第23話 黒の胎動
◇Side Cattleya◇
夕陽もすっかり落ち、港湾区の街路灯に光が灯り始めた頃。
カトレア・ミャーマは薄暗い路地裏を一人、ふらふらと歩いていた。
港湾ギルドの裏手から続いている時計台への道はショートカットとなっており、騎士団の巡回では滅多に通らないそこは、風通しも悪い為じめじめとしている事もあり、暗い雰囲気が漂っている。
普通の女性が歩こうとは思わない、敬遠するような場所。そんなところでさえ平然と歩けてしまうのが彼女だった。
非常時に於ける湾岸警備隊の急行ルートとしても使用されているからか、一般人にもあまり利用されていない、そんな道。
居るのは港湾区に住み着いている野良猫や野良犬ばかりで、そこに住まう動物達は、自分達の縄張りに入って来た侵入者にピクリと耳を動かし、顔を上げ様子を伺っていた。
カトレアもすでに動物たちの顔は把握済みであり、定位置に座している動物達を確認しながらその道を進んでいく。
「(……ん?)」
右へ左へ、入り組んだ路地裏を進んでいた彼女の足がピタリと止まった。
……居ない。
三叉路の曲がり角に三匹、家族の様に輪になり、その場を陣取り毛づくろいをしているはずの、いつもの猫達の姿がなかった。
『……――――』
『―――、――――……』
その先から微かな会話が聞き取れ、三角に尖ったカトレアのエルフ耳がピクリと動く。壁に張り付き、ゆっくりと顔を覗かせれば……。
(……とんでもない現場に居合わせたもんね)
髪をオールバックにし、黒いスーツを着込み、サングラスを着けた威圧感のある男二人組と、市場で安売りされている麻色のローブを着込んだ人物が
金貨が入っているであろう麻袋と、小さな木箱がお互いの手に渡り合い、黒スーツの男二人は踵を返して反対側の道へ抜けてゆく。
小さな木箱を受け取ったローブの人物は暫く二人を見つめた後、カトレアの方へ向き直り、やがて歩き出した。
――ここで捉える。カトレアは息を潜め、ローブの人物がこの場を擦れ違うタイミングを待つ。
足音が近づき、トクン、トクンと鳴り響く心音すら抑え込む様にして……
「――でりゃあああっ!!」
『――ッ!?』
ローブの人物が姿を現した瞬間、カトレアは艶めかしい褐色肌をした脚から鋭い蹴りを放ち、その人物の脇腹へと叩きこむ。
不意打ち成功。数メートルは吹き飛んだその人物は脇腹を抱える様にして、その場に片膝を突く。
「……こんな薄暗くて人気のない路地裏で、一体何のやり取りをしていたのかしら?」
私服だろうが関係ない。彼女は湾岸警備隊として、この街を守る団体の一人として。その人物を取り押さえるべく、ゆっくりと歩み寄った。
「――チッ!」
声の主は男だった。唸るような低い舌打ちがフードの奥から聞こえたと思いきや、彼は自分の脚力にモノを言わせて後ろへ飛び退り、家との合間の壁を交互に蹴り上がりながら上空へと逃げていく。
「待ちなさい!!」
しかし待てと言って、逃げるべくして動いた人物に待つものは居ない。
叫びながら追いかけるカトレアは、昼間に鍛冶屋で購入した投擲用のナイフを投げる。
『ッ!!』
咄嗟に身を翻した男はローブの布地と、その内側に生えていた少量の体毛を犠牲にすることで回避した。
そしてカトレアは超小型の拳銃――デリンジャーを上空へ掲げ……
パンッ!! シュゥゥゥゥウウウウ――ッ!!
路地裏に乾いた砲声を響かせ、闇色の空に白い花火を咲かせる。
これは彼女のクラスメイトであり、友人であるクロウ・サイネリアが独自で作成した特殊弾――フレア弾だった。
単発で連射は出来ないものの、非常時に於ける湾岸警備隊の招集合図として試用運転され始めたその代物は、間違いなく港湾区を巡回している湾岸警備隊員たちの目に必ず留まるはず。
「逃がさないわよ……!!」
今も尚高度を維持しながら壁と壁の間を蹴り、駆けていく逃走者を逃がすまいと睨みつけたカトレアは、更に脚の動きを速めるのだった。
◇Side Rear◇
「――おっ?」
「ん、どうしたの?」
あれから港湾区の市場でお買い物をして、さて迎賓館に戻ってご飯の支度、といった所で、不意にクロさんは時計台の前で立ち止まり、港湾区へと振り返った。
半歩先に行ってしまった私は彼へと振り返って尋ねれば、クロさんはその方向を見つめながら動かない。
「……クロさん?」
「――あぁいや、なんでもねぇ。職場に忘れ物でもしてねーかと思ってな」
少し不安になって彼の名前を呼ぶと、クロさんは私に振り返ってウィンクしながら両肩を竦める。
「もう、明日は迎賓館でゆっくり休むんでしょう? ダメだよ、しっかり準備しないと」
「へいへい、わーってますよっと。まっ、試験に響く代物でもないしな」
「そうなの? 仕事道具?」
「まぁ、そんなトコだな。つってもハンカチとかそんくらいだから、幾らでも代用は利くんだわ」
「そういうのさえ買えないくせに~」
「煽んな煽んな」
ポケットに手を入れて苦笑いを浮かべたクロさんは私に追いつきながら、「さーて、飯だ飯」と今晩出てくる自分の好物に期待しているご様子。
「言っておくけど、自己流だからクロさんの口に合うかは分からないからね?」
「安心しろって、お前さんの料理の腕はカトレアから確認済みだ」
「……え、そういう話もしてるの?」
うわぁ、それはそれで恥ずかしい……。
私は買ってきた食材の入った袋をぎゅっと抱き締めながら顔を埋める。
カトレアとはよく夕食を一緒にしているけれど、時折急に仕事が入る事もあるのか、遅くまで待つこともあった。
汁物なんかは特に一人で食べた後残すわけにはいかないから、どうしても彼女の力が必要になってくる。
そういった所が二人の日常会話に出ていると思うと、なんだかとても恥ずかしい。
「へへっ、まぁな。俺らの会話の四割がお前の話だったりする」
「えぇ……」
「別にお前さんの失敗談とかは聞いちゃいねーから、そこらは安心しな。むしろ失敗してる話が聞きてぇくらいだぜ」
「……ふふっ、もう」
悪戯気に笑うクロさんに私は照れ笑いで返す。
今日はお休みだし、何もなければカトレアも私達がご飯を作っている間に帰ってくるだろうということで、彼女の分も用意済み。
久しぶりにシーダも合わせて四人でご飯も食べられるし、昼間みたいに二人が仲良く……仲良く? 会話している所をもっと見て居たい気持ちが湧いてくる。
大通りから中通りに入って、人気もまばらになってきたことから、今晩のメニューは何から作ろうと考えていると。
「あっ、テッドくん、だ……?」
学園の制服に袖を通したテッドくんが血相を変えて、私達が港湾区から歩いて来た方向へ走っていく姿が見えた。
その腰には木剣ではなく真剣が提げられていて、愛用の盾も背中に担がれている。
彼が浮かべていた表情も、こちらにも必死さが伝わってくるほどに緊張しており、途端に私の胸のあたりが嫌な予感を知らせる様にざわついた。
「何かあったのかな……」
「さてな。――つっても、騎士団と湾岸警備隊に所属してるヤツは大抵、事件については上から口封じされてるだろうし、聞くだけ無駄かもしれねぇけどな」
「……行ってみる?」
「いーや、下手に一般人が顔出せば、それこそ混乱させかねねぇだろう。とにかく今は大人しく飯作って、カトレアの帰りを待った方がいいと思うぜ? 俺も武器持ってねえしな」
心配げにテッドくんが駆け抜けた道を視線で追うと、クロさんは私の頭にぽんっと手を置いて宥める。
……確かにそうだ。クロさんも銃を持っていないし、私も使えるのは魔術だけで、魔法は杖などの触媒が必要になる。テッドくんが帯剣していたことで嫌でも理解させられる。今の私達が戦闘現場に居合わせようものなら、確実にお荷物になると思う。
クロさんの言う通り、此処は大人しく寮でカトレアの帰りを待つしかなさそうだ。
「……そう、だね」
自分の無力さを感じて、胸が苦しくなる。私は胸元に手を当ててきゅっとシャツを握りしめる。
「まっ、あいつらも本当に困った時にゃ俺らに事情を説明してくるだろ。だから……今は信じてやろうぜ。アイツらの『仕事』を、な」
「うん……」
クロさんに背中をぼすっと叩かれて、私は気持ちを切り替える様に踵を返す。
テッドくんとカトレアは、この街の治安などを護るために毎日働いている。
此処に住まう一市民として、そういった仕事をしている二人を信じる他ない。
でも、せめて怪我はしないように……と、私は目を伏せて二人の無事を祈るばかり。
そんな二人の為に、できる事なら何かしてあげたい。助けになりたい。
仕事上、事件なんかの情報は伏せられて、何も事情を話せない相手という枠組みに、私自身が入っている事に心が痛む。
こんな私が、今の彼女達にしてあげられる事と言ったら……。
「それなら、美味しいご飯を作って待っててあげないといけないね」
「っへへ、そうだな」
せめて温かい食事を用意して、心が安らげる時間を作ってあげること。
気の滅入るような事件もあるだろうし、話し辛い事だってあるはず。
ならせめて、全ては語れなくても、嫌な事があったら、愚痴を聞いてあげられるような存在でありたい。
「行こう、クロさん」
「おうっ」
再び迎賓館へ向けて歩き出す。
「―――……」
クロさんは数秒だけ港湾区の方を振り返り、何かを睨み見ていた……。
◇三人称視点◇
――湾岸警備隊の人間に呼び出されたルビア・カーバンクルは、港湾ギルド内にある小会議室で腕を組み唸っていた。
その場に居るのは、警備隊の面々と、そこに所属しているカトレアの他に、騒ぎをいち早く聞きつけた焦げ茶色の濡れ髪に褐色肌の青年、騎士見習いのガイウス・エメルダスに、後輩であるテッドだった。
「まさか夕食時に呼び出されるハメになるとはな……」
「すまない。俺の中では、貴女ほどこの件に関して強い人物は、この街に二人と知らないのでな」
「フフ……嬉しい事を言ってくれるな」
青年としては低く落ち着いた声音でルビアへと語りかけたガイウスに、彼女は気を良くして笑う。
板張りの空間の中心には大きなテーブルが置かれており、彼女の目の前に鎮座した木箱の中に入っている一房の毛を、ルビアはまじまじと見つめた。
ルビアの右隣りの席へ腰かけた癖の強い黒髪をした男性は、カトレアの名前を呼び説明を要求する。
「カトレア、説明しろ」
「はい。――本日一七三〇時、警備隊詰め所裏の路地を通っていた際、不審な三人組の取引現場を目撃。品物を手にした人物を拘束しようとしたところ、逃走を図られ、追跡する為『招集弾』を使用しました」
「よし」
一歩前へ出て報告を行ったカトレアに手を挙げて下がらせる。
「これが、その追跡中に落ちた毛、という訳か」
「ええ。……といいましても、それがどこの部位の毛なのかまでは」
ルビアは嘆息し、訝し気に目を細めて、その毛を左の指先で摘まみ上げる。
「……ふむ。質感は獣人族だな。この硬度や手触りからして、恐らく狼人族だろう。……はてさて、一体なんの取引をしていたのやら」
目を伏せ、その品を木箱へ戻すルビアは椅子の背もたれに身体を預けながら肩を竦めた。
「最近の輸入品リストからは、特に目立った薬品や魔石の類は見つかりませんでした」
「……輸入品リストを総ざらいする必要がありそうだ。――ミャーマ、その三人組の容姿はどういったものだった?」
「薄暗くて、よく見えませんでしたが……」
カトレアは自分の見たままの情報を伝える。
髪はオールバックに、スーツとサングラスといった格好の二人組と、ローブを着込んだ男。
そして金銭のやり取りと、小さな木箱についても。
話を聞いていくうちに、警備隊の上層部、そしてガイウス、テッド、ルビアの面々はみるみるうちに真剣味を帯びて行き、雰囲気が変わっていく。
ルビアは口元に手をやり眉をひそめながら、重々しく口を開いた。
「……所長」
「ええ……」
ルビアと、その右席に腰かけ所長と呼ばれた男性は難しい表情を浮かべながら頷き合う。
情報を伝えたカトレアとしては、一瞬で変わってしまった雰囲気に冷や汗を浮かべながら、隣に居たテッドへ耳打ちした。
「(ねぇ、一体何がどうなってるのよ……?)」
「(ああ……。この一件、もしかしたらこの街の一大勢力との関わり合いになるかもしれない)」
「(一大勢力……?)」
キョトンとした表情を浮かべるカトレアに、テッドは重々しく頷き、その隣に立っているガイウスが口を挟む。
「(ガーネット商会は知っているか)」
「(ええ。帝国からの輸入品なんかも、よくそこ宛てに送られて来ますけど?)」
「(表向きは商会にはなっているが、湾岸警備隊と騎士団の間では、その裏では数百年前からこの街に根付いている、ある組織の隠れ蓑とも言われている所だ)」
「(数百年……一気にスケールが大きくなって現実味がないのだけど)」
「(彼らのボスはエルフ。その血を色濃く残して今まで繋いでいる、というわけさ)」
「(エルフ……)」
カトレアとテッド、二人の脳裏には、白髪の友人の姿が思い浮かぶ。
「(今回の一件は、その裏の組織とやらが関わってるかもしれない、ってことね?)」
「(おそらくな。物的証拠がないうえ、その犯人達が、どのような商品をやり取りしていたかを調べる事から始まるだろう)」
「(暫くは、今まで以上に協力体制を敷くことになるだろう)」
「――話は概ね理解した。私としてもこの件は無視できん、協力はしよう」
「感謝します、カーバンクル殿」
「いやなに、私の教え子が世話になっているんだ、せめてこれくらいはな」
話が決まったであろうルビアは立ち上がり、頭を下げた所長を手で制した。
「まずはこの街に流れ込んだ品物を洗いざらい調べ直した方がいいな。リストはそこのミャーマとペインテッド経由でリア……あぁいや、スノウフレークという少女に寄越してくれ。私と彼女は大抵、学園に居るのでな。彼女の方が、私以上に動けるはずだ」
「カーバンクル殿以上に……ですか? お弟子様を取られたとは聞いてはいましたが、まさか事実だっとは」
「まあな。贔屓目無しに、彼女は優秀だぞ? 既に私が教えた魔術の基礎は出来上がっているし、精霊魔術の扱いに於いては、恥ずかしながら当時の私を軽く超えている。素質は充分だ。こういった案件を経験させるのには、丁度いい機会だろうからな」
「しかし……」
「なに、心配するな。アイツには頼りになる相方と仲間が居るみたいだからな」
ルビアはそう言うと、カトレアとテッドへと視線を向け、二人は顔を見合わせる。
それはつまり、この件にリア・スノウフレークという少女を引き入れるという事と同義だった。
彼女達としてはこの上ないほど心強い味方だ。だからこそ、驚く反面、ルビアの行動にも納得がいった。
「それに私も傍に居る。そろそろ次の世代に繋いでゆかねばな」
「……そうですか」
所長は少しばかり俯き、一つ頷いた後顔を上げ、警備隊の面々に指示を飛ばす。
「――現時刻を以て、一月前からの輸出入の履歴を調べ直す! そうでなければ二か月前、三か月前と掘り下げていくぞ! なんとしても手掛かりを見つける!!」
『了解!!』
「以上、行動開始!」
ぞろぞろと警備隊の隊士達が会議室から退室してゆき、最終的にカトレアを含めた者だけがその場に残る。
「……リア・スノウフレーク嬢と言いましたか、貴女のお弟子様は?」
「あぁ。白髪のハーフエルフだ。お前の所の若者が出会おうものなら、一瞬で惚れるぞ?」
所長は不安交じりの声をルビアにあげると、彼女は腕を組み自信満々、と言った様子で頷き返す。
いつもは自分の“役目”を全うするべく、凛とした立ち振る舞いをし続けていたルビアのその姿に、彼は笑う。
そんな彼女が溺愛する程その少女には魅力があり、生まれて数百年、まともに弟子すら作らなかった彼女にそう公言させるほどの実力を秘めている。
彼はリア・スノウフレークという人物に興味を持ち始めた。
「ははは、それほど美しい少女であれば、私も一度はお目に掛かりたいところですな」
「妻子持ちだろお前。歳の差を考えろよ」
「これは、痛い所を突かれましたな」
額に手を当て、おちゃらけて笑う上司を見たカトレア達若者は苦笑を浮かべていた。
「さて、というわけだ。ペインテッド、ミャーマ。今後はリアとクロウにも協力を仰げ。きっといい結果を引き寄せるだろう」
「「はい!」」
カトレアとテッドはルビアの言葉に大きく頷き、ルビアも二人に頷き返す。
「ガイウスは騎士団に今回の件を伝えてくれ。私が書状を出そう。頼まれてくれるか?」
「承知しました」
警備隊の所長はテッドの先輩であるガイウスに騎士団への伝令を任せるべく、二人で執務室へと入っていく。
入り際に、ガイウスはドアから顔を出し、カトレアを見つめた後テッドへと振り向いた。
「テッド。すまないが、彼女を家にまで送って行ってやってくれるか。俺は暫く身動きが取れないのでな」
「え」
「了解です」
テッドの返事にガイウスはフッと笑うと、そのままドアを閉めていく。
カトレアは「どういうことよ?」と呟いた。
「きっと君が今日、非番だったからじゃないか? 私服だし、武装もしていない状況下で、第一発見者を一人で家に帰すのは危ないと思ったんだろうな」
「言葉少なげな先輩ねぇ。付き合うの大変じゃない?」
「ははっ、そんな事ないさ。色々と考えてくれる、いい先輩だよ」
彼女の言葉に苦笑を浮かべたテッドは、ルビアへと向き直る。
「それでは先生、今日は失礼します」
「ああ。二人とも休日だというのに大変な一日だったな」
「いえ、充実した一日でしたよ」
「あ。それならアタシも」
「フフ……そうか。明後日が楽しみだな」
「……全力を尽くします」
彼らはそう言って、港湾ギルドから出ていくのだった。
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