第33話 心境の変化
夕食を終えて、私達はエントランスで帰宅するエルとテッドくんを見送ったあと、自室へと戻っていく。
あとはお休み明けの準備をして、お風呂に入って眠るだけ。
……な、のだけれど。
「やぁああっ!」
「えぇ~……」
リィンをお風呂に入れようとするけれど、バスタブの渕にしがみ付いて離れてくれない。
「んん~気持ちいいくらいに嫌がってるね~」
「うーん、どうしよう……お風呂苦手なのかな?」
一応私は濡れてもいい様に半ズボンとTシャツ、そして髪を後ろに纏めていたのだけれど、リィンの洋服の裾を握ったままシーダと一緒に困惑していた。
何がびっくりしたのかって、リィンがバスタブを見るなりいきなり渕にしがみ付いてイヤイヤし始めたから。
「リアが女の子だからじゃない~? 普段はお父さんと一緒に入ってたとか~」
「あ~……その線ありそう。でも男の子って言ったら……」
「クロちんくらいしかいないよね~」
「でもなぁ……。クロさんにお願いしてもこの調子だったらそれはそれでクロさんが可哀相だし……」
うーん、と少しだけ逡巡していると、部屋のドアがノックされた。
「はーい、開いてまーす」
「お邪魔しますよ、っと。……どうしたのよリア? 廊下まで聞こえてきたけど――ってうわ」
入室してきたカトレアがお風呂場に顔を出すなり苦笑いになったあと、すぐに「見事なまでのイヤイヤ期ねー」と微笑ましそうに笑った。
「クロさんにお願いしてみようと思うのだけれど……カトレアはどう思う?」
「まぁそれくらい良いんじゃないの? アイツもアイツで、案外宛てにされて喜びそうだけど」
「うー……でもこの時間に男子の階に行くのも気が引ける……」
「アタシも一緒に行ってあげるから。ほら、その格好でいいの?」
「むしろカトレアの方が際どいと思う……」
それもそうでしょう、カトレアはノースリーヴのシャツにショートパンツ、そしてお風呂を上がったばかりなのかな、濡れた髪を肩に掛けたフェイスタオルで拭いているのだから。
最近蒸して来たから、彼女の長い髪をヘアクリップであげていたのもあって、下ろした時のギャップが凄いんだよもうっ。上げている時は活発なお姉さんみたいな感じだけれど、下ろすと落ち着いた風体のお姉さんみたいになるんだもの。
「同性の私でもドキッとしちゃうくらい色香纏ってるからね? 今のカトレア」
「え、うそっ……今ならリアを抱けちゃうの、アタシ?!」
「子供の前でそういう事言うのやめようね!?」
「教育に悪いよ~」
じゅるっと口から垂れた涎を啜るカトレアの眼が本気で危機感を覚えた私は、リィンを抱えながら全力でツッコミを入れていく。シーダの言う通りこういった話題は教育に良くありませんっ!
「だっって、リアがそれっぽい事言うから、てっきりオーケーだと思って……」
「どうしてそんなに悔しそうな顔するの……」
「気を付けなよリア~カトレアは本気だよ~」
「ママー?」
「って、ごめんねリィン。クロさんとお風呂入ろっか?」
「んっ!」
そんなこんなで、自室に鍵を閉めてクロさんの部屋がある男子階へ移動。
すると、廊下を歩いていたロイドくんが「あれ?」と小首をかしげてきた。
「どうしたんだい三人とも? こんな時間に男子階に来るなんて珍しい」
「アンタも子供が出来たらわかるわ」
「は……えぇ……?」
何やら悟りを開いた様な表情で彼の肩にポンっと手を置いたカトレアに、終始困惑顔のロイドくん。
「えーっと、ごめんね、クロさんに用事があって……」
「あぁ、クロウなら今丁度風呂に入ってるんじゃないかな? 僕が声掛けてみようか?」
「あ、それすっごく助かる……ありがとうロイドくん」
「どういたしまして。……そっか、リィンのお風呂か」
どこか納得したように「大変だね」と朗らかに笑ってくれるロイドくんは、リィンの頭をひと撫でした後、クロさんの部屋のドアをノックする。
「クロウ、今ちょっといいかい? お客さんだよ」
『あん? ロイドか、今開けるわ」
すると彼はすぐに出てくれた。
……出、てくれたのは良いのだけれど……。
「おう、どうしたんだよ女子引き連れて?」
「ちょっ!?」
意外ッ! それは半裸ッ!
濡れ髪に右肩へフェイスタオルを掛けて、下は半ズボンといった格好のクロさんが、女子の私達がいようとお構いなしに平然とお出迎えしてくださった!
「ひっ……ぃぇええええええっ!?」
普段はシャツの中に内包されている、乳白色の肌に意外とがっしりしている筋肉が今、私達の目の前にあって……あまりの衝撃に私は一瞬だけ声が詰まったものの盛大に悲鳴をあげてしまった……。
せめて見まいと手で顔を覆い、リィンに隠れる様にして縮こまる。
朝の寝顔といい、どうして今日のクロさんはこんなに無防備なの!? 睡眠不足!? 徹夜が原因っ!?
「わーお。アンタ結構いいガタイしてるじゃないの♪」
「肉体美~♪」
「……うん、この中で一番純粋なのはスノウフレークさんだっていうのはよーく分かったよ……」
「あんだよ、野郎の裸なんて見ても面白くもなんともねぇだろうが」
黄色い声を上げたカトレアとシーダにはーっと呆れた様に息を吐くクロさんに、私は全力で目を瞑りながら訴える。
「……っクロさぁん! 洋服っ! なんでもいいから服着てぇっ!」
「ってお前はお前で
ばたん、と閉じられたドアを見つめること数十秒。
ようやくクロさんが出てきたかと思えば――
「いやぁあああ腹筋と鎖骨ぅぅうう――っ!」
「はぁん!? これ以上俺にどうすりゃいいってんだよお前は!?」
ワイシャツを着てくれたのはいいけれど、今度はボタンを締めずにやってきたので、これまた直視できない……ッ!
長い間祖母との二人暮らしだったから、男の子の……それも年頃の子の半裸なんて見た事ないんだから免疫力なんて付くわけないし、そういった雑誌とか漫画があるのは知っているけれど、恥ずかしくて手に取る事すらできなかったのだから仕方ないじゃない……。
……それからなんとかボタンを締め切ったクロさんに部屋の中へ通されて、ソファへとたどり着く。
「ほれ、水でも飲んでちったぁ落ち着け」
「あっ、あああありがとう……ううぅぅぅぅぅ……夢に出そう……もうやだぁ……泣きたい……」
お陰で水の入ったコップも恐る恐る受け取って、ちびりとそれを飲むけれど、興奮やら恥ずかしさやら、色んな気持ちがぐちゃぐちゃになって頭の整理がつかない……。あ、おでこに当てると冷たくて気持ちいいかも……。
終始このやり取りをお腹を抱えて笑っていたカトレアと、ただ一人の常識人であるロイドくんは同情の視線を私へ送ってくれている。
「それじゃあ、僕はこの辺で……。その、スノウフレークさん、ご愁傷様……強く生きてね」
「おう、サンキュな」
「クロウはもっと来客時の格好に気を付けた方がいいよ」
「へへっ、肝に銘じときますわ」
「ならよし。それじゃ、おやすみなさい」
『おやすみー』
軽く手を振りながら、唯一の良心が退室してしまった……。
「そんで、年若い美女二人が子供連れて野郎の部屋へ何の御用向きで?」
「リィンが……その、私とお風呂入るの嫌がってて。クロさんとなら良いよーって言ってくれたから……」
「ほーん? 一丁前に男同士で入りてーってか。マセてんなぁ」
クロさんは笑いながらくしゃくしゃっとリィンの頭を少しだけ乱暴に撫でたあと、「よォし分かった。風呂入るか!」と言ってくれた。
「ごめんねクロさん……早速迷惑かけちゃって」
「ハッ、こんぐらい迷惑でもなんでもねーっての。ほれっ、着替え寄越しな」
「あ、うん……」
彼にリィンの着替え一式と、一応昼間の内にテッドくんと買っておいた、麻布に木の芯を入れて出来たシャンプーハット、あと私が使っているシャンプーなどを手渡して、彼らはお風呂へ入っていく。
「いやぁ、大変だったわねーリア?」
「クロちんもデリカシーなさすぎだよね~」
「ノリノリだった二人に言われたくありませんっ!」
『ごめんて~』
むうっと唸りながら、私は二人からそっぽを向いてお水を飲み始めるのだった。
◇Side Crow◇
「うーい……上がったぞー」
『お疲れ~」
浴室を出てみれば、カトレアとその肩に乗ったシーダが壁に寄りかかりながら目の前で待機してやがった。
「どーしたんだよそんなトコで? ソファでも適当なトコに座ってりゃいいじゃねぇか」
「いやぁ、あの可愛い顔は流石のアタシも直視できないわ……」
「ぐっすりだもん~」
ね~っとか顔を見合わせて言って来るもんだから、俺は頭上に疑問符を盛大にばらまいてやる。仲良すぎかよ。
「ママ~?」
頭の拭き方を教えてやったリィンは早々にリアの座るソファへと向かうが……ん? っかしいな。姿が見えねぇ。
俺は有難く使わせて貰ったシャンプーハット等をひと纏めにしてから浴室を出ると、……なんと他人の部屋だってのにソファで寝転がってるリアがいた。
「おぉい、いくら居心地がいいからって寝転がる事ねーだろ――って」
「……ねてゆ」
舌ったらずな言葉で自分の母親を指さすリィンに思わず「ん゛」と喉を鳴らしちまったが……それよりも。
くぅくぅと猫みてーにソファで丸くなって眠るリアに視線が釘付けになっちまった。
「……みてーだな」
やれやれ、と後ろ頭を掻きながら「どうすんだよ、コイツ」とカトレア達へと振り返る。
「アタシが連れ帰っていいならそれでもいいけど?」
「……ロクな事考えてねーなお前さん」
しゃあねえ、俺が負ぶさってやるか。
「俺が連れてってやっから、手ぇ貸してくれ」
「――チッ」
「あからさまに残念そうな顔すんじゃねぇよ流石に引くぞっ」
カトレアの手を借りつつ、リアの脇を抱えながら一度立たせたあと、俺の背中に乗せる。
――が。
「んぅ……?」
「ッ……!?」
背中に当たる、いやに柔らけー感覚にその場で立ち止まった。
「んっ、どうしたのよクロウ?」
「顔赤いよー?」
(こッ……コイツ……!)
ノーブラ、だと……ッ?!
というか、エルやカトレアのが胸はデケーとは思ってたが、思わぬダークホース登場だぞこいつは……!?
なんなんだよ、この背中に感じる柔らかい弾力と厚みは!?
そりゃ信用されてんのもあるかもしれねーけど、流石に部屋の外出回る時くれーブラは着けとけよなぁ……。半裸で出て置いた俺が言うのも難だが。
「んや……なんでもねぇ。わりぃけどドア頼むわ」
「はいよー」
俺はいつも通りのポーカーフェイスを貫きつつ、リアの部屋へと向かう。
ちょっとした役得かもしれねーが、
……なんて考えているうちにリアの部屋へ到着。カトレアがドアを開けた瞬間、彼女の匂いがその部屋中に充満していた。所謂匂いの爆弾ってやつだ。
「(ッンだこの波状攻撃。ふざけんな……)」
「なに一人でぶつくさ言ってんのよ? さっさと寝かせてあげなさいな」
「おう……」
……なんとか理性を保ちながらベッドに寝かせる事に成功したはいいが。
「で、どうだった? リアの胸の感触は♪」
「ってお前! 知ってたんなら手前でやれば良かったじゃねーか!」
「さっきも言った通り、アタシにやらせると襲わない自信がなかったのよ。多分おんぶなんてしたら一瞬で理性が崩壊するまであるわ」
「お前もお前でホンットブレねぇなぁ……」
はーっと盛大に溜息を吐きながらベッド脇に脱力して座り込む。
するとリィンも目を擦りながら俺のところへ寄って来たもんだから、「早く横になって寝ちまいな」と頭を軽く撫でてからベッドに入れてやった。
そしてすぐさま寝息を立て始めたんで、俺達三人は苦笑する。
「……アタシは、このリア・スノウフレークって子が大好きってだけよ。食べちゃいたいくらいにね」
「どーしてそこまでお熱なんだよ、コイツに?」
「あら、恋に理由なんて要る? 意外と純粋なのねアンタ」
「うるせっほっとけ!」
「ただまぁ……いいわ。特別に教えてあげる。この子は今までアタシが出会ってきた人間の、どの枠にも入らない……少し変わった子、だからかしら。アンタも分かるんじゃない? この子がどれだけ尊い子なのか。表裏もなくて、見返りなんて考えずに……ただただ、誰かの事を想って行動できる優しいこの子が、あの世界でどれだけ希少だったのかくらいは」
「へっ……。長く付き合っちゃあいるが……俺はそんなコイツが裏切られる処を何度も見てきたんでね。――上っ面だけの言葉だったら問答無用で女でも殴り飛ばしてたトコだよ」
「ふーん……? 意外とアタシを買ってくれてたのね。てっきり未だに疑われてるのかと思ってたわ」
「見てくれはギャルだったけどな。お前さんのそういう、好意的な奴に対して真っ直ぐなトコは知ってるし、信用もしてんよ。……まっ、コイツにとっちゃあいい姉貴分止まりだろうけどな」
「………アンタもそうじゃないの?」
「ん、どういう事だよ?」
「リアに特別な感情はないのか、って聞いてんの。アタシは。……あぁ、別に本人やエルに言いふらす気はないから安心して頂戴? 特にテッドも気になってるんでしょ?」
「……ったく……」
俺は後ろ頭を掻きむしりながらベッド脇から立ち上がり、シーダが不安げに「クロちん~……?」と聞いてきたもんだから「心配すんな、ちょっくらオトナぶった会話をするってだけだ」と返しておく。
「ってことは?」
「いーよ。今のお前さんになら話してもいい気分なもんでね。……悪ぃけど、シーダは外してくれるか」
「……うん~。わかった~」
「んじゃ、着いてきな」
そう言って、俺とカトレアはリアの部屋を出るのだった。
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