第37話 懺悔

        ◇Side Rear◇



『ただいまー』

「おかえりー……あら? クロウは一緒じゃないのね」


 住宅街の途中でレティシアちゃんと別れてから、我が家である迎賓館へ戻ると、カトレアは一階のエントランスホールで今日の夕刊を読みふけっていた。


「うん。テッドくんと後輩の子と一緒にどこかへ食べに行ったみたい」

「ふーん……そう。まったく、アイツも夕飯要らないなら早めに言っときなさいよね……。食材買っちゃったじゃないのよ」


 いつも帰りの遅いカトレアは、今日は珍しく平日に休暇を貰えたようで夕食の材料を買ってきてくれていたので、テーブルの上に置かれた大き目の袋を見て私は苦笑を浮かべる。


「ふふっ、じゃあ明日のお弁当でも作ろうか?」

「えっ、それホント? 愛妻弁当?」

「妻じゃないかなぁ……」


 ガタッと勢いよく席から立ち上がったカトレアの瞳が煌めいており、私は適当にかわしながらリィン達を連れて食堂へ入っていく。


「懲りないね~カトレア~」

「むしろこうする事がアタシの生き甲斐だと思ってるまであるわよ?」

「うん、真顔で言われるとホント怖いからやめてね……」


 入口の手洗い場に三人で並びながら手を濯いだあと、キッチンに入って夕食の支度を始める。

 その間リィンはカトレアとシーダに構って貰えるので、結構ありがたい。

 今となっては私達の定位置となってしまった、キッチンに接したカウンターの一角。その影響か、皆私達が帰る時間を把握しているので空けておいてくれる。有難いけれど……その、なんというかその温かい気遣いがくすぐったい。

 それこそ最初の頃は私にべったりだったけれど、少しずつクロさん達にも懐いてくれるようになった。……まぁ、お風呂については相変わらずクロさんにお願いしないと入ってくれないけれど。


「さてさて、リア先生? 本日のお夕飯は何ですかなー?」

「あっさり目でいいかな? 雨期で早めに収穫したトマトも入ってるみたいだし、トマトパスタとか」

「おっ、いいじゃないヘルシーで♪ いつもリアに美味しいご飯作って貰えるから、つい食べ過ぎちゃうのよねー」

「褒めても何もでないよー」


 軽口を交わしながら、メニューが決まればすぐに調理へ取り掛かる。

 お湯を沸かすために鍋に水を入れて加熱し、その間にトマトをリィンでも一口に食べられるように切り、ソース用のトマトはヘタを取って皮をむいておく。勿体ないけれど、リィンはどうやらトマトの皮が苦手みたいだから。大きくなったら苦手にチャレンジしてもらいたいと思って、今は味に慣れさせるようにしていたり。

 次にフライパンとパスタを準備しておいて、フライパンには農業区で見習いをしている子達が補充しておいてくれたバターを滑らせ、その上に私が採取した唐辛子の様にピリッとする調味料用の木の実を、包丁の背で砕いてバターに絡めた。

 すると香ばしい良い匂いが漂い始め、頃合いと思って皮をむき、四等分に切り分けたトマトを投入……。

 そこに牛乳を入れて、塩、胡椒などの調味料を入れて味を調えたタイミングでお湯が沸騰しはじめたので、パスタを入れて茹でていく。

 その間に野球ボール大のレタスを洗いながら適当なサイズにちぎって、一口サイズに切ったトマトに混ぜながらオリーブオイルと塩を馴染ませてサラダ風にする。

 あとは少し硬めにゆで上がったパスタの水を切り、少し冷ましたソースをかけてその上にサラダを乗せれば……完成。


「はい、お待ちどうさ――まぁっ?!」

「えっへへ、お邪魔してま~すっ♪」


 出来上がったお皿をカウンターに出そうと顔をあげれば、目の前にはエルが満面の笑みを浮かべながら座っていて、思わず声が裏返ってしまった。

 両の肘で頬杖を突きながら出された私の料理を見て「パスタだぁ~!」と嬉しそうに叫ぶエルに私は苦笑を浮かべる。

 その隣では、カトレアはクロさんみたいに悪戯気な笑みを浮かべながら右腕で頬杖を突いていた。


「エルも食べたいってさ。量大丈夫?」

「あ、うん。少し多めに作ったから……。でもエル、帰ったらサミアさんのご飯もあるんじゃないの?」

「今日はママとパパは不在で~す! 外食していいって言われたんだっ!」

「それでここに来るなんて、アンタも中々グルメよねー」

「ふっふふ、お泊りセットもあるよっ!」

「わぁオールする気満々だこの子ー……」

「元気だね~」

「ん。ごはんっ」


 得意げな顔をして胸を張るエルに配膳をお願いして、私は後片付けに入る。


「それにしても、サミアさんまでお留守にするなんて珍しいね? 何かあったの?」

「んー、一応ママ、昔は歓楽街のホテルで働いてたからさー。来月の夏至祭で、リア達陛下に謁見するでしょ? コネで場所押さえたから、会場作りを手伝うんだって」

「それは……有難いというか、申し訳ないといいますか」

「気にしなくていいよぉ。ママも張り切ってたしっ! やっぱりママもママであのお仕事気に入ってたんだろうねー」


 ニパッと屈託のない笑顔を浮かべるエルに毒気を抜かれた私は「ありがとう、エル」とお礼を伝えながらフォークを手渡した。


「というわけでっ! 今日あたしを泊めてくれる人はおらんかね!?」

「あー、アタシの部屋なら空いてるわよ? リアの部屋だと流石にソファになっちゃうでしょ」

「う、うん……」

「ママ、ぼくクロにいのおへやで寝れゆよ?」

「んんんっ……こんな可愛い子をクロウのトコで寝かしちゃうのは危険だと思うっ! 大丈夫だよリィン! お姉ちゃんカトレアと一緒に寝るからっ!」

「いいのー?」

「うんっ! お姉ちゃんは我慢して成長する生き物なのだっ」

「おー偉い偉い。流石は中身がリィンレベルのお姉ちゃん」

「でぇへへ……もっと撫でて~っ――って待って。今あたし、ひょっとしてカトレアに貶されたっ!?」

「貶してないわよー」


 おぉぅ……。エルを撫でてから上げて落とすカトレアのそのやり口、巧妙すぎて私も気付かなかった……。

 私は人数分の飲み物を配ったあと、リィンの隣の席に座って、合掌。


『いただきます』


 こうして、賑やかな夕食が始まった……。



        ◇



 夜も少し更けてきた頃。

 クロさんの帰りを待ってお風呂を我慢していたリィンもすっかり夢の中で、先にお風呂を頂いていた私達女子三人は、リィンの近くであまり騒がないよう小さな声で談笑していた。

 そんな中、誰かが私の部屋をノックする音が聞こえて、私はシーダを連れてドアの前へ移動すると……


『わり、リィン起きてるか?』

「あ、クロさん? おかえり。けっこう遅かった――ね?」


 すぐに鍵を開錠してドアを開けば、そこには少し脂っぽい香りを漂わせたクロさんと――


「――アステルくん? どうしたの、こんな時間に……?」

「その……こんばんは、リア先輩」


 私達共通の後輩であるアステルくんが、少し気まずそうにクロさんの後ろに立って、軽く俯きながら挨拶をしてくれた。

 気持ち首を傾げながら、俯いていたアステルくんの顔を見れば……泣いてしまうような事があったのか、彼の目元が赤く腫れていた。


「うん、こんばんは。……何かあった? もしかしてクロさんに虐められたとか……!?」

「ダメだよクロちん~ただでさえ後輩にモテないのに~」

「うるせっ。虐めてたら一緒に行動してねーっての……」


 きろっとクロさんへ疑いの眼差しを向ければ、彼は肩を竦めながら否定してくる。うん、ちょっと唇尖らせてるあたり、嘘じゃなさそう。

 すると本題というように、アステルくんが自分の腕をさすりながら私を見てきた。


「リア先輩に、お伝えしたいことがあるんです。少しだけ……お時間を頂けませんか?」

「え? えっと……」


 ちら、と部屋の中を見れば、入口にはカトレアが壁に寄りかかりながらその様子を見守ってくれていて、エルは彼女の影からニヨニヨと心底面白そうな顔をしながらこちらを見ている。


「あ、アタシ達は適当にやってるから大丈夫よ? リィンはちゃんと見守っておくから、行ってらっしゃいな」

「なになに、恋バナっ!? えっ、アステルもしかしてリアのこと――んむぐっ」

「――はーいはい、邪推したら後が怖いわよー? ……ほら、後の事は任せて」

「ありがとう……ごめんね、リィンの事よろしく」

「ええ。帰ったら聞かせて頂戴ね?」


 私がそうお願いすると、カトレアはウィンクしながら部屋の奥に戻っていき、私はそっとドアを閉めると、クロさんが少し間を置いて私に語り掛けた。


「……まっ、此処じゃ言い出し難いだろうしな。ちょっくら外の空気でも吸いにいかねーか?」

「う、うん……」

「すみません、リア先輩……」

「ううん、気にしないで? 私も丁度、一息つきたかったところだから」

「ボクも居てもいいの~?」

「構わねぇか、アステル?」

「……はい。シーダにも、しっかり聞いて欲しいと思っていたので」


 そう確認してくれたクロさん。……うーん、何やら甘い匂いは一切しないのだけれど……。

 私は部屋着のままクロさん達と一緒に、屋上へ出る。

 現代の学校の様に、この迎賓館の屋上は締め切る事はなく、今は園芸師見習いの子達が設置したプランターでお野菜などを育てるスペースになっていた。

 周りも鉄柵で囲われているので、滅多な事をしなければ落ちる心配もない。

 外に出た途端、梅雨時とは思えないくらい涼しい風が私達の顔をかすめて行き、その心地良さに思わず私は息を漏らしてしまった。


「ったく。梅雨時だってのに、良い風吹きやがる」

「夏が近いのかもね~」


 クロさんの言葉に、夏の予兆を感じさせる言葉を放ったシーダ。

 そんな彼らの緩い雰囲気とはうって違い、アステルくんの表情は今だに曇っている。


「それで、アステルくん。伝えたい事ってなにかな?」


 できるだけ柔らかく、相手を焦らせないようにゆっくりとした口調で尋ねると、彼は決心した様に顔を上げたと思ったら、しおしおと再び顔を俯かせてしまう。

 ……こればかりは、私も手を差し伸べてあげる事ができない。

 可愛い後輩の悩み。それを打ち明けてくれたなら、私は自分の出来る範囲で、出来得る限りの力を……言葉を尽くすことができる。

 けれど、その問題がなければ、私はただ、彼を甘やかしてしまうだけになってしまう。

 それは優しさではなくて、その子が問題に直面した時、それも頼れる人がいなかった時……立ち向かう力を、勇気を、奪ってしまうことになるから。


 だから、言葉で助け船はだせないけれど……行動でなら、その勇気を汲み取ってあげる事はできるはず。

 そう思って、私は彼の手を優しく握りしめた。


「……ぁ……」

「……大丈夫。待ってるよ」


 揺らぐ彼の瞳をしっかりと見つめながら、小さく微笑む。

 たったそれだけ。けれど、私は何か言い辛い事があったとき、お母さんによく……こうして貰っていたから。

 これは、血の繋がった親子だから出来た事なのかもしれない。アステルくんにとって、恐らく私は学園の先輩。それ以上でも以下でもない。

 それでも、この気持ちが届いてくれるように……言葉を紡ぐ。

 ――『君の言葉を待っているよ』、と。


「……っ」


 アステルくんは息を飲み、少しだけ俯いたあと――


「……リア先輩、落ち着いて聞いて欲しいんです……」

「うん。なぁに?」


 その言い方や仕草が、どこかリィンに似ていて。

 私はゆっくりと、小首を傾げながら尋ねた。

 まるでイタズラをした子供が、母親や姉に懺悔するようで……なんとなく、あの子・・・の影が重なる。


 自分のお母さんに抱き着いて、必死によそ者を追い出そうと――ううん。自分にとって、よく分からない相手を遠ざけようとしていた、あの子の瞳に似ていた。

 あの子は必死に、私の髪や肌、瞳の色を悪口の様に言っていたっけ。

 けれど、その悪口を言っているうちに、みるみる顔がくしゃくしゃになって……

 嫌いじゃないけれど、近づきにくい。もっと知りたい。でも怖い――そんな、寂し気な瞳をしていた気がする。


 でも、彼の今の・・瞳は、表情は。容姿は――あの時とは、真逆だった。

 私に似た白い髪。瞳の色に違いはあるけれど……黄金色に煌めく瞳は、月の様に眩く、その白肌を際立たせている。


(あぁ……そっか。あなたの伝えたいことって……)

「僕が……輝臣てるおみなんです」

「……うん」


 ――やっと、伝えられた。

 芽生えた確信が現実となって、私は小さく安堵の息を吐きながら頷けば、彼は心の底から安堵した様な……それでいて、深く後悔した様な……そんな複雑な表情を浮かべながら、その眦から……ぽろぽろと、言葉と共に綺麗な涙が幾つも頬を伝ってゆく。


「ごめん……っ理愛姉リアねぇ……。僕、ずっと謝りたくて……っ! 僕のせいで苦しめて、貴女を遠ざけて……! こんな事になったのも、全部僕の――っ?!」


 それが見て居られなくて、私は彼の首に腕を回して優しく抱き締める。

 そして彼を落ち着かせる様に、その白髪の頭を撫でてあげながら、背中をぽんぽん、と優しく叩く。

 すると、アステルくんの強張った力がゆっくりと抜けていき、その場に膝をついてしまった。


「ばかだなぁ、てるくん・・・・は……。こんな所にまで謝りにきちゃって」

「……神様が、ここに来れば理愛姉に会えるって、そう言ってくれたからっ……! ずっと――ずっと待ってたんだ……!」


 嗚咽を堪えながら、アステルくん――ううん、てるくんは、私の腰に腕を回してくる。あぁもう……相変わらず可愛いなぁこの従弟おとうとは……。うるっときちゃうよこれは。


「うん……。見ればわかるもの。てるくんがこうして、この世界でしっかりと根を張って、精一杯生きてきてくれたんだって」

「いつか、理愛姉と会えるんだったら、って……考えたら、せめてまともで居ないとッ、て……っ」

「……そっか」


 それでも、その中心に私が居たのなら……それは申し訳ない。

 きっと彼は、何年も何年も……私に謝る為に生きてきたんだろう。……そう考えただけで、私なら罪悪感に押しつぶされてしまいそう。

 小さい頃に出来たトラウマを解消できずに、地球で引き摺って……こうして異世界に来て、新しい人生を歩んでもまだ、『風銀理愛わたし』を求めていた。

 全ては、幼い日の懺悔のために……。


「……クロさんは、このことを?」

「おう。俺もついさっき聞いたばかりだけどな。まっ、色々拗らせてっから、早めに解消してやんのも、兄貴分の務めと思ったワケよ」


 揃いも揃って面倒くせー生き方してやがる、と自嘲げに笑いながら肩を竦めるクロさんに、シーダも「クロちんも他人の事言えないよね~」と辛辣な言葉を浴びせていく。

 私は苦笑いを浮かべつつ、少しだけ落ち着いてきたアステルくんへと語り掛けた。


「ずっと……私への罪悪感を抱えて生きてくれたんだね……。ごめんね、てるくん」

「いえ……いえっ! 僕は……ずっと、理愛姉が苦しんでいたんじゃないかって……!」


 その言葉に、私は顔を横に振る。そしててるくんの頭を撫でながら、答える。

 彼のこれからが、前を向いて歩いて行けますようにと、心の底から願いながら。


「私なんて、たった数か月前の出来事なんだよ? その倍以上の年月を、てるくんは歩んできたんだもの……。……ありがとう、てるくん。私の事を覚えていてくれて。私はもう、大丈夫だから」

「っ……!!」

「でも、こうして一人の女の子をずっと想い続けること。その為に、努力を続けること。……その気持ちと行動は、この世界に来る前も、来てからも……決して、無駄なんかじゃない。……だからね?」

「理愛、姉……?」


 言おう。この世界にやってきて、初めて強く思った事を。

 彼を苦しめ続けていた私が、前世、現世に渡って縛り付けていた彼の鎖を解くために――。


「もう――なりたい自分に、なっていいんだよ?」


 ……変わりたい、と。テッドくんやエル、そしてカトレアと出会って……もっと、誰かと言葉を交わしたい。喜びも悲しみも、感情を分かち合える人間になろうと……願い、誓った。

 それが今、皆にとって果たせているのかは分からないけれど……私としては、ゆっくりでも、なりたい自分に近づけている気がするから。

 私から、彼へ希望をぶつけたいわけじゃない。それでも私は、彼の――アステル・べゴラニアとしての新しい人生を、過去に縛られることなく、幸せに過ごして欲しい。

 この気持ちが伝わったかは分からない。けれど、これ以上言葉を重ねるのは……私の役目ではない気がして。

 脳裏には――あの蒼髪の、可愛らしい後輩の笑顔が浮かんだから。

 笑顔を浮かべながら、ようやく顔を上げてくれたてるくんの表情が再びくしゃくしゃになって……


「――う、っぁ……ぁぁぁぁあああああ……っ!!」

(あとはお願い。レティシアちゃん……)


 きつく私の腰を抱き締めながら盛大に泣きじゃくる、大きくなった従弟の震える背中を、落ち着くまで撫で続けた……。

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