第11話 それぞれが進む道

 街のどこからでも見える時計塔の針は、すでに昼を少しだけ過ぎた頃合い。

 私達が寝泊まりしている宿泊施設から時計塔の方へ真っ直ぐ行った所には郵便局があり、その道を西部の炭鉱区から向かう形で進んだ先に橋が架けられていて、橋の向こう側にある高台には大きな焦げ茶色のレンガ屋根の屋敷が構えられている。

 高級レストランか何かだと勘違いしてしまうほど立派な門構えに私は萎縮していると、隣を歩いていたエルは軽い足取りで階段を上がってゆく。

 ドーム状の丸い屋根から、円錐の様に尖った屋根など、屋敷の中で区分けされているその屋敷の規模は、宿泊施設よりも広そう。

 でもどうしてこんな所にエルは案内してくれたのかな? と思っていると、屋敷の前にあった鉄柵を開いて中へ入り込んだエルは玄関の扉を開いて「ただいまー!」と叫ぶ。……えっ、自宅なの!?

 エントランスも広く、入ってすぐ目に入ったのは小さな池。家の中に、池。なんともゴージャス。

 左手には観葉植物を境にソファとテーブルが設置されていて、奥には本棚が備わっていた。


「ママー! ご飯食べに来ちゃった♪」

「あら、おかえりなさい……ってまあまあ! お友達!? 綺麗なハーフエルフさんね~!」

「こ、こんにちは……」


 エルにママ、と呼ばれたかなり若く見える金髪の女性は、私とカトレア、クロさんの姿を見るなり目をパッチリ開いてぱちんっと両手を打ち鳴らすと、私へと歩み寄って正面からむぎゅっと抱き着かれる。


「あ、あの……」

「んん~っ? ちょっと体温が低いのね? お耳もこんなに冷え切っちゃって……でも柔らかくていいわぁ……」

「ふあぁっ!? やっぱり親子ぉ~っ……!!」

「ママー、リアは耳がかなり弱いみたいだからほどほどにね~?」

「まあっそうだったの? ごめんなさいね~」


 くりくりと耳に人差し指を差し込まれて軟骨を解されていた私へとエルが助け舟を出してくれて、なんとか窮地を逸する。お、思わず変な声が出ちゃった……。

 後ろからテッドくんがやってきて、私の肩に手を置いて「その、ごめん……そういう血筋だから……」と、どこか遠い目をしながら謝罪される。抱き着いて相手の耳弄るのが血筋だとするならどんな血筋ですか、それ?


「い、いえ……。リア・スノウフレークと申します。エルサレムさんとペインテッドさんには良くして頂いています」

「同じく、カトレア・ミャーマです」

「クロウ・サイネリアっす」

「あらあら、みんな華の名前なのねっ? サミア・セージよ。よろしくね♪」


 エルとテッドくんのお母さん、サミアさんはウィンク交じりにそう言うと、右手にある応接室兼食堂へと通される。

 赤い絨毯に金色のラインが端々に通っていて、角には花柄の刺繍が。

 食堂のかなり長いテーブル席は全て白で統一されているからか、背もたれの赤い線がとても目立つ。

 反対側の恐らく厨房であろうそこから複数のメイドさんや執事さんがやってきて無駄のない動きで配膳を済ませると、すぐさま壁際に控えてゆく。これが本職ですか……。

 黄金色に輝く野菜の入ったスープ、焼き立てだと一目で分かるほど温かそうなパン。メインなのかローストビーフの上には幾つかの香草ハーブが乗せられていて、その上から艶のある焦げ茶色のソースがかけられていた。

 ……豪華すぎる。それに手元にはフォークとナイフが何本かあるけれど、これって外側から使うんだっけ……?

 そうこうしているうちに皆が皆、それぞれに食前のお祈りをして食事に手を付け始める中、私は席に座ったまま目を丸くして微動だにせず、完全に硬直していた。


「あははっ、そんなに作法とか気にしなくてもいいんだよーリア?」

「いやいやいや……気にするからねっ? 本当にエル、御嬢様なんだね……」


 隣に座っていたエルがフォークとナイフを手にニパッと太陽の様な笑みを浮かべてフォローしてくれるけれど、食前になんか小皿に入っていた水で指洗ってましたよねっ? なにそれ私知らない……。

 対面にクロさんと一緒に腰かけたテッドくんも苦笑いで見守っているので余計に恥ずかしい。


「(まずは手前の銀食器に入ったお水で指を洗って、それからシルバー類は外側から使うんだよ~)」

「あ、ありがとうシーダ……」


 フードの中に潜り込んでいたシーダの助言がぼそりと聞え、なんとか食事を開始する。いやぁ、やっぱり持つべきものは友達と使い魔ですね。心の底から痛感致しました。

 玄関でサミアさんに冷えていると言われたのも、それはそのはず。炭鉱区の外周には山岳地帯が広がっているので、風よけになるものが一切ないのだ。寒いのも当然。

 サミアさん曰く今の季節は春のようで、エルの補足から一年は十二か月でひと月の単位は三十から三十一と、元の世界とそう変わらない時間単位みたい。

 昔の人は春夏秋冬、それをⅠからⅢといった具合で分けていたようで、今は夏の月Ⅱ――丁度五月のようだった。


「エルもテッドも最近高等部に進級してね~。クラスを与えられてからはテッドなんてもう家に帰ってくる時間が遅くて遅くて……。お母さん心配なのよ?」

「か、母さん。頼むからオレの友達に愚痴らないでくれないか……」

「うふふっ、そうね~。テッドの帰りがもう少し早まったら考えておくわ♪」

「はあ……」


 どうやらテッドくんも彼なりに苦労しているみたい。騎士団見習いという立場もあってか外せない用事や先輩からの頼まれ事なんかもあるんだろう。

 それでも、息子の身を案じてそういういじらしい事を言ってしまうのは、それだけ彼が大切にされているということで。それはとても幸せなことだと思える。

 私はくすっとそんな二人のやり取りを見て小さく笑うと、エルへと小声で「いいお母さんだね」と笑いかけると、彼女も満面の笑みで頷いてくれた。


「それで? みんな午後はどうするの?」

「この後は農業区かな~。それで大体のギルドは回り終えるし。リアは見習い先見つけないとね」

「そういや、お前はまだだったよな。希望はないのかよ?」

「まあ、追々ね……」


 クロさんの指摘に苦笑いで返す私。正直どこでもいいと最初は考えていたけれど、カトレアもクロさんもそれぞれに目標があって見習い先を志願している。そんな二人を見て、私は中途半端な気持ちではいけない気がした。

 何かに熱中できるもの。出来れば並行してこの世界の情報をもっと集めたいというのもある。

 昔から本が好きだったので、将来は図書館の司書も良いな、と考えていたけれど……。


「本屋さんとか、そういった所があるといいなぁ……」

「いいんじゃないの? 本とかリア似合いそうじゃん」

「なら大図書館とかどう~? 確か見習い先にあった気がするよ?」

「い、いきなりそんな……ちょっと心の準備が」

「ははっ、尻込みする気持ちは分かるけどさ。見に行くだけならタダだし、食事が終わったら行ってみないか?」

「……お、お願いします……」


 カトレア、エル、テッドくんにも背中を押されてしまい、引くに引けなくなった私はうつむきがちに御願いする。

 するとクロさんがニヤニヤと厭らしい笑みを浮かべて「んじゃ、決まりだな」と言ってパンをちぎって口に放るのだった。



       ◇



 昼食を終えてセージ邸から郵便局を通り、住宅街を抜ける。

 時計台から見えていた湖に架けられた橋を歩いていると、湖の畔に立派な建造物が見えてきた。


「あれが……大図書館?」

「そうそう! この街が出来たばかりの頃の記録とかもあるから、《彷徨人》について知りたいならあそこが一番資料が集まってるはずだよ!」

「そうなんだ……」


 焦げ茶色と普通の石レンガが大量に使われた、年季の入った外壁。白く模様の入った柱も薄く黒ずんでいる。

 大きな円筒状のドーム屋根になっている建物から、アーチ状の屋根が組まれた本館の脇に長方形に伸びた建物が全て繋がっているのが特徴的な背の高い大型建築。

 見ているだけでお腹いっぱいな気分になった私だったけれど、それに反して、あの中にどれだけの本が入っているんだろうと思うと胸が弾む。

 橋を渡り切り、石レンガで組み上げられた壁沿いに図書館への道を通ってゆく。


「こっちかな……?」

「リア~ペース速いよ~」

「あっ、ご、ごめん……」

「本当に本が好きなのねぇ」

「あははっ! 早く入りたいって顔してるねっ!」


 エルとカトレアの言葉は最もで、みんなよりも半歩ほど早く歩いていた私は苦笑いを浮かべた。

 セージ邸よりも背の高い開かれていた鉄柵を通り、図書館の前に作られたベンチ入りの庭を抜け、本館へと入ると――言葉を失う。


「ほぉ~っ? こいつはすげぇな」

「思ったよりも規模が大きそうだねぇ。これは仕事するの大変そうだよリア? ……リア?」

「………」

「完全に放心してやがる……」


 三階まで存在する天井を吹き抜けにして、中央にある受付の真上には大きなシャンデリアがぶら下がっている。

 図書館はもう少し圧迫感のある所だと思っていたけれど、そんなことはない。本館に於いてはかなり開放的な空間が広がっていて、狭苦しさを一切感じさせない造りになっていた。

 受付の後方にある、二手に分かれた階段から二階、三階へと昇ることが出来て、各階や別館のジャンル分けなどがはっきり分かるよう、入口の左手には館内の地図が張られているほどの新設設計。

 そのうえ階段から少し離れた所にはテーブル席などの読書スペースも完備。その周りを本棚が覆い、窓際にはコーヒーやお茶菓子を販売しているお店も入っているみたい。

 なんですかここ。至れり尽くせりなんですけど……。

 私はうっと何かを詰まらせたように目を伏せて口元を右手で覆うと、周りのみんなが心配そうに私を見てくる。

 そして飲み込もうとしたその言葉が、ぽそっと出てしまった。


「……ここは天国ですか」

「君の職場候補だよっ」


 何言ってるんだ、とばかりに肩をテッドくんに引かれながら私は天井を仰ぎ見た。

 もう死んでもいい。こんなに大量の本に囲まれながら死ねるのなら最早本望。


「我が生涯に一遍の悔いなし……」

「いやいやいや、あるだろう!? せめて一冊は読まないか普通!?」

「何をおっしゃいますかテッドさん。一冊も残さず読み切りますよ?」

「言い切った!? そして唐突な敬語やめてくれ! 距離を感じるぞっ!?」

「あーダメだなこりゃ。完ッ全にスイッチ入りやがった……」


 いざ聖地へ!

 眼鏡のツルを軽く持ち上げた私はそそくさと近場の本棚へ移動しようと勇み足で近づいてゆくも、クロさんに首根っこをふん掴まれてずるずると引き戻される。視界の端でクロさんの腕を通って彼の肩へ移動してゆくシーダの姿が見えた。


「あぁぁ私の本んん~……っ」


 まるでおもちゃ売り場から引き摺り出される親子の様な構図が出来上がり、私は涙目で遠ざかってゆく本棚へと腕を伸ばす。待って! 逃げないで! 絶対読んであげるから~!


「やっぱコレリアを此処に見習い行かせちゃまずいと思うんだが、どうだ?」

「ああ、そうだな」

「確かに危険だねぇ」

「アタシも賛成」

「リアには早かった……いや、遅かったんじゃないかな~?」

「……なんですか皆さん。その『与えたらダメなものを見せちゃった親』みたいな顔は?」

「お前は少し反省しよう。な?」

「いえ、私は至って普通……」

「反省しなさい」

「あの、ですから」

「反省しろ」

「……はい」



 ……そのあと、私達は農業区へ行き、説明を受けて学園へ戻りました。

 結果的に私は学園の敷地内にある図書館の管理員見習いとして働き出すことになったのだけれど、そこもまたやりがいがありそうな所でした。

 異世界へやってきて二日目。召喚されてやってきた先で友達が出来て、その街並みに触れて。生活を落ち着ける基盤も手に入れることができて……。

 なにより、対人関係やコミュにケーションが苦手な自分自身を変えるための切っ掛けを与えてくれました。

 不安もあるし、きっと辛い事もたくさんあると思う。それでも、そんな事を塗りつぶすくらいの幸せな毎日があると素直に感じられます。

 だから、これからの毎日が楽しみで仕方がありません。

 せめて平穏な日々を過ごせます様に。

 私、リア・スノウフレークは、この世界、《メラツィア》から……ただ、それだけを願っています。

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