第九相 乃ち乃は白なるか

 休日。自由に使える時間が最も多いそんな日は生活費や学費を稼ぐためにバイトをしたり、日課の自習を欠かさないのが俺の常だ。別に成績面で言えば、学年十位以内の順位を修めていれば学費面の心配はない。しかし、一度頂点に立っただけならまだしも、一年と言う期間に継続して頂に立っていた以上はそうもいかない。加えて生徒会役員としての鳴り物入り。普段クラスであっても涼や良くて紅くらいしか会話をせず、友人関係を広げないまま目立たないよう立ち回っていようとも、順位の張り出しや役員の活動で衆目を浴びざるを得ない状況になっている。そこで無様な結果を残そうものなら、俺を目の敵にしている男子女子からの批判罵倒、更には罷免活動すら誘発する可能性もある。それだけで大袈裟と思われるかもしれないが、摘める不安は一掃するのが最善。生徒会役員としての立場を渇望してなった訳ではないが、それでも今では役員として活動できるかどうかは死活問題になっている。ただでさえ紅からもその危険性がある。

 だからこそ、こうして地道な勉強を怠らない。正しく積み重ねを行えば、それに結果は自ずと着いて来る。

 まぁ、今はそれだけでもないのも事実だ。

 胡桃瑠璃。今現在、彼女の成績を上げるために俺はマンツーマンで勉強を教えている。彼女一人の面倒を見たからと言って成績が落ちるとは微塵も思っていないが、一つでも順位を落とした場合、瑠璃は自分のせいだと必ず自責の念を抱き、伸びる者も伸びなくなってしまう。これに関しては、俺の為ではなく瑠璃の為。やれることをやりつつ、彼女への例題や模擬テストの作成の参考にしつつ、俺の休日は消えていく。今日は土曜、バイトも無く用事もない俺はいつも通り老朽化が激しい自宅にてテキストを広げ勉強をしていた。

「兄さん」

 背後から聞こえる、未だ幼さの残る声。その声の主は、俺にとって唯一無二の家族である妹のものだった。

「どうした、眞銀ましろ

「勉強するのもいいけれど、たまには外に出るのもいいんじゃない?って言いに来たの」

 我妻眞銀がさいましろ、それが俺の妹だ。緩くウェーブのかかる銀髪を腰まで伸ばし、鋭くもハッキリとした紅い瞳を呆れた様な顔と共に俺に向け、腰に手を当てながらそう言ってきた。

 妹の言葉、兄としてはそういう具申を素直に受け入れたいとは思うが、生憎俺一人の自己満足の為にやっている訳ではない。

「その言葉はありがたいが、もう中間試験も迫っている。今から準備するに越した事は無い以上用事がないなら家に籠る」

「そうやって出不精になって……その勉強も今学校で勉強教えてる人の為にやってるんでしょ?」

「…………」

「図星突かれるとだんまりなのも相変わらずね、でも私はただそれを言いに来たわけじゃないのよ」

「どういうことだ……?」

「どうぞ」

 眞銀が何故か誰も居ないはずの玄関へと続く廊下に向かって声をかけた。そこに誰も居ないはずなのに、床を歩く音が小さく聞こえ、部屋の入り口から見覚えのある顔が現れた。

「こんにちは、我妻君。それともおはよう、銀士郎君の方が良いかしら?」

「月夜……!?」

 瓜二つな顔が記憶の中で並ぶ白百合姉妹の双子の姉、白百合月夜がそこに立っていた。突然の事態に俺の思考が空回りし始める。何故俺の家を知っているのか。何故今ここに居るのか、何の用だ。そう言った言葉が出てくるが、何故か声に出す事が上手くできない。

「何故あなたの家を知っているのか、雪乃から教えてもらった。何故今ここに居るのか、妹さんに事情を話して入れてもらった。何の用か、お出かけをしましょう、銀士郎君」

「流れるような説明はありがたいが俺の思考を読むな。そして突然外出に誘うな」

「忙しいかしら?」

「いそが――――」

「どうせ今日も家で勉強しかしないと思うので、引っ張り出していっていいですよ」

「待て眞銀、お前は俺を売るのか?」

「いい年して友達と出かけることがほとんどない兄さんを心配してるの。お金なら少し渡すから行っていいよ」

「家計が……」

「私が突然誘ったのだから、今日一日は私が持つので気にしないで」

「いや、流石にそれは……」

「行くわよ」

「ちょっ……待て待て! せめて着替えさせろ!」

 座っていた俺の横まで来た月夜は俺の腕を取り強引に引いてきた。体重と腕力からして俺をその場から動かす事こそできなかったが、流石に全力で引かれれば上体はそちらに傾く。どうにも逃げ道がないことが分かった以上、せめてこの気の抜けた格好は替えさせて欲しい。別段普段から服装に気を遣っている訳ではないが、少しは考えていないと眞銀からの叱責が飛ぶ。案外それが効く身なので、眞銀と月夜には退出してもらい渋々着替えることにした。嗚呼、さらば俺の休日。






「これ可愛いわね、どう?我妻君」

「……そうだな」

「随分暗い顔ね、私と居るのが嫌?」

「ただ商品を眺めて歩き回るのに慣れていないだけだ……お前はよくそんなに歩き回れるな」

「寧ろ私としては、普段から運動量の多い我妻君がそう疲れるのが意外だけど?」

「スポーツとしての体力の消費の仕方と歩き回る体力の消費の仕方は違う。特に後者は普段しないから精神的に疲れる」

「折角女の子とデートしてるんだから、もう少し楽しそうにして欲しいところかしら」

「善処する」

「でもそうね、そろそろいい時間かしら」

「……?」

 月夜が徐に腕に着けている時計に目をやる。俺もそれに倣いスマホの電源を点けると、時刻は一時を回ったところだった。

「昼飯時を少し過ぎたくらいか」

「折角だからランチに行きましょう、いい場所を知ってるの」

「そうか、なら任せる」

「因みに、男子がデートプランを考えるのが普通なんだけどね」

「申し訳ないが、俺にその手の期待をするな」

「わかったわ」

 俺はこの方女性と出かけると言った経験がない。そんな人間に完璧なプランの構築なぞ期待する方が間違っている。

 しかし今日の月夜はやけに『デート』と言う単語を発するが、今の高校生とはそう簡単に男女間の外出をそう呼ぶのだろうか。随分言葉が軽薄な価値になったものだと思ったが、まぁ言うのは野暮だろう。俺は大人しく月夜の後を歩く。道は大通りに面した歩道、人が多いので避けながら歩く。車道側を歩いているので自然と視線は反対側の歩道に移るが、暫く中心街に来ていなかった間に店が変わっているところが多かった。浦島太郎状態だ。

「あまりキョロキョロしないで、見失ったらどうするの」

「お前の事は視界の端に入れている、第一この歳になって迷子にならん」

「ちゃんとこっちを見て、もうすぐ着くから……っと、ここよ」

 月夜が指を指した先にあったのは、テラス席のある俺には馴染みのないカフェだった。適度な込み合いで賑わっているその店に手を引かれるままに着いて行くと、入口でウェイターが待っていた。

「予約をしていた白百合です」

「お待ちしておりました、こちらへどうぞ」

 予約をしていたとは、俺が本当に首を縦に振るかもわからないのによくしていたなと思った、結果として来ている以上何も言えない身の上なのは今は無視する。

 ウェイターに従い歩いて行くと、階段を上がり三階まで来た。テーブルが並ぶホールを通り抜けると、大きな窓ガラスの側面に並ぶ扉を開け、屋上席のような場所に出た。そこにある席の内、一番端にある景色のいい席に案内され、俺と月夜はそこに着席した。

「随分と良い席に通されたな」

「私達姉妹がよく来るから顔なじみの店長が居てね、お願いして席を取ってもらったの」

「俺一人連れてくるのに大それたことをするもんだ」

「友人をもてなしたかったから……じゃダメ?」

「…………感謝する」

「ふふ、よかった。もう注文は予めしてあるけれど、苦手なものとかあったりする?」

「特には無いが、食い馴染みのないものは多い」

「なら、今回で色々知ってほしいわ」

 何なのだろうか、この感覚は。第一には何故コイツがいきなり俺を誘い連れ出し、自分の伝手を使ってもてなすのか。確かにここ暫くの間、生徒会役員としての活動の中で彼女との会話もそこそこにしていたが、ここまで仲を深めていたとは俺自身が思っていなかった。あまりにも状況がつかめない。

 そしてもう一つ。これは俺の単純な感覚ありきのものなのだが、どうにも今日の月夜は月夜らしくない。どこがそうなのかと問われても答えに窮するのは許してほしい、本当になんとなくそう感じるだけなのだ。まぁ、休日と言う普段接する学校と言う環境でないため、雰囲気やら感覚が違うだけなのかもしれないと今は自分に言い聞かせて置こう。

「……どうかした?」

「いや、どうにもこの空気に慣れないだけだ」

「我妻君、絶対にこういうところ来ないものね」

「まぁな、金を無駄に使えないからな」

「私は尊敬しているけどね、その歳で妹さんの面倒も、自分の面倒も見ることができるなんて」

「大したことはしていない、やることを、やれる範囲でやっているだけだ」

「それができない人間の方が多いんだけれどね」

「尤もだ」

 談笑が続く。月夜の第一印象としては、寡黙であまり会話を得手としない人間だと思っていたのだが。あれなのだろうか、仲良くなると饒舌になると言った具合の人間か。

 そうこう話している内に食事が運ばれてくる。詳しいことはわからないが、所謂イタリアンと言うものなのだろうか。ラフなカフェと言う環境なので、作法は気にしなくていいとは月夜の弁。俺としても願ったりなその言葉に感謝をして、俺は目の前のカルボナーラに、月夜はペペロンチーノに舌鼓を打った。






 昼食をとってから二時間後、カフェで昼食を食べた後に軽く食休みをして出てきた俺達は、再び商品を眺め歩く作業――――ウィンドウショッピングと言うらしい――――をしていた。その内に、月夜は服屋に入っていったので俺も後に続いた。服なんて長らくサイズが変わらない限り買っていなかったので最近の流行と言うものがわからないが、月夜は順番に商品を眺めながら、いくつかの商品を手に取っていた。

「買うのか?」

「試着だけ、買い物をしたい訳ではなかったし」

「そうか」

 買わないのに試着だけするのはいいのだろうか。まぁ、一度着てみてから吟味するのもいいのか。

「待て、何故俺を試着室に連れていく」

「前で待ってて、着てみた姿を見て合ってるか見て欲しい」

「俺にセンスは無い」

「我妻君に選んで欲しいの、待ってて」

 そう言って月夜はカーテンを閉めた。何故俺なのか。男の視点の意見が欲しいのだろうか?

 暫くの居心地の悪さに耐えていると、目の前の試着室のカーテンが開けられた。そこには、緩やかな白いワイシャツに薄桃色のカーディガンを羽織り、紺のスカートを穿いた月夜が居た。そのいで立ちは、俺の想像する月夜と違うものであり若干の驚きを思わず顔に出してしまった。

「どう?」

「……イメージしていたお前とは少し違う格好で驚いた」

「そこは似合ってるかどうか聞きたいのだけど」

「…………似合ってるんじゃないか、わからんが」

「照れてる?」

「喧しい」

「でも似合ってるならよかった、参考になる」

「そうかい」

「脱いで戻すから、お店の外で待ってて」

「あぁ、わかった」

 一先ず個々の見物は終わりらしい、今日は果たしていつまで振り回されるのかわからないが、一度乗り掛かった舟だ。相手が満足するまで付き合おう。

 溜息と共に俺は店を暫く見回ってから出ることにした。珍しい環境に来ているから、たまには眺めまわるのもいいだろう

 ――――視界の端に、月夜の様な姿が見えたが気のせいだろう。

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