第42話 師の壁

       ◇Side Lubia◇



 リアが着替えに自室へ戻っている頃。月明りに照らされる迎賓館の階段下で、私はアステル、そしてレティシアと向き合っていた。


「それじゃあルビアさん。僕達は……」

「ああ。大変だったろう。一応護衛を付けるが、今日のところはゆっくり休むといい」

「わかりました。……あの、リア先輩達は……?」

「彼女は私の弟子だからな……。流石に今日は眠れんだろう」

「そうですか……」


 心底心配そうに迎賓館を見つめるレティシアに、私はふっと微笑む。


「二人も知っての通り、彼女は辛抱強いからな……。できるだけ、気に掛けてやってくれ」

「……はいっ! 当然です!」

「ルビアさん、姉さんのこと……よろしくお願いします」


 彼女は力強く頷き、アステルは深々と私へ頭を下げる。

 それに私は驚きながらも、納得した様にアステルへ微笑みかけた。


「そうか……。話せたのか」

「……はい。多少の横槍はありましたが、和解できました」

「ああ。とても清々しい表情をしている。……頑張ったな」

「有難うございます――って、クロウ先輩みたいに撫でないでくださいッ、髪が乱れます!」


 わしゃっと彼の癖のある前髪を撫で回せば、そんな事を言われてしまう。


「おぉ、なんだー? ようやく思春期か? 来るのが遅いぞこの息子めっ」

「むしろ適齢期だと思いますけど!?」

「あ、あっはは……」


 レティシアの苦笑に見守られつつ、私はひとしきり養子アステルの髪を堪能した後、召喚術でフェンリルとイビルアイを数体呼び出す。

 昔は無邪気に彼らと戯れていた二人だったが、流石に中等部へ上がった事もあるのかもしれない。もうじゃれ合う事はないか……。


「それじゃあ、気を付けて帰るんだぞ。戸締りはしっかり頼む」

「はぁい。おやすみなさーい」

「おやすみなさい、ルビアさん」

「……ああ。おやすみ」


 手を振って二人を送り出した私は、ふうっと息を吐きながら踵を返し、本館への階段を上がってゆく。


「(……気に掛けてやってくれ、か。本来であればアイツらにかけるべき言葉だというのにな……。……つくづくこの役職魔術師というものは、難儀なものだ)」


 目を伏せ、愛しい子供達の姿を思い浮かべながら、嘲るように自分を嗤ってやる。

 しかし、アステルもリアと無事に和解できたか……。これは僥倖とも言えるだろう。

 だがそれ以上に、彼の抱えて来た枷が外れた反動なのかは分からないが、彼の瞳に濁りの様なものがなくなっていた様にも見えた。

 はてさて、我が愛弟子は一体どんな魔法の言葉を掛けたのやら。それが自分に跳ね返らなければいいが。


 ……そんな事を思いながら階段を上り切ると、迎賓館の入り口には、職場で見慣れた男性が立っていた。


「おや……一服ですか、アオヤマ先生?」

「ぅおっと! ――これは失礼、バレてしまいましたか」


 吸い始めの煙草と携帯灰皿を手にしていた彼――出会った時よりも随分髪が伸びたか――アオヤマ先生は驚いた後、苦笑いを浮かべながらその煙草を揉み消そうとしていたので、私は顔を横に振り手で制す。


「……いいんですかい? 臭いキツイですよ」

「構いませんよ。かくいう私も、元は愛煙家でしたから。慣れたものです」

「ほぉーっ? そいつぁ初耳ですな」

「聞かれませんでしたからね。それこそ、一日一箱は軽く吸っていましたし」


 今思えば懐かしい思い出だ。私は当時の己の荒れ具合を思い起こしながらフフッと笑うと、アオヤマ先生は煙草を吸いながら目を丸くしていたが、すぐにその表情に影が差す。


「フーッ……。しかし、まさかこんな事になるとは」

「彷徨人同士の確執というは、世界を越えても尚燻り続けると言いますが……。貴方がたは極めて稀なケースでしたからね。過去では基本的に成人した男女が現れていましたから」

「あいつらの様な若者が現れるのは初めてだった、と?」

「いいえ、少なからず居ましたよ? ここまで大人数の彷徨人、それも若者の集団は初めて、というだけです」

「そうですか……」

「……以前に居た世界から付き合いのあった貴方です。今回の件は特に堪えたでしょう」

「ええ……」


 彼にはすでに事の子細を伝えてある。我が愛弟子もこの件に携わり、さらに騎士団と警備隊の協力下にある事を伝えた時には、酷く動揺していた。

 こうして人気の少ない場所で一服でもしなければ、到底頭の整理もつかなかったのだろう。

 アオヤマ先生は難しい表情を浮かべながら再び紫煙を吐き出すと、困った様に笑った。


「いやあ、自分もまだまだですなあ。……もっと、精進します」


 ――強い男性ヒトだ。リアも大概だが、どうしてこうも今回の彷徨人たちはメンタルが強い者ばかりなのだろう。

 彼も彼で、実技試験の前にダンジョンの下見へ行った時ですら、生殺与奪を躊躇わず、その任を成し遂げていた。

「生徒達がやるのなら、まず教師である自分が先にやるべきだ」と……自らの危険を考えた上で申し出る。

 全ては生徒達の為に。そういう考え方をする教師は特に希少であり、尊い。

 理想や夢よりも先に現実という名の壁に阻まれ、乗り越える前に力尽きてしまう者も多い中で、それを実現しているのが……このリュウジ・アオヤマという教師だ。


「あまり根を詰めすぎないでくださいよ。私も心配になります」

「はははっ、いやあそんな事は――おっと?」


 笑って誤魔化そうとする彼の隣へ歩み寄り、私はするりと腕を伸ばし、彼の胸ポケットに入っていた煙草を一本、頂戴しながら微笑んだ。

 壁を乗り越えた後も、息を切らしても尚、その先へ進もうとする者がいる。

 であれば、年上として、その壁を乗り越えた同志として……私は、彼の手を引くべきだろう。


「……三十余名という尊い新芽を一身で育てようと考えなくてもいいんです。私も、彼らを育て――守りますから」

「カーバンクル先生……」


 少し、肩の力が抜けたのか、彼の身体の強張りが解けてゆく。

 灰を落とし、火種が露わとなった煙草を彼は咥え直し、私も頂戴した煙草を咥えながら、彼へと顔を寄せた。


「火、いただけますか?」

「いいんですかい? こんなどこの馬の骨とも知らない野郎相手に?」

「……野暮な事を言う事もあるんだな、貴方は」

「俺の住んでた国では、こう言うのを情緒だとか駆け引きだとか、そういう風に言うらしい。まぁ、こういう性格上、色恋には無縁だったもんで。……怒りました?」

「いいや? むしろ面白かった。久しぶりに胸がざわついたよ。こういうのも、悪くはないかもしれないな――」

「ックク、それは何よりで――」


 そしてお互いに笑い合い、ほんの一時だけ……一人分の火を共有した。

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