第15話 魔術師としての日常
――かくして、私の《魔術師》としての修行は始まった。
図書館の再生、定期試験への準備……。そして、ルビア先生からの魔術についての授業。
課題は沢山ある。けど、それは全部私を縛るものではなくて。自分の“やりたいこと”だと理解するのに時間は掛からなかった。
特に魔術の勉強は幅が広くて、私の中で最も熱中できるものに変わっていく。
黒魔術、白魔術、召喚術、錬金術、精霊術……。
知識を深めれば深める程、魔術という存在はヒトに近しいものであると分かる。
早く魔術を自在に操れる様になりたい。その一心で、時間さえあれば図書館や自室の机に向き合った。
そして、瞬く間に一週間という時は過ぎてしまった。
「――………」
朝陽が昇り切らない時間帯に、私は目を覚ました。
外はまだ薄暗い闇に包まれており、むくりと自室の机から身体を起こした私は窓の外をぼーっと見つめる。
学園の帰りに雑貨屋で購入した置き時計の針は早朝の四時半を指し、ゆっくりと目を閉じて深呼吸を繰り返した私は静かに椅子から立ち上がり、シャワーを浴びようと着替えを手に浴室へ向かう。
使い魔のシーダも最近は私に付きっ切りで魔術を使用する際のフォローに回ってくれていたので、大分疲れているみたいだ。ベッドを一人(?)で占領して大の字に寝そべっている。
熱い温水を浴びて意識もしっかりと覚醒してきたところでシャワーを切り上げ、身体に着いた水気を軽くタオルでふき取りながらそっと目を閉じた。
「《火精よ、我が身に纏いて、穢れを祓え》」
火精を利用した精霊術、《フレア・コンディショニング》を発動して、無数の緋色の蝶が私の周りを飛び交いながら包み込み、一瞬で髪や身体を乾燥させてくれた後、浴室全体を飛び回り、湿気を取ってゆく。
そんな火精達の姿を見守りつつ、肌着を着込んでからホワイトシャツに袖を通し、黒と赤のチェック柄のスカートを穿いてから白地のオーバーコートを着込んだ。
……はぁぁ、楽。ドライヤーよりも楽ちん。背中が拭ききれずに肌着を着て、「つめたっ!?」とイヤな思いをしないで済む。
「いつもありがとう」
小さく笑いながら、私の許へやってきた中でも一際大きな蝶を優しくつつくと、嬉しそうに何度か羽ばたきながら緋色の鱗粉を残しながら消えてゆく。
私はその鱗粉を両手で掬い取り、洗面台の前に置いていた小瓶へ詰め、軽く手を洗って髪型を整える。
ルビア先生曰く、エルフ族は精霊との相性が良いらしい。これはイメージ通りだったけれど、こうもすんなり習得できるだなんて思ってもみなかった。
自分の周りに漂う精霊の存在を認識し、意識しながら語りかける事でこんなことも出来るのだから、魔術というものは奥が深い。
魔術の属性は基本の四属性、地・水・火・風に加えて光と闇といった合計六属性で成り立っており、魔法はそれ以外に空・時・幻など様々な属性が存在する。
魔法の殆どは攻撃や補助といった戦闘系のものが多いけれど、魔術は戦闘は勿論、先日の街路灯の件といい、生活レベルでも充分役に立つ。
ルビア先生クラスになれば即興でオリジナルの魔術を作り上げることもできるのだそうな。本当、規格外な御師匠様です。あ、年齢の話はしてないからね。
閑話休題。リビングへ戻り、いつもの鞄を腰に巻いてシーダを抱き上げ左肩へちょこんと乗せる。
「(まだ寝てていいからね)」、と呟きながら頭を撫でると、くすぐったそうに身をよじった後すりすりと私の指に顔を擦り付けてきた。私の使い魔マジ天使。
戸締りをして廊下を歩きながら鞄から革製の手帳を取り出し、今日のスケジュールを確認する。
(えっと、午前中一杯は図書館業務、お昼休みを挟んだら図書館業務をしながら定期試験の対策会議……)
「よしっ」
ぱたんっと手帳を閉じて、内心で「今日も一日頑張るぞいっ」と自分を鼓舞しながら迎賓館を出て、真っ直ぐ郵便局前の中通りまで降りてゆく。
時計台を見上げると、時刻は午前五時半。空を見上げればうっすらと明るくなってきていた。今日もいい天気になりそうだ。
流石に早朝ともなれば人通りも殆どない。閑散とした中通りがこれでは、大通りの交通量もまばらだろう。
この時間だからこそ味わえる静けさと、陽が昇りかけた空。夜の冷たさの残る通り。こんなゆっくりと時間が流れていく雰囲気が、私はたまらなく好きだった。まさに早起きは三文の徳である。
そんな中通りの光景を呆けたまま眺めていると、彼がやってきた。
「おはようっ! 今日も負けたかー」
「あはは……おはよう。別に競争なんてしたつもりないよ?」
私の所まで駆け寄って、くそーっと爽やかに笑って悔しがるのはテッドくんだ。
ブレザーの腰回りには愛用の木剣が提げられており、彼も早朝の体育館を一人で掃除するのを日課としていることからよく会う事が多かったので、毎朝郵便局前で待ち合わせをして登校するようになった。
それでも起きるのは彼の方が圧倒的に早いみたい。エルによれば朝の三時半に起床して、自室で準備運動をしてから庭に出て剣の素振りや筋トレなどをこなし、登校の準備をするくらいハードなスケジュールを組んでいるらしい。その反面トレーニング内容はかなりシビアなのだとか。まさに体育会系だ。彼は一体何を目指しているんだろう、オリンピック選手とか?
最近は学園で会う事がめっきり減ってしまった私達だけれど、毎朝こうして仲間と近況を語り合えるのはとても大切な時間だと思う。エルとは放課後に大通りで落ち合ってお店を回ったりしながら帰ることが多いけれど、カトレアやクロさんなんて毎朝ギルドに直行だから、会えるのは夜の夕食時くらいだ。
来週はいよいよ定期試験が待っている為、そろそろ皆で一度集まろうという話になった。掛け合ったのは何を隠そう私。此処に来たばかりとは大違いの心境の変化に自分自身が一番驚いている。
皆それぞれ、慌ただしい毎日を送っている。それでも友達として、仲間として、苦楽を共にしたいと思うのはおかしなことだろうか。
仲間が集まれば愚痴だって聞ける。問題に直面した時、一緒に考える事もできる。楽しかった出来事や面白かった事を話して、笑い合うことだってできるのだから。
そして一番は、こうして集まれる“場所”が出来たことが、個人的には何よりも嬉しい。
こうしてテッドくんと毎朝落ち合ってお話しながら学園へ登校するのも、私にとっては大切な日常の一つだ。
どちらが言うでもなく学院へと歩き出す。
「そういえば、ルビア先生との授業の調子はどうなんだ? マンツーマンなんだろう?」
「うん。なんとかやれてるよ? ルビア先生も優しく教えてくれるから」
「それなら良かった。魔法でなく魔術の授業、だもんな……。オレ達も受けた事なかったから、心配だったんだよ」
「心配してくれてありがとう。でも、私は大丈夫だから気持ちだけもらっておくね。……そういうテッドくんは?」
誰も知らない授業を一人の生徒に教え込む。確かに未開の地へ踏み込んだ仲間が居たら私だって心配するに決まっている。
どうして思いつかなかったんだろう。せめて接点の多いエルくらいには伝えても良かったのかもしれない。
そんな彼なりの気遣いに感謝しつつ反省し、話題を切り替えるようにテッドくんの近況を尋ねてみる。
「最近は足腰を鍛えてるかな。荷物運びとかをずっとやってるよ」
「わぁ……重労働だね……」
登校前ですらトレーニングをしている彼のこと。「ずっと」と言うだけあって、その量も尋常じゃないくらいキツいはずだと言うのが判る。
それでもテッドくんは右の拳を握りしめ力強く語った。
「遣り甲斐もあるし、体力も付いて人助けも出来る! これって最高に良い事じゃないか?」
確かに、誰にでも優しい性格のテッドくんなら、そういった地味な仕事でも喜んで引き受けると思う。
人助けと言っていたことから騎士団の仕事以外にも色々なところでお手伝いを買って出ているんだろうな、っていうのは簡単に予想できた。
本人も爽やかに語っていて、その笑顔に表裏がない事から、本当に彼は今を楽しんでいるのが伺える。
しかしそんな毎日が続いているのなら、私の認識している限りでは休み無しで働いている彼の身体が心配になってくる。オーバーワークになっていなければいいけれど……。
私は笑みを崩さず、困った様に眉根を寄せながら一つ釘を刺しておくことにした。
「確かにそうだけど……。定期試験も近いし、身体にはちゃんと気を付けないとダメなんだからね?」
「あぁ。……最近朝しか会えてなかったけど、君はなんだか雰囲気変わったな」
少し驚いたような表情を浮かべたテッドくんは、小さく笑いながら嬉しい事を言ってくれる。
私は「そう?」と尋ねると、彼は大きく頷いた。
「なんて言えばいいんだろう? 雰囲気が少し柔らかくなった気がする」
「……少しだけ?」
「はは……。とても、なんて言ったら、以前の君と比べたみたいで失礼な気がしてさ……」
片頬を人差し指で掻きつつ苦笑を浮かべた彼に、私はそれもそうか、と思ってふふっと微笑む。
こうして誰かに“変わったね”と指摘されると恥ずかしかったりもするけれど、なんだか嬉しくて心が温かくなっていく。
その意味が侮蔑などマイナスな印象を与えないからか、その言葉はくすぐったくて、すんなりと受け止めるのも照れくさくて。
過去の自分ならきっと何か裏があるんじゃないかと勘繰っていたはずなのに。
今の私は、素直に受け止めることができていることに『変化』の兆しを今更ながら感じることができた。
だから、言おう。感謝の気持ちを精一杯この言葉に籠めて。
「皆が居てくれるからね」
「……そうか。なら、オレ達もそうあれる様に頑張るよ」
目を細め、とびきり優しい眼差しで微笑んだテッドくんの笑顔は、今まで見た事がないくらい……魅力的だった。
◇
「……これでいい、かな?」
私は図書館内の清掃を終え、入口にスタンド看板を設置しながら内容を確認。
雑貨屋で購入した看板に書かれているのは、本日行う初等部向けの読み聞かせの内容。これは平日に三度、お昼休みに開催している。
白チョークで描かれた羊と犬の絵はエルが書いてくれて、その可愛さも相まって、初等部生徒の利用量が最近順調に伸びてきていたので、それ以降もこの絵を消さないように細心の注意を払って字を書き直してます。絵心ないからなぁ私。
放課後は中等部の勉強スペースとしても使われるようになっているし、昼休みは下級生と触れ合える憩いの場としても利用してくれている中等部の子も多く、時折読み聞かせを代わってくれるので助かっている。ありがたや……ありがたやぁ……。
そのうえここの図書を私一人で管理しているからか、手伝ってくれる子もいたので、近いうちにルビア先生と相談して図書委員会でも創設してもらおうと思う。
高等部からはこうして現場に居座る事が公認されているから、この図書館を高等部に入る前に現場を知る為の場所として使って欲しいという願いもある。せっかく掃除して綺麗になった場所なんだもの、使わなきゃ損じゃない?
風で飛ばされないよう軽めの重量負荷の魔術を看板の下に敷設して、図書館の中へと入った。
するとシーダが準備室から顔を出して声をかけてくれる。
「リア~。コーヒーできたよ~」
「あ、ありがとう」
私へ駆け寄って、軽くかがんで手を伸ばすとシーダがするすると肩へと登ってくる。その間に暗色系の木材が使われている落ち着いた受付のテーブルなどを一度だけ見回して準備室へ入ると、コーヒーの良い香りが私の鼻腔をくすぐった。
準備室と言っても休憩室。窓際に置かれたテーブルの上には返却された図書が載り、確認するために作った羊皮紙のリストもある。
部屋の中央にはローテーブルが設置され、壁を背に長ソファを置いてあり、お昼休みにも仕事がある私は、基本的にお弁当を持ち込み、もしくは一時的に受付をシーダに任せて、四限の中頃に学生食堂へお邪魔してテイクアウト、という事が多い。
時折休憩を貰ったエルが紅茶を飲みに来るけれど、生憎ルビア先生が持ち込んだ高そうな茶葉しかないのでカフェオレで我慢してもらっていた。
窓際に据え付けてあるシンクの上には魔術を利用したコンロ。周りにはルビア先生のお古であるコーヒーセットが置かれていて、よく使わせてもらっている。
「ふぅ……」
淹れたコーヒーを啜りながらソファへゆっくりと腰かけると、自然と息が漏れてしまう。
そんな私を見て、脇で丸くなっていたシーダが顔をあげて尋ねてきた。
「お疲れみたいだね~。大丈夫~?」
「このくらい全然平気だよー」
そう言って私は背もたれに身体を預けながらシーダの背中を撫で、天井を眺めていると、不意に視界が揺らぐ。
まるで脳が揺さぶられるように感じられたそれが、眩暈だと理解するのに時間は掛からなかった。
「……リア?」
揺れる感覚に慣れようと目を閉じたところで、シーダの不安気な声が聞こえてくる。
私は彼を撫でながら首を左右に傾けながら血行を促進させてゆくと、徐々に症状は落ち着いてきてくれたのでほっとした。
『一日も休みなく働いてりゃあ、そら疲れも溜まるわな』
不意に入口から聞こえた声に、私は目を開いて姿を見れば、そこにはクロさんが立っている。
緑色のブレザーの袖口から出たホワイトシャツの袖を肘下まで折り曲げ、下にはカーキ色のカーゴパンツを穿くといった、とても動き易そうな服装の彼は、アクセントにと長い前髪を持ち上げるようにして白いヘアバンドを額につけていた。
腕を組んでいた彼は肩を竦めたあと、コンコンっと開かれていたドアを二度ノックして「邪魔するぜ」と言いながら入室。
どっかと私の対面のソファへ腰掛け足を組んでリラックスモードに入っていく。本当、その図太い性格私にも欲しい。
「ちゃんと寝てんのかよ? 顔色悪ぃぞ」
「やだなぁクロさん。前の生活より全然眠れてるよ?」
「最近机で寝落ちしてる~」
「ちょっ、シーダ!?」
裏切りのシーダに思わず私は顔を上げると、クロさんは眉根を寄せジト目で私を睨んでくる。お願い、そんな顔しないでイケメンがオカンに属性変更しちゃう。
「お前……」と溜息まじりに呆れ顔になったクロさんは思い切り肩を下げていく中、シーダはそそくさと彼の肩まで移動。おのれぇ裏切ったなこの使い魔めっ! あとでエルの着せ替えペットにしてやるんだから!
「適度に休み取るようにしとけよ。まっ、お前の場合分かっててしないことが多いけどなァ」
「むぐ……」
ちくりとクロさんに痛い所を突かれ、コーヒーを口に含んでいた私は眉根を寄せて何も言えなくなってしまう。
むぅ、もう少し睡眠時間を増やさないといけないかな。あとベッドでちゃんと寝ないと。
私は自分の中で改めて生活態度を変える事を決める。
「それじゃあ、私が無理しないためにも仕事手伝ってくれるんだよね、クロさん?」
「……しゃーねぇなあ」
くすりと少しだけ挑戦的にクロさんを見ると、彼は不承不承とばかりに後ろ頭を掻いて面倒臭そうに腕を組む。
私は彼の肩に乗ったシーダと小さく笑いを交わしたあと立ち上がり、窓際のテーブルに置かれた羊皮紙とペン、返却された本を手にローテーブルまで戻る。
「俺は何をすりゃいいんだよ?」
「とりあえず、ページとかが破れてないか確認してくれるかな? リストにチェック入れるから」
「おう、それくらいならお安い御用だぜ」
そんなこんなで作業開始。本のページを捲っていく音が鳴り始める。
手際のいいクロさんのこと。すらすらと作業を進めては、ページの角が折れて居たり、若干破けている所を教えてくれるので、作業が倍以上の速度で進んでいく。
シーダもシーダでクロさんのフォローに当たってくれているので、四つの目が一冊の本に注がれるため補修する部分なども見つけやすい。この仕事内容は劣化している本を交換する為の作業でもあるので、この仕事でも上位に入るほど重要な仕事だったりする。
「あっ、ここ切れてる~」
「マジか。やっぱ古本は脆いな」
「ね~」
シーダが腕を伸ばしてクロさんの肩を叩く姿を見ながら、私はそんな光景を微笑ましく思うのだった。
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