第39話 月下の一刀

       ◇Side Rear◇



「あの靄は――」


 影の様に現れた狼人族の青少年が纏った黒い靄に、私は思わず動揺してしまう。

 見間違え様がない。あの日、郊外の森でリィンを助け出した時に戦った狼と、全く同じものだったのだから。

 すると私の様子をちら、と横眼で見ていたクロさんが納得した様に声を上げた。


「ほぉーん。お前さんの言葉から察するに、例の狼繋がりかよ。にしてもまぁ、こいつは最悪の状況だわな」


 片手には使い慣れた拳銃と、もう片方の手にはグレネードランチャーを手にしたクロさんは、目の前の狼人族に声を張る。


「ヒューゴ……テメェ、ヤりやがったな?」

「………――」


 対峙した彼は以前、アレックスくん達との模擬試合で戦った、格闘系のスキルを得意としていたヒューゴくん……その人だったのだから。

 焦げ茶色の髪に翡翠色の瞳を持っていた彼の面影はなく、闇色の髪に、血の様な真っ赤な瞳には、まるで理性がない。

 その瞳を直視すれば一目で分かってしまうほどの憎悪、悔恨……殺意。それが総て、私とクロさんに向けられている。

 ヒューゴくんはニタリと口元を怪しく歪ませた直後、手足で掴んでいた手摺りを握りつぶした。


「……っ」

「リア先輩っ」


 そして私とヒューゴくんの間を挟むようにして躍り出たのは、レティシアちゃんだった。

 彼女の腰には日本人としては見慣れた武器――刀が通してあり、その柄を握る手は今にも動き出しそうなほど気を張り詰めている。

 すると、背後に居たアステルくんもどこかから長方形の機械の様なものを取り出して、中空に待機させていた。

 そんな二人を見た私とクロさんは驚いて、ついヒューゴくんの行動よりも目を丸くしてしまう。


「お前ら――やれんのかよ?」

「微力ながら、助太刀しますっ!」

「僕も魔導具で援護します! 折角会えた姉さんの足手まといにはなりたくないですから!」

「二人とも……」

「へっ――そーかい」


 居合いの構えを崩さないままのレティシアちゃんと、後ろでその機械――魔導具を浮遊させているアステルくん。

 クロさんは嬉しそうに笑ったあと、私の肩をぽんっと叩いてアイコンタクトをする。


「……わかった」


 この場で戦う訳にはいかない。下にはリィン達も居るし、何より……騎士団や湾岸警備隊のクラスメイト達を除いた、何も知らない子達も危険に晒してしまう事になるから。


「やるよ、シーダ」

「合点~」


 今は魔法を使う触媒の杖がない。ということは、必然的に私は魔術しか使えないということ。

 なら、それ相応の戦い方がある。


「《光精よ、我が守り手達に――」

「《風精よ、強き風となりて――」


 キンッ。――ばふっっ!!

 魔術詠唱によって無防備状態となった私とシーダを抱き抱え、刹那の間に足下でスモーク・グレネードを起爆させたクロさんは、屋上から飛び降りる。

 一瞬遅れたアステルくん達もその意図を汲み取り、レティシアちゃんがアステルくんと肩を組むようにして鉄柵を蹴った。


「――守護の導きを》『吹き荒れよ》!!』


 私以外の全員に光精魔術【フィジカル・プロテクション】を付与して防御力を上げ、そしてシーダの代理詠唱によって発動した風精魔術【エアリアル・バースト】を地上に設定して爆発させることで着地の衝撃を緩和させていく。

 タンッ! と軽い音を立てながら着地したクロさんは、アステルくん達を先導しながら、迎賓館までの階段を飛び降りてゆく。


「――このまま中通りまで駆け抜けるぞ!」

『はいっ!』

「《風精よ、追い風となりて、彼の者達に力を》」

「サンクス!」

『有難うございます!』

「クロさんは照明弾を!」

「あいよッ!」


 飛び降りた時点でグレネードランチャーを投げ捨てたクロさんは、すぐに手元に照明銃を出現させて、暗闇の空へ打ち上げる。

 ……色々と突っ込みたい気持ちはあるけれど、今はヒューゴくんだ。

 私達が階段を降り切ったと同時、迎賓館の屋上から地上へと着地したヒューゴくんが飛び掛かる様にして追ってくる。

 ――けれど、その中空でアステルくんが起動した魔導具から、バチバチと電子音を響かせたネットが射出され、ヒューゴくんに纏わりつき、彼の動きを封じていた。


「あ、あれって……」

「魔術を編み込んだ捕獲用の電磁重力ネットです。実体はないので長くは持ちません!」

「さ、流石は元学者さん……」


 後方で藻掻くヒューゴくんを見つめながら私は彼の言葉を聞いて、頬に汗が伝うのを感じつつ、距離が開いていく彼を遠目ながらに警戒する。


 そして……変化が起きたのは、唐突だった。


「おいおい……なんだありゃ」


 何の前兆もなく――いや、彼の様子がおかしかった時点で、私達は気付くべきだったのかもしれない。

 一瞬彼の動きが止まったと思いきや、次の瞬間には彼の背が膨れ上がり……瞬く間に全身が硬い筋肉に覆われ、そこから毛が生えて行く。

 獣人族特有の能力――“獣化”だ。


『グルァアアゥウウウッ!!』


 膨張した躰によって電磁重力ネットを無理矢理引き裂き、ヒューゴくんは雄叫びをあげながら再び私達との距離を詰めてくる。


「――チッ!」


 流石は狼というべきか。その走力も凄まじく、クロさんは舌打ちをしながら照明銃を捨て、普段使っている拳銃を一挺出現させ、発砲。

 一発、二発とヒューゴくんの身体へ打ち込むけれど、彼はその太い腕で顔をガードしながらも尚走り続ける。


「リア、放すぞッ! 走れッ!」

「うんっ!」


 ふわりと彼に並走する為、地面へ足をつけた私は、その速度を維持しつつ詠唱を開始する。


「《地精よ、彼等の剣に――ッ!?」


 その間、クロさんはステップを踏みながら二挺拳銃で応戦し、ヒューゴくんの脚、頭を狙ってゆく。

 しかしそれでも、まるでボールを捕る様に数発を腕で受け、速度を落とさない。

 クロさんは頬に汗を伝わせながら、空中に新しい弾丸を出現させ、私はそれに合わせる様にして地精魔術【シャープネス】を三人に付与する。


「――鋭利たる意志を》!」

『ッ――ゥウウオオオオオンンッ!!』


 廃莢から再装填までを終えたクロさんの弾丸に淡い緋色の光が灯り、それがヒューゴくんの腕を捉えると、一度も怯むことなく突き進んでいた彼の足が停まり、再び咆哮を上げながら突進してきた。


「《風精よ、強き風となりて――」

『――吹き荒れよ》!』

『ガッ――』


 そしてシーダの代理詠唱後に発動した【エアリアル・バースト】がヒューゴくんの足元で爆ぜ、後方へと吹き飛ぶ。


 中遠距離職の戦い方は、前衛に相手の攻撃を受けて貰いながら、攻撃や補助をするだけじゃない。迫ってくる脅威を牽制し、足止めを行いつつ、相手の攻撃の選択肢を削っていく事が重要であり、この戦闘思考を持った人物が居れば居る程その戦術に相手を嵌め易い。

 さらに相手が距離を取ったなら、後はもう、こちらの独壇場だ。


「――姉さん、もう少しで広場です!」

「反転準備! 仕掛けるよ!」

「応ッ!」

「はい!!」

「魔導ポッド、攻勢モードに移行――! 《チャージボルト》起動!」


 中通りの広場に出た所で私達は一斉に反転し、攻撃にうって出る。

 アステルくんが迎賓館までの道の出入り口に待機させた魔導具は、バチバチと先程の電磁重力ネットよりも強力なスパークを放ち始める。

 そして迫って来たヒューゴくんが中通りの広場へ出た瞬間――


「――《チェイン・ライトニング》!!」

『ギッッ――ッガァァアアアアッ!?』


 魔導具から発せられた、激しい雷撃がヒューゴくんを包み込み、交互に伝播してゆく。

 強烈な攻撃を受けたヒューゴくんは堪らず怯み、叫びにも似た悲鳴を上げながらも尚、彼の身体に電流が迸る。


「レティシアッ!」

「――風の型――」


 アステルくんの声に跳ねる様にして反応し、刀を上段で構えたレティシアちゃんの姿が――消えた。


「え――?」

「なっ――?!」

「弐ノ太刀――《疾風はやて》!!」


 僅かに捉える事が出来たのは、月下に煌めいた一閃と……

 ヒューゴくんの遥か後方で、自分の刃に付着した血を払い、鞘に納める彼女の姿だった。


「―――……ッ、ガ……っ?」


 そして彼は、自分が刃によって傷つけられたと感じるまでの……間。

 刹那、夥しい量の血が、彼の身体から噴き出し、彼はその場に倒れ伏す。


 素人目でも、その間にどれだけの研鑚と鍛錬を積み重ねてきたのかが判る。理解してしまう。

 まさに文字通り風の如く、速く、鋭く――それでいて、寸分の狂いもなく、相手の肉を断つ一刀。

 右の肩口から入り、狼人族のやや硬い体毛ですら容易く斬り裂いた彼女の技術努力が、本物・・であると。


「いつかクロさんが物を断つにも角度が重要とも言っていたけれど……」

「……あぁ。ありゃそれを体現した様な一撃だった」

「わ~お……。ボク、レティシアにだけは嫌われたくないなぁ~」

「――って、分析してる場合じゃないね!?」


 ふと周囲を見れば、人もまばらな中通り広場。もちろん誰も居ないだなんてことはなく……。

 悲鳴やざわめきが渦となってその場を支配し、私達の意識は現実に引き戻される。


「シーダ、補助お願い!」

「りょ~かい~」

「《癒しの光よ、彼の者を包み、安らぎの刻を》」


 私はすぐさまヒューゴくんへ駆け寄り、彼が完全に沈黙しているのを確認すると、すぐさま治癒魔術、白魔【リジェネレート】の詠唱に取り掛かり、クロさん達に指示を飛ばしていく。

 回復クラスである《クレリック》であれば、即時回復が可能なのだけれど……。魔術は継続回復が基本であり、戦闘直後の今の私の魔力総量では、即時回復効果のある魔術は使えそうにない。

 それにこれだけの大量出血だ。すぐに傷口を塞がなければ命に関わる。


「――クロさんは私の道具持って、カトレア呼んで来て貰える!? あと警備隊員か騎士団員の中でクレリックの人も! アステルくん、治癒魔術は使える?」

「おうよ!」

「ごめんなさい! 回復魔術は……僕、テッド先輩呼んできます!」

「了解! こっちはなんとか持たせてみる……!」

「えっと、わたしはどうすれば……」


 居心地の悪そうな、そわそわとした様子のレティシアちゃんが困った顔を浮かべながら私へ尋ねてくる。


「レティシアちゃんは師匠へ連絡、お願いできるかな?」

「わっかりました! すぐにっ!」


 戦闘が終われば終わったで、押し寄せてくる忙しさ。

 ただ、一つ言えるのは……


(これが、後始末・・・じゃないんだよね……)


 ……“事件”は何一つ解決していない、ということ。

 彼女達が到着するまでの間、重症を負ったヒューゴくんを回復し続ける私の脳裏に……テッドくん達からの応援要請の一件が過ぎるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る