第17話 一人の騎士として

       ◇Side Painted◇


 およそ二週間後に定期試験を控えた、ある日の昼下がり。ペインテッド・セージ――テッドは薄緑色のトレーナーに灰色のストールを首にかけ、下にはジーンズに革のブーツといったラフな格好で炭鉱区を歩いていた。

 自由行動日は原則的に学生は休日。勿論その休日を返上して見習い先に出向く生徒ももちろん居る。生真面目な彼も普段は休みを返上して騎士団の詰め所へ訓練をしに行くのだが、今日は目的があり珍しく休日らしい休日を送っている。

 高低差の激しい道なりを進んでいくと、短い階段の上には出稼ぎに来ている人々向けの安宿兼飲食店が広げられ、階段下までつながっている建物の裏手には小ぢんまりとした鍛冶屋があった。

 下に鍛冶屋を置くことで、炉の火を上階へ送ることも出来るからか、こういった形の建物が炭鉱区は多く、無駄のない土地の使われ方は流石この街の『技術』を結集した場所だろう。


(流石に休日だと、クロウは休みかな)


 それもそうか、と苦笑を浮かべながらテッドはその鍛冶屋の扉を開く。

 カランカランと小気味の良い来店を知らせるベルが店内に鳴り響き、焼き粘土で造られた無骨な内装を見回していると、奥の工房から銀髪の青少年が顔を出した。


「らっしゃっせー♪ ――おっ、あんだよテッドじゃねーか。珍しく休み取ったのかよ?」

「ああ。クロウは……仕事中か?」


 その青少年――クロウ・サイネリアは珍しい客に一瞬だけ目を見開いたあと、いつもの調子で彼へと歩み寄る。

 お互い知り合って間もない間柄だが、飄々としながらもしっかりと筋の通ったクロウをテッドは気に入り、自分にない真面目さのある、ある種正反対な性格をしている彼をクロウもまた気に入っていた。


 クロウは炭鉱ギルドに所属した際、当初から鍛冶見習いを希望しており、体育会系の色が濃い環境の中で仕事をしているため、帰りは遅い。騎士団の仕事をしているテッドも仕事の後片付けなどもあり、大体お互いが帰宅する頃にばったり街中で会ったりすることが多かったりする。

 お陰で男同士で語り合う機会も多く、今ではお互い軽い愚痴を言い合ったりする様な仲になっていた。


 見知った顔が出てきたことで一安心したテッドは、休日を返上してまで職場に通うという予想とは異なったクロウの姿に内心で驚きながらも朗らかに笑う。

 クロウは不承不承といった具合で襟足に手を当てながら肩を竦めた。


「まっ、そんなトコだな。それよりどしたよ? お前さんも武器の手入れか」

「……も?」

「入ってみりゃわかるぜ。買い物がてら見てくか?」

「あ、ああ……それじゃあ、お邪魔するよ」


 彼の言葉を反復するように小首を傾げたテッドは、クロウに連れられ工房の中へと入っていく。

 今日は炉に火を入れていないのか、むわっとした熱気が工房にはなく、いつもいる親方の姿さえない。

 ただ、足踏みミシンの技術が応用されて出来た研磨機がゆるく回転しており、先程まで彼が作業していたことが判った。

 そんな静かな空間に一人、壁に身体を預けてクロウを睨み付ける紫髪の女性がいる。


「あれま、誰かと思えばテッドじゃん」


 お疲れ、と言って片手を振りながらテッドへ声を掛けたのは、クロウと同じく異世界からやってきた《彷徨人》であるカトレア・ミャーマ。その手にはコーヒーの入ったマグカップが握られており、クロウは奥の休憩室から新しいコーヒーを持ってきた。

 クロウの言い方からもしや、とテッドは思ったが、そのまさかだったようだ。

 ウィザードであるリアならば鋼鉄製の武器は必要がないうえ、妹のエルなら彼の言葉も違ったろう、と踏んでいたのである。


「お疲れ。君は武器の手入れか?」

「まぁねー。ぶっちゃけ港湾区からも近いし、楽なのよ」

「ははは、なるほど」


 青地のロングコートと、内側をホワイトシャツに黒無地のスカート、そして焦げ茶色のロングブーツといった湾岸警備隊の制服から察するに、仕事の休憩時間を貰ってやってきた、といったところだろうか。


「ほらよ」

「ああ、ありがとう」


 工房へ戻ってきたクロウからマグカップを受け取り、先客が居るなら少し待たせてもらおうと思ったテッドは、カトレアの近くで同じように壁へ寄りかかり、研磨機の前にある椅子へ再び腰かけたクロウの後ろ姿を見る。


「へぇ……結構しっくりくるな」

「そうなのよねー。アイツの事だからてっきり適当なトコでサボると思ってたんだけど」

「ははっ、確かに。クロウは真面目に仕事しない方だと思ってたよ」


 そんな二人の言葉にクロウも黙っていられなくなったのか、軽く振り返りながら抗議の声をあげた。


「うぉいっ! お前ら聞こえてんぞ!?」

「アンタはしっかり仕事しなー」

「ったく……」


 カトレアの言葉ももっともで、クロウは苦笑を浮かべ肩を落として作業へ戻ってゆく。

 彼の手で研磨されているのは“大太刀”と呼ばれる代物であり、クラス上では大剣のカテゴリに組み分けされている。

 見習い先である湾岸警備隊での訓練の結果なのだろう。潰された刃は細かい凹凸が出来上がっており、それをクロウが丁寧に研ぎ、元の状態に戻していく。

 定期試験前、進んで自分からパーティー入りを辞退した彼女だったが、それからも自己研鑽を続けて居るのは、それを見れば一目瞭然だった。

 良かった。彼女も立ち止まってはいないのだとテッドは心の底から安心する。

 しかし、そこで同じ剣を扱う者として。彼女が剣を選んだ理由を尋ねてみたくなった。


「そういえば、カトレアはどうして剣を持つ気になったんだ?」


 リアを始め、《彷徨人》の女子の殆どがレンジャーやウィザードといった中衛、後衛系のクラスを選んでいた。勿論カトレアの様にソードマンや格闘職であるファイターを選ぶ女子もいた。

 それでもテッドにとっては数少ない女性の《彷徨人》の友人で、身近な存在だ。気になるのも当然というもの。

 カトレアは一瞬キョトンとしたあと、「あー」と声をあげた。どうやら答えてくれるみたいだ。


「最初は魔法とかにも興味はあったんだけどね。でもやっぱ、下手に魔法撃ちまくるより剣で斬りかかった方が性に合うからなのよ」

「……え、それだけか?」

「それだけも何も、リアみたいにしっかり状況を理解して手を出す子の方が絶対いいじゃない? そんでその子が安心して魔法撃てるようにアタシが動き回んの! カッコいいっしょ?」

「まぁ、それはそうだが……。自分の心配は?」

「モチ、心配はしてる。だから実戦を経験する機会が多い湾岸警備隊ココ選んだんだし」


 彼女は苦笑しながらウィンクして、制服のコートの襟を軽くつまんで見せる。

 なるほど、とテッドは納得した。

 戦闘への恐怖で戦えない《彷徨人》を始めとした街の人々もいる中で、彼女は恐怖心と戦いながらも自分のスタイルを模索しているのだと。

 そして、「自分と一緒だ」ともテッドは感じていた。


「お互い大変だな」

「ん? テッドはなんか悩みでもあんの?」

「まぁ、今日はその為に此処に来たんだよ」

「ふーん?」

「ほーう?」


 気恥ずかし気に片頬を掻いたテッドに、カトレアだけでなく作業を終えたクロウも振り返る。

 クロウは太刀を鞘に納めて立ち上がると、カトレアへそれを手渡しながら腕を組んで聞く姿勢を取った。


「どういうことだよ?」

「この間の朝練、みんな見てくれてたろう?」

「あー、あのスタミナ切れのやつね」


 彼女の言葉にテッドは軽く眉根を寄せながら頷く。


「あれ以来足腰の鍛錬はしてるんだが……。なんというか、足を意識しすぎて上が付いてこないことが多くてさ」

「まっ、片方鍛えると変なクセが残るからな」

「そういうもん? アタシそんなに気にならないけど」

「リーチの長い武器使ってりゃあ、そら気にならないだろうが、片手剣レベルのリーチは踏み込みなんかの深い浅いで感覚がかなり違って来んだよ」

「その通り。最近踏み込み過ぎて立ち回りがおかしくなってきてるんだ……」


 なるほど、と納得するカトレアとクロウ。

 ただ、テッドとしては問題点を理解したというだけで改善されたというわけではない。

 だからこそ、彼は鍛冶屋ココにやってきたのである。


「……純粋にリーチを長くするだけなら流石に他ントコへ買いに行ってるわな」

「ああ……。騎士団の先輩に相談してみたんだが、盾を持ったらどうだろう、って言われてさ。正直オレも戸惑ったよ」


 テッドは苦笑しながら後ろ頭を掻くと、クロウはそんな彼の姿を見て顎に手をやり、ゆっくりと上体から足先まで眺めていく。

 やや細身に見えるが、その裏側は筋肉で引き締まっている。片手剣一本を手に立ちまわっていたことから剣の腕は確かなもの。

 足腰に力を入れた事が原因なら、その軽さに重りを与えればいい、というのがクロウの見解だった。


「いいんじゃねーか? お前見た目はヒョロいクセに意外とガッシリしてっから、盾との相性もいいと思うぜ?」

「意外とってなんだ意外とって……」

「まーでも、テッドは着痩せするタイプよねー」


 ジト目でクロウを睨むテッド。こっちは真剣に悩んでるんだぞとでも言いたげな視線を受けたクロウは、ニヤッと笑いながらその視線をいなし、頭の後ろに手を組んだ。


「へへっ、まぁ百聞は一見に如かず、ってヤツだ。サイズ合わせて適当なの見繕ってやるよ」

「よろしく頼むよ」

「ほいじゃあ、アタシは仕事戻るわー。テッドも大変そうだけど頑張りなさいよ? アンタの後ろにはリアが居んだからね」


 カトレアの言葉に、テッドは一瞬呆けた顔を浮かべる。そして彼女の手がテッドの肩をぽんっと軽く叩かれてハッと気付く。そしてその意味の裏を理解する。


 騎士としてこの街に住まう人達を護りたい。その一心でテッドは剣を手に取った。

 そして一日でも早く、立派な騎士としてその役目を全うしようと鍛錬を続けている。

 しかしテッドは、心の奥底に、自分のすぐ後ろに守るべき人が居る、だなんてことは考えた事がなかった。

 その“騎士”という存在が、テッドの中で最も輝かしい目標が、一人だけではなく、同じ目標を掲げた人々の集まりであると思っていた。

 オレが倒れても誰かが居る。窮地に陥っても協力し、困難に立ち向かう仲間達が居ると……。それがペインテッド・セージが抱いていた“騎士”の理想でもあった。

 彼の理想は、考え方は間違ってはいない。だがそれでも、テッド自身はそれが他力本願であったと……今更ながらに気付く。


 ――オレが、護らないといけないんだよな。


 騎士の見習いとして働き出して一月半。ようやく『一人の騎士』としての自覚を持ったテッドは、今までの自分の思考の浅さを強く恥じた。

 ここに彼女リアが居てくれたなら、きっとカトレアや自分をフォローする優しい言葉をかけてくれるだろう。どこまでも優しく、純粋な彼女の事だ。「テッドくんはそのままでも良いんだよ」と……ひょっとしたら言ってくれるかもしれない。

 テッドはふっと俯きながら、一瞬だけ頬を緩ませる。しかしすぐに表情を引き締めていく。

 こうして彼女がいない場所だからこそ、その言葉と真剣に向き合う事ができる。

 果たしてどちらが良いのか。決まっている。一瞬の支えはあっても、この言葉はいつか必ず向き合わなければならない。自分の問題だというのに、リアに甘え、問題を先送りにしてしまうことだけは……彼自身が許せなかった。

 先輩との稽古で無様な姿を晒した時。リアに支えられた事で、その心地良さを知った。けれど、いつも彼女に甘えてはいられない。

 今、彼女も“魔術”という、テッド達には日常に浸透し、見えて来なかった新しい技能を身に着けようと努力しているのだから。


 ――なら、オレも一歩踏み出そう。“個”を護る騎士として。自分を支えてくれる人達の為にも。


 街の人々を護る。その理想はそのままに、テッドは『騎士団の中の一』という意識から、『一人の騎士』という認識へと塗り替えていく。

 目を伏せ、眉根を寄せながらもしっかりと、改めて現実と自分の理想を見つめ直す。

 何気ない友人の一言が、此処まで自分に影響を与えてくれるとは思わなかった。

 本来なら自分自身が行き着かなければならなかった問題に至れなかったことから、悔しさもあり、しかしそれでいて……気付かせてくれる友人がいることに深く感謝する。


 テッドは一度深呼吸して、すっと顔を上げてカトレアへと真剣な眼差しで答えた。


「ああ……そうだな。精一杯足掻いてみせるさ」

「その意気よー」


 んじゃね、と言って手を振りながら鍛冶屋を出ていくカトレアの姿を、二人は見送る。

 それからテッドはクロウと装備の相談を始めてゆく。

 誰かを護るという、新たな決意を胸に秘めながら。

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