第2章 夏至祭編

第35話 後輩との放課後

       ◇Side ????◇



 ……夢を、見る。

 それは至って平凡な日常風景で、はここ数日の間、突然現れた『お姉ちゃん』に手を引かれながら保育園への道を歩いていた。

 コンクリートで舗装された道路。行き交う大小様々な車。通学時間特有の騒がしい喧噪。

 聞き慣れた音が耳朶を叩き、硬い地面を柔らかいスニーカーを履いて、そんな騒がしい朝のベッドタウンを、お姉ちゃんは五歳児だった僕の小さな歩幅に合わせてくれている。

 そんな中で、僕はふとした疑問をぽつりと……口にしてしまう。


『……ねぇ、お姉ちゃん』

『ん……どうしたの、――くん?』


 ……僕はその時、とんでもない事を口にしたんだ。


『――お姉ちゃんは、いつまで僕のお家にいるの?』


 当時の僕にとっては純粋な疑問で、唐突に現れた彼女を『お姉ちゃん』と呼ぶ事になって。遊んでも夕方になれば帰ってしまう友達ではなく、一緒に『暮らす』事になったその人は――いつ・・『帰る』のか。

 あまりに稚拙すぎるその言葉に……彼女はどれだけの傷を負ってしまったのだろう。どれだけ深く悲しんだのだろう。


 その違和感を拭いきれずに、新しい家族を受け入れる事が出来なかった僕は、途轍もなく惨めで……そして冷たい言葉を吐いてしまった。

 今思えば、どうしてそんな事を言ったのかと自問自答する度に、『自分の心の狭さ』と……あっさりと。そして瞬時に思い浮かび、蜂の巣を突いた様に自分の欠点が浮き彫りになっていく。


 ……それでも、お姉ちゃんは辛そうな顔一つせずに。


『次のお家が決まったら、すぐに帰るからね』


 優しく微笑みながら、僕の頭をゆっくりと撫でてくれたんだ。

 その言葉は、彼女にとって精一杯の謝罪と、僕への優しさだったはずなのに。

 ……その後の僕にはどうしても、呪いの様に憑いて離れない――身を縛る言葉になってしまった。


 それが、お姉ちゃんが消えてしまう二週間前の出来事で。

 彼女がくれた優しい微笑みとその言葉を、僕が奪ってしまったのだと……。


 ――“転生”した今でも、僕は自分自身を呪い、恐れ、悔やみ、傷つけ……

 狂おしいほどに彼女との再会と、彼女への贖罪を求めながら――第二の生を、続けている。



       ◇Side Rear◇



「夏至祭?」

「そうですっ、夏至祭!」


 夏の月Ⅲ――もとい、六月下旬に差し掛かった頃。

 リィンも一週間と少し、という短い間ながらも新しい環境に慣れてきて、今では少しずつ言葉も話せるようになってきた。

 そんな彼は今、私の職場であるブレイシア学園の図書館で、熱心に覚えたての文字で絵本を読んでいる。もちろん、側にはシーダが居てくれるので、読み書きについても安心。

 例のカトレア達との件は未解決なまま数週間が経過している今、アステルくんと同様、放課後に図書委員会の仕事で図書館に来てくれた、綺麗な蒼い髪をサイドテールに結い、まるで宝石の様に空色に煌めく瞳を持った後輩の女の子……レティシア・アクアマリンちゃんが、元気よく私の座るカウンター席の前に、一枚の羊皮紙を広げて熱く語ってくれた。


「毎年中等部の生徒が街をパレード形式で巡るんですけど、それが各クラスだったり部活動だったりで。わたしとアステルも帰宅部ですし、リア先輩も何かされるのかなーと思ったんですっ」

「うーん、流石にパレードで読み聞かせはできないと思うから……気持ちは嬉しいけれど、レティシアちゃん達はクラスの子達に混ざってあげて? 一年に一度しかない催し。それも学生なんだもの、そういう思い出って、すごく大切だと思うから」

「リア先輩……っ」


 少し生意気な事を言ってしまったかもしれない。私は苦笑を浮かべながら締めくくると、レティシアちゃんはどこか感激した様に目をうるうるさせながら、眦に溜まった涙を腕で拭った。

 夏季という事で制服も夏服に切り替わり、私は袖を折ったホワイトシャツにベージュのロングスカートといったラフな格好で出勤が許され、中等部のレティシアちゃん達は制服の半袖ワイシャツに学園指定のスカート、といった服装になっている。


 でも、夏至祭か……。ここの所大きなイベントもなかったから、未消化だった事件もここで起きる可能性も少なからずあるはずだし……。

 テッドくん達と一度、その日の行動について相談しておく必要があるかな、これは。


 そんな思考を裏でしていると、新しい本に石製のカードを張り付ける作業をしてくれていたアステルくんが休憩室から戻って来た。


「レティ、あんまりリア先輩を困らせちゃだめだよ……。気持ちは分かるけどね」

「だって、今年は陛下と姫殿下が見えられるのよっ? 《彷徨人》であるリア先輩を知ってもらうには絶好のチャンスじゃない!」

「それにしたって、リア先輩の言う通り、図書委員会としてはあまり目立った行動はできないと思うんだけど……」

「高等部の先輩達の殆どは見習い先で色々やるだろうし、学園の中に居るのはリア先輩だけじゃない! このリア先輩の綺麗な髪っ! 深海の様な群青色と黒曜石の様な瞳っ! 新雪の様に穢れを知らない真っ白なお肌っ!! これを知らない人は人生半分損してると思うわ!!」

「そんな大げさな……」

「大げさじゃないです、リア先輩の精神性は特にそうですけど、リア先輩を知らない人は絶対損してます。意義があるならわたしが永久情熱完全論破してみせますっ!!」

「言い切ったねレティ……」

「う、うーん……気持ちは嬉しいけれど、私はこの時期あまり外には出回れないからねー……」


 アステルくんと私は困った様にレティシアちゃんに語り掛けると、興奮のせいか頬を赤らめた彼女は拗ねた様にぷくっと頬を膨らませた。……うーん、エルみたいな拗ね方だなぁ。


 以前にも語ったかもしれないけれど、神様が私達を転移させてくれた際、自分の体を作り替えた影響なのか、持病や身体的な問題を含めて一度クリアな状態にしてくれたようで、この容姿で外に出ても、日焼けが酷くなったりすることもなくなっていた。

 それでも、長年の生活で、私は太陽に対してある程度警戒しているから、半袖での仕事を許して貰っても袖をまくれるものにしたりしていたり。

 神様を疑ったりはしていないけれど、事前に防げる事は何より働いている者としては重要なのです。よし、理論武装完了っ。


「それに、陛下がお見えになるのはリア先輩達彷徨人との会合も主用に入ってるはずだから。リア先輩は確実にお会いする事になると思うよ?」

「それは……そうだけど……。なんというかこう、わたしはリア先輩の人柄を知って欲しいっていうか」

「あはは……ありがとう、レティシアちゃん。でも、私はレティシアちゃんみたいに私を知ってくれる人が数人いるだけで満足しているから」


 あんまり広められちゃうと、名前と顔を覚えるのが苦手だから混乱しちゃうと思うし……。というのは蛇足なので、慌てて飲み込む。

 するとレティシアちゃんは目を見開いて口元を覆った後、カウンターを回り込んで私の腰に抱き着いてきた。


「リア先ぱぁぁい……しゅきぃい……」

「うーん、仕事中に告白されてもなぁ……」


 私は腰に頬を擦りつけて甘えてくる彼女をあやしながらアステルくんにヘルプアイを送れば、彼は「馬に蹴られちゃうので……」と呟いて、どこか遠い目をしながら視線を逸らす。

 出会って数週間という短い時間で、ここまで私を信用して慕ってくれるのは嬉しいのだけれど……うーん、どこかカトレアみを感じちゃう私がいる……。


「とにかく、準備の期間中は二人ともクラスの出し物に集中して? 仕事も落ち着いてきたし、暫くは大丈夫なはずだから」

「はぁい……でも開館してる日は毎日来ますからねっ」

「あっ、もちろん僕もいろいろお手伝いさせてくださいっ!」

「ふふっ、ありがとう二人とも」


 我ながら良い後輩に出会えたなぁ、と嬉しさを感じながら、この日は閉館まで夏至祭についての話に花を咲かせるのでした。



       ◇



「……あ、クロにい」

「え?」


 図書館の鍵を閉めて、リィンとシーダと共に校舎内の職員室へ鍵を預けて出ると、リィンの口からクロさんの名前が出て、指をさした方向を見れば……確かに。学園の校門近くではテッドくんとクロさん、そしてアステルくんが三人で何やら話し合っていた。

 ふむ、なんだか珍しい構図……。レティシアちゃんは先に帰ったのかな?

 レティシアちゃんはアステルくんと同様、師匠――もとい、ルビア先生のお屋敷で生活しているから、図書委員会の件も先生が手回ししてくれたみたいだったし、二人もいつも一緒に行動しているから、片方が欠けている処を見るのは初めてだったりする。

 一体どうしたんだろう、声をかけてみようかな、と思った矢先。


「浮気現場、ですかね……?」

「ゎひゃっ!?」


 いつの間にかレティシアちゃんがリィンの空いた手を握りながら、非常に低い声音で呟いた。

 思わず驚いてしまった私は慌てて口を抑えると、レティシアちゃんは満面の笑顔で「リア先輩、お疲れ様ですっ」とあいさつしてくれる。


「う、うん……お疲れ様。その言い方だと、アステルくんから何も聞いてないんだ?」

「ですね。……まぁ、帰ってもわたしとルビア先生しかいませんから。男の子としては少し心細いのかもしれません」

「あー、なるほど」

「クロちん面倒見いいもんね~」

「テッド先輩とエル先輩は前々から知り合いでしたし、そこにクロウ先輩が加わったんだと思いますけど……」

「こういう事はよくあるの?」

「いーえ、テッド先輩が高等部に入ってからは週に一回あるかないかですけど……あっ、移動するみたいです!」

「えっ、追いかけるの!?」

「え、行かないんですか?」

「やぁ、ああいう時って大体見送るものだとばかり……」

「そうですか……。わたしなら尾行しますけど……。(リア先輩、それだけテッド先輩とクロウ先輩を信用してるんだ……へぇ……)」

「んん~実にいい笑顔~……」


 私は暗黒微笑を浮かべたレティシアちゃんを困った様に笑いつつ、肩に乗ったシーダはリィンの頭に乗り換えながら呟いていく。


「でも、リア先輩が行かないのならわたしも行きませんっ! 今からお帰りでしたら、途中までご一緒させてもらえませんか?」

「うん、もちろん」


 それなら、ちょっと寄り道して帰ってもいいのかもしれない。

 私達はちょっとした日常会話を交わしつつ、学園前の商店街に少しだけ寄って帰る事にした。





 ――その影で。


『――ツは許さない。許さない許さない許さない許さない。殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる……ッ』


 一人の白髪のハーフエルフの少女を付け狙い、呪詛の様に彼女に対する恨み言を呟きながら小さな木箱を握りしめる……


『――リア・スノウフレーク――ッ』


 一人の、少年がいた。


 事件は今まさに、それでいて浅く静かに、身を潜めながらも……

 確かに、動き出そうとしていた……。

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