ネオナチの影

「どうしたの?」


 不審人物が通ったであろう路地を見ていると、ジェシーが話し掛けてきた。


「此処から飛び降りたみたいだ」

「え?」


 ジェシーも路地の方を見下ろした。


「この高さを?」

 建物5階分の高さも有り、ジェシーは信じられなかっら。


「ああ、間違いない。あそこの足跡が在った場所から……」

 フランツはジェシーが写真を取っていた足跡が在ったヘドロを指さした。


「こっちに足跡が伸びているが、段々と歩幅が広がっている。助走したんだ」


「えぇ……」


 さも同然の様に言われたが、ジェシーは信じられっこ無かった。


「……俺ならあそこに降りて、そのまま南東に向かうな。降りた痕跡を探すぞ」

 フランツが大家に礼を行って、路地に向かうべく階段へ向かう。


 突飛なことを言うが、いつものバーグ警部の様に現場を仕切るので、ジェシーは大人しく後を付いて行った。





「……一体何が?」

 傷の手当を終えたジーベルは家主の男の冷蔵庫を勝手に開け、ハムやワインを勝手に飲み食いしていた。


「警官にこの姿を見られてな、口を封じようとしたが邪魔が入った」

「そっちじゃありません」


 家主の男は、ジーベルのサイズに合う服を彼が座るソファーに置きながら質問をし直した。


「何で少佐がこの世界に居るのですか?転生者の少佐は潜入任務のメンバーでは無い筈です」


「……転移装置が在る遺跡が襲撃された。俺はその時の事故で飛ばされたようだ」

「襲撃……ですか?」


 ジーベルは傷を治した自分の左耳を撫でた。


「向こうでは、お前たちが潜入している間に色々有ってな。とうとう、魔王が現れた」


 ガラスのコップにワインを注ぎ、匂いを嗅ぐとジーベルは一口飲んだ。


「懐かしいな……。お前も飲め」


 そもそも、家主が自分で買ったものだが、ジーベルは家主にも飲むように勧めた。


「少佐の故郷の酒です……。それで、襲撃は魔王の手のもので?」

 家主の男はワインが注がれたコップを持った。


「恐らくな、人狼の魔王の眷属だろう。……お前の班員にも報せろ、恐らく転移装置は使えない筈だ」

 異世界に帰れない可能性が高いことを知った家主の男だったが、比較的落ち着いていた。潜入工作員として異世界から来ていたが、生活の基盤を確保できているのと、工作員として何事にも動揺しない性格だった。


「我々は孤立ですか……。少佐はどうします?」


 ジーベルはコップに注がれたワインを一息で飲み干した。


「帰る方法を探す……。我々で転移門を開くぞ」





「やっぱり在ったな」

 路地にアパートの屋上に在った、不審人物の者と同じ足跡が在った。


「なんか特徴的ね」

 カメラのレンズ越しに足跡を見たジェシーは呟いた。


「戦闘靴だ。革製のな」

「戦闘靴?」


「おじいちゃん駄目だって」

 アパートから杖を着いた老人と後を追う若い女性が現れた。


「ラクスマンさん、駄目ですよ」

 大家さんも騒ぎに気付き追い掛けてきた。


〈武装親衛隊だ!ナチ野郎だよ刑事さん!〉


「ん?」

 老人はドイツ語でフランツに叫んだ。


〈あのナチ野郎は俺達を殺そうと戻ってきたんだ!〉

「ラクスマンさん、ほら家に戻りますよ」


 大家が老人の手を持ち、アパートへ連れて行こうとするが、老人は抵抗した。

〈俺は親切から教えてるんだぞ!手を離せ!〉

 杖を振り上げようとする老人を大家は必死に止めた。


〈ドイツ兵はどんな様子だった?〉

 フランツがドイツ語で話し掛けると、老人は驚いた顔をしつつも暴れるのを止めた。


〈武器は?〉

〈いや、そこまでは判らん。ただ、窓の外に奴が居た。本当だ!誰も信じちゃくれんが〉


 老人は恨めしそうに、大家と若い女性を見た。


〈おじいちゃん、もうそんな人達は居ないんだよ〉

〈いや!見たんだ!〉

 

 ドイツ語で若い女性が話し掛けたが、老人は叫び続けた。


〈我々でアイツを逮捕します。だから大丈夫ですよ〉

 フランツが近付き、老人に優しく話し掛けた。


〈ああ、頼むよ。誰も信じてくれないんだ〉

「私が家に入れるよ」

 老人が落ち着いてきたので、大家が女性にそう話し、アパートまで連れて行った。


「すみませんでした。祖父はアルツハイマーで、偶に被害妄想がでて」


 女性はフランツとジェシーに向け頭を下げた。


「いや、大丈夫さ」

「お祖父様は例の不審者を見たの?」


 写真を撮り終えたジェシーがメモを片手に近付いてきた。


「はい、窓の外に居るのを見てショットガンを持ち出したって祖母から聞きました。その後、銃撃戦が向こうで有ったので、昔を思い出したらしくて。ドイツ語しか耳に入らなくて。それで、私が様子を見に来たんです」


「学生かい?」

「はい、大学生です。今日は休講だったんで」


 フランツはアパートに入る老人を見ながら渋ったい顔をしていた。


「昔を思い出したって言ってたが、お祖父様は戦争にでも行ってたのか?」

 若い女性は首を横に振った。

「いえ、ベルギーに住んでたんですが、連合軍に協力してるスパイだと疑われて逮捕されてたと聞きました。その時に脚をその。義足なんです」


 アパートの段差を大家に介抱してもらいながら老人はゆっくりと登っていた。


「お祖父様には“親衛隊を逮捕するから心配しないように”とお伝えください」

「あ、はい。ありがとうございました」


 再びお礼を言うと女性はアパートに向かって歩き始めた。


「で、何を隠してるの?」

「ん?」


 ジェシーがイタズラを見付けた保護者のような表情をしていたのでフランツは視線を逸した。


「ナチがどうとか言ってたけど?」

 ジェシーに問い詰められたが、言うべきか悩んだ。


「例の他の人狼だが……ナチなんだ」

 ジェシーが口を真一文字に閉じてから数秒間黙った。

「……はい?」


「俺だって知りたいさ。依頼主と遺跡に向かう途中に、武装親衛隊に襲われたんだ。アイツ等は催涙ガスにオートマタ……機械で出来たロボみたいなのまで引っ張り出してきたが、何とか逃げたんだ」


「なんだっけ?転生者の集団ってのに襲われたって言ってたわよね。それが、その……ナチだったの?」

 フランツが眉間に皺を寄せた。


「ああ、俺もアレだけの集団は初めてだった。向こうでナチが活動出来ないように、他の転生者達と取り締まりをして、組織だった活動は全部潰してた筈だった」


 ジェシーが視線を上に向け、「うーん」と唸り始めた。


(やっぱり言わない方が良かったか……)


 異世界に活動するナチなど。それこそナチの残党が、V2ロケットに乗って月の裏側に逃げたり、円盤とUボートに乗って南極の地下に逃げ込んだなど、トンデモ都市伝説の類だった。


「あのさ、その不審人物だけど、ナチの格好をしてるだけの頭が可笑しい奴じゃないの?腹立つけど、ナチの制服とかプロパガンダって格好いいから、ネオナチ団体とかアメリカにも居るし、ヨーロッパでもヤバイのが居るでしょ?その程度じゃないの?」


 ジェシーが言った通り、戦後のアメリカにも政治団体としてアメリカ・ナチ党が存在した時期があり、ヨーロッパでも若者がネオナチ団体に参加している例が有った。


「さあな。調べる前にコッチに飛ばされたからな。……狼男が出た現場に向かうぞ!奴をとっ捕まえて吐かせるぞ!」

「ああ、はい!」


 フランツが急に次の現場に向かい始めたので、ジェシーは慌てて追い掛けた。


「ほんの1ブロック先だよな!?」

「そうよ」


 大股で歩くのでジェシーは追い付くために小走りで追い掛けた。

(こりゃ、怒ってるわね)

 不機嫌になった時の反応までバーグ警部と同じだった。


「そこの通りを越えた路地よ」

「ああ、規制線が見えた」


 トラックが通り過ぎるのを待って、フランツは反対側に走った。


「ん?おい!そこで何をしてる!?」


 規制線を示す黄色いバリケードテープの向こうに立っていたカニンガム巡査部長が警棒を構え叫んだ。


「巡査部長!彼はオブザーバーで参加することになったんです」

 バッジを見せながら、ジェシーがフランツを追い越した。


「オブザーバーだ?誰の指示だ!?」

「ハワード署長です」


「署長が!?」

 カニンガム巡査部長は納得いかない様子だった。


「早速だが、狼男は何処に消えた!?」

 質問しつつ、慣れた様子で規制線を越えてきたフランツをカニンガム巡査部長は睨んだ。

 正直、カニンガム巡査部長は犬耳男の事を嫌っていた。昨日、バーグ警部が撃たれた現場に踏み込んだ時に、名前を呼ばれてからどうも癪に触るのだ。


「で、どこなの?」

 ジェシーにも促されてもカニンガム巡査部長はなかなか答えなかった。


「……あの、建物の上だ」


 カニンガム巡査部長は警棒の先を5階建ての建物の上に向けた。


「彼処の屋上に逃げ込むのが見えたんで、追ったが消えてたよ。上にも血痕が在ったから鑑識がさっきまで調べてたが、もう終わった」


「そうか、ありがとよ。おい!行くぞ!」

「ちょっと、待って!」

 ジェシーに指示を出し、5階建ての建物に入るのを見送っている間も、カニンガム巡査部長はフランツをにらみ続けた。


「気に入らんな」


 なんだかわからないが、犬耳男が仕切るのが気に入らなかった。

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