黒電話

「こんな時間に町医者はやってないから……」


 ジャックは警察無線を弄り始めた。


「10号車から指揮所へ、過去1時間に右頬に切り傷を負った怪我人に関する通報は無いか?どうぞ」

 望みは薄いが、別の場所で救急車を喚んだか、誰かが目撃して通報してくれてるかも知れなかった。


『指揮所から10号車へ、その様な怪我人の情報は来てない。もし来たら報せようか?どうぞ』

「ああ、たのむよ。以上」


 予想通り、怪我をした目撃者は病院に担ぎ込まれていないので、ジャックは警察無線のマイクを切ると溜息を吐いた。


「どうだ?」

「駄目そうだ」

 現場から戻ったゲーリーが助手席に乗り込んできた。


「やっぱ地元の不良少年かな?」

 警察の目の前から早々に立ち去り、病院にも行っていないとなると、被害者にやましい事が有るのが容易に想像できた。


「死んだ被害者の身元も判らんしな……」

 遺体は早々に警察署に運ばれ、司法解剖に回されたが、ポッケに何を入れてたのかさえ聞いていなかった。


「一旦戻るか」

 朝のミーティングの時間もあるし、他の刑事達と意見交換もしたかった。

「そうだな……。あの犬耳男を絞り上げてみるか」


「まだ、犬耳男と関係有るか判んないだろ?」

 ジャックはそう言ったが、ゲイリーは警察署に拘束してる自称フランツ・バーグ警部を疑っていた。


「此処はあの倉庫と目と鼻の先だし、アイツも言ってたろ?“他にも人狼が居るかもって”」





「でだ、……アイツをどうする?」

 署長室に移動したハワード署長と刑事局長は犬耳男の処遇について話し始めていた。


「……アイツは死んだフランツとは違うが、精神的にはフランツだと思おう」

「つまり?」

 刑事局長は机に置いてあったバーグ警部のファイルを椅子に座っている署長の方に向け直した。


「バーグ警部が殉職した事を発表して葬儀も行うが、犬耳男を狼男の事件の捜査にオブザーバーとして参加させるんだ」

 最初の内は、犬耳男を調べ上げてから処遇を決めるつもりだったが、狼男の事件が起き、そうする訳には行かなくなった。例の狼男が犬耳男が言っていた「もう1人の人狼」だった場合、手に負えるか判らなかったからだ。


「……なるほどな。犬耳男は納得するかな?」

「そこは署長である君が納得させてくれ」




「デスクはそのまま使って良いそうよ」

 ジェシーに自分が使ってたデスクに案内され、フランツは30年ぶりに見た自分のデスクを懐かしそうに隅から隅まで眺め始めた。殺人課の刑事達が使う部屋をパーテーションで区切った一区画。他にも、ジャックやゲイリーにジェシーを含めた数人の刑事のデスクもある。


「鍵は?俺のベルトに着いてた」

「コレね」

 ジェシーが病院へ取りに行って来たバーグ警部のキーホルダーを右手の人差し指に掛け、ゆっくりと回していた。


「ああ、ありがとう」

 鍵を受け取るとデスクに備え付けられた椅子に座ったが、直ぐに立ち上がった。


「どうしたの?」

「ああ、尻尾だ……、背もたれに穴が無いから、場所がな」

 そう言って、尻尾を背中に回し、具合がいい場所に尻尾を移動させると座りなおした。


「……っ!?」

 つい昨日までここを使ってた自分。60代のバーグ警部の残り香が気になり、一瞬眉を顰めた。


「何?」

「いや、少し」

 正直、若くないのはちゃんと自覚してたが、客観的に……。老いた自分の加齢臭を嗅いだのがショックだった。

 生まれ変わって、身体は赤の他人だからと言うのもあるだろうが、鼻に着くのだ。


「署長から聞いた通り、前のバーグ警部の殉職を記者発表した後にミーティングを行うから、それまで此処に居てね。一応、人目があるから」


 今のフランツの事を知ってる職員が居るこの場所から外に出て、変な噂が広がっては面倒なことはフランツも理解していた。

「判ってるさ」


 ジェシーが去った後、フランツは大急ぎで鍵のかかったデスクの引き出しを開けた。


 中身は、退職後に住もうと思っていた田舎の別荘などの広告や、キャンピングカーの広告、不動産の案内、保険の案内……。


 思い出しただけでも変な気分になってきた。

 あの連続少女誘拐事件の犯人に撃たれなければ、来週の今頃は退職して短い余生を満喫してたはずだった。


「あの変態野郎」


 犯人に悪態を吐いても、どうしようがないが、吐かずにはいられなかった。


 その時だった、自分のデスクの隅に置かれている黒電話が急に鳴り出し、フランツは片耳を塞いだ。


「あっ!?……電話か!?」


 正直、無視しようかと考えたが、この耳には余りにも喧しいので、適当にはぐらかせて切ろうと思い、受話器を取った。


「もしもし?」


 ……そして、取ってから気付いた。受話器は耳が真横に着いている人間用の物だという事を。


「あ……」

 相手の声を聴こうと、音が出る部分を耳にずらし、相手が言っている事を聞き取ろうとした。


『ああ、ちょっと、退いてって』

(?若い男と猫の鳴き声?)


 電話の向こうの男は猫を相手にしている様子だった。


『あ!バーグさん!お身体に問題は有りませんか?』

 会話をするためにフランツは受話器の音を拾う部分を口元にずらした。

「誰だ?」


 少なくとも、前世の知り合いではなさそうだったが、次に若い男が言った事にフランツは驚いた。


『魔王ロキの部下です』


 突然、転生した異世界の魔王の部下を名乗ったので、フランツは反射的に受話器を電話機に置いた。


「……ふんっ!」

 所謂ガチャ切りをしたわけだが、不思議と後悔はしない。

 暫くすると再び電話が鳴ったので、今度は迷惑そうに溜息交じりに「もしもし」と言った。


『あの、怒っておられるのは当然かと思いますが、転移の件はロキ様も意図されては』


 相手の男は平謝りだった。

 フランツがこっちに戻ってきた原因が、魔王ロキなのだから当然なのだが、あの魔王はかなりの変人だった。


 魔王の筈なのに腰が低く、山高帽にスーツ姿。おまけに血を見ると気絶するわ、とにかく変だった。


「それで、俺は戻れるのか?」


 どうせこの部下も碌な奴じゃないと、フランツは考え、先に質問をした。


『……今すぐは無理です。約1年はそちらに残ってもらう形になります』

「1年……」


 正直なところ、こっちに未練があるわけではないが、人狼として転生した世界に早く帰りたかった。

 遺跡に残してきた仲間が無事なのかも気になった。


『アガタさん達は無事です。宿で休んでいますよ』

「っ!?」


 考えている事を読まれ、フランツは反射的に受話器から顔を話した。


『ああ、その。……バーグさんがそちらの世界に居る事も説明してありますし、身の安全は確保してあります。遺跡を占拠していた一団は私達の方で逮捕しましたから』


 目の前の受話器からは状況を説明する男の声が続いた。


『バーグさんをこちらに戻したいのは私も同じです。ですが……、遺跡の転移門が想定外の使われ方をしたせいで、人の行き来に大きな制限が掛かっています。そのために1年は待って頂くことになります』


 遺跡での出来事を思い出しながら、フランツは受話器を再び頭に当てた。


「世界の崩壊は無くなったのか?」

 そもそもの原因が、魔王ロキが転移門を遺跡に放置していたからだった。

 全くの別件で遺跡に向かったフランツ達だったが、いきなり現れた魔王ロキが「勝手に転移門が使われたせいで世界が崩壊する」と言い出し、全員で止めたのだ。

 その結果、フランツと敵の1人が巻き込まれ、フランツは自分が死んだ場面に転移したのだが。


『はい、崩壊の危険はなくなり。2つの世界の壊れた部分の修復が始まりました』


 正直、世界の修復と言われても、何のことだか判らんが。


『それで、バーグさんにはそちらに居る間にやってもらいたい事がありまして』

「なんだ?」

 嫌な予感しかしなかった。


『そちらの世界に転移した一団を捕えてください』

 フランツは眉間に皺を寄せたが、パーテーションで区切られた区画の隅に置かれたファックスが独りでに動き始めた。


『最初に、貴方と一緒に転移した男です』

 遠巻きにファックスを眺めていたが、どうやら写真付きの紙を印刷しているようだった。

 コール音が一切ならずに動き出したファックスだったが、印刷を終えると紙が宙を舞い、フランツの手元にまで飛んできた。


「俺が断らないとでも思ったのか?」

『貴方なら受けてくれると思ってますよ、バーグ警部』


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