第14話 魔法と魔術
翌日。定期試験のパーティー表をルビア先生へ提出した私は、一人図書館の中で蔵書整理を行っていた。
流石のカトレアやクロさんも、二日連続でギルドへ顔を出さないわけにはいかなかったのでこればかりは仕方がない。何事も信用は大事だよね。
それでも『図書館の再生』という目標には昨日の時点でかなり前進することが出来た。これくらいの作業私一人で出来ずに司書などやっていられない。
「よい、しょっと……」
幾重にも重なった分厚い本を古びたカウンターのテーブルへと乗せる。テーブルも入れ替えが必要だろう。加工されていただろうそのテーブルは見る影もなく、角から劣化してボロボロになっていた。
棘が刺さらない様に細心の注意を払いながら、同じく劣化しきった革製の椅子へと腰かけると、縁の部分が破けていたのか綿がぐにっと飛び出す。でも、一切気にならない。
何故って? 目の前に大量の財宝と言う名の知識が眠っているんですよ? こんな些細な事を気にしていたら日が暮れます。むしろその場に座り込んで読み耽りたいほどです。
……まぁ、流石に仕事なので自制はしていますが。目次を開いた途端から次のページを捲り本文へ入りたいという強い欲求をなんとか抑えながらゆっくりと本を閉じてゆく。
「……危ない。これは危険すぎる」
三十冊を超えた所で額に脂汗が滲んできた。禁断症状なのか分からないけれど手が震えてくる。
手が、本能が訴えてくる……。次を捲れと。逆に考えるんだ。捲ってあげちゃってもいいじゃないかと。どうせいつかは自分の目に触れる書物。だったら今、ここでその宝石箱の蓋を開いてあげるのもいいじゃないかと。
なんとかその欲求を抑え込み、震える手を膝元に落ち着かせてふうっと本をテーブルの上へ置いて額の汗をパーカーの袖で拭いながら天井を仰ぎ見ていると、背後から女性の小さな溜息が聞こえた。
「大分難攻しているようだな」
「ルッ、ルビア先生!?」
がたんっ! と勢いよく立ち上がった私は背後の壁に寄りかかりながら腕を組んで自分を見つめている恩師――ルビア先生の名前を呼ぶ。
その表情は呆れ顔ではなく、むしろ温かい視線を送る微笑みそのものだった。
先生は緩いウェーブの掛かった金髪を靡かせながら私の許へ歩み寄ると、何十冊も積み上がった本の山から、一冊の本を手にしてページを捲ってゆく。
「ルビア先生……お忙しいのでは? 次の授業があるはずじゃ……」
全学年を受け持っているということは、それだけの授業に対しての準備が必要のはず。教材や授業時間内でどこまで進めるか。その授業内容を生徒に理解させるためにどれだけ掘り下げるかなど、時間があってもたりないほどだ。
そんな多忙の中、連日この図書館を訪れてくれたことに感謝の気持ちこそあるけれど、ルビア先生の予定が狂ってしまうのではないかと不安になる。
けれど先生はそんな私の不安を小さな笑い一つで吹き飛ばした。
「なに、このくらい構わんだろう。それに、私はこうして君に授業をしに来たんだ。スノウフレーク。君は彷徨人だったな?」
「え、はい……」
そうですが、と少しばかり気を緩めてしまったことに罪悪感を感じた私は、言葉尻をすぼめながら答えると、ルビア先生はふっと目を伏せて一笑した。
パタン、という本を閉じる乾いた音が図書館に鳴り響き、涼し気な表情を浮かべたルビア先生は目を閉じたまま私へと尋ねてくる。
「そんな君に問いたい。君は魔法と魔術、その違いをどう考えている?」
「魔法と魔術の違い……」
私はルビア先生から出された質問を呟きながら熟考する。先生はその本を一度腰元に落ち着けて、私の返答を静かに待ってくれていた。
そう言われてみれば、確かに。ライトノベルやネット小説などでもこの“魔法”と“魔術”と呼ばれるものはよく見るけれど、それは掘り下げにくい内容であり、殆どが同義である事が多かった気がする。
自分の視野は間違いなく狭いと思う。きっとこの二つにしっかりと設定を組み込んで広げるお話もあったかもしれない。ただ、私はその物語に触れられなかっただけ。単なる努力不足だ。
それを痛感し、私は考えてゆく。
「……魔法というものは神秘的かつ超常現象を引き起こす力の法則であり、魔術は特殊な術を用いて事象を操る技術……だと、私は考えています」
「ほう? 具体的には?」
「魔法が無から有を作りあげるのなら、魔術は有から有しか作ることしかできません。何もない手から火を生み出すものを魔法と言うのなら、火打石同士をぶつけ合わせる事で火を生み出すものも魔術だと思います」
「……火を起こす物さえあれば、魔法の使えない者でも火の魔法を扱えると?」
「そういった品物の仕組みを作れば、ですが」
これはファンタジーの様な幻想的な能力と科学の話である。魔法使いが「ファイア」とか「フレア」とか唱えれば火が出せるように、現代人はオイルライターのギアを回せば火が出せる。
そこにライターという“物”という概念を取り払ったものが魔法であり、それを使用するものが魔術であると。私はそう考えた。
どうでしょう、と不安を全開にしながら眉を寄せて苦笑いを浮かべた私は、ルビア先生の言葉を待つ。
「なるほど。――及第点、といったところか。私はかれこれ四十年はこの学園で教鞭を執っているが、誰一人としてこの質問を答えられる生徒はいなかったよ」
「えっ。よんじゅっ……ええぇっ!?」
ウソでしょ……。どこからどう見てもピッチピチの二十代女性にしか見えない。
血色のいい肌は図書館に射し込む太陽の光で輝いている。皺なんてもっての外であり、毎日相当努力しているしていることが判る。
ルビア先生はふふんと得意げに笑う。
「何もおかしい事はないだろう? 私はエルフだぞ? 寿命など人族に比べれば永遠に等しい。あ、齢は聞いてくれるなよ死にたくなるから」
「ひぇっ……とても聞けそうにありません……」
「だろうな。こんな顔しておいて歳は有に三百越えてるババァだからな――って誰がババァじゃい!」
心は永遠の二十歳!! なんて天井を仰ぎながら右拳を突き上げるルビア先生。はらりと両肩に羽織った外套が床へ落ちてゆく。そして私は彼女のギャップが凄すぎてもう言葉が出ない。
なんとか気分を落ち着かせたルビア先生は、恥ずかしかったのか頬を赤らめながらこほんっと咳払いして私へと向き直る。
「話が逸れたな。この世界の人々は、魔法と魔術との境界線を引こうとしていない。双方が特別視され、同様に扱われている始末だ。……魔術は思ったよりも身近にあるというのにな」
「ですが、それでは現に街路灯や校舎のランプなどについて説明が付きません。あれはどのように管理するのですか? 少なくとも私達の知る街灯ではありませんでした」
この街に使用されている街路灯やランプの類は機械ではなく、火精石と呼ばれる魔石に属する鉱石の一種が使用されている。
科学の力は一切使われていない。火精石は魔力を伝導させることで発熱、発光する特性がある為、光源に使われるのは納得できるけれど、発熱というリスクが付き纏う以上、ガラスの中、なんていう密封された空間に閉じ込めて行くのはあまりにも危険だと感じていた。
恐らく、何かしらのやり方で熱を霧散させているというのも薄々は分かっていた。そして何より、目の前にその仕組みを理解している人がいる。聞くには絶好の機会。これを逃すわけにはいかない。
「……身近な物から質問を引き出すか。なるほど、君はいい眼をしている。街路灯の仕組みは、中央に設置した火精石を金属で固定し、少量の魔力を流すことで、発熱したエネルギーを魔力に転換し貯蓄する魔術式が敷設されている。この魔術式は少しばかり特殊でな。日中は発光せず、夜にのみ発光するよう日光を感知する機構が内部に備わっているんだ」
「電球のフィラメントをこの火精石へ切り替え、通電機構を魔法……いや、魔術式にした、ということですか」
「フィラメント、というものも過去には存在したらしい。だが加工が難しかった為に断念され、炭鉱区からよく採掘される火精石を使うまでに至った、ということさ」
「……本当によくできていますね」
彼女の言葉から、炭鉱区にあった大きなクレーンも歯車式だったことを思い出す。……なるほど。素材はあっても加工する環境や技術、設備の要求レベルがあまりにも高すぎるから、現代の知識はあっても実現には至らなかったということですか。納得。
郷に入っては郷に従え。きっと持ち前の知識をたたき台に上げるよりも、まずはこの世界の住民から身近な魔法や魔術を知り教わらなければならなかったのだと思う。
過去の《彷徨人》達が、相当の苦労を経てこの環境を作り上げたと言う事が嫌でも分かる話だ。
「人々はこの技術を魔術ではなく“魔法”と呼んでいる。技術者の殆どがクラスを持っているが、誰もが《ウィザード》というわけでもないのにな」
まったくおかしな話だよ、とルビア先生は複雑な表情を浮かべ肩を竦めながら笑う。
確かに。一週間前のステータス測定の際にも、《ウィザード》クラス以外の人達にも魔力総量の項目はあり、しっかりと数字が振られていた。
魔法は使えなくとも魔術は誰でも使える。しかしそれを知らず気付く人も居なかった。なんだか無知な自分と重ねてしまって申し訳なく思ってしまう。
しょんぼりしながら数秒が経ち、不意にルビア先生は腰に当てていた本を肩に担ぎながら尋ねてきた。
「なあスノウフレーク。この問答が出来たことで、私は一つ提案があるんだ」
「提案……ですか?」
「ああ」
大きく頷かれて、私をただ真っ直ぐに見つめるルビア先生の瞳。
「私から“魔術”を教わってみる気はないか?」
「――え……」
先生の鮮やかな紅色の瞳は真剣そのもので。私もそれが本気であると気付くのにそう時間はかからなかった。
でも、出来るのだろうか。私なんかに。
彷徨人という存在が、この街に様々な種を植え付けてきたのかは見てみれば分かる。けれど、そんな偉大な先人達の跡を追えるほどの能力が、私にあるとは到底思えない。
魔法についての知識も付け焼刃で、「ただそういうものなんだろう」と自分自身に納得させて深く進もうとしなかった私が、人知れず活躍していた魔術について教われることなんて――。
「――他に生徒のいないこの場だからこそ話すが」
「はい……?」
マイナスに偏った私の思考を汲み取ったのか、ルビア先生は胸の前で腕を組み、
「この一週間、共にやってきた子供達の中でも、君は
そう、ウィンクしながら言った。
あまりにも唐突なその言葉に私は呆ける。……どういうこと? と疑問の視線をルビア先生へ送ると、彼女はくすっと口元に手をやって笑う。
「随分と不思議そうな顔をしているな。自覚はなかったのか?」
「えっと……まったく」
私は思い当たるところを軽く唸りながら眉間に人差し指を置いて思い返す。皆目見当もつかなかった。
ルビア先生は続ける。
「他の子供達は何を考えるでもなく、この世界に順応しようとこの街や国の常識と仕組みを覚えていった。それは確かに良い事だ。新しい環境に追いつくために知識を身に着けることは必須ともいえるだろう」
だが、とルビア先生は顔を横に振り、持っていた本を私へ手渡す。その本はこの街の開拓時代を面白おかしく描いた児童向けのもの。
本を受け取った私は再びルビア先生へと視線を向けると、優し気に微笑む母親の様な顔があった。
「過去に活躍してきた《彷徨人》の先人らは
「……っ!」
そんなルビア先生の言葉が、今までの人生を歩んできた私を認めてくれたように感じて……。
それでいて、こんなにも素晴らしい街を作り上げてきた人達からも、背中を押された様な気がした。
泣くだなんて生易しいものじゃなかった。涙が、声が。彼女のたった一つの言葉で、自分の中に渦巻いていた感情が溢れ出る。
「君も、そうだったんだろう?」
「っ……はいっ……」
たったそれだけのことで、全てが報われた気がして。嗚咽をなんとか抑え込みながら大きく頷いた私は、ついに我慢が利かなくなってその場に蹲る。
……小さい頃から、私の右目は、髪は、肌の色は。『自分のものとは違う』と言われて後ろ指をさされてきた。
みんなと同じように見える目の色。同じようにシャンプーで洗い、いい匂いを纏える髪だというのに。
たった一つ。色という些細な“違い”が私と皆との間に大きな溝を作った。
確かに色素が薄くて夏場でも長袖を着て居なければ真っ赤になってしまう肌。暗がりに入って光を当てられれば怪しく光る群青の瞳と白い髪。小さな子供なら避けたい気持ちも分かる。
……それでも、私は自分が特別だとは思わなくて。逆に『普通』になれる様に、皆との“違い”を探して直そうと努力してきた。……つもり。
髪も黒く染めた時期があった。目もカラーコンタクトを入れた時もあった。……けど、結局ダメだった。なぜなら、身体に合わなかったから。
頭皮が赤く爛れたり、目にも炎症が起きてしまったりと、辛い目に遭ったりもした。
薬局や病院の先生にも相談して、なんとか普通になれる様に色々な方法を模索したけれど……どれを試しても普通にはなれなくて。
いつしか周りを避けて、周りとの違いを見つけては、自分に落胆する日々。
だからこそ、なんだと思う。両親が私にオンラインゲームを勧めたのは。
両親はゲームに疎く、私が何を話してもあまり興味は持ってくれなかったけれど……それでも、画面の向こうに居る人達は少なからず私を普通の人として見てくれた。
それが嬉しくて、毎日外に出て沈んだ気持ちで帰ってくる私が、今日まで耐えてくることが出来たのは、そのゲームとの出会いがあってこそだと思う。――いや、思っていた。
今、ようやく分かった気がする。ゲームの世界で私を認めてくれる人が居てくれたからこそ、私は“違い”を見つける事に対して前向きになれたのかもしれない。
きっと、この世界にやってきて、皆が私と同じように“違い”を見出した事も大きな要因の一つなのだと思う。
――お父さん、お母さん。私、ようやく『普通』になってきたよ……?
もう、今後一生届くことの無いであろう両親への感謝の気持ち。
胸の辺りが苦しくなって、私は顔を俯かせて両手を胸に当てながら、唇を震わせた。
すると先生は私の前で片膝をつき、私の左肩に優しく手を置いてくれる。
「君は将来、きっと立派な魔術師になる。――だから……一緒に頑張ろうな。
「っ――はいっ!!」
初めて先生から呼ばれた自分のファーストネームに驚いて、涙でくしゃくしゃになったままの顔を袖で拭い上げ、笑顔で大きく頷く。
するとルビア先生は母親の様な優しい笑みを浮かべたまま、そっと私の頬にハンカチを当てるのだった……。
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