ランドリールーム

「臭うな」


 地下鉄を待つ間、フランツが言葉を漏らした。


「やっぱり臭うかい?」

「そうかしら?」


 ニナがトンネルの12番ストリート方向に鼻を向けた。


「人間の鼻じゃ判らんないわね」


 300メートル先で狼男が列車に轢かれて死んだのが、ほんの2日前だった。


 人間になった2人は判らなかったが人狼のフランツは生臭い臭いが鼻についた。


「やっぱ獣臭いかい?」

「生臭さの方が勝ってるから今一判らん。そう言えば、FBIが回収した死体の事は教えて貰ったか?」


 ヤンは肩を竦めてみせた。


「いや、駄目だ。FBIが回収していったきり、何も渡してくれないよ。あの後、ニューヨーク市が現場に入れるようになったから、交通局が清掃作業の前に見て回ったけど何も無かった。ゴミも血痕も一切無い徹底ぶりだったよ。結局、清掃作業も必要ないから直ぐに地下鉄の運行を始めたよ」


 話している間に、急行列車が目の前を通り過ぎて行った。


「列車の方はどうだ?列車を差し押さえるのは流石に無理だろ?」

「壊れたんで車両基地に送られたって。ジェシーが調べてくれたが修理前に血とか拭き取られてて駄目だったと」


「それホントか?市は不景気で金欠だから落書きさえ消せてないだろ?」

 ニナは腕時計で時間を見てからフランツに提案してみた。


「ジェシーを喚んで話を聞いてみる?もう家に居るだろうし」

「そうだな……って列車が来たな」


 公衆電話に向かおうと思った矢先に、地下鉄が入ってきた。

「向こうに着いてから電話するか」





「平和だねぇ」

 マンハッタンで騒ぎが起きてるにも関わらず、ジャックとゲイリーは自分のデスクで暇を持て余していた。


「そうだな、連続少女誘拐事件の証拠品もFBIが持ってったし、例の狼男の騒ぎで急に凶悪事件が無くなったしな」

 そう言いながら、数カ月ぶりに自分のデスクで落ち着いて昼飯を食べ、コーヒーをゆっくり飲みながらゲイリーは新聞を広げ始めた。


 狼男が路上強盗を惨殺したせいか、目に見えて路上での犯罪が減ったのだ。昨日になって判ったが、死んだ路上強盗が地元ギャングのメンバーで、一方的に惨殺されたのがアッという間にメンバー中に広がったらしい。


「狼男の死亡は何時発表するのかな?」

「して欲しくないな。もう少し平和を享受したいよ」


 事件の捜査を指揮していたFBIから発表が無いので、狼男が未だブルックリンの何処かに潜んでいると噂になっていた。ゲイリーからすれば、そのまま犯罪者は自宅に引き篭もってて貰いたかった。


「でも、遺族が泣いてるのを見たろ?犯人が死んだ事を直ぐに発表するべきだ」


「だったら真面目に職でも探せば良いんだ。路上強盗なんかして返り討ちに合わないと思うなんざ、都合が良すぎないか?」

「最近景気が悪いんだ。ホームレスだって増えてる」


「お前達暇そうだな?」


 声がした方を振り向くと署長が居た。


「平和なもんですよ。みーんな家の中に引き篭もってて外出すらしませんから」


 足を組んだまま、新聞を読み続けるゲイリーは右眉を上げおちゃらけて見せた。


「新聞もバーグ警部の経歴を記事にしたり、消防が飼い猫を街路樹から救助した記事を書くぐらいっすよ?」


 署長は溜息を吐きながらジャックの方に視線を向けた。

 デスクの上にアンティーク家具の特集雑誌を並べ、ノートに何か書き写していたのを見て、一瞬何かの事件の調査かと思ったが。


「妻とアンティークショップを開こうと思いましてね。それの事前調査ですよ」


 此処まで部下達が暇を持て余しているのを始めてみた署長は、一瞬頭が真っ白になった。


「マンハッタンで騒ぎが起きてるのは知ってるか?」

 向こうで大騒ぎなのだから自発的に応援ぐらい行って貰いたかった。少なくとバーグ警部が仕切っている間は、そうしていた。


「勿論知ってますけど、刑事局長が無線越しに“来んな”と言ってきたんですよ」

 ゲイリーが言ってることが本当か判断がつかなかったのでジャックの方を見ると、呑気に雑誌のページを捲っていた。


「本当に“来んな”って口調でしたよ。マンハッタンの警察署に居る同期に電話で確認したら、刑事局長が選抜した市の職員しか現場に近付かせて貰えないとか」


「なる程な……」

 ジャックの説明で、署長は向こうの状況が理解できたと同時に、“何で刑事局長は自分に知らせなかった?”と疑問が沸いた。


「お前達この後何もなかったら帰って良いぞ」

 だが、一先ず目の前で仕事がない2人を家に帰させることにした。





「此処はデカイな」

 ニューヨークは古いアパートに洗濯機を置く為の配管が確保出来ないので、低層階や外のコインランドリーで洗濯するのが一般的だった。

 今回犯人を追い詰めた場所は、アパートの敷地内に設けられたランドリールームで、この手の古いアパートとしては珍しかった。


「ここら辺のアパートの住民向けに大家がコインランドリーを作ったらしい。他にも外に通じる通路があるらしいが、部下に言って封鎖してあるから大丈夫だ」


 剣を抜いた警官の1人はそう言いながら刑事局長の後に続いて階段を降りて来た。


「……!」

 刑事局長が洗濯機が並ぶ通路の奥を見据えて止まった。


(援護しろ)

 ハンドサインで指示を出すと、刑事局長は抜刀し奥へと飛び、残った部下達は散りながら魔法の用意を始めた。


「ひぃっ!」

 刑事局長が着地と同時に水平に斬ると、隠れていた被疑者の男が悲鳴を上げ姿を表した。

 着替えたのか、ジャージ姿だった男の左の首筋が浅く斬られ血が滲み出た。


「うっ!」

 姿を表した男の頭髪を掴むと引き倒し、前屈みになった男の鳩尾を思いっ切り膝蹴りした。


 地下のランドリールームに男の嗚咽が響き渡り、刑事局長の部下は洗濯機や乾燥機の陰に隠れながら2人の居る場所に近付いた。


「何時からだ?」

 刑事局長は両手を着き息を整えようとしている男の首筋を後ろから踏みつけ、剣を男の右手の甲に突き刺し始めた。


「あああ!あーっ!」


「何時からコッチの世界に戻ってきた?言え」

 刑事局長が踏みつける足の力が増し、骨が軋み始め。更に手の甲に刺した剣を抜き、右手の中指に剣先を当て始めた。


「み、3日前だ!刑事を撃ち殺した直前だ!」


「何故そのタイミングにした?」

 踏む力を緩めないどころか、少しずつ中指に当てている剣にも力を込め始め、中指から血が滲み始めた。


「何の事だ!?」


 質問に質問で帰され、腹がたった刑事局長は剣を持つ右手に思いっ切り力を入れた。


「ぎゃあああぁぁぁぁ!」





「……何やってるんだろ?」

 1ブロック先で聞き耳を立てていたウィルソン捜査官の所にも男の叫び声が聞こえてきた。


「んー?……おっかないから見に行かんぞ」

 運転席を倒し、タバコを吹かしていたギブソン捜査官はそう言うと、車の鍵を掛けた。





「向こうの世界から転移した際に時間を選べるだろ?」


「し、知らねえ。気付いたら転生前の身体に戻ってたんだ!嘘じゃねえよ!信じてくれ!」


 男が叫ぶが刑事局長は剣先を薬指にあてがった。


「指が無くなるぞ」

 剣先に力が込められ、薬指に剣が沈み始めた。



「うわあああああ!」

「っ!クソ!」


 突然男が叫ぶと、ランドリールームの天井を這っていたパイプが裂け、中の蒸気が刑事局長に降り掛かった。


「大丈夫か?」

「俺は平気だ!」

 身の危険を感じた刑事局長は後ろ向きに飛び、難を逃れたが、被疑者の姿を蒸気の中に見失ってしまった。


「奴は何をしたんだ!?」

 タイミング良くパイプが裂けたので何らかの魔法を使ったはずだが、タネが何なのか判別できなかった。


「さあな!」

 そして、原因を調べている場合じゃなかった。恐らく姿を消した被疑者が視界が悪くなったランドリールームの何処かに潜んだはずだった。


「蒸気を止めるぞ!バルブを探せ!」


「うっ!」

 仲間の一人のうめき声が聞こえた。


「っ居たぞ!」


 漂う蒸気の中に、透明化した被疑者の姿が浮かび上がった。

 刑事の一人を押し倒し、ランドリールームの反対側に逃げようとする被疑者に向け、警官の一人が手の平から雷を放つが、寸前のところで被疑者の手前側の乾燥機に雷が吸い込めれた。


 金属製の乾燥機がアースを取っていることと、水道管の方が空気中より電気伝導率が良い為だったが、周囲の乾燥機も巻き込む形で短絡ショートし、火花が派手に飛び散った。

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