第三相 滲む色彩

 銀士郎が家庭科室へと向かった後、簡単に菓子類などを準備し終え帰りを待っていた生徒会一同。雑談が交わされる中、雪乃は神妙な面持ちで、酷く真面目な口調で口を開いた。

「皆に一つ。提案と言うか、頼みごとって言えばいいのかな。伝えておくことが正しいかな? うん」

 珍しい雪乃のそんな言葉に、結乃が疑問を投げる。

「何よ雪乃、らしくも無い言い澱みの仕方ね」

「あー……うん、その話って言うのが銀士郎君の事なんだけど……」

 銀士郎、その名が出された瞬間場の空気が僅かに変わった。沈黙が広がる中、七望が雪乃に聞き返す。

「……我妻君が、どうかしたの?」

「うん、彼なんだけどね。本人が語らない事には何も言えないんだけど、ちょっと色々複雑な事情を抱えててね。彼自身から周りに悪影響があるわけじゃないんだけれど……そうだね、これはみんなが今抱いてる警戒心を緩める理由になるのかな」

 どうにも話がまとまらないまま右往左往するが、しかし雪乃はできる限り、聞き間違いの無いようにはっきりと発声した。

「彼、恋愛とか色恋ってものの知識がほぼ全部と言っていいほど無いの」

 ――――――

 ――――――――

 雪乃の発言に対して、他の面々は一切反応することができなかった。単語や構文が難解なわけではない。発声も問題ない。内容も然して難しいわけではない。なのに、その発言を意味的に理解するのに多大な時間を要した。

 そうして暫く間があった後に、瑠璃がおずおずと手を上げる。

「えっと……それは一体どういう……?」

「言葉の通り。彼は私達の年頃としては壊滅的な、もっと言えば小学生と同程度かそれ以下の知識しかないの。比喩でも何でもなく」

「……だからなに? 不安に思わなくてもいいって言いたいの? そんな話いきなり、本人の人間性も性格もわからない状態でされて信じるとでも? いくらアンタが前々からの知り合いだったとして偽られた情報ではないと言う証拠は?」

 結乃はひたすらに、雪乃に対して疑問を投げる。その口ぶりは最早尋問の様に捲し立てる有り様だったが、雪乃はあくまで昂然とした態度で言葉を返す。

「これから、生徒会としての活動を通して彼を知ってほしいの。恣意的だと思われてでも、私は彼にみんなと仲良く過ごして欲しいの。彼の事で語ることはまだあるけれど、それは私が語る事ではない。みんなが一緒に過ごしていく中で彼を見ていって。あまり男子と関りが無かったから余計警戒するのはわかるけど、少しは彼と仲良くしてほしいなって」

「……アンタ、なんでそんなにアイツに肩入れしてるのかしら。もしかして付き合ってる?」

「へ?」

 雪乃の言葉に対し、結乃は懐疑的な目線でそう言った。その言葉に、雪乃は言葉を詰まらせる。

「周りの人間に釘刺して自分の手元に安心しておいておきたいとかそういう思惑だと思われても仕方ないわよ?」

「いや……それは違う、けど……」

「結乃、雪乃がその程度で下手な根回しをする人間じゃないのはわかるでしょ。彼に対して貴女が不信感を抱いているのはわかっているけど、そこまでにしなさい」

「月夜……アンタはこの与太話を信じる気?」

「それこそ今後の彼次第、私は印象や前情報じゃなく自分の眼で判断するだけ」

「私も夜姉に賛成かなぁ、現時点で我妻君特に不審な動きも目線も無いし。結乃は特別男の人嫌ってるし」

「警戒して損は無いわ」

「理不尽な謂れは何も円滑に行きません。貴女の事情も分かりますが、今は彼を信じて見ましょう」

 いろはが仲裁にと会話を遮る。結乃は不貞腐れたようにそっぽを向き、月夜や月乃もそれ以上続ける事は無かった。

 雪乃は安堵の表情を浮かべ、一つ息を吐いた。

「ありがとう、いろは。とにかく、私としては彼と仲良くしてほしいの。生徒会をこれからやっていく上でも、関係性は良く円滑にしたいし、私個人としても彼と皆には仲良くなって欲しいから」

「私は勿論そのつもりです! 銀士郎さん、私にも優しくしてくれたので!」

「一体どこで優しくしたのよアイツ」

「名前呼びをお願いしてすぐに呼んでくれたんですよ!」

「……アンタが心配だわ」

 眉間に手を当てる結乃に瑠璃は照れ臭そうに笑う。そんな会話が終わった直後、入口の扉が開かれた。そこには両手に飲み物の入ったペットボトルを抱えた銀士郎が立っていた。

「持ってきたぞ。雪乃、何処に置けばいい?」

「ありがとう、ここの机に置いてくれたらいいよ」

「私も手伝います!」

 銀士郎の様子を見て、瑠璃が跳び立つ。軽やかな身のこなしで銀士郎の元に駆け寄る。

「おい! 今バランス悪いから!」

「ほえ?」

 走り寄ってくる瑠璃の勢いに圧され、銀士郎が後ろにたじろぐ。その時、飲み物の重心の不安定さと予想外の瑠璃の勢いに足元をふらつかせた。

「危ない!」

 誰の声だったか、その時に判別はできなかった。緩慢になった世界に捉われた銀士郎は背後に倒れる最中瑠璃がこちらに手を伸ばす姿が見えた。

(不味い……せめて瑠璃を怪我させるわけには……!)

 咄嗟に手を伸ばし瑠璃の体を寄せる。自分の体を緩衝材にすると、倒れた拍子に零れたペットボトルが落ちてこないよう払い除ける。

 衝撃に一瞬目を閉じる。

「グッ……!」

「あいたた……」

「大丈夫!?」

 倒れる二人に駆け寄る雪乃。月乃や結乃も周りに散らばった飲み物を拾いながら様子を見に来る。

「瑠璃……そそっかしいのはいいけど少しは状況を考えなさい」

「派手にやったねぇ……大丈夫?」

 銀士郎が目を開くと、目の前には瑠璃の顔があった。

 ――――正確には、銀士郎の上に乗る形で顔が至近距離にあり、顔を紅潮させ固まったままの瑠璃の姿があった。

「あ…………う……」

「っ……瑠璃、大丈夫か……?」

「あ……うん、大丈夫……です」

「……? 取り敢えず起き上がってもらってもいいか、立てない」

「へっ? あ、う……うん、そうですね、うん」

 焦りながらも瑠璃は立ち上がり、忙しなくスカートの埃を払う。銀士郎もゆっくりと立ち上がり、月乃が持っていたペットボトルを受け取る。

「すまない、反応が遅れたばかりに」

「怪我はない? 我妻君」

「少しはしっかりしてくれないかしら」

「悪い、心配かけた」

「心配したのは瑠璃と飲み物によ。アンタにじゃない」

「そうか」

「もう、喧嘩しない。バタバタしちゃったけど始めるよ」

「喧嘩なんてしてないわよ……はぁ」

 結乃の視線は相変わらずだが、銀士郎は意に介すことなく席に着いた。

「さ、始めましょうか! 乾杯!」

 雪乃の音頭で全員のグラスが鳴らされる。歓迎会兼交流会は、最終下校時刻までその後続いた。

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