捜査開始

「マジでアイツが参加するのか?」

 廊下を歩くゲイリーはオブザーバーに犬耳男が参加すると聞き不満だった。


「署長が言ってるんだ、従うしかないだろ」


「おい、2人とも」


 エレベーターの手前に着いた所で署長が追い掛けてきた。


「犬耳男の事は仲間の刑事にも必要以上に触れ回るなよ。特に、ニナとヤンにはな」

「何故です?」


「変な噂が広がって欲しくないだけだ」





「さて、……どうする?」

 助手席に座るフランツは外を見て黙り込んだ。

 フランツとジェシーは事件現場に向かう前に、バーグ警部の家に立ち寄ったのだ。

 アパートの出入口には住民の子供が作った雪だるまが置いてあった。


「着替えだけするさ」

 ニット帽を被り耳を隠しているフランツは、車から降りると、真っ直ぐ自分のアパートに向かった。


「……」

 エントランスに置かれたポストの鍵を開け、郵便物を取るのも懐かしい……。


「……ふぅー」


 60を過ぎた男の一人暮らしだ、新聞以外には電気代や水道代の請求位だった。


(ん?)


 ふと、新聞の訃報欄が目に飛び込んできた。


「ロナルド・ハーバー元上院議員が死亡……アイツも昨日だったのか」


 兵隊時代の親友の訃報だった。


「まあ、アイツはアッチで元気にしてるしなあ」

 正直、悲しいと言う感情は沸かなかった。

 なぜなら、このロナルド・ハーバー元上院議員も異世界で転生して、向こうで大家族の長男に収まっていた。


(まあ、カードと花輪を送るか)

 まさか、今の姿で葬儀に参加する訳にはいかないので、花を送ることにした。




(さてと)

 自宅の前に立ち鍵を取り出した。


「……」

 1日留守にしていただけだが、体感では30年振りの帰宅だ。フランツは少し戸惑ったが、意を決して鍵を開けた。


「ワンワンッ!」

 ドアが空いたことに気付き、部屋の奥からビーグル犬が飛び出してきた。


「……」

「……クゥン?」

 返ってきたのが、人間だったフランツだと思い飛び出してきたが、入って来たのは会ったことがない人狼のフランツ。ビーグル犬は混乱し、部屋中を右往左往し始めた。


「ただいま、チェルキー」

「っ!キャンキャン!」

 名前を呼んで撫でようとするが、チェルキーは吠え始めた。


「コラ!チェルキー!駄目じゃない!」

 遅れてやってきたジェシーが注意すると、チェルキーはジェシーの方へ走った。

「……」

 予想はしていたが、飼い犬に吠えられるのはショックだった。




「10年近くこの仕事をしてるが、酷いもんさ」

 検視官のハイネンが被害者を前に、説明を始めた。


「両腕に防御創があるが、ご覧の通り骨にまで達している。なにか鋭利な刃物で裂かれたんだ。彼が腕を使えたのは最初だけだろう。すぐに使い物にならなくなり、胸を突かれた」

 裂傷が左腕に4本、右腕に3本有った。


「左腕が激しいな、犯人は右利きだな」

「ああ、だがどんな武器を使ったか想像もつかないけどな」

 刃物にしては傷がどれも並行で、証言通り狼男の可能性が有った。


「胸は……酷く抉られてるな」

 肋骨が剥き出しになり肺が破けていた

「だけど、心臓と大動脈は傷がなかった。即死じゃない分……苦しんだはずだ。外傷性ショック死だけど、応援の警官が来た時はまだ生きていたって聞いたよ」


 苦悶の表情で固まった被害者の表情を見て、ジャックが吐き気を催した。


「ああ゛ー…」

 十分にベテラン刑事としてキャリアを積んでは居るが、こんな酷い遺体は初めてだった。

 ジャックは部屋の隅に行き、深呼吸を始めた。


「なあ、ハイネン……凶器や容疑者の手掛かりは何か無いのか?」

 ゲイリーは涼しい顔をしているが、同じく吐き気を我慢していた。


「ああ、首に噛み傷が在ったのと、体にイヌ科の体毛が幾つも付着していた。ミラー巡査の証言通り、狼男だったと考えたほうが無難だね」


 長いこと検視官をしているハイネンもお手上げだった。人が関わった証拠を探そうとしたが、出てくるのは狼男が被害者を襲ったという証拠ばかりだった。


「だけど、1つだけ面白いものを見付けた。被害者の右手の指だけど人を殴った跡が在った」

「殴った跡だ?」


 ハイネンが被害者の右手首を掴んで検視台に備え付けられたライトの光を当てた。


「ここだよ、擦り傷があるだろ?」

「ああ、確かに在るな」


 人差し指から薬指にかけて、人を素手で殴った時に出来る傷があった。


「誰かを殴った?」

「だろうな、手には毛があまり着いていないからな」


 死んだ被害者は誰かを殴っていた……。誰だ?


「身分証は持ってなかった、指紋とDNAを調べてるけど結果は半日待ってくれ。一応、彼の持ち物はそこに在るよ」


「ああ、ありがとう、ハイネン」




「……」

 シャワーを浴びて、着替えを済ませたフランツだったが、ジェシーの車の助手席で黙り込んでいた。


「何ならチェルキーを家で預かるけど?」

 こうなる事はある程度は予想していたが、実際に吠えられるとショックだった。


「ああ、もしかしたら……頼む」

 チェルキーは2年前、子犬の時にフランツが引き取っていた。殺人事件の被害者が飼っていたが、引き取り手がなく、殺処分されるぐらいならと、引き取り手を募ったが、誰も引き取らず、最終的に犬嫌い・・・だったフランツが一時的に引き取ることになった。


「はぁー……」


 結局、フランツが飼い続けることになったのだが、だからこそショックが大きかった。

 妻子が居なく、既に両親も他界している。妹夫婦とも疎遠でチェルキーが唯一の家族だった。

 そのチェルキーが、今のフランツを見て“侵入者”だと威嚇して吠えたのだ。車の運転を始めたジェシーもその事を知っており、掛ける言葉が浮かばなかった。


「……」

 考えてみれば、魔王ロキの部下を名乗った男の話では1年で向こうの世界に戻れる訳だが、そうなるとチェルキーをどうするか……。ある意味、今が潮時かも知れない。前世のフランツ・バーグ警部が死んで、今の自分は異世界で転生した赤の他人なのだ。向こうの世界の親から貰った名前を捨てて冒険者として生きている中で、前世の名前を名乗ってはいるが一度は死んだ身だ、ジェシーに任せるべきかもしれない。


「……此処で最初の目撃情報が在ったな?」

 気持ちを切り替えたフランツが、尻尾が生えた不審者が目撃されたアパートを眺めながらジェシーに尋ねた。


「ええ、そうね。止める?」

「ああ、頼む」


 路肩に車を止めると、フランツはさっさと車から降りた。





「此処から南東方向か……」


 ブルックリンのこの地区は北西から南東に通りが伸びていた。そんな地区の海に近いエリアで最初の目撃情報が有った。


「最初に、このアパートの非常階段を登った訳だけど」

 ニューヨークに良くある、窓の前を非常階段が通るタイプのアパートなので、否応にも住民に見られるのは判っている筈だ。


「……確かめたのかもな。俺達も屋上に行くぞ」

 そう言うと、フランツはアパートに入って行った。


「……バッジを持ってないでしょうが」




「ああ、なんだ刑事さんか、待ってたよ」

 大家に「屋上まで上がらせてくれ」バッジを持ったジェシーが頼むと快く快諾してくれた。


「いや、もう大騒ぎだったさ。非常階段を迷彩服を着て尻尾が生えた変人が通るんだ。3階の爺様は“バッフェン野郎が!”って叫びながらショットガンなんか持ち出したんだ」


 昨夜の騒ぎで住民が暴れたので警察に通報したが、直後に例の狼男騒ぎが起き、此処に来た警官は2人だけだった。

 おまけに、調べもせずに帰ったと半分諦めていたのだ。


「さあ、ここだ」


 屋内の階段を登り続け、5階部分に当たる屋上へと出た。


「……例の変人が登ったのはあの階段か?」

 裏口の方から下を覗くと、4階部分で終わっている非常階段が在った。

「ああ、そうだよ。そこから一気にここに飛んだらしい」


 建物1フロアと心細いが転落防止用の低い柵の分、結構な高さが有るが。


「ねえ、ちょっと。これ、犯人の足跡じゃない?」


 屋上と言っても、埃や砂埃が溜まり、しまいには排水口周辺にヘドロが溜まるものだが、運がいい事に例の不審人物の物と思われる真新しい足跡が在った。


「一昨日は少し雪が降ったから、ぬかるんでたみたいね」

 ジェシーはカバンからカメラを取り出すと、物差しを横に置き足跡を撮影し始めた。


(此処からは……自由の女神とワールドトレードセンターが見えるな。奴も此処がニューヨークだと知ったな)

 フランツは足跡が向いている方を見てみると、自由の女神とマンハッタンの摩天楼が一望できた。


(足跡は……裏路地に向かっているな)

 次にヘドロを踏んで出来た足跡をたどると、裏に向かっていた。

(飛び降りたな。奴で間違いないな)

 足跡から5階分の高さを躊躇なく飛び降りた事が窺え、足跡の主が一緒に異世界から転移してきた人狼だと、フランツは確信した。


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