第34話 心の支え
それからやって来たのは、真っ暗になった食堂だった。
エントランスに置いてある、夜間警備用のランタンに火を灯し、こっそりキッチンへ潜り込む。
「えっ、ちょっとアンタ何してんのよ」
「まっ、ガキもたまにゃ、小石ほどの重さでも肩の荷を降ろしたくなるもんでね」
俺は飲み物の入っている倉庫へ入り込み、厨房の御袋さん達に隠して入れておいた
「なんだってそんなもの隠してるのよ……」
「へへっ。仕事の付き合いで、ちぃとばかし頂いて来ちまったんだわ♪」
「見つかったら大問題じゃないのよそれ……」
「確かに、リアにバレたら大目玉食らっちまいそうだけどなァ」
呆れ顔のカトレアにケラケラと笑いながらグラスを二人分用意したあと、それを注いで彼女へ手渡した。
「ほい、これでお前さんも共犯だ♪」
「一応、ここにそういったヒトを取り締まる存在がいるのだけど?」
「そこはほら、あれだ。お互い勘違いして飲んじまった、ってことで一つ……なっ?」
「……仕方ないわね」
観念したように肩を竦めたカトレアに、俺は内心で安堵する。
――っぶねぇ、マジで今コイツが警備隊だったの忘れてたわ。
ランタンを置きながらカウンター席に座ると、スッとカトレアが俺へグラスを傾けてきた。
「おぉっと……まさかそっちから乗ってくれるたぁ驚いたな」
「それだけ大事な話なんでしょ? アンタがここまでリアに近い子達の前で話さない事なんてなかったじゃないの」
「……そいつぁ褒め言葉かね?」
「そういう事にしておいてあげるわ。少なくともこれからの内容次第で変わるけど」
「へへっ、そいつぁどーも」
チン、というグラス同士が合わさる小さな音が広い食堂に響き渡り、俺達はまず一口。
「……ん?」
「……あれ、これ……?」
……確かに『ジュース』だと思ったんだが、その実普通のジュースだった。
「はぁぁ~っ……。ほんっっと締まらないわねアンタ……」
「いやぁこればかりは俺もうっかりだわ。大方未成年と分かって取り換えられちまったか」
「ま、これもこれで美味しいからいいわ。結構高そうだし。聞いてあげる」
「……そか。サンキュな」
俺は再びグラスを傾けた後、静かに語り出す。
「……正直に言えば、俺にも
「あら。最初から結論なんて珍しいじゃない」
「まぁな。お前さんも長い事アイツに付き合ってりゃ分かってくると思うが……。アイツは手前自身の“特別な奴”を作る事を無意識に避けちまってるんだよ」
「……リアの、両親の事よね」
「お……あんだよ、もう喋っちまってんのか」
「少しだけよ。アンタほど深く知ってるじゃないわ」
そんなカトレアの素っ気ない態度に、俺は少しばかりの嫉妬心を覚えるが……まぁ、そいつはお門違いだよな。
俺は肩を竦めながらその感情を息と共に吐き捨てた。
「まっ、そんな事もあってな。アイツとお互いの身の上話をするまでにゃ時間はそう掛からなかった。けどな、他人との距離感を測れてなかったアイツは、俺が目を離せばすぐに誰かに遠慮して、距離を置いて行っちまう様な奴だったんだよ。お前さんも心当たりはあるだろ?」
「……確かに。転入してきた時もそんな感じだったもの」
「ぶっちゃけ、アイツがあそこまで他人と距離を置いちまってたのは……信用できる奴が一人でも居れば、それに満足して依存しちまってたからなんだよ」
「それが、アンタだった、って事よね?」
「まっ、我ながら自意識過剰ではあると思うけどな。現実にゃ祖母ちゃんも居たんだろうが、その祖母ちゃんも手前の子供夫婦が亡くなって、気を病んじまったみたいでな……正直、実際に面を合わせた事もねぇ奴相手に依存しても、いつ消えるか分からねえ不安もあったのかもしれねぇ。……それ以来、アイツは自分の持ちうる殆どの時間を、俺との連絡に費やした」
俺はグラスを傾け、サッパリとした後味のジュースで喉を潤す。
その間に俺の言葉を噛み砕いて飲み込んだであろうカトレアは、どこか不思議そうに俺へ待ったを掛けた。
「……え、ちょっと待ちなさいよ」
「あん?」
「聞いてる限りだと両想いにしか聞こえないのだけど?」
「まっ、そうなるよな」
その言葉を予想していた俺は破顔しながらグラスをテーブルに置き、カトレアへ向き直りながらテーブルに腕を置いて身体を預ける。
「――まぁ、恐らくだが、アイツも俺も、お互いの事を好き合っちゃあ居るんだと思うぜ? けど、それはライクであってラヴじゃあねぇ。正直俺はアイツを、アイツは俺の事をよく知り過ぎてる。そこに恋愛感情がないとありゃあ……そら“家族”みたいな立ち位置で落ち着いちまうわけだ。距離が近過ぎれば近過ぎるほど、恋愛なんて感覚は鈍ってくもんだ」
「そこに愛情はあっても?」
「おう。そこに異性を感じるでもなし、ただただ……俺達の間にゃ兄妹みてーな距離のまま、何年も続いてる。今更アイツと普通の恋愛をするなんざ、到底難しい話なんだわ。残念な事にな」
「そう……。でも、それならどうしてリアが転入してきた時に声を掛けてあげなかったのよ?」
「………確信と、現実の俺がアイツに声を掛けてやれる程の自信が無かった。それだけの事だよ。情けねー事にな」
肩を竦め、自嘲気な笑みを浮かべた俺は、それが真実だとばかりにカトレアへ突き付ける。
「お前だって、今こそ普通に会話しちゃあ居るが……俺の事を気持ち悪がってただろ? そんな奴が美人の転入生に声掛けてみろ。絶対そいつまで敬遠するだろうが」
「それは――」
「だからこそ、俺は静観しようと思った。環境も変わって、周りはある程度精神が成熟した高校生だ。それなら、例えアイツがリアだと確信を持ったとしても、俺とはまた違う、別の信用できる“誰か”と出会えるなら、俺はアイツに悟られず、静かにアイツの前から消えるつもりだったんだよ」
「クロウ……あんた……」
「へっ……今更同情されても困っちまうよ。……結果的に、アイツは周りと距離を縮められないままこの世界にやってきた。……家族も居ねえ、知り合いも一人も居ねえ世界なら状況は違うと思ったんで、流石に声を掛けちまったけどな」
「………」
言いたいことは全部言った。後の解釈はコイツ次第だろう。
俺は満足し、一気にグラスを傾けて残りのジュースを飲み干す。
「何か言いてぇ事があれば今のうちだぜ? 明日になりゃ、また気が変わっちまうかもしれないんでね」
「正直言っていい?」
「ん、おう?」
「バカじゃないのアンタ?」
「……はっ?」
ふと彼女の顔を見れば、途轍もないほど眉間に深い皺が寄せられており、俺は面食らった。
「リアもテッドも大概だとは思ってたけど……。ぶっちゃけ、アンタがこの面子の中で一番の大馬鹿野郎じゃないのよ……。なによ、普段は飄々として金遣いも荒いしリアに借金までするし、情けなかったり所々で良いとこ見せたり、今までアンタが一番分かんなかったけど……! ――自分が幸せになろうだなんて思わないの!?」
感情を爆発させたカトレアは、とんでもねーくらいの剣幕で俺の胸倉を掴み上げる。
一方で、俺は肩を竦めながら両手を挙げながら答えた。
「勘違いもいいトコだぜ。アイツらは純粋に相手を助けたいと思ってやってんだ。俺はアイツにとって
「それでアンタはいいの?! アタシは自分の悩みは一人で抱えるけど、アンタは一生、二人分の悩みを抱えて生きていくの!? そんなの絶対消化不良起こすに決まってるでしょうが!! ……どうしてリアを頼らないの? そんなにあの子が心配なら、アンタが一生かけて支えてあげなさいよ!? リアはアンタが思っているよりずっと強いわ! そんな捻くれた考えを持ったまま歩き続けて来たアンタの気持ちを包み込んであげられるぐらい、ずっとね!!」
「……お前………」
「っ……ごめん。流石に冷静のまま聞いてられなかったものだから」
「いや……」
パッと解放された俺は、襟を正しながらジュースを飲み干したカトレアを見守る。
「……アンタの覚悟は理解できた。けど、納得はしてない」
「まっ、今はそれでもいいわ。――でもな、カトレア。お前も一つ見落としてるトコがあるぜ?」
「……なに?」
「俺はもう、とっくに報われてんだよ。お前さん達のお陰でな」
「え――?」
……そう。今思えば――俺はもう、この世界にやってきた二日目の時点で、コイツらに救われ始めていたんだ。
一人ならば、それとなく声を掛けようと思っていた矢先に、リアとコミュニケーションを取っていたカトレア。
登校時には、前日に出会ったばかりのエルに手を振って駆け寄る姿も見れた。……あれは心底驚いたっけな。
そして何より――アイツが初めて、自分から一歩を踏み出して相手を勇気づけた、テッド。
あぁ――これならもう、俺が居なくても大丈夫だろう。
実技試験の連絡があった時にはもう、俺の中では離れる気でいた。
けど、結果的に
それも、“次”に繋げる様な、アイツの苦手な言い方までして。
……結果的には良かったんだろう。アイツはそれすら好意的に受け止め、カトレアに信頼を寄せて行ったんだからな。
が、そうは問屋が卸さねえのが我が妹分の天然故の狡賢い所なもんで。
いつしか、ふと俺がボロを出しちまった事がある。
……『俺にゃ遠慮ないよな』、みたいな話だ。
正直、どうしてその時そんな言葉が出たのかは手前自身でも分からない。
けども、アイツは『自分の事を一番に知っているのは俺しかいない』と――そう言った。
俺としちゃあ、その言葉が聞けた時点で充分だったんだよ。
――リアの中で、ようやく“順番”ってもんが出来たんだからな。
まだまだ甘え下手で、苦しいときは全部抱え込んじまう様な奴だが……。
俺の中で、その言葉はとても意義のある言葉だったんだよ――。
「……ありがとな。まっ、こんな捻くれモンだが――妹分共々、今後ともよろしく頼むぜ?」
俺はウィンクしながら彼女のグラスとボトルをカトレアに押し付けた後、その場にランタンを置いて薄暗い食堂を出ようとドアノブに手を掛けた。
「……ばーかっ」
「うっせ」
どこか悟った所もあるのかもしれねぇな。カトレアは納得した様な溜息を洩らしながら、軽く俺を罵倒する。
それでも、どこか彼女達に対する心の
――もう、欠片もなくなっていた。
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