第18話 大切なもの

       ◇Side Crow◇


 それは定期試験が間近に迫った放課後。訓練を終えリアの管理する図書館でコーヒーをご馳走になっていた時のこと。


 ――がちゃん、というガラスが割れた音が図書館の準備室に響き渡り、その音を聴いて部屋の外で事務作業をしていたリアが慌てて入ってくる。


「クロさん!? 大丈夫……!?」

「お、おぉ……。悪ぃ……カップ割っちまった」


 そこにはあーあー、と床に散らばったティーカップの破片をせっせと屈んで集めるクロウの姿があり、顔を上げた彼は申し訳なさげに苦笑を浮かべていた。

 リアは近くにあった掃除用具入れから箒と塵取りを出しながら、慌ててクロウの手首を取ると、その手に傷がないことを確認して安堵する。


「……もうっ! 近くに道具があるんだから怪我する様なことしないの!」


 安堵の息を吐いた直後にお叱りを受けたクロウは目を点にして茫然としていた。

 まさかあのリアから叱られる日が来ようとは思いもよらなかったのである。

 リアもちょっと言い過ぎたかな、と思い眉根を寄せ、心配そうな表情を浮かべながら彼を見上げると、その顔に「どうかした?」と尋ねた。


「いやぁ参ったぜ。まさかリアルのお前さんに叱られる日が来るとはなぁ」

「あのねえ……」


 いつもの飄々とした態度で応えると、また怒られたいの? とこの上ないほどの笑顔を浮かべるリアにクロウは笑いながら「悪い悪い」と軽い調子で謝罪する。

 洗い終えたマグカップを棚に戻そうとした時に、誤って隣のティーカップに手が当たり床へ落としてしまったという俘虜の事故だったのだが、まさか割られたカップよりも自分を心配されるとは。


(そういや、コイツはそんなヤツだったわ)


 リアから箒と塵取りを受け取ったクロウは割れたカップを集めながら過去を思い返す。



       ◇回想◇



 ゲームでも変わらず、こんな性格だったクロウは、よくプレイヤーキラーと呼ばれる対人専門のプレイヤーに絡まれることが多かった。

 クエストなどを受注してこなす中でそういった存在と鉢合わせする事もあり、戦闘が絶えない生活。

 その日はたまたま護衛系のクエストを受け、戦闘フィールドを通りかかる所で、プレイヤーキラーの集団と遭遇したことがある。

 護衛対象も殺害対象になっているため、クロウは必然的にその護衛対象を護りながらの戦闘になってしまい、数の暴力によって護衛対象を殺され、多対一といった状況へ徐々に追い込まれていった。

 今まで自分が蒔いてきた種だというのも分かっていたし、それは彼なりに覚悟をしていたこと。

 それでも、数の暴力によって仮想の自分がボロボロになっていく姿は、いくら精神の強い彼であっても堪えた。


 そんな時だった。彼女が現れたのは。

 一本の藍色の杖を手に取り、白いマントの様な装備を身に纏い、使い魔のフェレットを肩に乗せた彼女――リアが、クロウへと群がった集団を魔法で弾き飛ばし、無理矢理抉じ開けられた空間へと彼女を中心に何人ものプレイヤーが入り込み、戦況を押し返していく。

 前線を事細やかに把握しながら指示を飛ばしていく彼女から、回復アイテムが差し出され、


『――何をしてるの! 早くその人を蘇生して!』


 と、大声で叱られた事は、数年前の記憶であってもクロウの脳裏にしっかりと焼き付いていた。

 叱られた時には暴言並の衝撃を受けたクロウだったが、それ以降彼女の言葉を思い出す度に、その言葉は優しさ以外の何物でもなかったことを分からされる。

 それからクロウは、彼女は意味もなく怒る人間ではないと、そしてその怒りは純粋に相手へ当たり散らすものではなく、母親の様な優しさに満ちたものだと……彼女の為人ひととなりを理解した。

 クロウが辿ってきたゲームの世界では珍しい、強さによって自分の欲求を満たす人間とは正反対なリアの性格は、彼が惹かれるには充分すぎる程の魅力を持っていたのである。

 これが二人の出会いであり、やがて相棒とまで呼び合えるくらいには、お互いを知り合ってきた。


 結果的に《メラツィアココ》へやってくるまでは、彼女だという確証を持てなかった程度には。

 それが情けなく、今更だがクロウはリアに対して気付けなかった事への罪悪感を抱いている。



       ◇Side Crow◇



 ――俺が転入してきたコイツへ真っ先に声を掛けてやれば、コイツは周りとの距離感が測れないまま異世界転移、なんて事にはならなかったはずだ。

 他に誰かと話していても、俺の性格なら割り込むことだって出来た。それをしなかったのはなんでだ?

 決まってんだろ、現実の自分に自信が無かったからだ。自分テメェが、彼女アイツに対して自信を持って『俺だ』と言ってのけるくらいの自信が。強さが。


 周りに与える印象ってのはキャラ付けと同じで、「コイツはこんなんだからアレはダメだコレはダメだ」と散々なことを言いやがる。

 ちょいと身の丈に合わねぇイレギュラーな事をしちまえば、誰もが必ずしも「キャラが違う」だの「何とかだと思ってた」だの呟いたり思ったりしやがる。

 俺もスクールカースト最下位を取れるくらいにゃ落ちぶれてたつもりだ。

 だからこそ、常々思っていた。


 そんな世界は真っ平ごめんだと。


 だから、こうして姿形を、親に与えられた名前すら変えて異世界に転移出来たことは、俺にとっては不幸中の幸いだった。

 他人に振り回されず、やれ世間体だの、金の仕組みだの、そういった事を考える必要もなく、自由にお気楽に過ごせる。

 誰かの息子だからとしてではなく、『俺自身』として生きられるこの世界は、俺にとっては今までの人生で最も幸福なことだろう。


 それでも。

 テメェの事で手一杯だってのに、頭の片隅にゃいっつもコイツリアが居やがる。

 長年の付き合いでお互いの身の上話までしちまってる以上、それは別に苦でもない。

 むしろ、家族の次に俺の事を知ってる人間だと、周りの人間に言ってもいいぐらいには、信頼している。

 それでも、頭を小突けばコテンと倒れちまいそうなコイツが、正直誰よりもこの環境に順応し、テッドやエル、現地の奴らと後ろめたさもなしに交流を広げている。まぁ、これは良い傾向だわな。

 挙句の果てにゃ“魔術”なんてモンに手を出し始めた。

 ルビアに聞きゃあしっかりと知識をモノにしちまえば危険性は下がるとは言ってたが、そらそうだろ。世の中にゃ説明書すら読まずに手を付け始めるヤツだっているんだ。リアがそんなヤツだったらどうするつもりだったんだよと、話を聞いた時にルビアの胸倉を掴んじまうくらいには、熱くなっていた。

 だから、まぁ……。

 ――俺は彼女の事が心配なんだろう。

 視界に入らなければ気になる、勉強疲れか仕事疲れか、はたまた両方なのか。ゲッソリした顔で帰ってくる姿を見りゃそら心配にもなる。

 この気持ちに偽りはないし、誰かにコイツの事をどう思ってるかと聞かれれば素直に答えられるはずだ。

 それくらい、俺にとっては大切な身内・・であり……相棒なんだろう。


「……クロさん?」


 ……っと、考え込んじまったら手止まってたか。

 箒の柄を顎に乗せていた俺は、声を掛けてきたリアへと向き直る。


「あん? どうしたよ?」

「どうしたは私の台詞だよ。……本当にどうしたの? ぼーっとしちゃって。疲れちゃった?」

「っはは……。ンな心配そうな顔で見んなっての。それこそこっちの台詞だぜ」


 よく見りゃいつもより瞼が垂れ下がってる。恐らく昨日も深夜まで勉強やら修行やらに明け暮れてたんだろうな。

 ああいや、こりゃ怒ってんのか? ルビアの食器高そうだったからな……。弁償なんてビンボーな俺にゃムリだ、ムリムリ。

 リアは俺の言葉にむっとした顔を浮かべ、床に羊皮紙を広げながら唇を軽く尖らせる。


「む。仕事をする程度には体力温存してますよー、っと。正直クロさんの方が心配だよ。ぼーっとしちゃうくらいなんだから」

「へへ、言うねぇ。――まぁ心配すんな、自分テメェ後片付け・・・・くらいはしてやっから」

「……? どういうこと?」


 立ち上がりながら頭上に疑問符を浮かべ、小首を傾げるリアの背中をばしっと手で押して元の作業へ戻るように促す。

 俺はいつものポーカーフェイスを装いつつ、笑いながら答えた。


「そのまんまの意味だっての。おらっ、お前さんはとっとと仕事に戻れよ」

「人遣い荒いなぁ、もう……」


 リアは穏やかな苦笑を浮かべながら「よろしくね、クロさん」と言ってカウンターへと戻っていく。俺は「へいへい」と呟きながら、その姿を見送った。

 そして、彼女の視線が切れた後、俺は目を細めながら心に誓う。


 ――自分のケツは自分で拭かねぇとな。


 大切なモノと悟っちまった以上、それを曲げる事も、好き嫌いで判断することもできない。

 だとしたら、今の俺がコイツの相棒で在り続ける為に出来る事と言えば、今まで自分がしてきた事の後始末だろう。

 ……アイツのケツを持つのは、それからだ。


「やれやれ……めんどくせぇ」


 天井を見上げ、心の底から這い出てきた言葉を口にする。

 発せられたその口元は……愉快気に笑っていた。

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