第4話《彷徨人》――カナタビト

 学園の内部はかなり広々としていた。

 西館へ入ると、正面には上の階へ行くための階段があり、左右に教室が分かれているといった具合。

 内部の構造はコンクリートではなく、石レンガや木で出来ており、壁の橋には石レンガを組み合わせ、床はしっかりとした木製の素材が使われていた。


 各教室の入り口は金属で角を補強された木製のドアであり、入口の上には窓が付けられているといった、庭と同様狭苦しさを感じさせない開放的な構造となっている。


 高い天井、質の良い木製の床。石で出来た壁……。鉄筋コンクリート造の現代の学校とは違い、どこか温かみを感じさせる雰囲気は、異世界からやってきたリア達にとって、初めて落ち着ける空間だった。


「こっちでーす! 階段で三階まで登りまーすっ!」

(元気だなぁ……。結構な距離を歩いてきたはずなのに)


 エルが元気よく石で補強された木製の階段を登ってゆく姿をリアは眺めつつ、体力のない自分もあまり疲労を感じていないことから、自分がある程度、身体能力が底上げされていることを悟る。


 ぞろぞろとクラスメイト達が階段を上ってゆき、その後を追ってゆくリアは、壁に掛けられた毛糸の玉と戯れる猫の絵画と擦れ違う。

 そんな時だ。


「――ひっ!?」


 いきなり絵画のはずである白と灰色といった色合いのキジトラ模様の猫が動き出し、くいっと顔をこちらに向け首を傾げ、尻尾をぴんっと上に伸ばしながらお座りする様を見てしまい、リアは思わず悲鳴を上げてしまう。

 すると踊り場から数段上った所からエルが顔を出し、にぱっと太陽の様に笑った。


「あははっ、ごめん! ちゃんと説明すればよかった! この学園にある絵画や銅像なんかは意思を持っているので、動く事が多々ありまーす! みんなも出会ったら挨拶してみてねっ!」

「え……えぇぇ……。こ、こんにちは……?」


 リアは軽く絵画越しに猫に向かって会釈すると、その猫も「ウン」と頷くような仕草を見せ、再び毛糸玉と戯れ始めた。


 ほうっと胸を撫で下ろしながら安堵の息を吐いたリアに、エルは「大丈夫ー?」と声を掛け、彼女が軽く手を挙げたところで平気だろうと判断し、移動を再開。


 ようやく三階へたどり着き、一階と同様の構造をした廊下へ出ると、階段から三つほど本館へ近づいた教室のドアをエルが開く。

 日本の学校とは異なる、三人掛けの席が縦四列横三列といった具合の教室に、クラスメイトから「おぉー……」という声が漏れ、ぞろぞろと入室していった。


 そんな中、一足遅れてやってきたリアの姿を見つけたエルは彼女へ歩み寄り、ぱちっと両手を叩いて頭をさげる。


「さっきはごめんっ! 大丈夫だった?」

「は、はい……。びっくりはしましたが、あの子もきっと驚いちゃったんですよね?」

「まー、階段駆け下りる男子もいるからねー。慣れてはいると思うんだけどなぁ~……?」


 おっかしいなぁ~と後ろ頭を軽く掻いたエル。そして彼女はリアの耳を見て驚いた様に目を見開いた。


「ひょっとしなくても、あなた――エルフ?!」

「えっ? 一応ハーフエルフですけど……」

「――耳触ってもいい!?」

「って言う前に触らないでぇっ!?」


 有無を言うよりも先にエルの腕が伸び、リアのやや尖った耳にむにむにと触れると、彼女はみるみるうちに幸せそうな表情を浮かべ、緩んだ口元からは軽く涎が滴りかけている。


 形状が変わった事による影響なのか、リアとしては敏感になった耳の痺れるような感覚に耐え続けていた。


「へぇえ~……っ! てっきり固いと思ったんだけど、結構柔らかいんだねっ! あたしの耳より柔らかいかも!」

「ふっ……んっ……! あのっ、そろそろ……くすぐった……っ!」

「あっ、ごめんごめん……。いやぁ~堪能させて頂きました! ごちそうさまっ」

「お、お粗末様でした……?」


 リアは上気した頬を覚ます様にぱたぱたと手団扇で仰ぎながら、達成感丸出しのエルはふうっと額の汗をぬぐいつつ合掌する。


「改めて、あたしの名前はエルサレム・セージ。あなたの名前は?」

「リア・スノウフレーク、です……。みなさんも待っているでしょうし、そろそろ中に入りませんか?」

「そだね~。これからよろしくね、リアちゃんっ!」

「こ、こちらこそ……」


 せめて先ほどの様な過剰なスキンシップは事前に言って欲しいですが、というリアの心の声は、満面の笑みを浮かべながら手を差し出したエルには届かなかったであろう。


 彼女は恐縮しながらエルの手を取り、握手を交わしてゆく。

 この出会いが、リア・スノウフレークの未来を大きく変えて行くことも知らずに。



       ◇



「次の方――」


 三十六人分の生徒用の席が存在する広い教室の中、教壇に立った白いワイシャツに黒いスーツスラックスといった格好をした三人の大人の男女は、異世界から召喚されたリア達の戸籍作成に追われていた。


 誰もが黒髪ではない、外国人の様な出で立ちであり、内一名の男性は灰白柄のナイスミドルな高身長の猫人族。そしてその両隣には年若い新人らしき髪をキッチリ七三分けに整えた茶髪の男性と、その先輩と思わしき妙齢の金色の髪をした女性が眼鏡のブリッジを持ち上げながら次の生徒を呼び出す。

 出席番号順に呼び出され、一度に三人の生徒達の戸籍を作ってゆく彼らは、街役場からやってきた公務員だという。


 召喚された直後、狙ったように現れたエルやテッド、そしてまるで事情を把握しているかのような対応を行っている公務員達には、共通のカラクリが存在していた。

 それはこのブレイシアの西部に存在する教会に所属している聖職者、その内の《預言者》と呼ばれる《クレリック》系列からの派生クラスの人物から「《彷徨人》がやってくる」という情報を得た為だという。


 過去に幾度か同様の預言があり、この街の人々はリア達を含める異世界人の事を《彷徨人かなたびと》と呼称しており、『幸福の使者』とも呼ばれ、貴重な存在として優遇されるらしい。


 理由としてはこの街の景観を作ったのもまた《彷徨人》であり、彼らのお陰で漁業や鉱業、農業が盛んになったということが起因しているようで、つまりは異世界からの知識をアテにしているということである。

 といっても、扱いはこの街に住まう一般市民とそう変わらない。優遇というのは彼女達の現代通貨、“円”の類は使用出来ない為、ある程度生活費等を援助するといった金銭的な意味合いで最低限の生活が保障されている事のみ。


 しかしそれでも有難みは充分にある。何もない素寒貧の状態で異世界で放り出されるよりも、必要最低限の衣食住が保障された方が何倍もマシというものだ。


 リアは隣席のクラスメイトが呼ばれる中、教室の中をゆっくりと見回していた。

 黒板は現代よりも大分濃い、濃緑色の上下スライド式のブラックボード。窓際には古めかしい模造紙に描かれた時間割が石の壁に貼り付けられ、その下には毎日水を交換しているのか、アブラナ科のストックと呼ばれる花弁や色の種類が多い華が飾られている。


 入口には教師用なのか、綺麗に整理された棚には様々な本が敷き詰められ、脇に据え付けられたチェストには教材が入っていると推測できた。


 天井は噴水広場に使用されていたランプが敷設されており、合計で三つだけだというのに教室の隅々ま

で光が通っている。


 後方には生徒用のロッカーがあり、出入り口のドア付近にはブリキの様な年季の入った掃除用具入れが鎮座していて、窓際には生徒向けの参考書や生徒達が持ち寄ったであろう文庫本などが詰められていた。


 そして窓は開き窓となっており、外は快晴。赤レンガに普通の石レンガを組み合わせた窓から覗く青空は、見事なコントラストを織り成している。


「お次の方、お願いできますかにゃ?」

「あっ――は、はいっ」


 かたっとリアは席から立ち上がり、猫人族の男性のもとまで歩いてゆく。彼は笑顔で両頬に生えた立派な髭を軽く撫でながら自分の前へ、と肉球を差し出す。


 そして手元のかなり年季の入ったえんじ色に金があしらわれた万年筆を右手で握ると、リアへと何点か質問を行ってゆきながら幾つかの項目が入った用紙に書き込む準備を始めてゆく。


「戸籍係のオスカー・バースと申しますにゃ。お名前は?」

「リア・スノウフレークと申します」

「なるほど。よいお名前ですにゃあ。花の名前はこの街では好感を持たれますにゃ」

「そうなんですか?」

「そちらのエルサレム嬢も、御花の名前ですからにゃあ」


 思慮深そうな、落ち着いた重低音の声を放った猫人族の男性、オスカーは目を細めながら空いた左手で髭をひと撫ですると、ふふっと微笑んだ。


「というのも、この街の偉人には御花の名前を付けられる方が多かったからなのですにゃ。リア嬢も、ブレイシアの一市民として善き活躍を期待しておりますにゃ」

「あ、ありがとうございます……」

「レディにこのような質問は些か儀礼を欠いてしまいますが、御歳はおいくつですかにゃ?」

「十六です。今年で十七になります」

「にゃるほど。奇しくも他の皆さんと同じ年齢ですにゃあ」

「私達のいた世界にも学校……学園があって。私達は同じクラスなんです」

「そういうことですかにゃ。納得しましたにゃ」


 彼は笑みを崩さず、細められた目が片目だけ開かれ、ヘーゼル色の瞳が伺える。その落ち着いた風貌もあってか、まるで親戚と話しているような感覚に陥ったリアはどこか安心感を覚えた。


「よほど緊張されていたみたいですにゃあ。ご安心を、あと一問だけですからにゃ」

「あはは……わかりました」


 あくまで紳士的な対応を貫くオスカーに、リアはようやく肩の力が抜けて表情の強張りが解けてゆくと、男性はうんうんと嬉しそうに微笑んでごろごろと喉を鳴らし、最後の質問に取り掛かる。


「リア嬢のクラスを教えていただけますかにゃ? すでにビルド構成について考えられている場合は、そちらの希望も教えていただけると」

「クラスはウィザードです。できれば《エレメンタリスト》を経由して、《エンチャンター》になりたいと考えています」


 ウィザード系統のクラスビルドには、クラスⅡの時点で三種類の分岐点が存在する。

 一つは魔法による攻撃に特化した《アークメイジ》であり、クラスⅠの時点で獲得する魔法よりも上位の攻性魔法を取得することが出来るクラス。


 二つ目は《サモナー》。文字通り『召喚者』という意味合いが持たれ、自身のレベルに適した能力を保有する召喚獣を召喚、使役することが可能なクラス。


 最後に《リンカー》。仲間同士、若しくは敵同士を連結リンクさせることで、レンジャークラスが保有する『デバフ』と呼ばれる攻撃力や防御力を低下させる弱体化スキルを共有させたり、仲間の内一人が受けるダメージを分配したりすることが出来るクラスになっている。


 クラスⅥまでの間に、豊富な攻性呪文を獲得したアークメイジがリンカーを履修することで、連結させた敵全体に平均的なダメージを与えることも可能な為、ただクラスⅠからⅡ、Ⅲへと上がってゆくにつれて、『クラスⅡがアークメイジだから、サモナーだから』というのを理由に専門性に長ける上位クラスを取得する必要はない。


 勿論各派生毎の終着点は性能が突出しているが、これはゲームではない。現実の戦闘に於いて、自分なりの選択肢を増やしてゆくことは、己の命を護るために何よりも大切なのだ。


 火力特化で打たれ弱くては、隙の大きな大型魔法を発動した直後や、魔法を使用するために必要な魔力値マナポイントを切らしてしまった際に必ず絶望を味わう事になり、一番の仕事とも言える攻撃や防御にも貢献できず次の行動が出来ないため仲間のお荷物になってしまうのである。


 そのうえでリアが選択した《エレメンタリスト》と呼ばれるクラスはⅢからⅣに値する。つまりウィザードからリンカーを経由しての取得、またはその後新たなクラスを一つ経てから取得することが可能。


 序盤は最低限の火力貢献と支援を行う程度だが、アークメイジ系列のクラスⅢであるエレメンタリストは各属性魔法のスペシャリストとも言える。要は上述のアークメイジとサモナーをリンカーに置き換えたような形になるのだ。


 けれど、クラスⅥに値する《エンチャンター》に自分が到達できるのか。クラスⅣから常人の域を越えているということは、『Ⅵ』という数字は最早人外の領域。到底叶うものではないとリアは考えていた。


 しかし同時に、それでもただ味方の支援に明け暮れ、仲間を治療するすべを持たない攻性向けのウィザードというクラスに、エンチャンターを目指す自分の居場所はあるのか、という思考が過ぎった。その上でウィザードというクラスを選択したと言う事に、彼女なりの大きな葛藤と強い決意が伺える。


 オスカーは驚いた様に両の目を軽く開き、ピクリと頭上の猫耳が軽く揺れる。そして彼女なりの決意が込められた瞳を見つめ、やがてその目を細めてゆく。


「にゃるほどにゃるほど……。そこまで道筋を立てられているとなると、以前の世界では魔法があったのですかにゃ?」

「いえ、趣味で……。なんと表現すればよいのかわかりませんが、仮想の世界で疑似的な自分を作り出して遊ぶ“ゲーム”というものがありまして」

「ゲーム……? ポーカーやブラックジャックといった類のものですかにゃ?」

「はい。それが科学面で発達したものになります。人形遊びの様にも感じられますけど、その世界では自分の操る人形で魔法を放ったりすることができるんです」

「ほほう……。それは興味深いお話ですにゃあ。いつか詳しくお聞かせ願いたいものですにゃ」

「ふふっ、機会があれば是非」

「それでは、質問は以上ですにゃ。良き学園生活をお楽しみくださいにゃ」


 万年筆を動かしていた右手を止めたオスカーは用紙を新しい物に換え、満面の笑みを浮かべてリアを元の席へ優しく送り出す。

 リアは「ありがとうございました」と一礼して踵を返すと、窓際でクラスメイトの様子をうかがっていたエルが歩み寄ってきた。


「もう少ししたら別館の体育館に移動するからね。それまでは教室内で自由にしてて大丈夫だよー」

「ありがとうございます。えっと……あの、お差し支えなければ本をお借りすることはできませんか? 後ろの本棚が気になってしまって……」

「もっちろん! それならあたしオススメのいい本があるよ~!」

「……いい本?」


 エルはリアへ軽くウィンクしながら彼女の手を引いて、教室後方にある本棚から一冊の古本を引き抜いた。


 かなり年季の入った古めかしい本で、ページ数は恐らく四百は軽く超えている。読み応えがありそう、とリアは差し出された本を見てそんな事を思う。


 恐らくこの世界メラツィアの統一言語であろうその文字の羅列は、彼女が本に手に触れた途端、不思議と徐々に判る様になってゆく。


 それはまるでリアの脳内にあった“日本語”という概念がこの世界の言語に置き換えられるような感覚であり、目に見えて理解できるようになったリアは驚きのあまり目を見開き、読める様になった本の表紙に書かれていた書籍名を白く細い指でなぞりながらつぶやいた。


「……中央大陸エスセティア放浪記……」

「うんっ! かなり分厚くて、表現や文面も古めかしいから人を選ぶ本だけど、リアちゃんは読書好きそうだからあっさり読めちゃうかも!」

「あ、ありがとうございます」

「そ・れ・と! 聞いた話だとあたし達同じ年なんだし敬語とかはやめない? あたしも呼び捨てでいいからさ~」

「そうなんです……ううん、わかった」

「どーいたしまして! 表現とかで分からないことがあったらいつでも聞いてね!」

「ありがとう。そうさせてもらうね」


 リアはその本を大切に胸に抱きながら照れくさげに微笑むと、エルはうんうんと頷いてお互いに本棚から近い席へ座り、早速本を開いてページを捲り出したリアの様子をエルは優しい眼差しで静かに見つめるのだった。

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