第40話 黒の残滓

 その後、ヒューゴくんを迎賓館の誰も使われていない一階の一室へ運び込み、来てくれた師匠とシーダと共に回復魔術で傷を癒した後、彼をベッドへ物理的・魔術的に拘束していた。

 けれど彼の獣化した身体は戻る事は無く、その身体には黒い靄……オーラの様なものが未だに渦巻いており、施術を終えて後片付けをしている私とシーダ、彼をじっと見つめる師匠しかいない場で、彼女は口を開く。


「何とか治療は間に合ったが……この霧は……」

「以前、リィンを助けた時、彼を襲っていた狼達と同じものだと考えられますが……。まさかこんな事になるなんて」

「我々ヒトにも影響を及ぼす代物、というわけか……。……しかし――」


 師匠はおもむろに彼へ手を伸ばし、その体毛に触れる。


「……リア、いつかお前に見せた狼人族の毛を覚えているか?」

「師匠は、彼の体毛だと?」

「確証はない。が……手触りや質感、硬度……。調べてみる価値は充分にある」


 トランクを開けろ、と師匠からの指示を受けて、床に置かれたトランクを開く。

 中にはたくさんの魔術道具が詰め込まれており……どれも師匠から使い方を教わっているもので、どれも刑事モノでありそうな科学捜査キットの魔術版ばかり。


「試験薬はあるか?」

「はい。以前調合したものは持ち合わせています」

「よろしい。ならそれを使うとしよう」


 師匠はヒューゴくんの体毛を一本拝借し、試験管セットを机の上に置き、私の荷物から取り出した青い試験薬――私の普段の使い方としては、似通った形質を持つ薬草と毒草などを見分けるものに使うのだけれど……を手渡して、試験管の中へ体毛と一緒に入れていく。


「脇に小さな木箱があるはずだ、出してくれ」

「分かりました」


 それらしいものを見つけて彼女へ手渡す。間違いなく、その中には例の体毛が入っている。

 師匠は木箱を開き、体毛を一本、別の試験管へ同様に試験薬と一緒に入れていく。

 私はその間にフラスコを出して机に置くと、いつになく真剣な表情を浮かべた師匠は腕を組んで、体毛と試験薬が混ざり合い、色がつくのを待っていた。

 物質の影響で試験薬に青とは異なる色がつき、二本の試験管を同じフラスコに入れれば、同じ物であれば薄緑色に、違うものであれば赤色に変色する。

 ふぅっと息を吐いて背もたれに身体を預けた師匠は、再びヒューゴくんへ視線を移す。


「……合致していれば例の商団との接点があるのは間違いない。が……それよりも、彼の様な症例を見るのもまた初めてだ。黒い靄……いや、負のオーラと言うべきか。気を失っていても尚霧散しないとはな。恐れ入ったよ」

「狼達は、死んだ途端泡の様なものになって消えましたが……」

「そこも問題だ。いくら魔物といえど、殺せば死体は残るはず。消える事など聞いたこともない」


 魔力を目に込めて彼を見てみれば、まるで彼自身の魔力に、何か強い力の様なものが覆い被さっている様な……。そんな歪な流れをしていた。

 本来、魔力というものは自身の精神エネルギーの塊のようなものであり、それが乱れれば精神や身体にも影響が出てくる。なぜなら、その根源は“自我”にあるから。

 それが乱されると言う事は――。


「――そう考え込むな。思い当たる処もあるだろうが、たとえそこに原因があったのだとしても、今回の一件はその後の彼の行動にある。そこを、間違えるな」

「……ですが……」


 きゅっと拳を握りしめる。

 ……クラスメイトを精神的に追い込み、この結果に導いてしまった。

 その原因は間違いなく、以前彼らと行った模擬試合だというのも分かっている。

 アフターケアも何もせず、ただただ結果だけを受け入れて貰うだけでは、恨みしか生まない。

 それがスポーツやゲームであれば問題なかったはず。あくまで表面的に、それを受け入れれば、あとは元のクラスメイトに戻る――。

 でも、ここは“現実”だ。何か取柄が無ければすぐに自分の上を行く人達に覆われ、天井が見えなくなってしまう。


 彼はプライドが高いヒトなのだと思う。だからこそ、その負けを糧にして必死に抗ってきたのかもしれない。

 それが恨みに、殺意に変えて私達を襲ってきたのだとしたら……。

 それは、彼に何もしてあげられなかった私達の責任でもある。

 ずん、とお腹の奥底に重い何かが圧し掛かってくる感覚に、私は目を瞑って耐えながら、次の事を考えていく。

 今の問題は彼の状態を元に戻すことを最優先にしなければ。

 私はひとつ深呼吸をして気持ちを切り替え、師匠に断りを入れる。


「――状態を確認しますね」

「あぁ、頼む」

「《風精よ、我が知に応じ、彼の真名を囁け》」


 風精魔術【ブレス・アナライズ】、そして私が普段着用している『探究者の眼鏡』の相乗効果で、彼のステータスを表示させて――目を疑った。

 シーダの代理詠唱を挟んでのそれと、私自身が最後まで詠唱した【ブレス・アナライズ】では、その詳細度が違ってくる。

 彼の補助有りの場合、彼らの基本的な体力などのステータスが表示されるものの……術者自身のみで発動した場合、ステータスや付与エンチャントされた装備が効果を相乗させる、というのが、魔術の特徴だ。

 そして今、私の目の前に表示された窓には、彼のレベルや種族、性別、年齢……。事細やかに記載されているのだから。


「えっ……」

「……これは……」


 氏名:―ュ―ゴ・ア―――シ―

 年齢:17歳

 種族:魔狼(狼人族)

 レベル:4(+20)

 体力:200(+800)

 スタミナ:180(+1000)


 絶句した私と、隣に歩み寄り、その窓を見つめるなり険しい顔つきになっていく師匠。

 以下のステータスは割愛したけれど……もう、これだけで本来の表記ではない事が分かってしまう。

 私はハッとして師匠へ謝罪する。


「ごめんなさい師匠……これは私の魔術が失敗した……ということでしょうか……?」

「いや、問題なく起動していたし、君が初級魔術で失敗する事など有り得んだろう。そこは信頼している。しかしこれは……名前……いや、存在すら乗っ取られた、という事か……?」

「種族やステータスにも、その影響が表れている、と?」

「すまない、あくまで私の推測に過ぎないんだ。明言は避けさせて欲しい」

「いえ、推測でも構いません。師匠の考えをお聞かせください」

「……ふむ……」


 師匠は更に眉間に皺を寄せ、窓を見つめ、ぽつりぽつりと語られていく……。


「……まず、本来の【ブレス・アナライズ】ではここまで高精度の物は出せない。まあ、そこは君が《彷徨人》たる由縁だとも思っているが……。しかし、私ですら自分自身の名前に干渉されている者に出くわしたことが無い。ゆえに、君も彼の魔力の流れを見た通り、何者かの手によって彼を操る……という言い方は違うな。彼自身の自我が狂わされたと考えている」

「その様な魔術があるのでしょうか……」

「……分からない。そもそも術式改変自体が術者自身が求める“魔術の形”だ。他者の存在を揺るがし、なおかつ神から与えられたステータスですら上書きしてしまう様な代物など……それこそ神の所業だろう」

「神様……」


 ここにきて、彼の名前が出てしまうなんて……。

 私の脳裏には、あのチャラチャラした神様の姿が浮かぶ。

 いくら転移したからといって、その後も彼が私達に干渉してくることなんてあるのだろうか? それこそ、この世界に数多くいる《彷徨人》の中で、たった一人を選ぶだなんてことは……。

 私達と出会った時は善性しか感じられなかったけれど、今このタイミングで悪意ある行動をする様な存在だとは到底思えない。


「だが、いつまでもこのままにしておくには危険すぎる。彼のこの異常なステータスを戻すにも、この謎を解明するにも時間が必要だ。一度教会に預けた方が得策だろう」

「教会ですか?」

「ああ。教会には【鑑定】スキルを持つ聖職者もいる。……この際だ、教会側にも事情を話して協力してもらうとしよう。リア、すまないが今日ばかりは眠れないと思って欲しい」

「大丈夫です、覚悟の上ですから」

「……助かるよ」


 師匠はふう、と息を吐きながら前髪をかき上げる。

 いつの間にかフラスコの中に入っていた液体は混ざり合い、澄んだ薄緑色に変わっていた……。



        ◇



 それから師匠とシーダに「一息ついてこい」と言われて、お言葉に甘えて外の空気を吸いに行こうとエントランスに出れば、クラスメイトやアステルくん達の他に、テッドくんを始め騎士団と湾岸警備隊の方々が数名待機していた。

 かなり物々しい雰囲気が漂っていて、私はその様子を見て固唾を飲み込んでいると、一室の前に移動させられていたソファで手を組みながら腰掛けていたテッドくんが飛び跳ねるようにして立ち上がり、私へ駆け寄ってくる。


「――リアっ!」

「わっ、ちょ、テ、テッドくん……?!」

「怪我はないかっ!? クロウが魔力切れを起こしかけてるって……!」


 わしっとまず両肩を掴まれて、首、足、手と、肌が露出している所を真剣な表情で見られてしまい、私は思わず手を伸ばして彼の両頬をぎゅむっと掴んだ。


ふぁにをふりゅんら何をするんだ!?」

「ち、ちょっと落ち着こうっ? 私は別に怪我とかしてないからっ、ねっ?」


 ただでさえ今の私は部屋着なのだから、いくら友達といえど異性は異性。薄着な自分の身体を、他の人が居る前で見回されるだなんて恥ずかしすぎるぅ……。うう、死にたい……。

 それでも精一杯、私は大丈夫だよ、という気持ちを籠めながら彼を宥めるように言うと、テッドくんもようやく自分のしたことに気付いたようで、一瞬で顔を青くした後、すぐに真っ赤になっていく。

 するすると私の腕を掴んだ彼の手が離れてゆき、だらんっとその手を震わせながらおろした。


「……すっ、すまないッ! その……この場に君の顔がなかったから心配でさ……」


 顔を赤くしたまま、気まずそうに上着のパーカーの袖を手で擦り始めるテッドくんに、私はううん、と顔を横に振る。


「心配かけてごめんね。私はあくまでヒューゴくんの治療に回っていただけだから、傷は一つもないよ?」

「そうか……。良かった……」


 心底安心した様に肩を落として脱力した彼は、何か気付いたようにそのパーカーを脱いで、私の肩へ掛けてくれた。

 えっと私は彼の顔を見上げると、テッドくんはそっぽを向きながら照れ臭そうに軽く頬を掻いている。


「その、ちょっと暑くてさ。すまないけど持っていて貰えないか?」

「あ、うん……」

「頼むよ。……じゃあ、オレ先輩呼んで来るから」


 そう言って早足気味に離れていくテッドくんの背中を見送りつつ、じんわりと私の肩に温かさが染みてくる。

 そんなに冷えてたんだ、と思いながら私はパーカーの端をつまんでしっかりと肩に乗せていると……なにやら悪魔の角と尻尾を生やした二人組が近づいてきた。


「へぇえ~♪ これが彼パーカーかぁ……。リアに先越されちゃったわねー」

「んで、テッドの温もりはどうよ? その温もりから始まる恋のABCってか~?」

「こっ、この二人……いつにも増してゲスいぃ……っ!!」


 イタズラっぽい顔を浮かべたカトレアに後ろから抱き着かれ、開いたままのパーカーの端を揃えられて、挙句の果てにはクロさんはパーカーのチャックを閉めようとしてくるので私は必死に抵抗する。


「いやぁああやめてぇぇっ!」


 盛大に叫びながら抵抗する私を、ついに隠しもせずゲス笑いに変貌した二人は追いつめてくる。


「……っというか! 頑張って意識しないようにしてたのにどうして火の玉ストレート投げてくるの、二人とも!?」

「だっっって、完全に今二人の世界入ってたじゃないのよ……アタシだってリアと二人だけの世界とか入った事ないのに」

「カトレアが言うと冗談に聞こえないよ?!」

「アタシ、本気マジよ?」

「ひぇっ……って、攻防の最中でそんな事言わないで動揺しちゃうからっ!」

「むしろ魂胆が見え見えなのに、今だけそれが狙いだってことすら気付かないなんて……っはぁぁあ~一度テッドときっちり話さないとダメかしらこれ」

「それもやめてね!? ……んぅクロさんもいい加減やめてお願いだからぁ!」

「お前がッ! 泣くまでッ! 上げるのを辞めないッ!!」

「やぁあああっ」


 うぅ、まるでリィンの駄々っ子の様な声あげちゃった……。

 すでにお腹くらいまで留められるパーカー。このまま上まで上げられたら、なんだか……本当に何か色々なものが失われそうな気がする……ッ! 情緒とかそういうのが!

 ――と、騒ぎを聞きつけて来てくれたテッドくんの姿を見て、カトレアはパッとすぐに私を解放してくれた。

 それでも辞めないクロさんを見たテッドくんは……その、模擬試合の時を思い出させるくらい、恐ろしい笑みを浮かべている。


「あん? カトレアお前何放して――」

「――クロウ?」


 ゲラゲラと笑っていたクロさんの肩にテッドくんの手が置かれた途端、彼からは想像もできないくらいの低い声でクロさんを呼んだ。


「うぃッス」


 その表情を見たクロさんは、頬に汗を伝わせながら、パーカーから手を放してくれる。

 そしてスゥ……っとテッドくんは深く息を吸い込むと……


「いくらオレがキッカケだとしても、やって良い事と悪い事があるだろう、二人とも!?」


 二人に雷が落とされた。


「だって、なぁ?」

「いくらテッドとはいえ、一人だけじゃあの糖分過多な空気は打開できないでしょ」

「だからといって、それを一瞬で持っていくのもどうかと思うぞ、オレは……」


 はぁ~っと深い溜息を吐いて顔に手を当てるテッドくんに、二人は謝りながら彼を宥めにかかる。

 皆の前で二人を叱るテッドくんの後ろに隠れながら見守りつつ、私はごそごそとパーカーの袖に腕を通しながら、チャックを一番上まであげていく。

 ……うわ、テッドくん結構大きいサイズの着てるんだ。凄いぶかぶか……。

 リィンももう1サイズくらい大きいパジャマ買ってあげた方がいいかも……?

 ――なんて、テッドくんのパーカーをまじまじ見つめながら考えていると。


『あ、上げるんだ……』

「え? 何か言った?」

「―――」

『……ゴメンナサイ』


 二人が何かを呟いた直後、テッドくんからなんだか物凄い闘気を感じた気がする……。


 そんなこんなで、見事にシリアスブレイクした空間の中、私達に向けられた視線はどこか……生暖かった。

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