逃げる男

『上下のフロアも捜せ、絶対に逃がすな』


「案の定、しくったな」

 警察無線に周波数を合わせ、状況を盗み聞きしていたギブソン捜査官はタバコを灰皿に押し込むと、エンジンを掛けた。


「何処行くんだ?」

 2人の乗る車は規制線の張られた交差点の手前で左折し、現場から離れ始めた。

「多分、あの変態に逃げられるだろうから遠くに車を止めて、待ち伏せよう」


『居たぞ!』

 無線から叫び声が聞こえ、銃声が聞こえた。




 被疑者が消えた部屋を注意深く見ていた隊員が、舞い上がったホコリの中に人の形をした歪みを見付け発砲した。

 すると、姿を消していた被疑者が現れ、玄関のドアを体当たりで吹き飛ばし廊下を走り出し他の隊員を突き飛ばして逃げた。


『階段だ!』

 近くに居た隊員が銃を向け、発泡しようとしたが被疑者はそれよりも早く、階段の手すりをこえ、1階へ降りて行った。




『速いぞ!1階に飛び降りた!』

『オイ止まれ!』


 規則的に発砲音が聞こえ、SWAT隊員が冷静に射撃をしているのが判ったが、数が多かった。


『見失った!目の前で消えたぞ!』

 “消えた”と聞いて、指揮所のテントに居た関係者の半分は耳を疑った。


『姿が透明になっただけだ!埃や足跡を見ろ!』





 上に居る隊員からの無線を聞き、先程まで被疑者に向け短機関銃を撃っていた隊員は目を凝らした。

 幸い、汚いボロアパートだったのでゴミが多く、確かに透明な相手でも何か踏めば音がしたり、ゴミが動くのが想像できた。


「……ぅ」

 廊下の隅で声がしたので、壁を撃ちコンクリートの粉を巻き上げると、透明な男の輪郭が浮かび上がった。


「目標発見!」

 すぐさま無線で報告を上げ、男の輪郭に向け発砲を開始した。





『また見失った』


 再び見失ったとの報告が入ると、指揮を執る刑事局長は席を立った。

「現場に行ってくる。後は任せたぞ」


 刑事局長が突然、指揮所のテントから出たので慌てて部下の一人が後追ったが、ほんの数秒しか経っていないのに姿を消していた。

「何処行ったんだ?」


 目に見えて警官や刑事が何人か減っているので、刑事局長が連れて行ったと思うが、部下は後頭部に両手を組みながら空を見上げた。





「何でチェルキーを連れ出したの?」


 ニナとヤンの家……と言っても同じ通りで向かいに建つ一軒家にチェルキーを留守番させ、地下鉄駅に向かう途中でヤンが質問した。


「妹に盗られたく無いんでな」


 フランツがそう言い放ったが、ニナとヤンは不思議な顔をした。


「任せて良いんじゃない?」

「喧嘩して20年は会ってないんだ、信用できん」

 説明に納得できないのか、ニナは眉を顰めた。


「兄妹でしょ?何時も不思議なんだけど親戚が少ないのに簡単に会わなくなる人多すぎない?」

「音信不通だったのも不思議なんだけど?」


 一族の結びつきが強い人狼だった2人にはピンと来ないようだ。人狼は1回の出産で子供が4,5人産まれるのが当たり前で、大体1家族20人前後が多かった。それの影響も有ってか仕事の同僚が歳が近い親戚だったり、上役が両親の兄弟姉妹や祖父母の兄弟姉妹なのが普通にあった。そんな人狼からすれば、人間達が身内に素っ気無いのが理解できなかった。


「人間だとそんなもんだぞ?大体働ける歳になれば親元から離れて自立する」


「その自立ってのが良く判らないんだけど?」


 人狼は3世帯、4世帯家族が一般的で、アメリカの様に子供が遠くに引っ越すこと自体あまり無かった。

 稀に一族が住んでいる地域を離れ、別の一族……それどころか他の種族の領地に住んでいても、些細なことで連絡を取り合い、互いに行き来し合うため街道は旅人で溢れていた。


「個人で何でも出来るのが当たり前なんだ。2人だってコッチで確定申告とか色々やってるだろ?」

「まあ、面倒だけど。……面倒事は家族で分散すればいいじゃん?」


 そんな事を言ってるヤン自身、他所から来た流れ者の一人だった。家族と距離を置きたく、本当の意味で一匹狼となり、流れ着いたファレスキの街で冒険者となっていた。そこで、同じく家出し冒険者になった同世代のフランツと知り合い、同じ境遇の仲間達と楽しく過ごしていたが、どうも家族が恋しくなる時が有った。


「私は父さんと同居したかったなー、何か有ると色々頼めるし」


「俺はお義父さんは勘弁」


「……お前達ショットガンウエディングだったもんな」


 15歳だったニナが妊娠したのがバレ、怒ったニナの父親が両手斧を振り回し、一晩中ヤンを追い掛けた事が有った。

 それのせいで、2人はニナの実家には住まず、隣の家に住んでいた。


「てか、隣に住んでるのは殆ど実家暮らしだろ」

 事有る事に、息子のトマシュを預けていた記憶が有った。




「此処いらで良いだろ」

 ギブソンはアパートから少し離れた路地に車を止めた。


「銃出す?」

「ああ、勿論」


 ギブソンがそう言うので、ウィルソンは助手席から降りると、車の後部に移動しトランクを開けた。


「当たるかねぇ?」

 ギブソンの私物の自動小銃に弾倉を挿しながらウィルソンはボヤく。取り回しが良い短機関銃を使うSWATチームが苦戦している相手に、自動小銃で挑むのだから、どう考えても分が悪かった。


「無いよかマシだろ」

 上着を脱ぎ、防弾チョッキを着ながらギブソンはそう言ったが、防弾チョッキも意味が有るのか判らなかった。SWAT隊員に死者は出ていないようだが、他の可笑しくなった連中の様に、馬鹿力を使いまるで魔法を使って姿を消しているのが無線で報告されている。


 用意している間も、アパートの方向から断続的に銃声が聞こえてきた。


「無線は相変わらずだよな?」

 SWATチームがアパート中を逃げ回る被疑者を追い詰めては逃げられを繰り返していた。


「姿を消すって言ってるよ。その割にSWATチームが直ぐに見付けるから逃げ出せないんだろ」

 表通りも警官だらけ、そうなると裏から出てくると思うが、裏路地も1ブロック先で警官が規制線を貼っていた。


 その状況を知ってか、被疑者は1度だけ3階に上がった後、再びアパートを降り、今は地下のランドリールームに入っていた。


「お前達何をしている?」

 トランクを閉めようとした時に後ろから呼び止められた。


「病院から逃げた犯人を捜してるだけですよ」

 ゆっくりとトランクを閉め、振り返ると刑事局長と刑事が3人、警官が2人居た。


「だったら余所を捜せ。此処に居ても碌な事はないぞ」


 そう言い残い、刑事局長は部下達と2人の横を通り過ぎ、そのままアパートの方へ向かった。


「何すんだ?」

 刑事局長と部下達は、全員剣を帯びていた。式典に臨む儀仗隊ならまだしも、一介の刑事局長が剣を帯て事件現場に入るのは普通じゃなかった。


「……さあな」

 急に魔法や超人的な力を使うようになった連中もそうだが、刑事局長の行動も怪しかった。だが、今関わると面倒事になりそうなので、ギブソンは後を追わなかった。




「着けて来るか?」

「いや大丈夫だ」

 刑事局長の質問に、一番若い刑事が砕けた口調で返事をした。


「なあ、拘束しても良いんじゃないか?」

 警官の一人が同じ様に刑事局長に話し掛けた。


「駄目だ、市長からは問題を起こすなって言われてる。手は出さなくていい。それに今はあの変態野郎だ、さっさと片付けるぞ」


「ほい来た」


 年齢も階級もバラバラだが、まるで同世代の高校生の様な会話をしながら6人は規制線を越えアパートに入って行った。



「おい、奴は何処だ?」

 いきなり肩を掴まれ、振り返ると刑事局長が居たのでSWATの隊員は驚きのあまり声が出なかった。


「何処だ?」

「地下のランドリーだが、お前達が行くのか?」

 剣を携えている刑事局長相手に、SWAT隊員も敬語を使わずに砕けた口調で返事をした。


「ああ、時間を掛けるわけにはいかん。SWATは此処で待機しててくれ」

「剣で良いのか?何か持ってくか?」


 刑事局長は「銃じゃ相手にならんだろ?俺が殺る」と言いながら廊下を進み始めた、他のSWAT隊員も刑事局長に気づくと道を開け、刑事局長は部下達と地下に降りて行った。


「おい!無線は持ってるか?」

 万が一の事を思い、隊員の一人が声を掛けた。


『心配すんな、持ってる!』

 返事は無線から聞こえて来た。

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