第3話 ブレイシア
◇第三者視点◇
……鐘の音が聞こえる。それもリアの真上から。
同時に心地よい風が吹いて、彼女の頬を優しく撫でていった。
新しい世界はどんな所なんだろう。そんな淡い期待を胸に秘め、一足早くその光景を目にした周りのどよめきをリアは聴きながら、意を決して眼帯を外し、両の瞼を持ち上げる。
「わぁ……!」
彼女達の目の前に広がるのは、背の高いレンガ調の建物達。奥に広がる湖は、落下を防ぐためなのかそれを囲む様に木の柵を縄で繋がれ、近くには景色を眺めるためのベンチなどを置き、樹木や花などが均等に植えられていた。
左側を見れば大通りがあり、周りの建物よりも一層背の高い建造物が遠目からでも確認できた。大通りには六種族のうち《人族》や《獣人族》の姿があり、種族間に於ける闘争は存在しないという事も窺える。
右側はどうやら住宅街の様だ。湖周辺の建物よりも少しばかり背の低い家々が連なり、一本道ではなく曲がりくねった道などが存在するということは、かなり入り組んだ地区になりそうだ。
そして後方。誰もが振り返って感嘆の声を上げており、気になって彼女も振り返ると――言葉を失う。
深い蒼に包まれた海。太陽の光を受けキラキラと反射する光景が見られ、そして彼女達の真下に広がる港湾区は段差などもあり、ここから階段を駆け下りてしまえばブレーキが利かず間違いなく海へ落ちてしまう事だろう。
あまりの絶景に、声が出なくなるほどの感動を覚えたリアは、思わず目を潤ませてしまう。
――こんなに自然豊かな場所へ来れるなんて、と。
リアはもとより都会っ子ではなかった。海回りの漁師町で生まれた子供であり、彼女にとって海沿いの街とは故郷にも等しい。だからこそ、都会へ渡って二週間という間でも海が恋しかったのだろう。
周りに同級生が居る手前、なんとか気分を落ち着かせていると、ようやく鳴りやんだ鐘と擦れ違う様に、高い女の子の声が聞こえる。
「《
「《ブレイシア》へようこそ。兄のペインテッド・セージです。オレも簡単に“テッド”、と呼んでください」
彼女達は声の元を辿ると、そこにはとびきりの美少女と、人の良さそうな風貌の好青年が立っていた。
瞳の色は兄妹ということで同じ若葉色。しかし髪色は双方両親似なのか、少女の髪は黄金色であり、ふんわりとした髪質ながらもウェーブがかったその髪は、太陽の光によって煌めいている。
一方で兄という青年の髪は白に近い灰色。右前頭部にクセがあり、その流れに沿って遊ばせながらも前髪を分けていた。
クラスメイト達はいきなり現れた美男美女に黄色い声を上げつつ、彼ら彼女らの案内と教師の青山に従い、大通りを下ってゆく。
リアもはぐれないように注意しながら彼らの後を追うと、その中から彼女の隣に見知らぬダークエルフの美女が歩幅を縮めてやってきた。
「風銀の容姿はあんまり変わんないんだねぇ」
「うん。深山さん? は、かなり変わったね……ダークエルフ………」
艶めいた褐色の肌、髪や唇は薄紫色になり、瞳の色を琥珀色に染めたダークエルフ、深山は得意げに笑う。
長い髪にウェーブを取り入れ、身長を高くした彼女の姿は魅力的でありながら妖艶。緩く下ろされた前髪から覗く瞳はミステリアスな雰囲気を漂わせていた。
一瞬で変わり果てたクラスメイトの姿に、リアは苦笑いを禁じ得ず、乾いた笑いを浮かべていると深山が「こういうの、憧れてたのよね~」と語る。
「風銀は? 異世界転生モノとかって読まないの?」
「携帯小説はよく読んでいたかな……。私もこういうの、その……結構、す、好きっ……だからっ」
「――………」
「………。……うん? み、深山さん?」
好きという単語に反応し、ひり出す様に言って顔を赤らめたリアの姿を見た深山はキョトンとした顔を浮かべ、彼女の反応を気にしたリアは歩きながら下から彼女を覗き込む。
今だからこそ言えるファンタジーが好きというカミングアウト。学校などで口外してしまえば「不思議ちゃん」と呼ばれるなどレッテルを張られてしまいかねなかった為、彼女は自分の趣味嗜好を口に出来なかったのである。
もちろんこのクラスにも理解者はいるだろう。共に話し合える仲間もいるだろう。しかし、転入して僅か二週間という短い時間で窺い知ることなど、コミュニケーションが苦手なリアにとっては至難の技なのだ。
深山は数秒何かを堪える様な仕草を見せた後、唐突にリアへと抱き着いた。否、抱き寄せる。
「かっ……っっわいいなぁもぉおおお~~っ!!」
「ひゃっ!? ――わぷっ!」
いきなりの出来事に混乱したリアは思わず声をあげてしまい、深山の豊満な胸に口を塞がれてしまう。
むにむにとした柔らかい肌触りの中、他人に抱き寄せられるなどの経験が一切ないリアにとってはその感覚は未知の領域。(人の身体ってこんなに暖かくて柔らかいんだ……)なんてことを考えているものの、止まった脚は待ってくれない。リアは爪先をずるずると引き摺られるようにして、ダークエルフ深山に抱えられながら移動を開始する。
そのまま抱き上げられて頬ずりされたり、頬にベーゼされてしまうなどありながら、石畳で舗装された大通りを過ぎてゆく。
「てゆーか、アタシら名前変わったんだし自己紹介くらいしないとヤバくない? いつまでも風銀じゃダメっしょ」
「あ……そういえば。名前変わっちゃったんだもんね……」
ようやく深山から解放されたリアはお互いに新たな自分の名前の存在に気付く。
リアは自分でつけた名前が果たして万人受けするのか不安になり、右手を回し左腕の肘に触れながら気まずそうな表情を浮かべる。
「カトレアよ。カトレア・ミャーマ」
「カトレア……さん? ひょっとしなくても、華の名前?」
「そそ。イメージにぴったりじゃん?」
にっと朗らかに片方の口角を持ち上げながらドヤ顔を浮かべた深山ことカトレアに、リアは頭の中で紫色の花弁をしたカトレアの華を思い浮かべ、目の前の彼女と比べてみれば……確かに。
カトレアの華は、紫色の花弁が花糸や
きっと深山さんがこの性格でさらに大人になれば、いいお母さんになるんじゃないかとリアは素直にそんな感想を覚え、彼女にカトレアの名前とその華はぴったりだと思う。
彼女は口元を抑えながらくすっと華の様に微笑むと、同じ華の名前を取り入れたカトレアに親近感が沸き、緊張が解けて行く。
「うん。カトレアさんにとても似合ってると思う。花言葉も」
「あー、花言葉なんかもあるんだっけ……。そこまで考えてなかったわ」
「そうなの? てっきり一緒に考えてたものだと……」
「アタシそこまで乙女じゃなーい!」
「ふふっ……。きっとこの世界でも見つかるよ」
「だといいけどねえ……。それで、風銀は?」
照れくさげに片頬を紫色の爪先で軽く掻いたカトレアは、次にリアの名前を尋ねる。
彼女も意を決して、改めて級友へと名乗った。
「名前は一緒だよ? リア・スノウフレーク」
「スノウフレーク……。えーっと……」
「あっ、和名は鈴蘭水仙っていうの。あまり見ないかも……」
「リアと何か関係あるの?」
「うん。誕生花なんだよね……。我ながら安直……」
苦笑いを浮かべたリアにカトレアは「そんなことないっしょ」とフォローしながらも、クラスメイト達と大分離れていたことに気付いて歩幅を広くした。
コンパスの狭いリアもなんとかカトレアへ付いてゆきながら、会話を進めることにする。
「そういえば、さっきのセージさん……だっけ。二人もきっと華の名前だよね」
「そうなの? エルサレムとかどっかの大聖堂の名前からとったんだと思ってたけど……」
「あはは……。たしかに。ハーブティーにもなってたりするから、カトレアさんもひょっとしたら飲んでいたかもしれないね」
「へぇ~……詳しいのねリア? 花が好きなの?」
「そこまで知っているわけじゃないけど……。植物を育てるのは好きだよ?」
といっても、自分が育てた植物といえばプランターで簡単に飼育できるサニーレタスやミント程度なのだけれど。
リアは内心で(ごめんなさい)と謝りながら頷く。植物、それも華に関しては嫌いではないのだから。
カトレアは彼女の意外な趣味に驚きながら、唐突に前方から沸き上がった声に二人して顔を向ける。
大通りを抜けた先にあったのは、大きな噴水広場。四層に建てられた噴水は、各層に分かれ、流れ落ちる水の方向を変えており、一層目が左右なら二層目は上下といった具合で交互に組み合わされていた。
それも小さな噴水ではなく、近場ならばその大きさがわかる。樹木と同じくらいの高さから水が流れてゆく光景はリア達にとっては滝を連想させながらも、見た目に反し穏やかに流れる水は見る者全てを和ませる。
一層目である噴水の周りには路上で弦楽器を弾きながら路上ライブを行う若者や、軽食屋などの出店が並んでいた。
噴水の周囲には水路が通っており、小さなアーチ状の石橋を架けることで、内周・外周と分けられた公園の地面には、石畳に加え鉄のブロックを菱形状に埋め込まれており、その中心には正方形状のランプの様なものが敷設され、網掛け状に加工された強度のあるガラスを取り付けることで上から中のランプが伺える様な遊び心満点の仕組みに。その上を好奇心旺盛な子供達は鉄ブロックに飛び移りながら遊んでいる。
恐らく水路の上に架けられた橋が東西南北を表現しているのだろう。階段の前の四か所に敷設され、階段を上ることで更に位置を換えて合計八つほど敷設されている。夜になればライトアップされ、雰囲気のよいデートスポットにもなるのではないだろうか。
先程の湖や港湾区、そしてこの噴水広場といい、この街をデザインした人物には関心するばかりである。
噴水広場を正面に、大通りから右手には先程自分達がやってきた召喚場所……巨大な時計台からも見え隠れしていた建造物、街役場があり、広場を囲むように銀行やホテルといった重要な施設が立ち並んでいる。そして、この噴水広場がこの街の中心部だという。
このまま真っ直ぐに進めばホテル街や高級物産店などが軒を連ねている《歓楽街》だというが、リア達には縁のない場所だろう。
左手には大通りよりもやや背の低いレンガ調の建物が建ち並んでおり、エルやテッド曰くこの先に目的地の《ブレイシア学園》があると言われ、テッド達は学園へ向けて案内を再開する。
「なんというか、住みやすそうね」
「うん。海もあるし、この先はきっと陸続きなんだと思う。だから街役場のような重要な施設を集合させているのかも……?」
「わーお。学者っぽい考察ですなぁリア先生や~?」
「うう……からかわないでぇ……」
悪戯気に笑ったカトレアに肘で軽く小突かれたリアは頬を朱に染め、耳まで赤くさせ軽く俯きながら歩き出した。
どうやら左手の通りは『学園通り』と呼ばれているようで、学生向けの雑貨屋、喫茶店といった自営業の店が数多く存在しているらしい。
水路を挟みながら、左右を見れば白と赤、赤や青といった様々な色の組み合わせが施された店舗テントが並んでおり、どちらにも往来がしやすい様、一定の間隔で小さな石橋が掛けられている。
通りかかった喫茶店の前には、黒地のローブマントを着込んだ学園の生徒らしき姿が伺えており、内側には自分達の着ているような白い襟付きのワイシャツと黒のスラックス、黒に赤のチェック柄のスカートを穿いていた。
他にもローブマントを着込んでいない生徒もいたが、着脱の基準は何だろう? と不思議に思ったリアは先頭を歩くエルとテッドを遠目ながらに眺める。
テッドは裾の長い、襟の立った焦げ茶色のブレザーに袖を通しており、袖口や生地の端にはすべて金色の刺繍が施されていた。
エルについては薄桃色のドレス型になっているシャツの肩に、先ほどのローブマントに近い丈の短いマントを羽織るといった具合であり、見るからに統一感のない制服にリアの疑問は更に深まってゆく。
やがて石橋を渡り、クラスメイト達が足を止めると、――そこにあったのは、壮麗な学園の姿だった。
正門を潜り、奥まった先へ進めば、彼ら彼女らを囲むように構えている赤レンガを使用された三階建ての校舎が。
目の前にある校舎の入り口までは庭となっており、綺麗に手入れされた小さな噴水の周りには腰くらいまでの高さに切り揃えられた木が繋がり、内側は芝生に。外側は街の景観に合わせ石のレンガを組み合わせたものになっていた。
コの字状に建築された校舎でも狭苦しさを感じることもなく、緑と水がある影響かむしろ広々とした印象を受ける。
「随分おっきな学校ねぇ」
「学園というだけあって、初等部や中等部も付属してそう……」
「あー確かに。リアは子供苦手?」
「ううん、小さい子は好きかな。可愛いし」
「わかる~。アタシも弟とかいたら絶対かわいがるわ」
「カトレアさん、甘やかしそうだもんね」
「間違いないわ~……」
カトレアは額に指を添えながら飽きれたように笑うと、テッドとエルの隣に教師の青山が立つ。
「これからクラスを半分に分けて行動することになる。出席番号1から15番はエルサレムに、16から31番はペインテッドに付いて行ってくれ。みんな、くれぐれも粗相のないようにな」
「あちゃ。二分されちゃったか」
「一度分かれて、このあとでまた合流するのかな?」
「だといいけどね。リア、また後で会お」
「う、うん」
二人は軽く手を振り合って別れると、いつの間にか自然とカトレアと会話出来ていた事に驚いたリアは彼女へ振っていた手をまじまじと見つめた。
それが嬉しくて、くすっと微笑んだあとその手をきゅっと握りしめながらエルの案内のもと、学園の西館へと入ってゆく。
一方でカトレア達は反対側にある東館に足を踏み入れるのだった。
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