第5話 セージ兄妹
「――リーアーっ! 移動するよー!」
「ひゃいっ!?」
ぐいぐいと肩を引き揺すられ、右の耳元でエルの大声を聞いたリアは驚き、意識を本から切り離して思い切り肩を竦めた。
予想外な声量にリアは自身の右耳を抑えながらエルを見上げると、すでにクラスメイト達やオスカー達役場の職員の姿も無く、その場にはリアとエルのみ。彼女はしまった、と感じながら顔を青くしていると、エルは彼女を見てくつくつと腹を抱えながら肩を震わせ笑っていた。
その理由は教室の黒板上に架けられた菱形の時計。針は既に正午を半刻ほど過ぎており、「ご飯食べにいこっ」とエルに食事へ誘われたことで、今は昼休みであると納得したリアは安堵の息を吐く。
「びっくりした……。もう次に行っちゃったのかと思ったぁ……」
「あははっ! あたしが居るんだから大丈夫! 心配性だなぁもう~」
安心のあまり涙目になったリアの頬をエルがつんつんと人差し指で軽くつつき、本についていた“スピン”と呼ばれる栞用のリボンを読み込んでいたページに挟んで閉じると、彼女達は席から立ち上がる。
彼女が本を読みだしてから二時間弱。読書が好きな彼女は、短時間でその分厚い書籍の三分の一は読み切っており、スピンの位置を確認したエルは、そのペースの早さに舌を巻くばかりだ。
二人は廊下へ出ながら教室のドアを閉め、会話を挟みながら階段を下りてゆく。
「大分読んだねー。どう? 面白い?」
「うん、すごく。魔物は見たことがないから怖い印象があったけれど、主人公とコミュニケーションを取って協力しながら里の開拓をする描写は新鮮だった」
「確かに! そこはびっくりするよね!? いつもは襲って来るゴブリンと話し合っちゃうんだもん!」
「やっぱり襲ってくるんだね……」
「そりゃねー。この街の郊外にも住み着いているみたいだけど、騎士団が定期的に調査しに行ってるみたいだからねー」
「戦闘にならないの?」
「たまにあるみたいー。でも力量はこっちが断然上だから、敵わなくて逃げちゃうらしいよ」
「そうなんだ」
安心しきった笑みを浮かべるエルに、リアは内心で納得しながら相槌を打つ。
騎士団の平隊士でも恐らくクラスⅡかⅢ程の戦闘力であると考えれば、それに打ち負けるゴブリンという魔物は低レベルである、ということ。神様の情報通り、人里周辺に寄りつくのは魔物レベルくらいであるという裏付けがされた事にリアは心の中で安堵した。
それと同時に、街に降りかかる危険因子を事前に調査していることから、災害や魔物の襲来といった緊急時への備えは万全であることを意味しており、エルの反応から騎士団という存在がいかにこの街の人々に信頼されているかが窺い知れる。
やがて西館から出て、エルに連れられながら中庭から樹木の植えられた小道を道なりに進み、西館の裏手にある校舎と同じ赤レンガ造りの学生食堂へと移動してゆく。
現代での体育館規模のそれは二階建てで、建物の中心にかけて角錐状となった屋根が特徴的な建物となっており、入口からは赤いカーペットが全体に敷かれていることで豪華さが際立っている。
リア達は先に昼食を摂っているクラスメイト達と合流するべく、そんな柔らかい質感の絨毯の上に足を踏み入れた。
入口の右手には二階へ上がる為の階段があるのだが、今日は一階のみ解放されているらしい。階段の前には真鍮のポールに質のいいロープが掛けられており、登れないようになっている。
石レンガで造られたアーチ状の柱が廊下と食堂に区切りが付けられており、二人はいよいよ食堂へ入ると、その規模にリアは目を白黒させた。
二階建てであるはずの学生食堂。しかし内側から見ればその認識は一変。食堂は大きなパーティーホールの様な巨大な空間が広がっていたのだ。
二階は幅の広い
そして一階は、吹き抜けという構造から、遥か上にある巨大な天窓からは陽光が広く差し込むほどに広々としており、ゆっくりと食事が楽しめるような構造になっていた。
「凄い……。ダンスホールみたいだね」
「おお~大正解っ! 冬になるとここでダンスパーティーが催されるんだよねー。……まあ、あたしは踊れないし誘ってくれる人もいないけどっ」
「胸を張って言えることじゃないと思うよ、エル……」
リアは胸を張りながら悲しい事を言い出したエルに苦笑いを浮かべつつ、彼女に連れられて料理などが置かれた長テーブルの元まで歩いてゆく。
辺りを見回せば円卓が各所に用意されており、クラスメイト達が好き好きに出された料理を取っていることからビュッフェ形式であることが分かった。
分かったのだが、当のリアは正直ビュッフェ形式を始めとする海外の食事作法に慣れていない。ビュッフェなど彼女の記憶の限りでは小学校の宿泊学習以来な為、およそ五・六年ぶりになるのである。
食器を乗せるプレートに幾つかの皿を置き、自分よりも前を行くエルに倣って、リアも恐る恐るトングを手にオムレツやサラダなどを皿へ盛っていった。
……しかし彼女を追うにつれ、違和感に気付く。
重い。リアの額に脂汗がにじむほどエルの皿には大量の料理が盛られている。
成長期だもんね、とリアは内心で無理矢理自分を納得させようと試みるものの、現実から大きくかけ離れたその量を前に、彼女は見ているだけでお腹いっぱいになりそうだった。
「んっ、どしたのリア? それだけで足りるの?」
「う、うんっ。私はこのくらいで……」
「そう? 遠慮しなくてもいいんだよ~? いくらでも御代わりできるから! あたしなんてお代わりしに行っちゃうくらいだし!」
「おか……わり……」
いよいよリアの顔色が悪くなってきた。彼女はなんとか片手でプレートを持ったまま口元に手を当てて目を伏せると、この世界の人々がどれだけ強靭な身体を持っているのかという疑問を持ち始める。
そしてそんな彼女達のやり取りを見て居られなくなったのか、灰色の髪をした好青年、テッドが慌ててエルを窘めにやってきた。
「こぉらエル! いくら今日は人が少ないからって、さすがにそれは取り過ぎだぞ!?」
「え~いいじゃん~。二人ともよくそんな量でお腹持つよねー。羨ましい」
「いやいや、これが普通なんだって……。はぁぁ、我が妹ながら恥ずかしい……」
「ちょっと~! リアの前であたしの印象下げないでくれるー!?」
テッドは呆れた様に額に手を当て天を見上げ嘆息すると、エルは頬をぷくっと膨らませながら兄へ異議申し立てる。
リアはエルの前に立ったテッドを見上げ、困った様に襟足に触れたテッドと視線が合うと条件反射で頬を軽く赤らめながら逸らしてしまった。
そしてそれを誤解したテッドは腕を組んで溜息交じりにエルを畳みかけてゆく。
「むしろこのまま続けていたら絶対今より下がると思うぞ……?」
「うそっ?! じょ、冗談だよね? ねぇ~リア?」
「……ご、ごめん。流石にちょっとだけ引いた……」
「うわぁぁあああんっ! あたしちょっとだけ戻してくるぅうう!!」
「ああぁ待て待て! それはマナー違反だからっ!?」
「それだとエルがお腹空いちゃうから、そのままで大丈夫だよー!」
戻っておいで! テッドとリアの二人は涙目でパンを戻しに行ったエルへ必死に語り掛け、なんとか引き戻すことに成功。涙目になりながら頬を膨らませてしぶしぶ戻って来るエルに二人は安堵の息を吐く。
テッドは肩を落としてげんなりしたような仕草を見せ、リアは胸を撫でおろしていると、再び目が潤んできたエルは彼女の前で盛大に泣き出した。
「リアぁ~! あたしが大食いだからって嫌いにならないでぇぇええー!」
「だ、大丈夫! 慣れるっ! 慣れるから! ねっ? だからちゃんとご飯は食べよう?」
「びえぇぇえええん……!!」
「あぁあもうこの子は~っ」
まるで自分よりもはるかに年下の女の子を相手にしているような感覚に陥ったリアは、懐からハンカチを取り出して頬からぽろぽろと大粒の涙を零してゆくエルのそれを拭い取ってゆく。
そしてテッドがエルが手にしていたプレートを受け取り、替わりにポケットティッシュをエルに与え、ずびーっと盛大に鼻をかむエル。
アットホームの様な温かい雰囲気が周りに漂う中、ハッと何かに気付いたテッドは片手でエルの頭にチョップを入れた。
「って、六歳児かッ!」
「十六歳だし! 十がつくもん! あたしだってちゃんと立派なレディなんだから!!」
「悲しい事に、とてもじゃないけどそうは見えないんだよなぁ……」
「あんですってー!?」
「ふふっ……」
お次に顔を真っ赤にして軽く地団駄を踏むエル。ころころと表情が変わる元気な彼女と、落ち着きながらもユーモアのあるテッドとのやり取りを見てリアの心は自然と温かくなる。
ずっと見ていたくなるその光景だが、気付けば食事を取っていたクラスメイトの一部が食事を終えて席を立った事に気付いたリアは二人へ声を掛けた。
「エル、お昼の時間終わっちゃうよ? そろそろ食べよう?」
「んっ! そうだね! テッドはばいばーい!」
「はいはい、ばいばーい……って、オレもまだ食べ終えてないんだよ! ナチュラルにさよならしてくれるな!?」
「ふっ……!」
空いている席へ移動を開始する二人。テッドから食事を受け取ったエルは彼に手を振りながら別れようとするものの、思わず自然な流れに乗ってしまったテッドも穏やかな表情でエルへ手を振ってしまう。
何かに気付いたテッドは急いで自分の食事が載ったプレートを手に二人の後を追うという、的確なノリツッコミに思わずリアも軽く吹き出してしまい、最終的にセージ兄が同席する形と相成る。
『いただきます』
リアは合掌し、エルは胸元で指を組んで祈るような仕草を取る。テッドは男性の為、胸元に手を当てながら目を伏せて食前の感謝の言葉を告げるという、それぞれの所作の違いにリアはどこか新鮮さを感じていた。
「というかテッド、あたし達に合わせなくてもいいのに~」
「あっちはあっちで楽しかったけど、正直落ち着けるところがなくてさ。そんなところに偶然、慣れ親しんだ我が妹がやってきた、というわけだ。渡りに船、ってやつさ」
「あー……」
「なにそれ~。自然に隠れ蓑にされる妹の身にもなってよー」
トマトや玉ネギ、キャベツに豆が入った彩りのよい野菜スープを口にしたテッドへとエルが唇を尖らせて抗議するも、リアの内心は正直テッドの味方だった。
それもそうだろう。彼の置かれた状況は恐らく一週間前の自分と同様。見知らぬ人たちに一人放り出されるような感覚に近い。だからこそ彼女はテッドに一方的な親近感を覚えたのである。
「えっと……ペインテッドさんはおいくつなんですか? エルのお兄さん、なんですよね?」
「数分違いで生まれただけでーす! 兄さんなんてこれっぽっちも思ってないから! むしろあたしがお姉ちゃん!」
「こんな姉を持つ弟は、さぞかし苦労するだろうなぁ。間違いない」
「ちょっとぉ! それどういうこと~!?」
「ははは……。というわけで、二人とも仲良く同学年だよ」
「なるほど……。双子だったんですね」
「そういうこと。というわけで、変な敬語も要らないよ。えっと……リア? さん」
「リア・スノウフレークです。よろしくお願いします、テッドさん」
「あ、結局さん付けなのね」
恥ずかしい? とパンを頬張ったエルの指摘に、リアは顔を赤くしてしまう。
どういうこと、という疑問の視線をテッドはエルに送ると、あまりの恥ずかしさについにリアは顔を俯かせた。
言っても良いものか。まあ友人であるエルの兄という以上、決して他人ではないのだ。いずれ必ずバレてしまうことになる。
リアは自分にそう言い聞かせると、なけなしの勇気を胸に告げた。
「その、歳の近い異性を呼び捨てで呼んだことがなくて……なっ、慣れていないんです……」
「「………」」
「な……なんですか、その新種の動物を見つけたような目は!? そうですよ友達百人できるかな~とか歌っていた時期でも本ばかり読んで作ろうともしなかった引き籠りですよ私はっ」
ついに自虐に走る彼女は首筋まで赤くなり、当然ながら耳は真っ赤、漫画やアニメの世界であれば頭から湯気が出ていることだろう。
そんな彼女の反応に二人の兄妹は耐えきれなくなり、エルは思わず口元を抑えてそっぽを向きながら盛大に吹き出し、テッドはテーブルに突っ伏してだんっと軽く右拳を叩きつけた。
――なにこの、可愛い生き物……!
ダークエルフ深山ことカトレアもそうであったが、リアの感性は一般的な若者のそれとかなりズレがある。それこそ「好き」という単語や親しい相手さえ呼び捨てで呼べないほどの。
だからこそ、普通のコミュニケーション能力を持ち合わせている若者にはそんな印象を与えてしまう。伝え方もあるだろうが、それを顔を赤らめ、恥ずかしがりながら言うハーフエルフというのも相まって、威力は絶大。あの人の好さそうな印象を受けていたテッドでさえこうして平静でいられなくなってしまうのだから、衝撃の度合いは計り知れない。
つまり、天然。
あまり人との関わりを持たなかった彼女が保有する、『新鮮な天然』とも呼べる一種の個性は、白い肌に白い髪、全体的に細い彼女の容姿も含め、総じて『愛らしい』印象を与えるそれは、良い意味で彼女の魅力とも言えるだろう。
決して万人受けするものでもないが、少なからずリアが関わってきた三人の友人にはかなり効いたようだ。
「ぶふぉっ……ぉふっ……くひいっひいぃ~っ……!」
「くっ――っく、くくくっ……ふふぉっ……!」
「……あの、二人とも流石に笑いすぎじゃないですかっ!? もうっ……!」
リアは拗ね気味にそう言って、パンを一口サイズにちぎりながらそれを小さな口へ放り込む。
三人の穏やかな昼休みは、そんな一幕を経てゆっくりと過ぎてゆく……。
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