第30話 託されたもの
それから小一時間ほど師匠の家にお邪魔させてもらった後、私達は噴水広場へ移動すると、すでにそこにはオスカーさんの姿があった。
「おやリア嬢。お早いお帰りですにゃ」
「オスカーさんこそ……。その、商工会の方は?」
「無事に足取りを掴めましたにゃ。どうやら木材の取引に訪れていたようで、二件目でビンゴでしたにゃあ」
さすが。オスカーさんは得意げに目を細めて頬のお髭を撫でると、再び周囲を見回す。
恐らくテッドくんを探しているのだろうと思ったのだけれど、当の本人は騎士団の詰め所側から噴水広場に足を踏み入れた所だった。
私が彼の目に入る様に軽く手を振れば、すぐに気づいてくれて駆け寄ってくれる。
「すまない、オレが最後だったか」
「ううん、大丈夫。私達も今来たところだから」
「そうか……。報告すると、エルフの里から城門を通ったのは三人。その内二人は今日の朝早くに街を出たみたいだ」
「確定、ですにゃあ」
オスカーさんの言葉に私は頷いて、テッドくんへオスカーさんの情報を伝えると、彼はほっとした様に顔を綻ばせる。
「なら、早速向かいましょう。昼時ですし、近くの店で食事をしながらでも」
「うん」
「それがよいでしょうにゃ」
てきぱきと方針を立てるテッドくんに私達も賛成して、私は件の商工会議所へと向かう為に、男の子の前に屈みながら頭を撫でて話しかけた。
「もうちょっとでご飯だからね、ごめんね」
「……ぅ」
ずっとパーカーの裾を握っていた男の子はひとつ頷いたあと、頭を撫でていた手を両手で包んで、右手で私の指数本を握りしめる。
「っ、あはは……」
覚えのあるその感覚に、私は少しだけ苦笑いを浮かべてしまうと、男の子は心配そうに小首を傾げた。
「……?」
「ううん、なんでもないよ。早くご飯食べよう?」
そう言って立ち上がり、前を向く。
まだ割り切れていない過去を、少しだけ思い出しながら。
◇
商工会議所で待ち合わせた金髪に筋骨隆々なエルフの男性、ガルドさん。
生粋の職人気質なのだと思う。この商工会を訪れた理由は木材の加工についての相談だったらしい。
口元には無精ひげを生やしているそんな彼と共に、近くのレストランに入り……現在彼は、私の前の席でカレイの煮つけを食べている。
「いやぁ~海の料理なんて久しく食べてないもんで、ついついフォークが進んでしまいますわ」
「それはよかったですにゃあ。その料理はこちらのリア嬢と同期の《彷徨人》の方が考案されたものですにゃ」
「へぇ~そうなんですかいっ!? 大したもんだ、味付けも独特でクセになりまさぁ」
「あはは……恐縮です」
日本では一般的な家庭料理だからかもしれない。漁獲量も多いこの街ならではの良心的な価格帯で提供されているその料理を美味しそうに食べ進めるガルドさんに合わせて同じものを食べているオスカーさんとテッドくんとは違って、私と男の子は魚介類のスープを頼んでいた。
和やかな食卓をそこそこに、私は本題へ入ろうと手元のスプーンをテーブルに置く。
「……それで、この子の事なのですが……」
「ええ……。いやあ、長から誰が訊かれても良い様にってぇ話だったんですが、まさかあっしになるとは思いもよりませんでさ」
後ろ頭を掻いたガルドさんは、私と目を合わせながら困った様に笑う。
「この子にゃあ酷な話になっちまいます。出来れば食べ終えてからでもいいですかい?」
やんわりと断りを入れられた私は「そういう事でしたら」と了承して、普通のペースで食事を進めていく。
その間に、私はこの子の過去を聴く覚悟を改めて決める。
記憶に鍵を掛ける魔術を幾重にもしている時点で、壮絶な出来事があったのは容易に想像できた。
ガルドさんの反応から見ても、絶対にこの子に聞かせてはいけない内容だということも。
(……たぶん、クロさんだったら怒るんだろうなぁ)
苦笑いを浮かべながら、「他人にそこまでしてやる道理はねぇっ」と叱ってくる彼が脳裏を過ぎる。
それでも、私はこの子と出会った。こんなに小さな男の子が、明日に迷っているかもしれない。
なら、せめてこの子に出会った者として、この子の明日を守ってあげたい。お節介と言われようとも……私が動く理由としては、それだけで十分。
……食事を終え、ガルドさんは静かに席を立つと、私と視線を合わせて頷き合う。
テッドくんも合わせて席を立ち上がり、オスカーさんへ男の子をお願いするけれど……。
「やぁあっ!」
「うぇっ……!?」
私と離れる事が不安だったのかもしれない。唐突に嫌がり始める男の子に、私は困るというよりもまず、驚いた。
ひっしと私の腰にしがみついて離れない男の子は、パーカーに顔を擦り付けて頑なに動こうとしない。
「ど、どうしたの~? すぐに戻ってくるから、大丈夫だよー?」
「やぁああ~っ!」
なんとか落ち着かせようと、頭を撫でながら屈んで視線を合わせるけれど……。
それでもイヤイヤと顔を横に振る男の子の両頬には涙が伝い始め、このままじゃ周りのお客さんに迷惑を掛けちゃうし……。
テッドくんも私の代わりにと「お兄さんと一緒に残ろうかー」と言っても、あえなく撃沈。
「っははは、よっぽど好かれとるんですなあ、女性の方のエルフさんは」
「やっぱり、男のオレじゃあ信用ないかぁ……」
そんな私達の様子を見て快活に笑うガルドさんと、両肩を下げて項垂れるテッドくん。
どうしよう、と本気で悩みだした所で、
「お坊ちゃん。よろしければニャーとデザートでもいかがですかにゃ? ほうら、美味しそうなお菓子がたくさんありますにゃあ。さ、お膝の上にどうぞですにゃ」
一人、落ち着いた様子で席に座っていたオスカーさんが私達の方へ向き直り、お店のメニューを広げながら自分の膝をぽんぽんっと叩いて男の子を誘う。
その優しい声音と、獣人族特有の愛らしい猫顔によって泣き止んだ男の子は、私とオスカーさんを交互に見つめ始める。
私はオスカーさんに目くばせすると、彼は優しい笑顔と共に頷き返してくれた。
「すぐに戻ってくるからね。私の分のデザートも選んでくれてたら嬉しいなぁ。お願いしてもいい?」
「……んっ」
最後に男の子の頭を撫でながらお願いすると、彼は眦に溜った涙を腕で拭ったあと、唇をきゅっと結んで力強く頷き返してくれる。
「ありがとう。それじゃあ、よろしくね?」
そう言って、オスカーさんの隣の席へ戻る男の子の背中を見守りながら、オスカーさんへ一礼した後、近くのウェイターさんに一時的に外へ出る旨を伝えて店外へと出た。
「……なんというか、少し祖父の事を思い出したよ」
「あはは……確かに。オスカーさんって落ち着いてるから、私も接し方がお爺ちゃんに近いかも」
「何はともあれ、ようやく本題が話せまさ。ありがとうございやす」
ガルドさんは朗らかにお礼を言ったあと、本題に切り替えるとばかりに軽く咳払いをしながら私達へ尋ねる。
すると、お店の入り口で待機していたアルも近づいてきた。
「お嬢さん方は、近場の森の中であの子を見つけたとか?」
「……はい。ちょっとした広場で、この狼さん……アルと、数体の狼型の魔物が戦闘を繰り広げていました」
『少年の話か』
話の内容に察しを付けたアルへと私は頷き返すと、彼は私の隣で腰を据える。
「なるほど……そうだったんですかい」
「あの子は、エルフの里の子……なんですよね?」
「ええ……。やんちゃ盛りのあっしの娘と、よう遊んでくれる活発な子でした。……ですが数日前、あの子が両親と一緒に近場の村へ木材を卸しに行った時の事でさ。その村で、魔獣の被害に遭ったようで……」
「その村って、まさか今朝の――」
ハッとしてテッドくんに視線を向けると、彼の顔は驚きに染まり、目を見開いて硬直していた。
こくっと彼の喉が動き、眉根を寄せ、悔しそうに唇の端を噛みしめる。
「……ああ。リアの考えている通りだと思う。騎士団は今日、魔獣討伐の遠征に出たばかりだ」
「この街に連絡が来るまでの日数が掛かってると考えれば、騎士団の対応は早い方だよね……」
重々しく頷くテッドくんをフォローしようとするけれど、人と人の繋がりが強いエルフの里出のガルドさんの前ではそれも薄い。
まさか、こんな所で繋がるだなんて……。
「っ……はっ……」
身体が強張る。指先や背筋が一瞬で冷えていく感覚。
覚えがある、その間隔は――そう。私の両親が亡くなった時と似たようなものの様に思えた。
それが身近で起きていたと知れば、もう……。
「あの子は……抜け殻みたい、でしたか」
「仰る通りでさ。傷の手当をされても、まるで魂まで抜けちまったようにぼーっとベッドの上でどこか遠い所を見つめてやした……」
ガルドさんも酷く落ち込んだ雰囲気を察してくれたのか、少し俯きながら、重々しくあの子の状態を教えてくれる。
……これで、全てが繋がった。
「あなたの里で、魔術に精通している方が……あの子に【メモリーズ・ロック】をかけた。……そうなんですね?」
「……ええ。あの子たっての願いで、長が記憶に厳重な鍵を掛け……あの子を転移魔術で結界の外へ出しやした。その先で、この街の人々と巡り会えるよう、
「結界の外へ出した、ということは……それがあの子の記憶を戻す鍵なんですか?」
ガルドさんは目を伏せて頷くと、最後に一つ、付け足した。
「あっしがあの子を名前で呼ばないのも、長たっての願いでさ。あの里での記憶や情報を何一つ知らずに、あの子には新しい自分として、あそことは違う環境で、新しい人々に恵まれて育って行って欲しいと……」
「そう、ですか……」
「リア……。里には、色々な掟もあるはずだ。オレは、彼の
「………」
テッドくんの手が私の肩に置かれて、そう……諭してくれる。
やっぱり、地球とこの世界とで、残された子供の扱いは違っている。そのギャップに慣れていないのは、私が《彷徨人》だからこそ、なんだと思う。
……この世界の流儀がそうであるのなら。
郷に入っては郷に従え。ガルドさんを始め、エルフの里の皆さんから託されたあの子を……私は。
すうっと息を吸い込み、長く息を吐く。
「――分かりました。あの子が幸せになれる様に、あなた達から託された分まで……私が守り、育てます」
しっかりとガルドさんの瞳を見つめた私は、胸に手を当てながらその言葉に嘘偽りを持たないことを誓う。
私の二の舞には絶対にさせない。同じ道を辿って欲しくない。
あの子に全部を与えよう。辛い事もあるかもしれない。それでも……逝ってしまったご両親の分まで、あの子を支え、育て……そして、幸せにしてあげたい。
「よろしく……お願いしやす」
そんな私の気持ちを認めてくれたのか……ガルドさんは、私に深々と頭をさげるのだった。
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