第38話 過去/想い
◇Side Letizia◇
……ぴったりと背中をくっつけたドアから聞こえる、彼の嗚咽。
想像すらできなかった……。いつもリア先輩の様に笑顔で、穏やかに過ごしている彼が、今こうして、ドアの向こうで泣いている。
「(はぁ……)」
(……なんだか、居辛い……)
かといって、ここから文字通り彼に背を向けて逃げ出す事もできないわたしとしては、いつも彼を尾行するときの様に気配を消し、誰も聞こえないくらいの溜息を吐いて……ずるずると音もなくドアに身体を預けながら床に座り込むくらいしかできなかった。
アステルから、お姉さんについて聞かされたのは……今から三年くらい前になるはず。
それは、わたしがルビアさんの家に居候するようになってから一年ほどが過ぎた頃で、わたしは目を伏せて、少しだけ落ち着いただろうアステルから語られる言葉をもとに、一つ一つ想い出してゆく。
『……姉さんがこの世界に転移してから、僕は十四年くらいを、あの世界で過ごしました。……その、姉さんが消えてしまったあと、僕は出来る事ならもう一度会って、ただただ謝りたいと……そう思って過ごしてたんです』
……最初は、同い年というには余りにも大人びていて、今も色々と自由奔放に過ごしているわたしでさえ後悔しているくらいの我が儘も、彼は微笑みながら聞いてくれた。
それが不思議で、疑問をぶつける事ができたのは……一年後。
なんというか……明るく、穏やかに接してくれていても、当時の彼には底知れない溝の様なものがあって。
そこに踏み込んでしまえば最後、彼にとって、わたしは傍に居辛いヒトになってしまうような……そんな気がしたから。
だから、わたしは待った。
幼いわたしには話し辛いことなんだろうと、ただただ……その時が来るまで彼に甘えて、迷惑を掛けてしまった。
……結局、待つ方も結構つらくて、彼にに尋ねちゃったのだけど。
『自画自賛じゃないけど……高校生になる頃には、それなりの科学雑誌に載る程度には理系に強くなってて。そして、姉さんに会う為の切符を手に入れたんです』
タイムマシン、と呼ばれる――この世界では
それを開発しているチームに、アステルは参加したらしい。
こちらの世界では、ちょうどリア先輩達と同じ歳くらいの男の子が、そんな大それた研究に携わっているんだと想像したら……わたしはもう、信じるしかなかった。
それだけ狂おしいほどにお姉さんへの謝罪を求めて、好きとも嫌いとも違う、ただただ己に課した使命のもと、物事に挑んでゆく彼の心は……歪んでしまっているとも思った。
『最終的に実験は成功したんですが、向かった過去には姉さん――風銀理愛という少女は、その世界には
乾いた笑い声が小さく響いて、わたしは息を殺しながらも唇をかみしめる。
……自分の人生を賭けてでも、信じて突き進んできた道が狭まり、
『そんな中、途方に暮れていた僕に声を掛けてくれたのが……“神様”だったんです』
……これが、アステル・べゴラニアとしての始まり。
――『お姉ちゃんに逢いたいかい?』という、わたしからしてみれば悪魔の様な囁き。
一度自分を殺して、別の世界で生まれ直す――。そう考えただけで、身が竦む。心が揺らぐ。
なぜなら……その世界にはヒトは居ても、『わたしの家族』が居ない。
たった一人で、新しい『家族』と一緒に育ち、生活して行くなんて……怖くてたまらない。
けれど、彼はやってきた。
自分の家族や友人を捨ててでも、逢いたい人がいる。謝りたい人がいるからと――。
『姉さん達が、あの世界では少なくとも死んでいないはずです。でも僕は――』
――神様の申し出を受け、学校の屋上から飛び降りて、絶命した。
……これが、わたしにとって唯一、彼を理解してあげられないこと。
自分が死ぬ痛みを経験したことなんて、人生で一度しかない。
どんな死に方であっても、誰かを信じて、高い所から硬い地面に頭をぶつけるだなんてことは、わたしにはとてもできそうにないのだから。
わたしは座り込んだまま膝を抱えて、今もリア先輩達に心配させないよう、気丈に振る舞う彼の様子が容易に想像できる。それと同時に、理解もできる。
(ようやく……お姉さんと会えたんだもの。ちょっとくらい格好つけたいわよね)
そこからぽつぽつと、リア先輩とクロウ先輩と言葉を交わし始めるアステル。
わたしは抱えた足の膝に顔を押し付けながらそれを聞き流していく。
……聴いた方としては辛い事この上ないけれど、彼がそうしているのなら、わたしもそうする。
それが、わたしとアステルの間に存在する唯一の“繋がり”だから。
この繋がりが彼にとって、切っても切れないくらい強いものだと……わたしは願わずにはいられない。
だって、そうじゃなければ、レティシア・アクアマリンと、アステル・べゴラニアはただの同級生で、同じ屋根の下で住む、ただの同居人になってしまうから。
……彼に浮いた話があれば、その芽を潰し、色目を使ってきた人に対しては牽制する。――もちろん、彼の目の無い所で。
そんな汚い手しか使えないわたしを、彼が受け入れてくれるはずもないのだから。
そこに現れた、彼が長年追い求めてきたお姉さん――リア・スノウフレーク先輩。
恋愛感情はないにしても、わたしですら本気で好きになってしまうくらい優しくて、純粋で……相手に歩み寄って、理解することを決して諦めない、強いヒト。
でも……彼を譲る事はできないし、正直テッド先輩は彼女にホの字に見えている。
どうか、上手く行ってくれますようにと――改めて、自分の汚さを思い知った。
膝と腕の中で自嘲気に嗤ういまのわたしの顔は……決して、誰にも見せられないくらい歪になっているに違いない。
そんな事を考えていると――
「……――ッ!?」
その“悪質な気配”に、ハッとして顔を上げた。
ゾワリ、と……。この上ないほどに気色の悪い……生温く、粘着質で。それでいて鋭い――殺意を感じる。
全身の毛がぶわっと逆立ち、わたしの背中に冷や汗が伝う。
咄嗟に立ち上がり、わたしは背後のドアを蹴破る勢いで屋上へ躍り出た。
「アステルッ!」
「えっ――レティ!? どうしてここに……?!」
目の前に映るのは、彼の心底驚いた様な表情と……
すでに手を前に突き出し、魔術を待機させているリア先輩。そして銃を
わたしは護身用の得物――刀の柄に手を添え、視線を向ければ、鉄柵の上に……まるで黒い霧の様なものに包まれた――
「――狼人族?」
鮮血の様な紅色の瞳を爛々と光らせる、一人の青年の姿があった。
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