第45話 決意

        ◇Side Painted◇



 この世界に、死んでもいいヒトなどいない。

 けれど時に、互いに死力を尽くしてぶつかり合わなければならないヒトもいる。

 ――知っていた、筈なのに……――。


「――私に、戦い方を教えてください」


 よりにもよって、彼女に――。

 オレの中で二番目に、そうあって欲しくないと願う女性に……その言葉を言わせてしまった。


「――……ッ………」


 彼女に預かって貰っていた上着を受け取りに中庭へ出たオレは、ルビア先生と彼女との会話を物陰から聴いていた。

 本来であれば耳を傾けなければ良い話。しかし、彼女をこの場に誘ったのは――他でもない、このオレだから。

 ……彼女の流す涙も、恩師の謝罪も――彼女の決断もすべて、オレが受け止めなければならない。


 出来る事なら、エルの様に彼女も何も知らず、幸せに生きて欲しかった。

 しかしそれでは、彼女の進む道を否定しまう事になってしまう。

 彼女には魔術師ルビアの弟子という立場がある。本人も、その役割を自覚している。

 どこまでも純粋で、優しく……そして正しい彼女に、暗い影を落としてしまうとしても、この街を護る為に組織された騎士団オレ達は協力を取り付けなければならなかった。


 すべては、街の平和のために。


 えらく自己中心的で、彼女のことなど考えない……冷酷な選択を、他でもないオレが彼女に与えてしまった。

 その役目は最初こそ師団長直々に担おうとしてくれたが、その提案を、オレが蹴った。他でもないオレ自身が、肚を括る為に。


 ――だが、その結果はどうだ?

 現にこうして、彼女に更なる負担を掛けさせてしまう出来事が、オレの与り知れない所で起こってしまった。

 その場に間に合わず、彼女の身も守れず、その時オレはただ、自宅で鍛錬に明け暮れていた。

 何も……できなかったじゃないか。


 眉根を寄せ、血が滲むほど拳をきつく握りしめ、悔恨に苛まれる。

 ――そんな時だ。

 コンコン、と窓ガラスを軽く叩く音が耳に入り、ハッとして顔を上げると……。

 その奥には、カトレアとクロウの二人がオレを見つめ、彼は溜息を吐きながらくいくいと人差し指を曲げ「こっちに来い」とオレを呼び出す。

 ……今はそんな気分になれないが、リア達の話もついたようだ。今度は、クロウの話も聞かなければならないだろう。

 オレは小さく頷き、彼女達から隠れる様にして中庭から廊下へ入ると、カトレアはオレにコーヒーの入ったカップを手渡しながら、顔を見た途端「あー……」と呆れた様な声を上げる。


「その様子だと、かーなーり込み入った話だったみたいね」

「……すまない、分かるか」

「まぁ、それなりに。……話の内容は大体想像がつくわ」


 腕を組んで壁に寄り掛かっていたクロウに倣い、オレも壁に身体を預けながら膝を折ると、彼は頭を掻く。


「ったく、辛気臭くてしょうがねぇ。どいつもこいつも反省会ばっかしやがって……」

「当然じゃない、クラスメイトなんだもの」

「傍から見れば俺らは被害者でアイツは加害者だ。が……蓋を開けて見りゃあどっちも被害者。ガーネット商会ヤツらの尻尾は掴めてんのかよ?」

「……いいや、まだよ。遺憾ながらね」


 カトレアのカップからギュッという音が聞こえ、彼女の悔しさが嫌でも伝わってくる。

 それもそうだろう。この事件の発端は、彼女が取引現場を発見した瞬間から始まっているのだから。

 容疑者を取り逃し、あまつさえ足取りが掴めず野放しにさせた結果、自分の親友に牙を剥かれた。……オレとは違う種類の怒りが、彼女の中で湧いているのは間違いない。


「ってぇなるとだ。――やっぱ居るんだろ? 内通者・・・

「……認めたくないけれど、十中八九、間違いないでしょうね。過去数年分の輸出入の履歴を辿ってみたけど、特に目立った痕跡はなし。それが隠蔽されているのだとしたら、街の殆どにガーネット商会の息が掛かっているはずよ」

「まとめて検挙するとなりゃあ、人物にもよるが――この街がひっくり返る事も有り得るっつーわけか。やーれやれ、まさにパンドラの箱じゃねぇか」

「触れても開いても災いが訪れる。アンタにしては至極真っ当な表現じゃない」


 二人して肩を下げて溜息を吐く。オレも息を吐き――おもむろに立ち上がる。

 自分を鼓舞する為に。何より――誰よりも先に、その道を踏み出した彼女に背を向け、座り込んで立ち止まっている場合じゃない。


「テッド――?」

「どうしたのよ、いきなり立ち上がって?」

「なら――敵の足が掴めない今だからこそ……オレ達に出来る事があるんじゃないか?」

「できる事って……。捜査の方法は正しいと思うわよ? これ以上何を――」

「――カトレア」


 彼女の声を遮ったのはクロウだった。他でもない、誰にも中立な彼が。

 怪しく笑いながら壁に肘を突き、オレへと向き直る。


「どのみち、俺ら見習い共にゃまだまだ時間がある。こうして一人一人不貞腐れるくらいのな。そんなクソッタレな時間を有意義に過ごせるってんなら、聞いてみる価値は大いにあると思うぜ?」

「テッドアンタ……一体何をするつもりなのよ……?」


 ……正直、オレはクロウの様な搦め手は得意じゃない。

 手の届く範囲のヒトビトを護れるかどうかすら危うい存在だ。

 それでも――今のカトレア、クロウ……そしてリア。

 彼女達とは決定的に異なる“差”が、確かにある。

 今まで築いてきた土台の差。それはこの街に住まうヒトビトとのコネクションや信頼など。

 大人達には遠く及ばないが……少なからず、オレのこの手にも、《ブレイシア世界》がある。


 オレは思い出す。

 早朝の鍛錬でガイウス先輩に打ち負けた時。白く、そして華奢な手を差し伸べ――オレにかけてくれた、彼女の言葉を。


『一緒に頑張ろう』


 たったそれだけの言葉。だと言うのに、掛けてくれたヒトが違うだけで……こんなにも深い言葉にもなる。

 他でもない彼女の掛けてくれたその言葉を、オレは改めてこの胸に刻み――


「――まずは強くなろう。一人一人だけじゃなく――今度は、皆で・・


 胸に拳を当て、誓う。


「この先どんな災いが訪れようとも――それを乗り越えられるくらい、強く」

「テッド……」 

「……まあ、それが簡単にできたら、苦労はしないんだけどさ」

「そういやあ、お前さんが超がつくほどの脳筋だったの忘れてたわ」

「こ、言葉が足りないのは自覚してるさ……」

「フフフッ……でもそういう根性論、アタシ嫌いじゃないわ」


 クロウに呆れ笑いされ、カトレアには笑われる。本望じゃないんだが、その先の事を今話すのは違う気がして、オレはその先の言葉を噤む。

 ……この事件に、文字通りオレの総てを注ぎ込む覚悟はできた。頼もしい仲間もいる。なら、あとはもう――動き出すだけだ。



 いつしか血の滲んでいたはずの掌には、かさぶたが出来ていた。



        ◇Side Rear◇



「……戦い方、か……」

「……はい」


 師匠の表情に影が差し、彼女は私の言葉を呟いたあと、一つ息を吸って私へ向き直った。


「良いだろう。だが……まずは、とある二人の少年と少女の話を訊いてもらうとしよう」

「……ご兄妹ではないのですか?」

「ああ。ある土地を治めていた家の本家と分家で生まれ育った二人は、それはもう仲が良かった。温厚な親戚と民達に囲まれ、そのまま行けば近親間で結ばれていたかもしれないほどにな。……しかし、運命とは残酷なものでな。ある日少女は魔術の才能を見出され、若干十歳でその地を護る騎士を倒した。しかし、もう一人の少年に魔術の素養はあっても、頑なに人を傷つける魔術を嫌い、親戚達の関心は、一気に少女の方へ傾いていった。

 時が経つにつれ……いつしか少女は、冷遇されている少年の事を考えない様にして行った。今どこで何をしているのか。そもそも生きているのか。無事でいて欲しい。また逢いたいと願ってしまうからだ。己の感情を押し留め、成人し、その家を継ぐ時。少女は家を出て旅に出た。もとより地力はあったせいか、路銀を稼ぐために始めた傭兵稼業は驚くほど儲かり、実家とは比べ物にならないが、それなりに裕福な生活を送っていた。

 そんなある日の事だ。少年の行方が分かり、その地へ赴いた少女は、鉄壁の要塞を目にした。家を追い出された少年は路頭を彷徨い、行き着いたその地でヒトビトを護る魔術を研究し、《結界魔術》というオリジナルの魔術を編み出していた。……少女は自分に絶望した。ヒトを傷つけ、殺し、奪う事を生業としていた事もあったが、誰も傷つけず、むしろ活かす事に注力した少年と、ここまで違うのかと。

 始めは同じだったというのに、気が付けば正反対の方向へ進んでいた少年と少女は、終ぞ相見える事なく……少年は闇に姿を消してしまった。少女は少年の残した結界魔術を維持する為にその地に残り、財を集め、自分の様な魔術師を生みだしてはならないと思いながら……今日もとある学園の教壇に立っている」

「……つまり、師匠はこれ以上人を率先して傷つける様な魔術師を育てたくないと」

「そういう訳では――いや、実際その通りなんだろう。これはエゴの様なもので……私の弟子に、同じような道は辿って欲しくないんだ。情けない師ですまないな……」


 そう言って肩を落とす師匠の手へ――私は手を伸ばす。

 もとより師匠の過去を訊く覚悟なんて、魔術を教わる時からできていた。

 今、私から師匠へ訴えられるもの。それは“熱意”だ。それに尽きると思う。

 愛しい人とは真逆の道を歩んでしまって……もう、歩み寄る事を恐れていると言うのなら――


「――でしたら、私はその少年と少女の、間を往きます」

「なに……?」


 他でもない、彼女の弟子である私が、師に教えを請いながら……その少年の道も歩めばいい。

 ……我ながら、なんて我が儘でおこがましい考えなんだろう。心の中で苦笑する。


 この街を護ってくれている結界魔術。それは恐らく、その少年にとっての《真理》を体現したもの。

 師匠はその少年と同じ時を生きて、道を違えた。

 けれど、それはもう、過去の世代だ。今を生きて、師匠の背中を追う私なら……きっと、二人分の道を歩んで行けると思うから。


「師匠が二人に増えた様なものです。――あっ、もちろんルビア師匠が一番ですよ? でも……それが叶ったのなら。本当の意味で、魔術はヒトの力になると思いませんか?」

「リア……お前は……」

「それに――攻性魔術に秀でた師匠が、ヒトビトを活かし、守る事に秀でたその少年に追いつけたのなら……最強じゃないですか」


 師匠の優しく、柔らかい手を撫でながら、私は笑う。

 ……これが虚勢だと見透かされていたとしても、この一歩を踏み出した弟子に、どうか歩み続ける力をください――。


「……っ」

「その道筋がとても難しい事は重々承知しています。でも今、こうして歩みだせなければ……私はきっと、立ち止まってしまいますから」

「それが、茨の道だと理解してでも……君は進むのか?」

「――進みます。そして必ず証明してみせます。あなたの歩みは、決して間違ってなどいなかったという事を」


 食い気味にそう告げると、師匠のルビーの様に綺麗な瞳が大きく見開かれ、潤んでゆく。

 零れ落ちそうな涙を見せまいと、師匠は私を引き寄せて抱き締めてくれた。


「そうか……。安心した……っ」

「はい……任せてください。師匠に誇れるような弟子になってみせますから」


 耳元で小さな嗚咽を聞きながら、私は師匠を安心させるように……優しく、背中をさするのだった。

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