第31話 紡がれる絆

 少しだけ、ガルドさんからあの子についての情報を聞いた。

 オスカーさんの言う通り、戸籍がないと不便だし、学園にも通えないから。

 年齢は五歳。誕生日は秋の月Ⅲの15日――地球でいう処の9月。食べ物や衣類、動物などのアレルギーやそういったものはないらしいので、安心した。

 その情報さえ貰えれば、ごく一般的な育て方ができる……はず。


「……ここまでお伝えしといてなんですが、大丈夫ですかい?」

「大丈夫です。ありがとうございます」

「あとは名付け……か。リア、アテはあるのか?」

「うん……ちょっとだけ。ガルドさん、あの子は私達に巡り合うように里長が理を引いたんですよね?」

「ええ。因果律を捻じ曲げた、といいましょうか……。あっしらには理解できない芸当でさ」

「わかりました」


 そう呟いて、私は鞄の中から手帳を取り出し、すらすらとそこに名前を書きだす。

 この世界に来て、久々に漢字を書いてみる。

 変換などはされないし、この世界の文字も理解しているけれど、こうして改まって日本語を書くと、英文を書いているような……そんな、不思議な感覚だった。


「……? これは、君の世界の文字、なのか?」


 興味深そうに私の隣から手帳を覗き込んだテッドくんと、その言葉に身体を起こして下から覗き込むアル。


「うん。……理引リィン。理を引く、っていう文字を、別の読み方であてた名前だね」

「へぇ……リィンか。いいんじゃないか?」


 本当なら、輪廻・転生、っていう花言葉を持つ『リーンカーネーション』からも取ったのだけれど……。カーネーションの花言葉には感謝だとか、そういったプラスの要素もあるから……なんだか違う気がした。

 きっと……記憶を消してしまうほど本当のご両親を好きだったあの子に向けて、この花言葉は失礼だと思ったから。


 満足気に羽ペンを鞄に戻すと、アルは目を伏せながら身体を強張らせていたのか、上がり切っていた肩が落ちていく。

 そして安心したような、優しい声で私へと語り掛けた。


『ふむ……。其方が手を取る、か』

「アル?」

『なに。詮無い事よ。……ヒトの子よ、少年の事を、くれぐれもよろしく頼む』

「う、うん……。アル、ひょっとして何処かに行っちゃうの?」

『いずれまた巡り会う事もあろう。――その時は、改めて我が力を奮おう』

「あ……」


 ではな、と言って走り去ってしまうアル。


「……なんて言ってたんだ?」

「また会える、って。その時になったら、また力を貸してくれるみたい」

「はは……。なんというか、クロウみたいだな」

「ふふっ、確かに。掴みどころのない所なんて特に」


 銀狼のアル。不思議な子だったけれど……悪い子じゃあなさそう。

 なら、今はその時を楽しみにしよう。あの子――リィンの手を引いて歩いてゆく、その先の未来と一緒に。

 私はそんな事を思いながら、アルの小さくなってゆく背中を見送った。



       ◇



 それからガルドさんも里に帰るということで、お代を渡そうとしてきたので丁重にお断りしてから彼とも別れてお店に戻ると、オスカーさんとリィンの座る席にはデザートが置かれていた。

 リィンは自分の顔くらいはある少し大きめのグラスに盛りつけられたチョコレートパフェを無我夢中で頬張っていて、私とテッドくんは顔を見合わせてから小さく笑い合う。

 そんなリィンの食べっぷりを穏やかな笑顔で見守っていたオスカーさんは私達に視線を送り、「おかえりなさいですにゃ」と迎えてくれながら、それぞれの席の前に置かれたプリンを勧めてくれる。


「丁度デザートが届いたところですにゃ。温くならない内にどうぞですにゃあ」

「はは……すみません、有難うございます」

「いただきます。その……大丈夫でしたか?」

「メニューを見た途端、可愛らしく目を輝かせていましたにゃあ。凄く大人しかったですにゃ」

「そうですか……よかった」


 私がオスカーさんの言葉にほっと胸を撫でおろしていると、隣の席に座っていたリィンが私の袖を引いて、生クリームとアイスが乗ったスプーンを「んっ」と満面の笑みで差し出してくれる。何この可愛い子、天使……。

 それを頂こうと口を寄せると左の髪が下りてきてしまったので、手で軽く髪を耳に掛けながら一口。


「ふふっ、美味しいね。ありがとう」


 常温の滑らかな生クリームに包まれたバニラアイスの冷たさと甘さが口の中で広がり、よく知る味に安心しながらリィンと微笑みあう。


「っ!」


 そんなときに、カチャッと左側から音がして視線を送ってみると、テッドくんが震える手でティーカップの取っ手を握りながら口元に運んでいた所だった。


「テッドくん、どうしたの?」

「い、いや……。なんでもない、です」

「どうして敬語……」


 小首を傾げながら苦笑いを浮かべた私は、気を取り直してプリンを掬うためのスプーンを手に取る。

 両脇に居たオスカーさんはテッドくんへ同情にも似た視線を送っていたけれど……どうしたんだろう? ひょっとしてパフェ食べたかったのかな……。

 続いてプリンを食べてみると、カラメルの少し後に残る苦味と、本体特有の甘さ控えめの優しい味。あぁ、これもほっとするなぁ……。

 ふと視線を横に移すと、リィンも食べたそうにしていたので、


「食べてみる?」


 一口分をスプーンに掬ってリィンの口元に運び、ちゅるっとそれを啜ってもむもむと軽く咀嚼していると……んんっ? なんだか微妙なお顔……。


「どうやら、カラメルが苦かったみたいですにゃあ」

「ああー……」


 まるで「オトナのおいしさはわかんない」みたいな難しい顔をしてパフェに向き直ると、再びパフェをつつきはじめた。


「それで、お話はどうなりましたかにゃ?」

「はい。私がこの子を引き取ります」

「やはり、そうなりましたかにゃあ」


 オスカーさんは私のこれからを案じてくれたのか、苦笑いまじりに頷いてくれる。


「戸籍の手続きは後日でも構いませんにゃ。色々と揃える物もおありでしょうからにゃあ」

「ありがとうございます、助かります……」

「ちなみに、彼のお名前は?」

「?」


 リィンも顔をあげて私を見上げてくれたので、折角だと思いながら、私はリィンへと向き直った。


「――リィン・スノウフレーク。これが、あなたの名前だよ」

「……りぃん?」


 何事も吸い込んでしまいそうな藍色の瞳が見開かれて、舌足らずな言葉で新しい自分の名前を呟いた彼に驚きながら……私は彼の柔らかそうな両頬にそっと手を添える。


「うん。あなたの名前」

「んっ」


 大きく頷くリィンに、内心ではほっとしながらも、私は次の話題を持ち掛けなければならない事に大きな不安が芽生えた。

 私と一緒にいて欲しい。そう伝えたら、あとはリィンの気持ち次第になってしまう。

 拒まれるかもしれないという恐怖と、そんな言い方をしてしまったら、身寄りのないこの子の選択肢を奪ってしまうという罪悪感。

 目の前で、添えた手をくすぐったそうにしながら身をよじるリィンに耐えられなくて、私は眉根を寄せながら目を閉じ、少しだけ俯いてしまう。


「っ……」

「――リア」


 ぽん、と私の肩に手が置かれて、その方向にゆっくりと顔を上げれば……テッドくんがいる。

 その表情は険しいものでも、怒っているものでもなくて……ただただ、穏やかな笑みを浮かべてくれていた。


「テッドくん……」

「大丈夫だから」


 たった一言。それだけの事で、冷えかけていた胸のあたりに熱が灯る。


(……やっぱり、あなたは優しいね)


 救えなかった命を悔やんでいるのに、その気持ちを押し殺して、亡くなった人達から紡がれた小さな命を救おうと前を向く……。

 あなたのその姿が、今の私の心に芯を作ってくれる。折れないように、優しく支えてくれる。

 なら、これからは私がこの子を支えないと。

 支えてくれる人がいる。だから、私もこの子を支えてみせる。


ママ・・……?」

「――っ!?」


 跳ねるようにしてリィンへと視線を移すと、彼は不安そうな表情を浮かべて私を見上げていた。

 辛そうに眉根を寄せながら、揺れる藍色の瞳を見て――言わなきゃ、と。


「私が、ママでもいい……?」


 そう思った時には、言葉を発していた。

 喉の奥から、心の底から絞り出すように出た、掠れ気味の言葉。

 徐々に歪んでいくリィンの輪郭と、彼の頬に添えられた自分の手に気付いた時には、私の両頬に涙が伝っていた。

 不安と、彼の方から私を認めてくれたことへの嬉しさが入り混じって、何が何だか分からなくなってくる。

 でも、答えを聞かないといけない。だからもう少しだけ、この気持ちを押しとどめる堰が壊れないようにと切に願う。

 そっとリィンの頬から手を放すと、彼は何度も頷き、「いい、よっ」と言いながら私のお腹に抱き着いてきて、満面の笑顔で私を見上げてくれた。


「ありがとう……ありがとうっ」


 リィンの小さな身体を抱き締めながら何度も感謝の言葉を伝えると、感情のダムが決壊して涙が溢れてくる。


「ママ……くるしい」

「ご、ごめんっ……」


 ぱっと抱き締めたリィンから放れれば、テッドくんの腕がさっきとは反対側の肩に回されて……その胸に抱き寄せられた。


「本当にごめん……っ」

「いいさ。君のなら、いくらでも受け止めるから」


 あぁ、後でテッドくんの服も洗ってあげないと……。

 頭のどこかでそんな罪悪感を覚えながら、私は彼の胸で嗚咽を漏らし始めるのだった……。

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