第50話 修行開始
お昼が過ぎ、真上にあった太陽がやや傾いた頃……
カーバンクル邸の中庭の影で、私はアステルくんに背中を向けながら椅子に腰かけていた。
「本当に……いいんだね? 姉さん?」
「う、うん。ひと思いにお願いします……」
アステルくんの細い指が私の後ろ髪を掬い上げ、その感覚が名残惜しいと言う様に、彼は親指で私の髪を撫でる。
「それじゃあ――」
そしてジャキンッという鋭い音を立てて、その感覚が断たれてゆく。
彼も同居人が女性というのもあって、その手の事が巧いのは分かっていたし、私自身、臆病なだけあって、そういったお店に行くのは未だに気が引ける。
私の性格をある程度認識してくれているアステルくんだからこそ、お願いするには難しくなかった。
数年間伸ばし続けた髪はあっという間に整えられ、「はい、終わったよ姉さん」と言って、散髪用のケープと私の肌の間に入った髪をブラシで払い、後ろにあるケープのボタンを外してくれたアステルくんが手鏡を渡してくれた。
手前に向けてまず視線が行ったのは、汗ばんだ額を手で拭う従弟の姿。
「ありがとうアステルくん。結構軽くなったよ」
「あはは……どういたしまして。姉さんの髪ってクセがあまりないから、どう切ればいいのか悩んじゃって……」
「えっ、そういうものなの?」
「レティはともかく、ルビアさんは結構癖っ毛だからね……まぁ、慣れもあるかもしれないけれど……」
そう言ってアステルくんはせっせと箒と塵取りを手に、床に落ちた私の髪を纏めてくれる。
それを後目に、私はリクエスト通りに切ってくれた彼に、心の中で感謝しつつ、改めて自分を見つめた。
腰まで伸びていた髪を思い切って肩に掛かる程度まで切って貰った私は、ふうっと息を吐く。
心なしか身体が軽くなったように感じて頭を振れば、サラサラとした髪が首筋に当たってこそばゆく感じ、少しだけ肩をすくませる。
「どう? 痛痒くなったりしてない?」
「うん、大丈夫。……久しぶりにこのくらいまでカットしたから、ちょっとくすぐったいけれど」
小さくアステルくんへ笑い返すと、彼も「そっか」と言って微笑んでくれたあと、入口のドアを開いてくれた。
「それじゃあ、さっそくテッド先輩達に見せておいでよ。ここは僕がやっておくから」
「え、でも……」
「お客様に片付けはさせられません。またの御来店、お待ちしております」
「もう……ありがとう、
「あはは……行ってらっしゃい、理愛姉」
お互いに古い呼び方で微笑みあったあと、私は邸宅内に入り、テッドくん達が待つリビングへ向かった。
そしてリビングへのドアを開くと、
「……ぉおぅ……」
まるでお通夜の様な重苦しい雰囲気が漂う空間が迎えてくれる。……思わず声をあげちゃうくらいに。
凹状に設置されたソファに座る三人の内、師匠は手を組んでかなり真剣な表情を浮かべられており、レティシアちゃんはこの世の終わりの様な顔をしながらぶつぶつと何かを唱えていて……。テッドくんはどこかそわそわした様子で腕を組んで目を閉じていた。
「ど、どうしたの……?」
何かあった? と困惑しながら尋ねてみると、私の声に反応したレティシアちゃんがばっ! と顔をあげて私を見つめる。
すると途端に顔がくしゃくしゃになってゆき……
「ううぅぅうぅぅぁぁああああリアせんぱぁぁぁぁいっ!!」
挙句の果てには、私の名前を叫んで両手で顔を覆ってしまう……本当に何があったの……。
テッドくんにヘルプアイを送れば、彼は苦笑を浮かべながら立ち上がり、私のところまで歩み寄って耳打ちしてくれた。
「(乙女の散髪は、何かしら意味があるからな……。何度も説明してはいたんだが、なかなか納得してくれないんだ……すまないが助けてくれないか)」
……うぁ、髪を切ったせいか耳元でしゃべられると凄く……なんだろう、くすぐったい。
それに反して、テッドくんは相当困った表情を浮かべていて、私はさりげなく耳打ちされた方の耳を、髪をかき上げて誤魔化しながら触れて、「わかった」と答えておいた。
「え、っと……」
「リア、言葉は不要だ……。私も紅茶三杯くらいの時間を要する内容だが……いや、まさかそこまで二人の仲が進展しているとは……」
「――なにを言ったのテッドくん!?」
「す、すまない! オレ自身かなり動揺していて……!」
テッドくんの二の腕を掴んで軽くゆすると、彼は耳を真っ赤にしながらおもむろに自分の両手をあげて見つめる。……うん、すっごく動揺してるのは分かったよ。だってスマホのマナーモードみたいにぶるぶる震えてるもの……。
「めちゃ甘々な事を自分で言っておきながら思い出した様に悶絶する姿を見せられた方の身としましては事実だと認めざるを得なくて」
スン……とハイライトの消えた瞳で私達を見ながら、真顔で語るレティシアちゃん。その言葉に思わず顔を手で覆ったテッドくんは「ぐあぁぁっ!」とダメージを受けた様に、震えながらその場に崩れ落ちてしまった……。
「テッドくん!? いっ、いったいどこまで……?」
「……返事を待つという会話を、洗いざらい……」
「ぉふぅ……っ!」
見えないダメージを私も受け、キリキリと痛み出したお腹を抱えながらその場に座り込む。
……確かに私もテッドくんに近しいエメルダス先輩に対して墓穴を掘ってしまったし、同じ様な状況だったのかもしれない。そこに後悔はないけれど、もっとお互いにダメージの少ない言葉を選ぼう!?
これからも関係は続いていくわけだし、こういった事を笑い話に出来るのなら一番だけど……新鮮な恋愛の話題ほど笑って話せるくらいの時間は経ってないよっ!?
「あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぅ……」
そんなこんなで私が奇声を発していると、ドアを開く音が聞こえて、その人物がリビングの入り口に手を掛けたと同時……
「えぇっと……なに、この混沌とした空間……?」
やや引き攣りながらも、困惑した様子で声を震わせる
◇
一時間ほどのティータイムで、私含め皆が落ち着きを取り戻したあと、私は師匠に連れられ、地下室にやってきていた。
師匠がふっと息を吹けば、壁に掛けられていたランタンに火が灯り、暗い地下室が明るくなってゆく。
石レンガで包まれたその空間の壁には、いくつものチェストが設置されていて、師匠は奥へ奥へと進んでいき、私はあまりの貯蔵量に呆然としながら彼女の後を追う。
定期的に手入れをされているのか、地下室で想像するような埃やカビの臭いはなく……澄んだ空気はどこか神聖な空間の様にさえ思えてしまう。
「ここはアステルやレティシアにも立ち入らせていない部屋でな……。まぁ、
その言葉に、私はきゅっと唇と心を引き締める。
家族すら立ち入れない場所に、私が居る。一歩、また一歩と前へ進むこの歩みが、師匠は私の事を信じてくれている事がひしひしと伝わって来たから。
「時にリア、以前私は君に、精霊魔術を伸ばすよう伝えたな」
「ええ。エルフ族は特に、精霊と相性が良い、とのことでしたが……」
「そうだ。魔力総量の高いエルフ族は特に精霊との親和性が高く、幼少期には精霊の姿まで見えている者も少なくはない。もちろん、他の白魔術や黒魔術に於いても、適正は他の種族に引けを取らないだろう」
そこで、だ。と師匠は歩みを止めず、軽く私へ振り返りながら語る。
「君は特に精霊との親和性が高いと見える。シーダという使い魔の存在もあり、召喚魔術の素質も充分に備わっていると言ってもいいだろう」
「あの、シーダはかなり特殊なケースですから……あまり召喚に関しては……」
「さて、それはどうかな?」
「……? それってどういう……」
にやっと不敵に笑う師匠は、私の首に掛けられた“呼び笛”を見つめる。
「その呼び笛というアイテムだが、以前似たような代物を見たことがあってな。それで召喚された使い魔は、一定時間を過ぎると消えてしまう」
「えっ……? では、シーダはいつか消え――」
「まぁそう早まるな。ここまで長い間彼の召喚が維持されているという事は、君に相応の素質があると見て良いだろう。使い魔などが消える原理としては、殺されるか、或いは使い手が使い魔の存在意義を明確にしていない事で消滅する。使い魔は主が死なない限り、何度も呼び出せる代わり、その存在意義を立証されなければ長時間居続ける事はできないんだ」
「つまり……私の心の持ち様、ということですか?」
「そういうことだ。シーダは特にだが、意思疎通ができる使い魔は極めて稀だ。それに、君も彼の事を大切な家族、仲間として認識していることで、その存在という概念が固定され、こうして君の側に居続けているのだろう。所説あるが、そういった使い魔は戦闘能力が高い、もしくは主の補助を行う者もいる。シーダの場合は補助だろうな」
良かった、シーダが突然消えたらどうしようかと思ってしまった……。
ほう、と胸をなでおろしていると、師匠はクスリと笑いながら、奥にあった本棚の前で足を止める。
そこには装丁がボロボロになった古めかしい本がぎっしりと詰められていて、題名なども読み取る事はできるけれど、外国の本もあった。
「概念の固定。そのコツさえ掴めていれば、召喚術を習得するのは容易い。君が友人一人一人を大切にしている性格にぴったり当てはまると、私は考えた」
「それじゃあ――」
「まずは召喚術を習得し、身を守る術を身に着けてもらう。そこに攻性魔術も並行して教えるとなると……かなり厳しい道のりになるが――」
師匠はちら、っと私を見つめると、何一つ不安のない私の表情を読み取ったのか、「愚問だったな」とひとつ笑ったあと、本棚へ向き直って本を数冊引き抜いて、私の両手へ載せていく。
そして私の顎が載せられるくらいの高さまで本を積まれたあと、師匠は「戻るぞ」と言って本棚に背を向け、地上一階に繋がる階段へと向かいながら語る。
「これから様々な魔術を扱うにも、まずはステータスの強化が必須課題だ」
「そうなると……やっぱりレベル上げが急務、ですよね」
「その通りだ。幸いな事に魔術にはクラスの様に階級の差は存在しない。……まぁ、君がクラスⅡになれば、その分ステータスも底上げされるからな。上級魔術もある程度は扱える様になるだろう。それに――」
「……それに?」
「――どうやら君と肩を並べ、共にあろうとする
「それって……」
ふふっと笑った師匠は、階段を登り切り、一階の廊下へ繋がるドアを開けば、鍵の掛けられていたそのドアの前で壁に背を預けながら、腕を組んでじっと待つテッドくんがいた。
「テッドくん……」
無意識に彼の名前を呟いた私に、師匠にぽんっと背中を押され、彼女の顔を見上げれば「ん」と優しい表情を浮かべながら首を傾ける。
すると私の声に気付いたのか、テッドくんは目を開いて私達を見た途端、ぎょっとしながら私へ歩み寄った。
「戻ったみたいだな――って凄い本の量じゃないか!? 少し持つよ!」
「あ、ありがとう……」
そして殆どの本が彼に取られてしまい、三冊ほどを抱えて師匠の執務室へ入ると、すぐそこのテーブルへ抱えていた本を積んでゆく。
「ルビア先生、まさか半日でこの量をリアに教え込むわけない……ですよね?」
「さて、それは私の弟子が決める事だからな……。正直、リアの読解力はすさまじいぞ? それこそ初級魔術の教本を一晩貸し出せば、次の日には想像の四倍以上の質問が飛んで来る」
「よっ……!?」
「あ、あはは……」
更に驚いた表情を浮かべ、額に脂汗を滲ませたテッドくんに見られ、私は早速手にしていた本で口元を隠す。
「本が好きなのは知っていたけども……まさかそこまでとは」
「集中力が常人の比ではないんだろうな。昨晩リアの魔力総量をこっそり見てみたが、入学当時に比べて異常なほどに発達している」
これには流石の私も驚かされた、と二人して肩を竦めて溜息を吐かれてしまう。……う、うーん……。読み始めるにもその会話はちょっと集中力が乱されるのですがっ?
そんな生暖かい視線にちょっとだけ唸りながら、椅子に腰かけて本を開く。
……でも、多分次のページを捲ればもう止まらないかもしれない。
なので、師匠にはいつも通りのお願いをした。
「師匠、四時半になったら無理矢理にでも引き剥がしてください」
「分かった」
「!?」
非凡なその「引き剝がす」という単語に、テッドくんに三度驚いた表情を浮かべたのを視界の端で確認した私は、小さく苦笑いを浮かべた。
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