第9話 踏み出す勇気

 召喚されたクラスメイトと先生の全員で朝食を終えて、登校までに時間があるからかまた自室に入って寛ぐ人や、街に繰り出して噴水広場にあった露店を見に行こうという人もいた。


 そんな中で、私達は出勤前の人たちで溢れかえった大通りを通って学園へと向かってゆく。

 集合まで一時間ほど早かったけど、毎朝稽古をしているというテッドくんの言葉を思い出したので、気になったのだ。


「にしても、よく出来た街だよなぁ。正直此処だけで腹一杯だわ」

「他の《彷徨人》さんもいるみたいだし、出来ればその人達のお話も聞いてみたいね」

「いいね~。リアのそういう情報集めになると前向きになるところ、ボク好き~」

「アタシ達とは違う異世界から来てたりして」

「あはは、あながち冗談でもなさそうな気がする……」


 噴水広場で他の生徒さんと遠くから手を振り交わしながら学園通りへ入ると、人もまばらになったところでエルの後ろ姿を発見する。


「エルー!」

「ん~? あっ!」


 私とカトレアはクロさんよりも一足早く彼女に声を掛けて手を振りながら駆け寄っていくと、エルも私達と同じように手を振り返してくれた。


「おっはよー二人とも! リア私服だ~っ! 眼鏡もつけてるー!」

「おはよう、エル」

「はよー。昨日の帰り暗かったけど大丈夫だった?」

「大丈夫大丈夫! あたしの家住宅街からすぐのとこだから!」

「そっか。良かったー」

「で、で! そのペットは!?」

「はじめまして~。使い魔のシーダだよー。よろしくね~」

「んん~っ! のんびり話す所がこれまたキュート……!」


 たまらず身を縮めて何かを我慢する素振りを見せたエルに手を伸ばして、私はシーダを乗り移らせると、それはもうこれ以上ないくらい彼のつやつやな毛並みを堪能してゆく。


 遅れてやってきたクロさんが後ろ頭を掻きながら「お前ら速過ぎ……」と呟きながら溜息を吐いた。

 シーダと戯れていたエルはふと彼の声に顔を上げると、途端に「だれ……」と怪訝そうに尋ねる。


「クロウ・サイネリアな。俺もあんま慣れてねーけど……まっ、ひとつよろしく頼むわ」

「エルサレム・セージだよ! よろしくっ!」

「おうっ」


 銀と金といった配色の二人は握手をそこそこに、学園通りから学園の敷地内へと入ってゆく。

 確か本館からグラウンド側に出られると言っていたけど、東館の裏手も菜園とかがあるのかな?

 だとしたら見てみたい。今日は登校日というのもあるし……。


「リぃ~アっ」

「ゎひっ……!?」

「あははっ! 東館の裏道通ってく? アーチェリー部が練習してるから!」

「アーチェリー……部……」

「そそ! 東館の裏手はアーチェリー部専用の射撃レーンになってるんだよね~」


 東館は運動部、西館は文化部といった具合で分かれているらしい。

 実際東館の裏手に入って様子を見てみれば、凡そ数百メートルほどある大型の射撃レーンが存在していて、矢などが通りに来ない様、緑色で目の細かいネットが張られていた。


 レーン内では凡そ十メートル、二十メートルと十メートル毎に的が用意されていて、弓を持った射手も直立や膝立ち、身体を後ろに逸らしながらといった様々な体制から射撃を行っている。

 みんなマント型の制服を着ているけれど、マントの色をモスグリーンにしたり迷彩柄にしている子が殆どだ。内側には弓道部などが付けていそうな胸当ての様なレザーアーマーを装着していた。

 腰にも私でいう鞄の様に矢筒を吊るしていて、背部や腰の付け根など自分にとって一番適した位置にそれを吊るしているのだから、プロ意識が強い人達なんだな、と素直に感じられる。


 それもそのはず。レンジャーなど弓を扱う人にとっては矢の連射力と精度は自分の命の次に大切なもの。誤って前衛職の味方を貫いてしまえば一瞬で脱命させてしまうほど繊細な仕事ぶりを見せなければならない。

 物静かで多くは語らず、自分にとって最大限の仕事をこなしていく。それが私にとってのレンジャー……もとい弓術師の印象だった。

 ……でも、その枠組みには入らない人も存在することも私は知っている。


「おいっ、そんな冷たい目で俺を見んなっ!?」

「クロさんももう少し真面目になってくれれば……」

「あっちはあっち。こっちはこっちなっ? 流石に俺もなんの練習無しに戦闘できるほど狂ってねーわ……」


 まるで親に勉強しなさいと言われた子供の様な反応をするクロさんを見て、私は「本当に大丈夫かなぁ」と呟きながら小さくため息を吐く。

 戦闘に対する直感というべきか、彼にはそれが備わっている。要は頭で考えず、所謂フィーリング――感覚で戦ってしまうことが多かった。


 それでも今まで培っていた経験と戦術眼によって、最悪な事態を覆す能力も秘めていた事から、ゲーム時代では心底信頼していた。それはもう、ワンパーティーだけでは抱えきれない戦力差を彼一人に任せる様なことがあったくらいには。

 しかし何度も言うようだけれど、これはゲームではなく現実。実際の戦闘時に彼の能力が光る事は様々な条件が必要になるはず。


 クロさんは表面ではそれをしっかりと理解しているようだけど、その飄々とした性格と態度の所為かあまり信用ならない。


「……わーったよ、ちゃんと練習すっから。ンな心配そうな顔すんなって」

「だっ……からって、背中は叩かないで欲しいなぁ……痛い……」


 ばしっとクロさんに笑われながら背中を叩かれて前へ押し出される。私はひりひりと痛む背中をさすりながら、四人と一匹で体育館へと向かった。


 体育館の入口にはうちの高校の男子生徒もちらほらと姿が見えていて、きっとテッドくんが言っていた朝練が気になって見に来たんだと思う。

 その場に近づくにつれて、裂帛とした気合いの掛け声と共に重々しい木と木がぶつかり合う鈍い音が聞こえてくる。


 個人的に入口や足元にある通気用の小窓から眺めようと思ったのだけれど、エルに手を引かれて体育館へと入ってゆく。


「おーっ、やってるねえ!」

「みんな凄い気合いだね……」

「うん。ボクとしてはちょっと煩いくらい~」


 エルを先頭に、邪魔にならないよう隅っこを歩きながら、四つあるフィールドの一つ、一番右奥ではブレザーを脱いだワイシャツ姿のテッドくんが歳の近そうな焦げ茶色の濡れ髪が特徴的な男性と木剣で競り合っていた。

 その男性の姿から、一瞬で騎士団の人だと判る。理由は服装だ。ジャージの様な通気性の好さそうな青い生地。襟から袖に掛けて白いラインが入り、背中には同じように銀色の糸で『第四分隊』と立派な刺繍が施されている。


「はぁああッ!!」

「――セアァッ!」


 大剣にしては短く、それでいて片手剣としてはやや長めの刀身……ロングソード型の木剣を握りしめていたテッドくんは掛け声と共に左手を添え上段から木剣を振り下ろし、濡れ髪の先輩はテッドくんと同じ型の木剣を一瞬だけ腰に溜めて横へ一閃した。


 カァンッ! という質のいい木剣同士が衝突する音が鳴り響き、テッドくんは上から体重を掛け、木剣を横にしながら彼の剣を受け止めていた先輩も、左手を剣の柄に添えて軸足となった右足に力を入れ、踏ん張りながら競り合いへ持ち込む。

 なんとか木剣の刃を返し剣を立てた先輩の肌は浅黒く、左、右と競り合う位置を換えてゆくテッドくんに合わせて肩同士をぶつけ合い、お互いに次の一手が出せないよう牽制を行っていた。


 見えなかった先輩の右肩には、恐らく騎士団の分隊の印だと思う。『Ⅳ』と書かれた背中と同じく銀色

の刺繍がされていて、テッドくんは格上相手に稽古をつけてもらっていることがはっきりと分かる。


「テッドくん……」

「よく凌いでるが、すぐにバテるぞありゃ」

「クロさん?」


 テッドくんの名前を呟いた私の隣で、クロさんが腕を組みながら真剣な表情で呟いていた。

 彼の視線は二人の剣の動きではなく、競り合った状態でステップを踏んでゆくテッドくんの足。


「……よく動けている様に見えるけど」

「上体に力入りすぎて足元がお留守だ。よく見てみろ、踏み込みが甘くなってる」


 軽快に、相手が動けば即座に飛び退けられるくらいしなやかな足捌き。

 けれど、再び視線を上げてテッドくんの顔を見れば汗だくで、やや苦しそうに眉を寄せている。


「大方、先輩の剣に追いつくので手一杯ってトコか。力負けすること前提で手数重視で立ち回ってると、いつもよりスタミナ食うんだよなぁ」

「クロさんもこういった経験が?」

「ま、ちょいとな」


 溜息交じりに腕を組んだまま肩を竦めたクロさんは、それでも彼の動きをしっかり観察していた。

 でも、いつからテッドくんの顔があんなに険しくなったのだろう。私は自分が接近戦では完全に無知だったことを後悔する。


「じゃあ、さっきの大振りの時点で?」

「多分な。稽古でなけりゃさっきの腰溜めで腕もろとも弾き飛ばされてたぜ?」

「腰溜め……」

「“起こり”の前に一瞬だけ剣を腰元に置いたろ。アレだ――っと」

「あっ――」


 そこで、二人の勝負に決着がついてしまう。

 奮闘していたテッドくんが先輩の腰溜めを含めた競り合いで仰け反ってしまい、自然体のまま上体を後方へ逸らしながら一回転した先輩の木剣がテッドくんの握っていた木剣を弾き飛ばし、綺麗な放物線を描いて空中を漂ってから落下する。

 それと同時に彼も上体を屈めて膝に手を置くものの、ぐらりと身体が傾き片膝をつく。荒い呼吸を繰り返し、滝の様な汗を流し床に滴らせていた。


 しかし、それだけで稽古は終わりじゃないんだと思う。彼は歯を食いしばって、よろめきながらもなんとか立ち上がり、木剣を軽く払いながら左手で刀身を握った先輩へと一度姿勢を正してから深々と頭を下げる。


「……ありがとうございましたっ!!」

「まだまだ足腰が甘いようだ。が、最後の上段は中々よかったぞ。これからも精進するといい」

「はいッ!!」


 ではな、と言って騎士の先輩が離れて、次の生徒の許へ向かってゆく。その間もテッドくんは頭を下げていた。

 決して休むことのない彼の姿は、ただ一心に、夢や目標に向かって邁進していく男の子の背中の様に思える。


 やがて先輩が他の生徒に声を掛けたところで、テッドくんは落下した木剣を取りフィールドから出て、近くにあったモップでフィールドに舞っていただろう汗の雫などを掃除してゆく。


「……凄いなぁ。あそこまで真っ直ぐに頑張れるなんて」

「テッドは昔っから騎士に憧れてたからね~。周りの人達もすっごい応援してるし」

「そうなんだ……」


 私もテッドくんの様に、熱中できる何かがあれば、あんな風に直向きな姿勢で頑張れる様になれるのかな。

 きっとそれは苦しいことばかりだろうけれど……それでもそこに目標さえあれば、という気持ちを大切に。

 ――見つけよう。まだまだ視野の狭いこの世界で、彼のように私なりに熱中できる“何か”を。


 そんなことを私が思っていると、唐突に後ろからぽんっとカトレアとエルにテッドくんの方へ押し出されて、振り返ればクロさんも含めてみんなが笑っている。いつの間にかシーダもエルの頭の上に乗ってるし……。


「行っておいで! 昨日リア誘われたんだしっ」

「あんなに心配そうな目して見られてたら、テッドもやり辛いわよ? きっと」

「もう……」

「まっ、いっちょ励ましてこい!」

「そゆこと~」


 カトレアとクロさんにウィンクされて、エルとシーダに手を振られながら送り出された私はテッドくんの元まで駆け寄る。

 荒い呼吸を整えようと試みながら掃除を続ける彼へと、鞄からフェイスタオルを取り出す。


「テッドくん、おはよう」

「ん……見てくれてたのか」


 精一杯の意地なんだと思う。口呼吸を繰り返していた彼は、私が声を掛けた途端掃除の手を止めて鼻で呼吸する。

 私はそれに気付かないフリをしながら、彼の頭にフェイスタオルを掛けた。


「少しだけ、ね」

「……ありがとう」


 テッドくんは朗らかに微笑むと、頭や顔をわしゃわしゃとタオルで拭いてゆく。タオル越しに彼の燃えるような呼吸音が聞こえてきて、(無理しないで)と心の中で願いながらゆっくりとした口調で尋ねてみた。


「……すごいね、騎士ってあんなに激しく立ち回るんだ?」

「練習くらいだよ。実戦は真剣だからあんな風に競り合いなんてとても出来ないさ。でも、これが糧になることだって絶対にある」


 それでも悔しいんだ。最後まで立っていられなかったことが。折角先輩が立ち会ってくれたのに、結局自分の所為で呆気なく終わってしまったことが。

 快活で、明るくて、少し高いトーンで話してくれた彼の声音が、少しだけトーンの落ちているように感じる。

 タオルで顔を隠していた彼の頭を拭く手がきつく握りしめられるその姿は、個人的に……かなり心が締め付けられた。

 でも。

 ここで気分が沈んで、何もかも投げ出したくなって、塞ぎこんでしまったら、いつもの自分に戻ってしまうだろう。それだけは……絶対に嫌だ。

 それでも前へ進むと決めた。一歩目は踏み出したんだ。手を取ってその先へ引っ張ってくれる大切な友達もいる。


(――言おう。言うんだ――)


 思い出したくもなかった自分の過去を覆すような言葉を。

 後悔ばかり引き摺って、いつしか後悔することすら怖くなった。

 常に人を避けてきた私が今、自分が変わる為に、彼へ言えるたった一つの励ましの言葉。


「なら、次は先輩に一本取れるくらい、一緒に・・・頑張ろう?」

「――えっ?」

「頑張ることを諦めなければ、どんなに難しい事だって……きっとできるはずだから」


 一緒に。その言葉は私にとって一番忌避していた言葉――だった。

 寄り添う人もいなければ、誰かと肩を並べて歩くことも、話すこともなかった私に自然と歩調を合わせてくれたエルとカトレア。


 そんな二人の優しさが、私の考え方を変えてくれた。

 たったの一日。十二時間にも及ばない二人との関わりで、こうも人は変われるんだ。

 少しだけの変化かもしれない。普通のヒトに比べれば半歩くらいの歩幅かもしれないけれど。

 ――お互いに頑張ろう。あの時の私に言ってあげられたら、どれだけ励まされただろう。

 待っているだけじゃあ聞けなかったその言葉。言おうとしてもそれを告げる相手のいなかった自分。

 全部が過去形で、今、私の目の前にはその言葉をきっと必要としている男の子がいた。


 ……だったら、言うしかないじゃないか。

 私は自嘲気に微笑みながら、彼へ手を差し出すと、フェイスタオルを肩に掛けた彼はふとして顔を上げる。


「リア……?」

「……こんな細くて白い手じゃあ、あなたの力にはなれないかもしれない。握り返されただけで折れてしまうかもしれない。でも、それはそれだけあなたが強いということだから。だから……その自信を大切にして? あなたの心だけは、折れないように」


 テッドくんの手が私の掌に触れる。豆だらけで、ごつごつとしていて……それでいて、温かい手。

 きっと彼は私の手を冷たいと感じていると思う。でも、決して彼からその手を放すことはなかった。


 真っ直ぐ自分の道を極めて進んでいく彼の姿は、俯きながら自分の道を歩いていた私にとってはとても眩しく見えた。

 けれど、考え方を変えても、変わる事を恐れて一歩を踏み出せない身体を動かすには、『前を歩く人を押してあげる』という動機さえあれば、きっと歩き出せる。

 なぜなら、私が今、そうだから。

 少しでもいい。腕を伸ばして、前をく彼の大きな背中に触れ、ひ弱な自分の力を精一杯に籠めて、支え、前へ歩くための力を貸してあげられるのなら、それはきっと、自分なりの『一歩』だと……そう思える。


『………』


 手を握ったまま俯いてしまったテッドくんを見て思う。……うん、今更だけど私、ひょっとしてすごく恥ずかしいことしてない?

 後ろを見ればエル達が物凄く温かい目で見守っていて、クロさんなんてニヤニヤと下衆っぽく笑っている。

 周りには順番待ちの生徒さんもいて、全員の視線を二人占めしていた。

 テッドくんはその視線に気付いたのか、天井を見上げて空いた左手で目元を覆いながらプルプルと震えている。


 冷静になった私も、その恥ずかしさたるや。また放し時を見失った手によって逃げることも出来ず、ばっと空いた方の手でフードを深く被りながら俯いてなんとか赤面を誤魔化す。


「え、えっと……! これで……頑張れ、そう?」

「あっ、あー……ありがとう……。その……元気出たよ……」


 ダメだ。私のコミュニケーション能力が低すぎたうえ、思考が独り歩きしてしまってトンデモナイことを言ってしまった気がする……。ふぇぇ……皆の所へ戻った後を考えるとすごく怖いよぅ……。友達に言う言葉じゃなかったような気がするよぅ……。

 完全に動作が停止している私を見たテッドくん。彼の方が落ち着くのが早かったのだと思う、きゅっと最後に少しだけ握り合った手を強めて開放してくれた。


「……っ! ~~っ!?」


 でも彼もそこが限界だったみたいで、赤みの差していた顔は普通の色に戻っているけれど、どうしてか耳だけが真っ赤に染まっていた。


 開放された手と、すでに顔へ触れていた手でいよいよ彼は顔を覆うと天井を仰ぎながら上体を縦横無尽に振り乱す――えっ、テッドくん待ってそれ激しくない!? 分裂しそうな勢いなんだけど……!?

 フードをこれでもかと言うくらい深く被った私は、彼に握られた手を抱えながら横目で見ているけれど、その乱れ様ったらない。まさに上半身ゲッ〇ン。


 落ちたタオルを拾い上げた私はそれを肘で抱えながら片手でフードの端を抑え、もう片方の手で未だに乱れているテッドくんの背中を引っ張りながらフィールドからフェードアウトするのだった……。

 あぁ、本当に恥ずか死ぬ……。

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