第22話 甘えること

 真上にあった太陽もすっかり傾いて、港湾区に広がる海は茜色に染まっていた。

 その景色を一目見ようと港湾区経由で帰路についていたところ、港湾ギルド近くを通ったこともあって、警備隊の詰め所に顔を出してくるというカトレアと分かれ、残された私とクロさんは、以前テッドくんと気まずくなった時に訪れていた喫茶店にやってきていた。

 もう三週間も経つのか、なんて思いながら、以前と全く同じテラス席に腰かけて、私はクロさんが買った革製の胸当てと布製の指ぬきグローブの入った袋を隣の席に置いて、海に沈んでいく夕陽を眺めている。


「――ほい、おまっとさん」

「あ、ありがとう」


 差し出されたのは氷の入ったアイスカフェオレ。私はそれを受け取ると、クロさんは自分のアイスコーヒーを片手に隣の席へと腰かけた。


「いやぁ~今日はマジで助かったぜぇ」

「それはまぁ、返してくれるからいいけど、今後は無駄遣いしちゃダメなんだからね?」

「へいへい、胆に銘じときますわ♪」

「軽いなぁ、もう……」


 背もたれに腕を乗せたクロさんはテーブルの下で足を組んで、軽い調子で答えながらストローを咥えてコーヒーを飲む。

 そんな彼に私は苦笑を浮かべて、彼に倣ってカフェオレを飲む。……あ、美味しい。


「最近蒸してきたねー」


 今日一日、外を歩いて分かったけれど、やっぱりこの街に来た当初よりも気温や湿度があがってきている。

 カトレアやクロさんも今日は薄着だったし、私もそろそろ衣替えの時期かもしれない。

 そう思った私はパーカーを脱いで、長袖シャツになりながら再びカフェオレに口を付けた。


「まぁな。天候予測士の話じゃあそろそろ雨期に入るっつってたぜ?」

「それじゃあ、暫くクロさんの方はお仕事お休み?」


 雨期に入れば地下の地盤が緩んでしまう可能性もあることから、大雨などが続いた後は炭鉱が一時的に閉鎖されてしまう事がある。

 クロさん曰くそれでも排水用の設備も整いつつあるようなので、この先数年でそういった大型連休もなくなってしまうのだとか。


「うんや、炭鉱の採掘自体がストップにはなるが、鍛冶の仕事は続行なんだわ」


 休みが欲しいねぇ、とクロさんがしみじみしながら言うので、私もつい笑ってしまう。


「ふふっ、でも本当に意外だった。まさかクロさんがお休み削ってまでお仕事してるなんて」

「そか? まぁ覚える事なんざうんざりするくらいあるからな。そこんトコは、お前さんとちょいと違ってるところか」

「ん、違ってはいないと思うけど……?」

「お前さんの場合、自分テメェで仕事作って切り盛りしてんじゃねーかよ。先輩が居る俺達の場合はある程度新人の仕事ってのは決まってるんだぜ?」

「私もそうだよ。元の世界で図書館を動かすにはどうすればいいのか考えて動いてる所もあるし。あと、この街にも大きな図書館があるんだから、色々聞いたりね」


 先輩の話は聞いて学んで、見て学ぶべき。地球の学校での図書室の運営や管理方法も含めて、この世界のシステムに一人の《彷徨人》として、どの様な角度でアプローチをかけていくか。

 今はまだ学園の図書館という小さな規模でやらせてもらっているけれど、この考えを持つ人が私達のクラスにはたくさんいるはず。

 少しずつ、私達も《彷徨人》として動き始めているのかもしれない。この街を良い方向へ動かす新しい『風』として。

 私は海を見つめながらそう語ってカフェオレのストローを再び咥えると、クロさんも「ほーん……」と言って、私と同じようにコーヒーを飲みながら茜色の水平線を見つめた。

 そしてふと、クロさんが「ん?」と何か思いついた様に視線を上にあげる。


「俺ら、この世界に来てからこうしてゆっくりサシで喋んの初めてじゃね?」

「そういえばそうかも……」


 苦笑を浮かべた私はそう答えると、クロさんは後ろ頭を掻きながらケラケラと軽く笑った。


「はーっ。なんつーか、すっげぇナチュラルにお前と話してたわ」

「平日はあまり会えてないのにね?」

「それなぁ」


 ぐでっと力を抜いて背もたれに頭を預けるクロさんが少し可愛く見えて、「ほーら、コーヒーこぼれちゃうよ」と彼の手に持っていたカップを預かる。


「……今日のお前、優しすぎね?」

「なにか他にやましい事でもあるの?」

「いや別に?」


 にっこりとクロさんに満面の笑みを向けると、彼は無表情で海に顔を向けて逸らした。そこでポーカーフェイスに切り替えるんだもの、なんかずるい。

 私はテーブルに上体を預けて頬杖をつきながらしばらく彼を見つめる。……あ、寝ぐせ発見。指摘したら恥ずかしがるかな?

 内心でニヤニヤしながら彼を観察していると、気恥ずかしくなったのか徐々に彼の耳が赤くなっていった。

 ……はぁぁ、何この可愛いクロさんレアすぎる。ツンデレ? ツンデレなの? どうせ私が耳赤くなってるよって指摘しても「夕陽のせいだろ」とかすっとぼけるに決まってるし。何かいい案は……ないなぁ。

 何かしてみたい。そんな強い欲求に刈られそうになる。……でも、いつもからかわれてばかりなんだもの。たまには私から仕掛けても文句は言われないよね?


「ふふっ、クロさん」

「あん? どしたよ?」

「寝ぐせついてる」

「っ!?」


 腕を伸ばして彼のこめかみあたりに出来た寝ぐせに触れて、くしくしと手櫛で癖のある髪を落ち着けると、クロさんの肩がビクッと震えた。


「クロさんの髪の毛って結構固いよね。セットするの大変じゃない?」

「ふ、風呂入れば割と……」

「ふーん……?」


 髪の質が硬いのか、つんつんとした襟足の髪を触っていると、「いつまで触ってんだよ……」とクロさんの呆れたような声が聞こえてくる。


「だって、男の子の髪ってあまり触ったことなかったから……珍しくて」

「ンなレア素材見つけた時みてーな言い方すんなよ怖ぇだろ……」

「あながち間違いじゃないから困っちゃうなー」


 くすくすと笑いながら答えると、彼は私に背中を向けて椅子の縁に手を添えた。ほほー? もっと弄っていいのかな?

 でも、髪触られても結構大人しいんだ、クロさん。落ち着いてるのか、それとも私なんて眼中にないのか。

 そんな事を考えていたら、ぽつりと彼が呟いた。


「お前ってさ」

「うん?」

「俺にゃ遠慮がないよな」


 ざあっと、潮風が吹いてお互いの髪が揺れる。

 一瞬で吹き抜けていった風が、まるで私達の音を消していった様に思えた。

 私が席を立ち、彼の頭を抱き抱えた音さえ、聞こえなかったのだから。


「は……?」

「……クロさんだけだよ?」


 目を大きく開いて、呆けた顔を浮かべたクロさんが頭上の私を見つめてくる。

 そんな彼に、照れくさくなった私は笑いかけた。


「どの世界でも、私の事を一番に知ってるのはあなたしかいないから。……だからかな、私はきっと、クロさんに甘えちゃってるんだと思う」

「ンな事ねーだろ……。ってか、俺にしてみりゃお前さんは自分に厳しすぎると思うぜ? こっちが甘やかしてやらねーと、俺らの知らねぇトコでぶっ倒れちまいそうなくらいには、な」

「そう言って貰えるのは嬉しいけれど……。これ、実は頷いちゃったら甘えてるってことなんだよ?」


 苦笑を浮かべる私に、クロさんは困ったように眉根を寄せながらため息を吐く。

 そしておもむろに上がった彼の右腕が、私の頭をわしわしっと撫でた。


「わっ……」

「だーから、何度も言ってんだろ。甘えろっつってんだよ。つか甘えてけ」

「……っ……」


 そんなの無理。

 言葉が喉に引っかかって……私は、開きかけた口を噤んでしまった。


 誰かに甘えた記憶なんて、小学校以来で。その時はお母さん達に甘えてゲームの世界に入って――現実から逃げた。

 今の私がそんな事をしたら、皆が離れて行ってしまう様な気がして。

 私はエルの様に上手な甘え方もできないし、カトレアみたいに言いたいことを言えるわけない。

 ぎこちなくて、慣れないことをすれば相手も察して、距離を置かれてしまう。

 そんな私が皆に甘えたらと思うと……そうなってしまうのではないかと、とても恐ろしくなる。

 初めて出来た、大切な友達。仲間。相棒……。

 自分の行動ひとつで変わってしまう関係じゃないっていうのは分かってるし、信じてもいる。

 けれど、更に一歩踏み込んでいく勇気が……今の私にはまだ、足りない。


「………」


 クロさんの頭を抱えた腕はそのままに、きつく目を瞑って唇を引き締める。

 ……言えない。彼は待ってくれているのに、身体が動こうとしない。

 長い付き合いがあるからこそ、クロさんにとってもこの間は辛いはず。それは分かり切ったことなのに、どうしても……。


「――リア」


 不意にクロさんの真剣みを帯びた声が耳に入って、私は目を開いて視線を落とす。

 久しぶりだった。いつも私の事を「お前」とか、「お前さん」なんて言葉で片付ける彼が、私の名前を呼んでくれたのは。


「……なに?」


 そこには、呆れた様に笑うクロさんの顔があった。


「昔っから、お前は甘え下手だったもんな」

「え」

「……誰かの厚意に素直に頷けねえ。んでもって、先にその輪に入った近しい人間から誘われねーと輪に入れねえ。そんなヤツが居なかったら、ずりぃ言い回しをしてようやっと頷く」

「うぐ……。だって、私より上手な人はたくさんいたし、指示を出すだけでマトモに戦闘に貢献しない人よりかはそっちの方が――」


 ぽんぽんっと、軽く私の頭を撫でたクロさんは腕を下ろして、フッと朗らかに目を伏せて笑う。


「完璧超人なんて要らねーんだって。一緒に居て落ち着いたり、楽しい奴と組んだ方が百倍マシなんだわ」

「私は、そんなに楽しい人間じゃないよ?」

「それでも」

「面白い事も言えないし、誰かを笑わせる何かを持ってるわけでもないんだよ?」

「ンな心配、そこら辺の犬にでも食わせちまえよ。だからな……リア」

「……クロさん……」


 一つ一つ言葉を交わしていく度に、彼の頭を抱く力が強くなっていく。

 その度に、彼の気持ちが本当なんだって思い知らされる。

 気付けば私の頬には涙が伝っていて……クロさんの名前を呼ぶ声は、完全に涙声になっていた。


「俺達は――いや俺は、そんな奴なんかより『リアおまえ』が良いって言ってんだっつの。この気持ちは一生変わらねえわ。七・八年も同じゲームして遊んでんだ、変わるわけもねえ」

「……うん」

「何度も言うぞ? いや言ってやるわ。お前が素直に頷くまで、何度でもな」

「うん……っ」


 あぁ、やっぱり……。

 この人には、敵わないなぁ。

 何度も頷きながらそう思う。思ってしまう。

 支えて、支えられてを繰り返している関係だからこそわかる。いつも棘のある言い方をする彼の言葉が、本心だということを。

 彼の心に、たまに優しくて、厳しい言葉に……どれだけ支えて貰ってきたんだろう。それが甘やかされているというのも分かっているのに、自分で立って、言葉にして伝えなきゃいけないのに……どうしても、縋りたくなる。


「またそんな風にヘタレたら、俺がしっかりお前の背中をぶっ叩いてやるからよ」


 目を開いて優しい表情を浮かべたクロさんに、彼の拘束を解いて、指で目尻の涙を払った私は困ったように笑いかけた。


「……それは困る、かも。痛いんだもの、クロさんの手」

「っへへ、喝は入るだろ?」

「まぁ、ね……」


 パチッとウィンクしながら笑うクロさんへと遠い目をしながら答えると、彼は目を伏せながら私の方へ振り返って、腰ポケットに手を入れてまさぐり始める。


「――まっ、丁度いいキッカケにゃなっただろ」

「ん……? どういうこと?」


 クロさんがポケットから取り出して、訝し気に小首を傾げていた私は、差し出されたそれを受け取って……言葉を失う。

 ……宝石のサファイアの様に煌めく、純度の高い水精石は楕円形に加工されていて、同型の金で出来た型番に填め込まれ、その下に輪を通し、エメラルド色の風精石を錐型にして吊るされた……金細工の耳飾り。

 それもピアスではなく、耳に掛けるタイプの。

 ハーフエルフの長耳でも落ちない様に、耳の裏で固定できるよう工夫された造りをしている。


「クロさん……これって」

「やるよ。恥ずかしながら、これが今、俺に出来る最高傑作なんだわ。半分っきゃ出来なかったけどな」


 顔を上げると、クロさんは苦笑いを浮かべながら後ろ頭を掻いていた。

 宝石みたいに色の濃い魔石はかなり高価で、普通の人ならアクセサリーとしても使えるし、私みたいな魔術師のはしくれとしても魔術的にかなり価値のある逸品。

 相場ではこのくらいの大きさは金貨3枚ほどで、生活を切り詰めれば一か月は何もしなくても食べていける金額。

 どうしてこんなものをクロさんが……と考えたけれど、すぐにハッと気付く。


「……待ってクロさん。これ材料費いくらしたの……!?」

「あん? ……だ、大体金5銀8、ってトコだ、な……?」


 物凄い勢いで詰め寄った私にクロさんは引き気味に答える。その額には脂汗が滲んでいて、半笑いを浮かべたクロさんは視線をあさっての方角へ向けた。


「……街から貰える給付金が毎週金貨1枚と銀貨5枚として……毎日働いてもお給金が銀貨4枚くらいでそれにご飯代を払うとなると……ぶつぶつ……」


 ……この子・・・が銅貨5枚しか持っていないのも頷ける。


「はぁぁ~っ……。プレゼントしてくれるのは嬉しいけれど、もっと自分の生活にも気を配ってよ……」

「まぁ試験までには間に合わせたかったんでね」


 脱力しながら彼の御金遣いの荒さを窘める私に、へへっと屈託のない笑顔をくれるクロさん。……でも、私は全然許してませんからね。

 でも、それでも。


「……ありがとう。素直に嬉しい」


 相棒からの、初めての贈り物。御金遣いが荒い所を叱りたい気持ちはあるけれど……それを貰って、嬉しくないわけがない。

 個人的にかなり戦力になる一品を抱き締める様に握ると、クロさんは「おうっ」と上機嫌にうなずいてくれた。


「着けてみてもいい?」

「是非そうして貰えっと」


 どうぞどうぞ、と言う様にクロさんは軽く手を振って、私は右耳にその耳飾りを着ける。

 髪を軽く耳に掛け、その耳飾りのつるつる、ごつごつとした手触りを楽しみながら、腕を組んで見守るクロさんへそれを見せながら訪ねてみた。


「……どう、かな?」

「似合ってると思うぜ? 眼鏡の邪魔になってねーといいんだが」

「うん、全然邪魔にならない。重くもないし、とても着け心地もいいよ?」

「そか。ようやっと安心できたわ……」


 安堵の息と一緒に肩を落としたクロさんがちょっとおかしくて、私はくすっと笑う。


「よーし、そろそろ夜になっちゃうし、近くで食材とか買ってから帰ろっか」

「お供しますぜ、お嬢さん」


 仰々しく一礼したクロさんは荷物を持って立ち上がり、帰路へつく。


「クロさん何が食べたい?」

「ん、奢ってくれんのか?」


「私のせいで金欠なんだし、暫くはお礼をしないとねー」

「んじゃあそうさな……ハンバーグとか」

「……クロさんって、割と子供舌?」

「ばっ……ちげーし!」


「あー、あとお小遣い帳も買わないと」

「その話まだ生きてたのかよ!?」

「金欠くんに自費はない。……なんちゃって」

「お前……それは寒ィわ……」

「ひどいっ!?」

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