第8話 クロウ・サイネリア
小鳥のさえずりが聞こえる。徐々に意識が浮上してきて、肌寒さも感じてきた。心なしか瞼の向こうが明るい……。
ぱち、と目を開いて窓の外を確認すると、まだ薄暗い時間帯のようで、朝日は完全に上がり切っていないみたいだった。
「……起きよう」
せっかく異世界に来たんだし、自分の今までの生活態度を引き摺る必要もない。私はそう決心しながら呟いてベッドから起き上がる。
昨日は制服のままで眠ってしまったからか、ブレザーは皺だらけ。少しだけ汗の含んだワイシャツの襟も気持ち悪いので、鞄から簡単な衣類を取り出してシャワーを浴びようと浴室へ入る。
ミルク色の滑らかな手触りな陶器のバスタブに衣類を脱いで足を踏み込み、壁に掛けられていた金鍍金で出来ているシャワーのヘッドを手に温水を浴びてゆく。
毛布も掛けていなかったから風邪でも引かなきゃいいけど……と思ったけれど、特に身体の不調は見られなかったので一安心だ。あぁ、少し熱めのお湯が気持ちいい~。
バスタブの脇にある石鹸も使って頭や身体を洗い、浴槽に落ちた髪の毛を流してお湯を張ってゆく。
その間にタオルで髪を拭き、背中まで伸びたそれを纏めて肩まで湯に浸かると、もう、最高。
まさか異世界に来た翌日にお風呂へ入れるなんて思ってもみませんでした。極楽ですよ、こいつぁ。
さすがにドライヤーなどの家電はないけど、それは我が儘というもの。我慢できます。お風呂は正義。はっきりわかんだね。
「はぁぁ~。極楽なんじゃぁ~」
はふぅ~っと気の抜けた声を上げてまったりした時間が過ぎてゆく。徐々に冷めていくお湯に再度熱湯を入れて楽しみたいけど、流石に長居はできない。
私は立ち上がりながらバスタブの栓を抜いて身体を拭き、新しい衣服に着替える。
といってもあまり目立つような服ではなくて、灰色のフード付きパーカーの内側に黒いトレーナーを着込み、下は濃紺のジーンズといった格好なので、殆ど普段着と変わりませんでした。
あのゲームでも色々な服はあったけど、ファッションに興味はなかったので無難な衣類しか所持していません。うそっ、私の女子力、低すぎ……?
それにゲーム内でのキャラクターは現実の私よりも身長を高めに設定していたのに、今着ているこの服は私の着ているサイズに合わせてある。これも装備品同様に再調整された、ということなんだと思う。
「……よし」
バスタブ脇にある洗面台の前で、湿気で曇った鏡を軽く手で拭いた私は、襟元を引き寄せてフードの位置を直す。
髪はまだ乾ききってないけど、タオルを羽織るだけにしておこう。
着替えを終えた私は元居た部屋に戻って、ベッド脇に座り鞄の中身に入っていた品々を選別してゆく。
理由は消費アイテムの数と種類の多さ。ポーション類は基本的に十本をセットで持ち歩くとして、街中では滅多に戦闘は起こりそうもないので、仲間の攻撃力を上げたりする補助アイテムも必要なさそうなので外しておこう。勿論刀剣類も除外。
問題は経験値や熟練度を上げる
あのゲームではペットシステムというものがあって、使用者の能力値をある程度底上げしてくれたり、ドロップアイテムを一緒に拾ってくれたりと、結構な所で活躍してくれる存在がいた。
それらは“カード”と呼ばれる超低確率のドロップ品を入手して、笛に登録することで呼び出すことが出来る仕組みなのだけれど……ひょっとしたら呼び出せるかも?
私が登録しているペットはフェレットであり、名前はシーダ。男の子だけど性格は少し臆病といった子で、かなり愛嬌のある子だった。
能力値も攻撃力や防御力などではなく、この世界で言う魔力総量、そして魔法を発動した際の
時間帯が早朝なので、音量を最小限にしながら、銀で造られたペンダント型の呼び笛を軽く吹くと、目の前に小さな円形の魔法陣が現れ、紫色の光の中から一匹のフェレットが、まるで壁をよじ登る様に魔法陣の中から出てくる。
「ファッ!?」
「あ~びっくりした……。いきなり呼び出さないでよリア~」
驚きのあまりネットスラングが飛び出した私を見て身体をびくつかせた白い体毛に尻尾の先を焦げ茶色に染めたフェレットが弱気な声を上げながらその場に座り込む。
……んっ、いや待って? 今喋っ……えっ!? 喋った!?
「しゃっ……シャベッタアアアア……っ!?」
「そりゃあ喋るよぉ。使い魔だもん」
なにを今更、と肩を竦めながら顔を振るフェレットに私は声を最小限に奇声をあげ、人差し指をさし続けると、そのフェレットは私へゆっくりと歩み寄り、ベッドに腰かけていた私の足をよじ登って膝上に落ち着く。
すぐさま身体を丸くして顔だけを私へ向けてあげるその子。動揺しすぎて思考が追いつかないです。ほんと唐突なドッキリは慣れてないのでお願いだから勘弁して……。
眉を寄せながら苦笑いを浮かべていた私は、ひとまず落ち着こうとその場で深呼吸。その後、再びフェレットを見つめて尋ねてみた。
「……シーダ、なんだよね?」
「シーダ・スノウフレーク。久しぶりさ~リア~」
フェレット――シーダは軽く右手を振り、尻尾を左右に動かすと、身を起こして私のお腹へ抱き着いてくる。
私は彼の背中を優しく撫でながら応えればさらに尻尾を動かして喜びを見せてくれた。
「まさか異世界で会えるなんて」
「こっちの台詞さ~。君が神様にお願いしてくれたからだよ~?」
「それでもだよ。びっくりした……。喋れるし、本当に自分で動くし……」
所詮はゲーム内のキャラクター。
それが嬉しくて、シーダの背を撫でることで感じる温もりは現実だと教えてくれる。
「リアのレベルも下がってるから、ボクの能力も結構下がってる。でも、こうしてリアが撫でてくれるだけでボクは嬉しいんだ」
「ありがとう……シーダ。これからも私の使い魔でいてくれる?」
「もちろんさ~! なんたってボクはリアの相棒だからね!」
異世界に来て翌日。私は癒しを手に入れました。
……それで終わればいいんだけど、荷物整理はまだ始まったばかりであり、私はシーダとの再会も
「にしても、ずいぶんと大荷物だね。倉庫の中身も全部投げられちゃったの?」
「たぶん。サブキャラの装備品も入ってたから、十中八九私のメインキャラクターとその倉庫のアイテムだと思う……」
流石に経験値をその場で入手できるカードアイテムなどは荷物に入っておらず、序盤から周りとレベル差をつけて冒険へ! なんて事はできないみたい。いや、するつもりも毛頭ないのだけど。
最短で成長できるアイテム類は廃止、自分が行動する事で効力を発揮するアイテムのみが残った、ということだろうか。
あの適当な神様もよくあの短時間で考えられたな、と上から目線を承知で関心しながら、結局ポーション類と筆記用具、最低限の初期装備を鞄に入れる形となり、呼び笛のペンダントは首にかけることにした。
そして装飾品の中にレベル1で装備できる『探求者の眼鏡』というものをクローゼットから取り出して、装着。
「どう、かな?」
「うんっ! いつもの見慣れたリアみたい~」
「あはは、ありがとう」
眼鏡を掛けてシーダに尋ねると、彼は尻尾を振りながら答えてくれる。声が笑っているのでとても安心できた。
オーバル型に渕取られた銀製の眼鏡には“
私のスタイルは戦闘では後方支援を、マップ攻略時にはスムーズにマッピングを行いながらゲーム上に出現するMob――モンスターの発生区域やそのモンスターの平均レベルや弱点属性、再度出現するまでの時間を計測するといった、攻略を容易にさせるために動くといったものだった。
もちろん一筋縄ではいかないところも何度も撤退や復活を繰り返して攻略の糸口を繋ぐこともあった。でも此処は現実。死ぬわけにはいかないので、撤退を繰り返しながら情報を得ていくしかない。
この眼鏡はその情報収集を容易にさせるためのもので、いつしか私のトレードマークにもなっていた。
装飾品には防具としての効果はないので、基本的にファッションとして取り入れられているけれど、こうして自分の方向性に合わせながら追加能力を付与してあげればしっかりと役割はある。
愛用の眼鏡を掛けられたこともあるのかもしれない。視界がより鮮明になり、目に見えるものすべての色が映える。窓の外からまばらだけれど人の会話が朧気に聞こえてきた。
「今日は街の案内があるみたいなんだ。シーダも一緒にいこう?」
「おっけ~。それじゃ、失礼して」
そろそろ一階に行こうと思ってシーダに声を掛けると、彼は私の腕を通して登ってゆき、肩に落ち着く。
私は鞄を腰に通してから最後にもう一度浴室の入り口で鏡を見て身なりを確認して、靴に履き替えて部屋の外へ出た。
◇
ほどよい時間になっていたんだと思う。一階のエントランスホールにはクラスメイト達……だと思う人々の姿があり、猫人族、ドワーフ、人族でありながら容姿を変えた彼らを見ながら、ホール内のソファの一席に座ろうとした所で、馴染みの顔を見つけた。
窓辺の席で憂いを帯びた表情を浮かべながら外を眺めていた女性、カトレアは、近づいた私に気付いたのか顔をこちらに向けると笑顔になってくれて、軽く手を拱いてくれる。
「おはようリア。昨日はよく眠れた?」
「うん。カトレアは?」
「アタシもよーく眠れた~。ただ服がこれしかなかったから、どっかで新しい服に着替えたいかも」
カトレアはんっと大きく伸びをしながら答えてくれた。
辺りを見れば確かに、みんな制服姿であり、私服姿が私しかいないというのもなんだか気恥ずかしい。
学園の制服も出来上がるのは一週間後、ということなので、今日の案内中か、もしくは終わったら買い物に行くことになるんじゃないかな?
それまでの間は私服でもオーケーだと思うし、ひょっとしたらサイズだけ合わせてジャージを支給してくれるかもしれない。
「リアはそれ、神から? 眼鏡似合ってるじゃん。コンタクトだったの?」
「ありがとう。コンタクトではないんだけど……色々とあって」
「肩にも可愛いの乗せてんね。うりうり~っ……」
「いやぁ~、これはどうもご丁寧に~……」
「――喋った……?!」
私はカトレアに自分の衣類と鞄を指差されて頷いたあと、彼女は私の肩に乗ったシーダの顎下を軽く撫でて、気持ちいいのか声を上げた彼に手を離してぎょっと驚きながら手を引っ込めた。
くすくすと口元に手をやりながら笑うと、シーダがカトレアに頭をさげたので紹介する。
「彼はシーダ。私の使い魔さん」
「よろしく~」
「へえ~っ喋る使い魔ねぇ。異世界っぽくていいかも……」
カトレアがシーダへ再び手を伸ばした時、シーダの首根っこが後ろから伸びてきた手に掴まれて抱え上げられてしまう。
後ろを振り返って見上げれば、そこには右腕にシーダを抱き抱えた銀髪の男子が立っている。
乳白色の肌に浅緋色の切れ長の瞳、しかも背はテッドくんと同じくらい高い。いや、私が小さいだけかもしれないけど。
思わず「誰……」と顔を引き攣らせながら尋ねると、彼は後ろ頭をがりがりと掻きながら教えてくれた。
「見たことあるヤツが居ると思ったんだよなぁ。やっぱお前だったのかよ」
「その声――クロさん!?」
「おうよ。クロウ・サイネリア。よろしくな」
男子――クロさんことクロウ・サイネリアさんは気障っぽくウィンクしながら人差し指と中指を揃えて軽く振ると、シーダの背中を鼻歌交じりにうりうりと撫で始める。
でも、癒しのタイミングを失ったカトレアは恨めし気にクロウさんを睨み付け、唸る様に尋ねた。
「誰さアンタは」
「そういうお前は? こっちは名乗ったんだぜ。そっちも名乗る方が筋ってモンだろ」
「……カトレア・ミャーマ」
「リア・スノウフレーク、だよ。よろしくねクロさん」
「ああ、よろしくな。……にしてもなるほどなぁ、あのギャル街道まっしぐらの深山かよ。ダークエルフもぴったりだわ」
「言ってくれるじゃないのよ……えぇ?」
「ま、まぁまぁ二人とも……」
クロウさんが肩を竦めて、空いた左腕をやれやれと振りながら煽り、怒気を孕んだカトレアが顔を伏せてソファから立ち上がりかけるのを私はなだめてゆく。いやほんと、こんな場所で目立ちたくないから二人とも落ち着いて……!!
クロさん、という愛称は、例のゲーム時代で使っていたキャラクターの愛称だ。クロさんは英語表記で『ブラックキャット』というキャラクター名だったのである。
彼とは所属していたギルドの同期であり、レベルも近かったことからよく一緒に行動していた。
前衛と中衛を兼ねる職業で遊撃を担当していた彼は、その撃破率も高かった事から私よりも先にギルドのサブマスターに任命されるほど。なんとか私も追いついてはいたけど、正直戦闘になると彼に支えられる場面が大かったのを覚えている。
予想外の再開に驚いていた私は言葉少なげにクロウさんを見上げると、彼は左の口角を上げながら「どした? 鶏が蛇引っ掛けてきたような顔して?」とよくわからない例えで返される。
「……ほんとにクロさんだ……安心した」
「おい待てよ、今の言葉のどこに確証を得たっ?」
「ちょっとリア、知り合いなの?」
「うん。私がやっていたオンラインゲームで一緒に活動してた人なんだ。こっちに引っ越してからは連絡とってなかったけど、近くに住んでるっていうのは知ってたから……」
「まっ、サルの背中に唐辛子、ってやつだな」
「ええっと……不幸中の幸いのこと? それだと追い打ちになっちゃうよ?」
「察せよ」
「いやだよ。分かりにくいんだもんクロさん」
私とクロウさんのやり取りを茫然としながら見つめていたカトレアは、何かに気付いたようで「あーっ!!」と立ち上がりクロウさんへ指差しながら叫ぶ。
「オンラインゲームって、アンタ……緒川!? 緒川でしょ!! オープンオタでアニメ・ゲーム好き、学校にお気に入りのフィギュア持ってきてるとか言われてるあの!!」
「いやフィギュアとか持ってきてねーし。偏見だろそれ……。リアもなんとか言ってやってくれ」
「……ごめん。危うく信じかけた」
「おいィ!? 長い付き合いだろ!? 俺がそういう趣味持ってねぇってハッキリ言ってくれよ!」
そっぽを向きながら口元に手を当てた私はクロウさんに腕を伸ばしてシーダを救出し、彼を抱き締めながら視線を逸らし続ける。
ごめんねクロウさん。流石にリアルも知らなかったのでフォローのしようがないんです……。
「大体? よくもまぁコミュ障なアンタがアタシ達に声かけようと思えたわね……。いっつも登校したらスマホとかゲームいじってたクセに」
「ログボがあるからな。天井狙って半年、そろそろガチャ回そうとしたら異世界召喚された俺に何か言うことは?」
「うわぁかわいそ……。主にアンタのリアルが」
「……ありがとよ」
「カトレアやめて。その発言は私の心に刺さる……。あとクロさんも涼しい顔してるけれど、それ誉め言葉じゃないからね?」
「ご、ごめんリア」
「なんだって……」
私とクロウさんは青い顔をしながら若干苦しくなった胸のあたりを抑えていると、申し訳なさそうにカトレアは合掌してきた。
するとシーダが両手を振り乱し、一心にクロウさんをフォローしようと言葉を結ぶ。
「でもでも、クロちんが居れば安心だね~。いっつもボク達を助けてくれたもんね」
「そだねー」
「あはぁ……天使が二人おりゅぅ……」
「癒されるわぁ」
いつしかカトレアも怒気が静まっていて、今は恍惚な表情を浮かべている。クロウさん――クロさんは私の座っているソファの背もたれに右腕を置きながらシーダの背中を優しく撫でるのだった。
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