第29話 空白の少年

 それから、銀狼のアルに怪我の処置をしたあと、テッドくんと一緒に男の子を連れて、街役場を訪れていた。


「……戸籍が、ない……?」

「そうですにゃ。……恐らく、届け出がされていないか。もしくは、人里から離れた場所で育ったか。そのどちらかですにゃ」


 視線を下げた先に居る六歳ほどの背丈に、私に似て小さく尖った耳をしたエルフの男の子は、どうやら言葉が話せないみたいで、私の傍を離れようとしてくれない。

 一応私達が何を言っているのかは分かるみたいだけれど……頷くか、顔を横に振るかくらいしか意思疎通ができない状態になっている。

 名前も聞けない、素性も不明。ということなら、写真という技術が存在しているため、戸籍上の写真を当てにすればいいと思っていたのだけれど……。

 私達彷徨人の戸籍作成を担当してくれていた、戸籍係の係長であるオスカー・バースさんの許を訪れてみた結果、彼に該当する戸籍はないのだという。


「そんな事はあり得るんですか?」

「原則的には、あり得ませんにゃあ……。あるとすれば、後者。他種族が共同生活を送る街が肌に合わず、街の外へ移り住んだ種族の里ですかにゃ。ブレイシア近郊では、エルフの里などが主に上がりますにゃ」

「なら、そこに行けば――」

「いや――それは無理だ」

「テッドくんっ?」


 振り返れば、テッドくんは気難しそうな表情を浮かべており、私の目を見た後にゆっくりと顔を横に振る。


「エルフの里の存在は誰もが知っている。けど、あそこは族長が認めた人物しか入ることを許されないくらい、外界との接点を断っているんだ」

「そんな……」

「まず、認識阻害の魔術が仕掛けられているうえに、侵入者対策に転移系の結界魔術も張られている。普通のヒトなら里の存在すら分からずに擦り抜けてしまう」

「……難しいん、だね?」

「ああ。オレ達だけじゃあ解決できない。……それに、オレとしてはこんなに小さな子を、エルフの里の人間が容易に外へ出すとは考えられないんだ。里に住まう人々は、皆家族という認識が強いところらしいから」

「……オスカーさん、そのエルフの里の人は、この街に出入りをされてたりはしますか?」

「ふむ……。聞き込みをする、ということですかにゃ?」

「当然です。でないと、この子が路頭に迷う事になりますから」


 当てがあるのならどこまでだって行く。それでこの子が元あった生活に戻れるのなら。

 それに……個人的にだけれど、心配なんだ。昔の私によく似た雰囲気がある、この子が。


「承知しましたにゃ。そうなれば、商いに見えられている線が濃厚でしょうにゃあ。各商工会に連絡して、該当する人物がいらっしゃるかお調べしますにゃ」

「っ! ありがとうございます、オリバーさん!」

「なら、オレも詰め所で城門の通行履歴を洗ってみるよ。少し時間が掛かるが……その間はどうする?」

「ルビア先生の所に行って、エルフの里について少し当たってみる。もしかしたら繋がりがあるかもしれない」

「了解だ。それじゃあ、噴水広場で落ち合おう」

「うん。二人とも、よろしくお願いしますっ」


 私は二人へ深々と頭を下げると、男の子も何かを察したのか、私に倣って頭を下げた。

 そしてその手を取り、テッドくんと共に街役場を出ると、そこには銀狼のアルがお座りをしたまま待っている。

 私達の気配を察知したのかもしれない。ふと顔を上げると、目を伏せて深々と頭を下げた。


『少年について、何か手掛かりは』

「ううん、なにも。アルはその場で出くわした、って言ってたよね?」

『然り。森で彼奴等に襲われていた折、助け出した次第である』

「手掛かりは無し、かぁ……」


 私は思案していると、テッドくんが横から「なんて言ってるんだ?」と尋ねてきたので、今の会話を伝える。


「そうか……。オレは獣語は分からないし、詰め所に行くとするよ」

「あ、うん。よろしくね、テッドくん」

「ああ。――アル。二人の事、よろしく頼む」

『承知した』


 頷きあう二人(?)を見つめながら立ち上がり、テッドくんが騎士団の詰め所へと踵を返して歩いていく。


「……さて、私達も行かないと」



       ◇



 居住区の北側は、裕福層の御屋敷などが立ち並んでいる一等地だ。

 テッドくんやエルの住む家も大概だけれど、街の高所から眺めるその光景は高層マンションに移り住んだ様な気分にさせられる事間違いなし。まさにお金持ちの嗜み。

 そんな所に居を構えているルビア先生の御屋敷に足を踏み込むと、玄関のドアから白髪の男の子が顔を出した。

 侵入者が把握できる不可視の結界魔術が敷地内全体を包み込んでいるからか、住人の対応は早い。


「あっ、リア先輩! いらっしゃいませ」

「こんにちは、アステルくん。……師匠せんせい、いるかな?」

「ええ。どうぞ中へ」

「うん。お邪魔します」


 黄金色の瞳をして、見る人をほんわかと温かい気持ちにさせる様な柔らかい顔立ちの男の子、アステル・ベゴラニアくん。

 何を隠そう、ルビア先生の養子であり、中等部の三年生という立ち位置から、図書館の管理を任されている私の助っ人をしてくれる尊い後輩でもある。

 長くのばされた白髪は後ろで三つ編みに結われていて、まるで尻尾のように思えてしまうそれは、来客に嬉々として尻尾を振るわんちゃんそのものだったり。

 顔立ちも女の子みたいに綺麗だから、私としては可愛い部類に入るので、その人柄もあるけれど凄く話しやすい子だった。


 アルは外で待機する、ということで中へ入ると、アステルくんは私にしがみついたまま離れない男の子を見て、その場にかがんで頭を優しく撫でると、緩んだ笑顔のまま私を見上げる。


「こーんにーちは~。あはは……リア先輩が誰かと一緒に来るなんて、珍しいですね?」

「うん……。その件でルビア先生に相談があって」

「なるほど……」


 アステルくんは少し考えたような素振りを見せた後、廊下の奥に在るルビア先生の個室へと案内された。

 ……広がっているのは、様々な教材の山。

 壁にはフラスコや瓶の中に怪しげな素材(虫のホルマリン漬けもある……ひえぇ)が並んでいて、どこか胡散くさい雰囲気が漂っている。


「来たか」

「師匠、失礼します」

「ああ。……ふむ、何かワケありの様だな?」


 話を聴こう、と机に読みかけていた本を置いて立ち上がったルビア先生……もとい師匠は、部屋の入口手前にある応接用のソファへと私達を促してくれた。

 ソファに座って一息ついた後、私はここまでの内容をかいつまんで説明する。

 アステルくんが淹れてくれる紅茶の優しい香りが部屋に充満していき、私が説明する中で、師匠は徐々に難しい顔を深めていった。


「……なるほど。君としても遺憾だろうが……望み薄、だろうな」

「それは里に入れない、ということでしょうか?」

「いや……里については私もコネがあるから入ること自体は・・・可能だ。が、問題なのはその少年だろう。リアの話を聴きながら少年を観ていたが……。魔術による記憶の欠損が多々見受けられる」


 師匠の言葉にハッとして、私は男の子の頭に手を添えながら双眸に魔力を集中させると……。

 微かに、けれど確実に……魔術が何度も行使された痕跡があった。

 痕跡というのは足跡の様なもので、私の精霊魔術がいい例だけれど……魔力の流れを区別して見分けられる人間であれば、魔術を使用した後に存在する残滓。精霊なら鱗粉という形で、普通の目でも視認出来るほどに濃度の濃いものまで存在する。

 一応その痕跡を消す方法もある。時間経過か、もしくは対象の近くで魔術を行使され、その痕跡を濁すなどなど。


「まさか……【メモリーズ・ロック】を使ったんですか!? こんなに小さな男の子に、何度もっ?!」


 白魔術の一種である【メモリーズ・ロック】は、読んで字のごとく、相手の記憶の一部に鍵を掛け、条件……鍵を掛けた記憶に近しい状況や光景など、様々なキッカケを許に、その記憶が解放されるといったもの。

 フラッシュバックという現象に近いかもしれないけれど、それは少なくとも、覚えている事象が記憶から呼び起こされるものだと思う。

 この魔術は、何も知らない状態から、それも自分視点でその記憶を再生されるような……自分という認識が薄らいでしまうという欠点を持った魔術。

 心療法の一つとして教会の人が使っていることはあるけれど……。痛い記憶を無くしてしまいたいと思う人が居れば、まったく状況の異なる条件を用意して、簡単には呼び起こされない、また呼び起こしても実体験という実感の薄いものにする為に使われている。


 彼の場合、その白魔術を幾重にも掛けられてしまっている。

 まだまだ小さな男の子なのに。言語にも支障をきたしてしまうほど、記憶に鍵をかけられて……。


「九分九厘、里の仕業だろうな。よほど消してしまいたい記憶ものだったのだろう。事の真意は分からんが――」


 ぎしっ、と師匠は背もたれに身体を預けながら、アステルくんに出してもらった紅茶を一口飲む。

 私も冷静さを取り戻すために、ローテーブルに置かれた紅茶を手にした。


「勘違いするなよ、リア。少なくともこの件、里の悪意か善意かは、我々が知るべきではない。……この街から離れた者達との問題はデリケートなんだ。確執を生まないためにも、人伝に尋ねるしか方法がない」

「……それは分かりました。ですが、このままじゃこの子は……」


 治療であれば短期間的な記憶の施錠、ということで本人も理解はできると思う。でも、彼の場合は生まれてきて、言葉を覚え出した頃からの記憶がないとすれば……。

 生まれてきた数年の記憶に鍵を掛けられて……立つ、歩く、呼吸する。こうした本能的な行動はできたとしても、そこから更に自我や意思といった、人として大切なものを学び直すことになってしまう。

 果たしてその間に、記憶が開錠されてしまったらどうなるのか。

 小さい頃、テレビアニメを見て感化された子供の様に、蘇った過去の自分の記憶と、その時まで紡いできた現在の自分。どちらが勝るのか……分からない。

 何が条件すらも分からないこの状況は、非常にまずい。どこにあるかも分からない地雷原の中を駆け抜けるような気分になる。


 師匠も難しい表情を浮かべたまま、私の隣に座ったまま、私の服の袖をにぎにぎしている男の子を見つめていた。


「君の言いたい事は分かる。……私も長い事生きてはいるが、非常に遺憾なことにこんな案件は経験したことがない……」

「はい……」


 お互いに意気消沈した雰囲気の中、唯一動いたのはアステルくんだった。


「あの、魔術的なお話はそこまでにして。この子をどうするのか話し合った方がいいんじゃないですか? 親御さんの手がかりがあるまではリア先輩か僕達が預かる……とか」

「……そうだな。アステルの言う通りだ」


 やぁやぁと苦笑を浮かべながら話題の転換を申し出てくれた彼に同調した師匠に頷いて、私は再び男の子に視線を落とす。


「正直、今の住まいが迎賓館なのでなんとも言えませんが……。できる限り、この子の面倒は私が見たいと思っています。戸籍というものがないので、様子見としては師匠の方がいいのは理解しているんですが……」

「いやなに。君達彷徨人の地位も確立されているわけだし、この街に住まう一市民に変わりはないさ。今の彼に一番必要なのは人との触れ合いだ。そこに寄りがたい代物を抱えていたとしても、な。精々クロウにでも相手をさせておけばいいだろう」

「うわぁ、激しく不安になりました……。子供嫌いかもしれないし絶対嫌がりそう……」


 彼の嫌がる顔を思い出して頭痛がしてきた私を見た師匠は笑い出す。先ほどの張り詰めたような雰囲気が一気に弛緩していく。


「なぁに、そういう奴こそ実は、というのもある。それも触れ合いだぞ?」


 笑いながらそう言う師匠に、私は困った様に苦笑いを浮かべるしかないのだった。

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