていた俺の元に月夜が戻ってきた。相も変わらず、と言うには先程は浮足立っている様な様子だったが、今歩いてきた姿は凛とした学校での月夜の姿のそれだった。
「待たせてしまってごめんなさい」
「別にいい、俺も少し店内を見て回ってたからな」
「その手に持ってるものはなにかしら?」
「ちょいとな、次は何処に行くんだ」
「あら、まだ付き合ってくれるのかしら? てっきり疲れたから解散しようと言われるかと思った」
「お前は物足りなさそうだからな、乗り掛かった舟なら最後まで付き合う」
「……嬉しい、ありがとう」
素直な感謝と言うものは、どうにも照れる。似合わない台詞を吐いた後だから余計に気恥ずかしくなり、視線を逸らす。しかし、随分と楽し気な笑みを浮かべた月夜の姿を見て、茶化すほど道化でもない。
「……行くぞ」
「えぇ、行きましょう」
それからは、特に普通だった。雑貨屋に寄り使いも置きもしない小物を見て言葉を交わしたり、休憩がてらチェーンのカフェにて飲み物を飲みながら生徒会についての話をしたりと、恐らくは普通の高校生らしいことをしていたのだろう。普通がわからない人間なので断定はできないが、まぁ月夜が楽しんでいる様子なのなら及第点は行っているのだろう。
時間が経過するのは早いようで、時刻は19時を回る所だった。
「そろそろいい時間になってきたわね」
「19時か、辺りも暗くなってきたな」
「……ねぇ、我妻君」
「なんだ?」
月乃が珍しく躊躇いがちに名を呼んできた。珍しい様子に俺は訝しげな声で返事をする。
「この後、まだ時間は大丈夫かしら」
「時間は大丈夫だが」
「もしよければ、夕食を一緒にとりに行きたいのだけれど、どうかしら……?」
「夕食か……眞銀に確認したいが良いか?」
「えぇ、無理は言わないわ」
「わかった」
俺はポケットからスマホを取り出す。今となっては随分増えたと言える電話帳から我妻眞銀の名を見つけると、コールボタンをタップする。数回の呼び出し音の後に、良き聞き知った声が聞こえてきた。
『もしもし、どうかしたの兄さん』
「あぁ、夕食についてなんだが――――」
『月夜さんと食べるのね、わかったわ』
「…………まだ何も言ってないんだが」
『会話の流れと状況を考えればすぐに推測できるわ、兄さんの妹なのよ?』
「頼もしい限りだ……でだ、その許可を取りたいのだが」
『構わないわ、私は自分で夕飯を用意するから兄さんは気にせず楽しんで』
「……なぁ眞銀――――」
『それじゃあ、また何かあったら連絡してね』
ばいばい、そう言って眞銀は電話を切った。察しが良いのは助かるが、何故にああも食い気味なのだろうか。意図のわからない妹の奇行に戸惑いながらも、スマホを仕舞い月夜に向き直る。
「どうだったかしら?」
「妹様の察しの良さによりスムーズに事情を把握され許可された。問題ない」
「なら行きましょうか、予約したお店があるの」
「……なんというか、お前たち姉妹は前々から育ちが良いのはわかっていたが、予約制の場所にしか行かないのか?」
「今回はたまたま、折角初めて出かけるのなら初めはいい思い出にしたいもの」
「……俺にはお前の考えがわからない、何故俺と出かけるのにそこまでする」
「初めてできた男子のお友達だから……は、理由になるかしら?」
「……まぁ、好意的に接してくれるのはありがたいがな」
「ならよかった、行きましょう。予約の時間も近いもの」
「時間まで計算していたのか……?」
「どうでしょう」
やはり前々から思っていたが、月夜や月乃に限らず生徒会の面々はよくわからない。何故俺相手にここまでわざわざ距離を詰めるのかがわからない。嫌われるよりはやりやすいが、俺に人間的な魅力が果たしてあるのかと言う疑問があるので殊更に疑問が尽きない。
「貴方の考えてることがなんとなくわかるわ」
隣を歩く月夜が不意にそんなことを言ってきた。何故俺は思考を読まれがちなのか。
「貴方は自分が思ってるよりずっとできた人間だと思うわ、少なくとも私はそう思う」
「……過剰評価だな、俺は大した人間じゃない。何故そうなっているのかがわからない」
「人間の評価は客観の方が正しい場合もある、少しは私達を信じてみないかしら?」
「善処する」
「素直じゃないわね」
くすくすと笑う月夜の顔を見て小さく溜息を吐く。どうにもこう言う手合いの掴み所のない人間はやりにくい。月夜は特にそうだ、妹の月乃が表情も感情も豊かなので余計に。
彼女達は瓜二つだ。正直知り合ってすぐは二人の判別方法を必死に探していたが、本気でお互いの真似をした状態では見分けがつかなかった。流石に至近距離で筋肉の付き方や呼吸のリズム、細かな機微を触れて調べればもしかしたら気付けるかもしれないが、まだ俺は彼女達を知らな過ぎる。どうにも判別できない自分に対して、俺はそのゲームの様な状況に敗北感を抱いているのだろう。なんとか見分けようとしている自分に、何を躍起になっているのかと疑問を抱きつつ何度か挑戦している。そう、『彼女達』と会っている時は。
「到着」
「…………は?」
「どうかした?」
「待ってくれ、少し待ってくれ」
「待たないわ、入りましょう」
眼前に建つ目的地。俺でもわかる、ここは多分生半可な一般人が来ていい場所ではない。貧乏人の俺ならば尚更だ。
「やめろ、お前に恥をかかすことになる」
「別にそう焦るほど特別な場所じゃないわ、一見はお断りなだけよ」
「世間一般では特別な場所だ! 第一金がない!」
「私が出すわ、予約を相談無しにしたのはそもそも私だもの」
「クソ……! なんでこんなことに……」
「安心して、個室をお願いしてあるから周囲の眼は気にならないもの」
安心なぞできるか、例え周囲の目線がなくとも委縮するものはするのだ。
しかし俺のあってないような抵抗も空しく、格調高い雰囲気の受付にまで来てしまった。そもそもここは衣服の指定などは無いのだろうか。普段着のままなんだが。
「こんばんは、いつもの場所を予約した白百合よ」
「お待ちしておりました、こちらに」
どうにも昼間見た様なやり取りをする月夜の背を見つつ、情けなくも先導される形で中へと進んでいく。個室だからと言われたがそこまでの道のりは普通に人目に付く。思い切り人の視線が刺さっているのが肌で感じられ、俺は顔にこそ出していないよう心掛けたが、内心肝を冷やした。
しばらく歩いて行くと、一つの部屋に通される。そこには――――。
「…………おぉ」
「綺麗でしょう? お気に入りなの」
眼下に広がる夜景。それは俺が今まで見た事の無いものだった。普段はその景色の、誰にも気にとめられる事の無い其処に居る俺が、逆に眺めている今の現状はどうにも落ち着かない。しかしそれに気を取られ何時までも立っている訳にもいかないので、引かれた高そうな椅子に腰かける。駄目だ、落ち着かない。
「彼はこういう場に慣れていないの、コースはいつものではないものをお願い」
「畏まりました」
「……改めてと言うか、本当に金持ちなんだな。不躾なのを承知で言うが」
「生徒会の面々は程度の差はあれど名家だらけよ、雪乃は知っているだろうし、他も然り」
「それなら確かに、学園で俺が目の敵にされるのもわかる。一般庶民以下だからな」
「家柄なんてただの飾り、お金なんて結局はステータスの一つ。雪乃は貴方だから選んだのだし、私達は……少なくとも私は貴方をここ暫く見てきたけれど、信用に足る人間だと思ったし、好感を持てる人だと思ったわ」
「それは嬉しい限りだが……しかし今日は世話になりっぱなしだな」
「連れ出したのはこちら、我儘に付き合ってくれてありがとう」
「……急ぎの用事がなかったからな。しかし、来るなら来るで連絡でもよこせばよかっただろ。番号も交換しているんだから」
「それだと誘っても出てこなさそうだったから」
「…………」
恐らくそうしていた自分が容易に想像できたので、ここは沈黙で通すことにした。
「私としても、今日は楽しかったわ。学校では見せてくれない貴方の素の部分が垣間見えたから」
「俺のそれを見てどうするんだ……」
「知りたい?」
「それを聞くのは野暮ってものだろう、何か意図があるのを無理に聞くほど強引さはない」
「そう……残念」
月夜が頬に手をつきこちらの顔を見てくる。意図や感情がいまいち読めないその顔、いや、目がこちらを射抜いて来る。初めこそ目を合わせていたが、その結果は月夜が視線を逸らすことで終わった。何がしたかったのだろうか。
「本当、貴方は知らないのね」
「何をだ?」
「なんでもないわ、少し今日の余韻に浸っていただけ」
「そうはいっても、大した時間ではなかっただろ」
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。人によって時間の感覚は異なるもの」
「尤もだ」
再び視線が合った。何故かわからないが、今の簡潔な結論に二人して薄い笑みを浮かべた。なんとも曖昧な話だが、たまにはこうした何の着地点も無い会話もいいのかもしれないと感じるくらいには。
暫く談笑していると、順に料理が運ばれてくる。これはコース料理と呼ばれる物だろうか。オードブルから始まり、見た事も無い見た目と聞いた事も無い名前の料理を出されては説明を聞き、慣れない手つきでナイフとフォークを扱う。格好つかないが仕方がない。気取って大きな失態を晒すよりは、素人なりに見様見真似でやるのが最善だろう。
俺は目の前の月夜の動きを観察しながら、簡単な会話と共に非日常な食事を続けていった。
夜も更けてきた頃、まともに味もわからなかった高いコース料理を食べ終えた俺と月夜は、家路についていた。どうやら彼女は迎えが来るらしいので、俺は見送るために一緒に待っていた。
「見送りなんていいのに」
「女子一人を夜の街に一人置いて行けるか、帰りの時間もそこまで気にする身でもない」
「……今日はありがとう、一日付き合ってくれて。とても楽しかったわ」
「そうかい、俺としても…………まぁ、滅多にない経験をさせてもらった。感謝してる」
「ふふ……ならよかった。喜んでもらえるように考えた甲斐があったかしら」
「俺によくそこまでリソースを割いたもんだ……」
「照れてる?」
「感心と呆れだ」
「酷いわね」
隣に立つ月夜は、朗らかに笑った。学校では見ないその姿に新鮮な感覚を覚えたが、むしろこれが素なのではないかと考える。不特定多数に見られる、しかも生徒会と言う一種の偶像的存在ならば、多少なりとも普段から立ち回りに気をつけ、素を見せない様にしているのだろう。役員同士での交流も深められた。いい機会にはなったと思うし、それを作ってくれた存在には感謝を伝えるのが礼儀と言うものだろう。
「ん、迎えが来たわ」
そう言った月夜の言葉に反応し右を向くと、黒塗りのリムジンが停まる。現実にリムジンを見るのはあまりないことなのでやはり少し見入ってしまう。
「今日はありがとう我妻君。楽しかったわ」
「あ、あぁ。こちらこそ」
「それじゃあ――――」
「っと、驚いて忘れるところだった。これ」
「……それは昼間に買ったものよね?」
「今日一日色々と世話になった礼だ。おんぶに抱っこな状態だったからな、大したものじゃないが上手く使ってくれ」
「……ありがとう、とても嬉しいわ」
「お前から見たら安物だろうがな」
「物の価値はお金だけじゃないわ、大切にさせてもらうわね」
「……そうかい」
「じゃあ、今度こそ」
「あぁ」
そう言い、月夜は運転席から降りてきた初老の男性が開けたドアから車内に乗り込む。柔らかな雰囲気の男性、恐らくは執事のような存在だろう。こちらに軽く会釈をすると、運転席の方に消えていった。
そして、月夜がドアの窓を開ける。
「我妻君、帰りは気を付けて」
「生憎夜の街は良く知ってるからな、大丈夫だ」
「それでも、ね。それじゃあまた学校で」
「あぁ」
扉を開けたまま、車がゆっくりと発進し出す。それを見て、俺は止まることが無いのを確認してから口を開けた。
「月夜『半日ありがとう』『月乃にも伝えておいてくれ、楽しかったってな』」
それだけ言い終わると、踵を返す。恐らく聞こえてはいるだろうが、もう車は出された。聞こえるか聞こえないか程度の声なので、聞こえていなかったら――――まぁ、中を見ればわかるだろう。今回は俺の勝ちだ、恐らく向こうも本気ではなかったのだろうが、それはそれ。
俺は若干気分よく、足取り軽いままに家へと向かった。
「月夜『半日ありがとう』『月乃にも伝えておいてくれ、楽しかったってな』」
彼はそう言った。風とエンジンの音で消え入りそうなものだったが、確かに聞こえた。
『半日』『月乃』。一見何を言っているのかわからない単語だ。我妻銀士郎と『月夜』は一日行動していたし、今日月乃は一度も彼に連絡もしていなければ、姿も見せていない。そこから導き出される答えは――――。
「どうしたの? 夜姉」
「……はぁ、最後の最後で負けちゃったわね」
「……?」
「安心していいみたい、月乃。我妻君は他とは違うわ」
「……どういうこと?」
訝しげな顔でこちらを見る妹に、我妻君からもらった袋を見せる。その中を出してみると、小さな小袋に入った何かが二つ現れた。そして、遅れて落ちてくるメモ用紙。
「なにこれ?」
「我妻君からのプレゼント。丁寧に二つも、今日は半日ありがとうって」
「……えっ」
「彼もずるいわね。途中から気が付いていたのに、敢えて気が付かないフリをしてたみたい」
「い、いつから?」
「その紙に書いてあるんじゃないかしら」
月乃が恐る恐る落ちたメモを拾い読む。私も覗いてみると、そこに書いてあったのは――――
『何時気付いたかは教えない、俺に隠して双子判別のゲームをしていたんだから、俺がいつ気が付いたかも頑張って考えろ。まぁ、入れ替わったのは服屋の試着が終わってからだろうな。今回は俺の勝ちだ。そして、今日は楽しかった。礼を言う。これはささやかな気持ちだ』
「わぁ……」
「性格出るわね、彼の」
中にあったのは答えではなく、ほんの少しの回答と謝辞だった。それがどうにも彼なりの不器用さに思えて、つい笑ってしまう。
「凄いなー我妻君、本気は出してなかったけど、割と真面目に変装してたよね」
「この短期間で見破られるのは予想外だったけど、ふふ……」
「すごい、な」
「……えぇ、お父様もお母様も、ここまで来るのに時間がかかったものね」
「……期待しても、いいのかな? 夜姉」
「わからないけれど……私は信じて見ようと思うわ」
「…………そっか」
じっとメモを見つめる月乃。思うところがあるようで暫くは離しそうにないので、私は月夜と書かれた小袋を開ける。こんな時まで筆記用具を持ち歩いているとは彼らしいと笑いながら中の物を出してみると、綺麗な三日月と夜をモチーフにした紺色のガラスが埋め込まれたブレスレットだった。ラメでコーティングされたガラスの中は、満天の星空の様だった。
「……綺麗ね」
「わ、いいなぁ」
「月乃も見て見なさいな」
「うん」
月乃も自身の名が書かれた小袋を開ける。中には三日月の飾りがついたチョーカーだった。
「わぁ……」
「彼、色恋に無知って話だったけれど……女性への贈り物のセンスも無いわけではなさそうね」
「どういう程度に知らないんだろう」
「恐らく、妹さんへのプレゼントで四苦八苦してたんじゃないかしら。下心とかじゃなく、その人に合うものをって感じのデザインだもの」
「月って名前が付くから月モチーフ……安直だなぁ我妻君」
「でも正直、このチョイスは何か気があるのではと思わせても仕方ないわね。天然だとしたら恐ろしい」
ブレスレットやチョーカー、凡そただの異性の友人にあげるにはどうにも似つかわしくない代物。しかし今日一日行動してプライベートな面を観察しても、やはり雪乃の言う通り異性に対しての意識が全くと言っていいほど感じられなかった。普段からそう言ったものを向けられやすく、それを感じ取る力もある二人でもわからなかったということは、恐らくその類のものは本当にないのだろう。それか、狡猾に秘されているか。
「……月乃は、楽しかった?」
「うん……初めて男の子と出かけたけど、楽しかった。他の余計な事を気にしなくてもよかったし、なんか、その、すごく楽しかった」
「そう」
「夜姉は?」
「勿論楽しかったわ、初めこそちょっとした意地悪と悪戯のつもりが大半だったけど……もしかしたらって思わせてくれたから、ね」
「そうだね」
月乃と顔を見合して笑う。
今まで私達は、本気でお互いがお互いになりきったり、同じ格好になると親ですら判別がつかなくなったくらい似ている。多少手を抜けば親は見抜けるが、それでも数年以上かかった。
それを、彼はもののひと月ちょっとで、親が見抜けるラインの少し手前ではあるが気付いた。気付いてくれた。私を、私達を。月夜を、月乃を。そしてそれを悟らせず、私達が余計な思考を巡らせずに楽しめるように自然体でいてくれた。
初めての経験。初めて会う、今までとは違う、『もしかしたら』を思わせてくれる人。
「帰ったら、お互い何をしていたか話し合いましょうか」
「賛成、色々聞きたいことがあるからねー」
車内で笑う。久々にこんなに笑ったかもしれない。今日はいい一日だった。
来週、彼に合うのが待ち遠しい。また双子当てゲームでも仕掛けよう。困惑しながらも全力で応えてくれる彼が、いつか本気の私達をも見分けてくれることを祈っておこう。
もしそれが叶ったら――――さぁ、どうなるだろうか。
「頑張ってね、我妻君」
きっと今も家に向かっている彼に、細やかな応援の念を送る。
今日は、幸せな眠りに就けそうだ。
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