第41話 溢れた弱音
「(ただいまー……?)」
教会へ行く方向に話が進んで、私は学園の制服に着替える為に一度自室を訪れると、リィンを見守ってくれていたはずのエルもベッドに潜り込み、彼と一緒に整った寝息を立てていた。
時計の針を見ればもう深夜の1時。流石のエルも限界だったみたい。
私はあまり音を立てない様、細心の注意を払いつつ、クローゼットから衣類を取り出してさっと着替えると……
「んぅ~……」
大きく寝返りをうったエルが布団を剥いでしまい、私はそっとベッド脇に歩み寄り、腰掛けながら直す。
そして、裏でこんな状況になってしまっているにも関わらず、『いつも通り』を貫いてくれている親友の寝顔を、私は静かに見つめた。
ちくりと胸を刺す様な痛みを感じるけれど……きっと、この痛みはテッドくんやカトレア達が何度も経験しているのだと思うと、自分もこの痛みに耐えなければ、という気持ちになる。
申し訳ない気持ちと、感謝の気持ちが渦巻いて……いけないと理解していても、弱音を吐き出しそうになってしまう。
……それでも、今ここで彼女に甘えるわけにはいかない。
市長の娘という立場、魔術師と騎士団、警備隊の関係……。打ち明けてしまえば、彼女の世界が一気に変わってしまう事になる。
エルサレム・セージという女の子は、このブレイシアという街に住まう一人の服飾見習いであり、一学生。
親御さんの仕事ではなく、一人の“ヒト”として服飾関係の仕事に進んだのも、一度決めた事を曲げない彼女らしいとも思う。
それはこの街の水面下で跋扈しているモノに触れさせないという、セージ家の人達の優しさの現れでもある。
悔しいけれど……親友という存在は、どうやっても家族にはなれない。――だからこそ、私から打ち明けるのはダメだ。
他でもない、テッドくん達が守って来た彼女を、今更この世界に引き入れるだなんて事は、他ならない彼らの裏切りになってしまうから。
私はきゅっと唇を引き結んだあと、彼女の枕で乱れた髪にそっと触れて……
「(……ありがとう、エル)」
心からの弱音を、感謝の言葉で塗りつぶした。
――できるなら泣きつきたい。エルに助けて貰いたい。傍に居て欲しい――。
他でもない、いつも笑顔で、元気よく私の名前を呼んでくれる彼女に……。
許されないと解っていても、触れてしまえば際限なく芽生えてしまう感情は……どこか、両親を亡くした時を思い出す。
そこに存在はあっても、触れる事を許さず、口にする事も叶わない……感情と行動が乖離していく様な感覚。
そして芽生えるのが……
(……いつか、笑って話せるような話にしてみせる)
――今ある辛い経験を、今より少しだけ幸せになった未来へ持っていくという、覚悟。
何よりそれは、
たとえ血は繋がっていなくても、私の歩いていく道は、そういう道だ。覚悟は出来ている。誓った人達も居る。決して一人じゃない。
なら……親友と息子。掛け替えのない存在を守るために、今の私にできる、精一杯の事をしよう。
はらりと私の白髪が下りて肩に掛かり、エルの髪から手を放しながら、弱った気持ちを鼓舞する様に顔を横に振って肩に掛かった髪を払う。
「(行ってきます)」
二人に微笑みながら、私は自室を出て、階段を降りようと手摺りに手を掛けると……。
「テッドくん……?」
「ああ」
どこか暗い表情を浮かべたテッドくんが、三階への踊り場で壁に身体を預けながら腕を組んでいた。
「ひょっとして待っていてくれたの? それならごめんね、居辛かったでしょ――う?」
申し訳なくて、苦笑いを浮かべながら階段を降りて彼へ歩み寄ると、不意に彼の左手が伸びて……私の右頬に触れる。
「――大丈夫か?」
彼の綺麗な若葉色の瞳は、真剣そのもので……
それに今、一番聞きたくなかった言葉が耳から頭に入り込んで、その意味を理解してしまう。
……でも、どう答えるのが正解なのか……今の私には、分からなくなっていて。
初めて会った時も、リィンの時も……テッドくんは私の事を「強い」と言ってくれた。
自分では決してそうは思わないけれど、そう信じてくれる彼に――弱音を吐いてしまってもいいのだろうか?
覚悟を決めた直後にそんな事を言われてしまったら、固め切る前のブロック塀に体当たりされる様なもので……崩れてしまいそうで。
私は無言のまま目を閉じて、テッドくんの手にゆっくりと顔を預けると、右耳に着けていた耳飾りが揺れ――目を見開きながら、この耳飾りをくれた彼の言葉を思い出した。
――何度も言ってんだろ。甘えろっつってんだよ。つか甘えてけ――
兄の様でいて、弟の様にも思える、私にとってもう一人の家族がくれた、優しい言葉。
けれど、今目の前にいる彼はその人じゃない。こうして差し伸べられた手に縋りたくなるけれど、以前も彼に泣きついてしまった、弱い私をもう一度受け入れてくれるのか分からない……。
その不安も混ざり合って………考えが纏まらず、余計にかき混ざって、自分でも酷いと思えるくらい、顔がくしゃくしゃになっていく。
「リア……」
「……っ、ごめん……。答えが、分からないの。あなたが求めているのは、強い私のはずなのに……っ」
ぽろぽろと涙が溢れて、彼の手の甲を伝い落ちてゆく……。
涙で歪んだ視界の中、テッドくんの深い溜息が聞こえた。
……答えが来る。そう直感した私はきゅっと目を瞑り、唇を結んで身を竦める。
「――何か勘違いしているみたいだけども」
「……ぁ」
左肩に彼の右手が置かれ、それが引き寄せてくれるものだと直感した私は、掠れた声を上げながら、求めるように彼の胸に誘われる。
「オレが求めているのは、リア・スノウフレークという――オレにとって掛け替えのない、一人の女の子だけだ」
「うん……。………へっ!?」
彼の口から出た言葉を頭に刻み込んでいると、そのトンデモナイ言葉に思わず私の涙も、この沈んだ気持ちも引っ込んでしまった。
跳ねるように彼の胸元に預けていた顔を引き離して彼の顔を見れば、未だに真剣な表情を浮かべた彼がいる……。
「そこに強い弱いも関係ないし、第一、そんな事を言われたら、オレはとっくに君に弱みを見せている事になるんだけども……」
そして照れ臭そうに苦笑いを浮かべられてしまったら、私ももう「あ、ああー……そういう……」と、他意はない事を嫌でも理解させられてしまう。
「すごくビックリした……。うう、まだ心臓ばくばく言ってる……」
「す、すまない……結構言葉を選んだつもりだったのだけれども。その、こういう時くらいはストレートに言った方が良いんじゃないかと思ってさ……」
「その気がない相手にあの言葉はダメだよー、テッドくん……」
「………君には、この件が終わったらお話があります」
私も苦笑を浮かべてフォローに努めようとすれば、彼はジト目でそんな事を言って来たので、思わず先ほどのカトレア達と同様に「ひぇ……」と呟きながら頬を引き攣らせる。
すると彼はゴホッ、と一つ咳払いをすると、ポケットからハンカチを取り出し、私の頬を伝う涙を優しく拭いながら、辛そうに微笑んだ。
「……頼むよ。我慢だけはし過ぎないでくれ。辛い時は、いつでもオレを頼って欲しい。……その、こんな弱みを出してばかりのオレでも良ければ、だけどさ」
「~~っ! 今、それを引き合いに出すのはずるい……っ」
心臓と胃がきゅうっと締め付けられる様な感覚に陥りながら、じゃあ、と呟いて彼にゆっくりと抱き着く。
「その……これで、お相子ということで……どうですか……?」
「よ、喜んで……」
それから彼の手が私の背中に回ってきて、ぽんぽん、と優しく叩かれるまでに、およそ数分の時間が掛かりました……。
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