第六相 まだ重ならない掌
風紀取締の仕事が終わり数時間後。日も傾き生徒会もお開きになったので、妹からの頼みの買い物をしていこうと俺は市内中心部の繁華街を通り抜けていた。目に刺さる様な光がそこかしこにあり、正直ここにそう頻繁に来たくは無いのだが、買い物先の店への道としてはここはいい時短経路であるため、仕方なしに歩いている。
白状するならば、ここでは何度もチンピラに絡まれている。図体がデカく目付きも悪い。おまけに髪色も脱色している様な様なので、どうしてもそういう輩に絡まれてしまう。逃げてもいいのだが、やはり逃走と言う手段に踏み切る前に手が出てしまうのは悪い癖だと自分でもわかっている。何度雪乃の世話になったかわからないが、しかしそれを改められる時は来ないのだろうとも思っている。気に食わないだとかむかついたと言った個人の感想じゃなく、往来で延々と迷惑をかけ続ける人間を見るとつい行動に移してしまう。自分でも子供みたいだと思うが、最早性なのだ。直せるかと言われ簡単に治るものでもない。ただ絡まれないよう祈っておくのみ――――それで何とかなると思ってた。
「……退いて、邪魔」
「いやさ、いきなり噛みついてきてカチンと来たけどさ。折角君可愛いなと思って声かけたんだしお茶の一杯くらい付き合ってくれてもいいじゃんさ? な?」
「あんた達みたいな道端のゴミみたいな価値以下の人間に割く時間は無いのよ。退いて」
「……わかんねぇ女だなぁ、こっちは男三人、そっちは女一人。状況判ってる?」
「自分を正しく見られていない人間に言われるなんて心底腹だたしいわね」
「…………はぁ、オイ」
「ウス」
「――――何する気?」
「大人しくしないからな、この応対もしゃあねぇと諦めな」
小柄な紅を取り囲むように立つチンピラ三人。正直ここまでテンプレな絡まれ方を見ていると一種エンタメ作品の様な面白さすら覚える。そっけなくあしらわれた後の反応すらわかっていた内容な辺り、わざとやっているのかと錯覚すらある。
だがしかしまぁ、流石に腕を両側から掴み路地に引き込もうとするのは些か過ぎたことだ。諦めていれば何もせず立ち去るつもりだったが、こうした現場を見た以上、風紀取締の延長ではないが、自校の生徒を――――ましてや同じ組織の仲間であるならやることは1つだ。
「すまないが失礼」
挨拶は基本だ。俺は小走りで紅とチンピラの側に駆け寄ると、真横から紅に接触しない様にしながら紅の右側に立ち右腕を握っていた小太りの男の頭部に上段の回し蹴りを放った。
「誰だァ!?」
その反応までテンプレはやめてくれ、俺が恥ずかしい。
「口閉じろ」
回し蹴りを放った後の姿勢から勢いを殺さずに軸足を変える。足の親指付け根に重心を乗せ、体を勢いよく回転させる。勢いをそのままに、左側に立っていた体の細い金髪の男に後ろ回し蹴りを放った。
(隙が多すぎて拍子抜けする)
そう、隙が多いし大きい。欠伸をしていてもどうにかなるチンピラは後ろ回し蹴りによって踵が頬にめり込み、初めの小太りのチンピラと同様に弾き飛ばされた。
「奇遇だな紅、何してるんだ」
俺は問うた。正直な所何故コイツがここに居るのかの理由はわからないが、しかし安心させるには普段通りが良いだろう。紅は一度深呼吸する。
「買い物しに来たら絡まれたの、往来の邪魔だから退いてって言ったら何故かお茶に誘われたわ」
「ロジックが謎過ぎて何も言う気になれんが、取り敢えず今日は家まで送ってやる」
「大きなお世話だけれど、そうね……頼むわ」
「俺を無視して話してんじゃねぇぞクソガキ!!」
喧しい。叫ばないと殴ることもできないのかコイツは。
素人丸出しの腰も何も入っていない、大振りの殴り掛かりとも言い難い猪突。体を捻じり避けてもいいんだが、どうせならここで懲りてもらおうかと、珍しく悪い考えをする。
振りかぶった男の体前に身をやや屈めて最低限の上体動かしでその拳をスルーした後、向かってきた勢いに真っ向から向かい、顎に掌底を合わせる。なんてことも無い、『向こうから向かってきた』だけだ。俺はそれを避けた時にたまたま手が当たっただけ。よし、雪乃にもこれで通じるだろう。
さて、カウンターが綺麗に入った訳ではあるが、いい具合に脳震盪が起こったのか、はたまた脆弱過ぎたのかわからないが、威勢の良かった最後の一人もノびている。
このまま放置してもよいのだが、視界の端に居た小太りの男が意識を取り戻したのか一瞬身じろぎをしたのが見えた。
(……念のためにもう一度やっておくか)
このまま起きられて喚かれても困る、なにより折角紅の顔が影でアイツらには正確に視認できていない状況で、改めてこちらを見て顔を覚えられるのは今後に関わる。再度打撃を加えようと歩き始めたその時、ぐいと左腕を引かれた。見れば紅が俺の腕を掴んでいる。
「なんだ?」
「さっさと行くわよ、これ以上は駄目」
「だが」
「だがも何もない、走って逃げれば顔は見られないわ。必要以上の反撃は駄目よ」
「……行くか」
紅は視線を俺の眼に合わせそう言った。俺としては不安の種になりうるものは極力摘み取りたいのだが、しかし彼女本人からの提案ならば俺が出過ぎる真似はできない。
紅は俺の腕をそのままつかみ引っ張っていく。男の腕を掴むのは彼女としては嫌な行為なのではないだろうかとも思ったが、よく彼女の発言を思い返せば恐らくは、俺を男と言う性別ではなく人間と言う大きなカテゴリに分類した故のコレだろう。合点がいく。彼女としても風紀取締や普段の生活を円滑に進めるために手を考えたと思えば、俺がそれをわざわざ破綻させるわけにもいかない。
そうこうしている内に大通りに戻った。裏道を右へ左へと進んだ先にあるのは繁華街を抜けた先、目的の商業施設だ。食料品店以外にも、衣服や薬局その他色々。ここら一帯に住む人間ならば使い勝手故に頻繁に赴く場所になっている。
「……ありがと」
「ん?」
「あの男達から助けてくれて」
「たまたま通りがかっただけだ。だが紅、気概は認めるがこの時間の繁華街でああいう男達に関わるのは感心しないが」
「仕方ないでしょ、邪魔だったんだから」
「あの後俺が来なかったらどうするつもりだったんだ? 最近は婦女暴行のニュースも少なくない」
「…………わよ」
「すまん、聞こえない」
「……何も考えてなかったわよ、悪かったわね。確かに少し周りが見えてなかったわ」
「ならいい、今後はあそこを通らないか、通るにしても早い時間か誰かと一緒に迅速に通る様にした方が良い」
「随分心配してるのね、残念だけれど優しくしようが媚びようが私の見方は変わらないわよ」
「こんなことで好感を上げる馬鹿が何処に居る、単純に紅に危ない目にあってほしくないだけだ。お前は何を言っても非力な女子高生に変わりはない以上、自衛をしてくれなければ安心もできない」
「…………」
何故かはわからないが紅が神妙な顔で俺を凝視してくる。なんだ、俺は何か失言をしたのか。おかしな事は何も言っていないつもりだが。視線に若干居心地の悪さを覚え、俺は話題を変えることにした。
「さて、俺は夕食の買い出しをするつもりだが、お前は何処に行くんだ?」
「……そうね、化粧品を買いに来たわ」
「そうか、じゃあ行くぞ」
「ちょっと待って、何一緒に行こうとしてるのよ」
「お前を家まで送ると言っただろ、そっちの買い物は早く済むだろうから先に行って俺の買い物を後で済ませる」
そのつもりでここまで来たのだが、まさかあんな目にあって尚一人で帰ろうとする肝の据わり様はいっそ驚嘆する。しかし彼女を一人夜道を歩かせるのは俺の義に反する。善良な人間が危険に晒されることが予見できる以上、それを防げる可能性が俺にあるのなら俺が動くのは当然の結論だ。
「律儀と言えば聞こえはいいけど……アンタ、そんな思考回路でいたら何時か取り返しのつかないことになるわよ」
「……どういうことだ?」
「自分で考えなさい」
含みのあるセリフがどうにも違和感を抱かせる。出会って少しの身分で推測を巡らせるのは情報が不十分とも思われるが、しかし人の細かな身体動作や癖を観察している故に、常に物事をはっきりと、言ってしまえば正直に詳らかにする彼女にしてはどうにも歯切れの悪い言葉。なにより言葉も足りない。情報が少なすぎて何も言い返すこともできず、俺は前を歩く紅の背を追うしかなかった。
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