狼男

「!?」

 酷い匂いと刺すように冷たい空気を肌に感じ、男は目を覚ました。

「……?」

 先程まで居た場所と状況ががらりと変わり、男は自分が置かれた状況を確認しようと周りを見た。


(!?ビルに……車か?)


 ビルの間の路地裏に居る事を理解した男は、通りをヘッドライトを着けた車が通るのを見て愕然とした。

 そして、男は気配を探るために頭頂部・・・の耳を左右に向けると視線を上に移した。

 左右のビルは、鉄製の非常階段が窓の前を通り、エアコンの室外機が見えた。


(まさか……)


 ビルの住人が見ているテレビやラジオの音が聞こえてくるので、男はビルの非常階段を登り始める。


(こんな事が!?)

 住民に見られるのもお構いなしに男は屋上に上がると、目の間に摩天楼の灯りが飛び込んできだ。


「Die Freiheitsstatue自由の女神……」


 男は遠くに立つ自由の女神像を見て、その場に立ち尽くした。





『指揮所より全車両へ。ブルックリンのチャールトンストリートで不審人物を目撃した通報が多発している。付近の車両は注意するように』


「近くですね」

 警察無線を聞いていた新入りが呟いたが、一緒にパトカーに乗っているカニンガム巡査部長は「そうだな」とだけ返事をした。

 事件現場の捜査が続く倉庫の入り口に、警戒中の巡査達が集まっているのだが、どうもカニンガム巡査部長の表情は暗かった。

 

「巡査部長はどうしたんです?」

 いつもは明るいカニンガムが素っ気無いので、新入りは先輩警官にこっそりと訳を聞いてみたが、先輩警官も嫌そうな顔をしていた。


「撃たれたバーグ警部が亡くなっただろ?あの人、巡査部長と仲良かったからな」

 新入りはまだ知らないが、カニンガム巡査部長は海兵隊上がりで。普段は落ち着いた雰囲気だが、不機嫌になると結構無茶苦茶なことをするのだ。


『こちら14号車、ポルターストリートで不審人物を発見』


 直ぐ隣の通りで不審人物を発見したと無線が入ったので、全員身構えた。


『なんだ!?おい、大丈夫?』




 パトロール中の警官が目撃したのは、顔の右頬に3本、まるで刃物で斬り付けられた様な切り傷を負った若者だった。

 路地裏から、這い出るように飛び出して来たので、通報の有った不審者かと思ったが、違っていたのだ。


「助けてくれ!」


 助手席に座っていた警官が大慌てで飛び出し、若者の元へと駆け寄った。


「どうしたんだ?」

 駆け寄る警官の目の前で若者は倒れ、出てきた路地の方を指さした。


「ああ゛!ば、化物」

「化物だ?」

 若者が指さした路地からも叫び声が聞こえ、続いて何か……“ぐちゃぐちゃ”と音が聞こえてきた。


「応援を呼べ!」


 先に降りた警官がライトと拳銃を取り出し、路地裏へと向かった。

 暗がりの奥から聞こえてくる音は、野良犬か何かがゴミを漁っているのか、熊が人を襲っているのか。

 前者であれば人の叫び声が聞こえる状況な訳がなく、後者は……。こんなブルックリンの倉庫街に、熊なんて居るはずがないと、警官は自分に言い聞かせ、ライトを路地裏へと向けた。


「止まれ!警察だ!」


 ライトを叫び声がする方に向けてから叫んだが、警官は目の前の光景に驚き頭が真っ白になった。


 目撃したのは、薄暗い路地の奥で男に馬乗りになっている、毛の生えた化物だった。


「ハァ……」


 灯りに気付いた化物が、警官の方を振り向いた。


「グルルルゥ」


 化物の口には血が着いており、長さ15センチは有ろうかという爪にも血が付着し、更には服の一部が引っ掛かっていた。


「何だよコイツは……!?」

 呆然としていると、応援を喚んでいた仲間の警官が追い掛けてきた。

「狼男!?」


 変なB級映画で見るような、狼男が目の前で唸り声を上げ、立ち上がった。足元でうめき声を上げる男と比較しても、狼男の体長は有に2メートルは越していた。

 仲間の警官も、目の前の出来事に理解が追いつかず、その場に立ち尽くした。


 先に動いたのは狼男だった。

 身を屈めると4つ足で走り出し、警官の方へと向かってきた。


「うわっ!」


 殆ど反射的に警官達は拳銃を発砲したが、狙いはしっかりとしており、銃口は狼男を向いていた。

 しかし、狼男は発砲と同時に右へ左へと飛び、銃弾を避けてみせた。地面だけでなく、建物の壁に張り付いたかと思えば、次の瞬間には宙を飛び、路地裏に置かれたゴミ箱の陰に隠れた。


「っ!」


 警官の一人の拳銃が弾切れを起こし、スライドが開いた状態になった。


「装填中!」


 大急ぎで警官は弾倉を抜き、替えの弾倉を左手で掴んだ。


 それを待っていたかのように、狼男がさっきまでの動きと違い、直線的に一気に5メートルの距離を飛び、目の前に迫った。


「ぎゃぁあああ!」


 弾切れを起こしていない警官を左手に生えた爪で斬り付け、狼男は銃弾を装填する警官も切り捨てようと右手を振り上げた。


「う゛!」


 喉を突かれ、衝撃で息が止まったが。警官は装填を追えスライドを戻すと、狼男の顔に向け銃を撃った。

 銃弾が当たか判らなかったが、銃声を耳の間近で聞いた狼男は身を屈め、地面に伏せた。


「ゲホッ!ゲホッ」


 深く刺さらなかった様だが、警官は地面に転び、一瞬狼男を見失った。


「おい!大丈夫か!?」


 銃口を周囲に向け、狼男を探しながら仲間に声を掛けた。


「ああ、痛ってー……肩をやられた」


 仲間は尻もちを着いた状態で右肩を押さえていた。

 幸い、大量に出血しているわけではないが、骨が折れたようだ。


「おい!何の騒ぎだ!?」


 騒ぎを聞きつけたカニンガムが達がライトを顔の横に掲げながら裏路地に入ってきた。

 銃を構えた警官は必死で狼男を捜したが、どこにも見当たらなかった。


「狼男だ!」

「何ぃっ!?」


 警官が言った事に、カニンガム巡査部長は聞き返した。


「狼男だ!直ぐそこに居た。向こうに襲われた被害者が居るが素早い……ぞ」


 銃を構えている警官は必死に説明したが、カニンガムの目を見て、言葉を濁した。


(しまった……)

 実際に起きたことを話したのだが、警官は後悔した。


 そして、一方のカニンガムも警官の顔を眺めながら信じられない物を見る目をしていた。

 新入りや経験が浅い警官ならいざ知れず、彼等は勤続10年を越すベテランだった。

 にもかかわらず、パニックを起こし、凶悪犯を狼男だと叫んでいると思ったのだ。


「巡査部長!被害者は重傷です!」


 しかし、現場に居た警官が言っている全ての事が、パニックが原因の幻覚ではないことは一緒に駆け付けた巡査のお陰で判った。


「救急車を喚べ!……狼男だと?」


 完全に現場に居た警官を疑い始めたカニンガムだった。


「ほ、本当だ。8フィートは有りそうな狼男だった」


「巡査部長!アレを!」


 新入りが叫んだので、カニンガムが振り返った。

「何だ!?」

「狼男です!」


 上を指差すので、カニンガムが視線を向けると、毛むくじゃらの何かが5階建ての建物の屋上に消えていった。


「……何だぁ?」

「アイツだ!アイツに襲われたんだ!」


 現場に居た警官を疑っていたカニンガムだったが、目の前に居た狼男が何なのか理解できずに、屋上を見続けた。





「ふぅ……」

 狼男が人を襲った場所から近い地下鉄の駅から、くたびれた若い男が出てきた。


「アメリカは寒いな」

 何処にでも居そうな、ホワイトカラーの事務員の様な男だが気持ちが沈み込んでいるようだった。


 別に仕事で大きな失敗が有ったわけでもない。大手の機械メーカーの工場に務める彼の仕事は至って順調で、つい先週には昇給もしていた。

 では、家庭に問題が有るのかと言うと、そうでもない。彼は独身で、親兄弟と同居しているわけでも無いし、ルームメイトも居ない。


 彼をよく知る同僚が見れば、職場で見せる姿との変わり様に驚くことだろう。それだけ、普段の雰囲気とはかけ離れていた。


 ゆっくりと自宅が在るアパートへ歩く間も、男は思いつめた顔をしていた。


 唯一、アパートに入り、大家の老婦人と廊下にすれ違った時に違う表情を見せた。


「こんばんわ、スミスさん。……電球の交換で?」

 老婦人が背伸びをし、廊下の電灯から白熱電球を取ろうとしていた。


「あら、ハスラーさん、こんばんわ。ちょっと切れてしまってね」

 さっきまでの暗い顔とは一変し、男は笑顔で大家に近付いた。


「私がやりますよ」

 そう言うと、男は大家の代わりに電球を外し、新しい電球を受け取った。


「ありがとうねえ」

 電球を交換した男は笑顔で大家に「では、おやすみなさい」と言うと階段を上った。


「……」

 大家から見えない場所まで上がると、男は再び不機嫌な顔に戻った。


「……?」

 そして、自宅のドアの前に立ちカギを開けようと鍵を差し込んだが回らなかった。

 まさかと思い、ドアノブを回すと開いた。


遅かったなDu bist spät

 暗い自宅の中から話しかけられ、男は背筋が凍った。


 声の主は知っているが、この世界・・・・には居ない筈の男だった。


ジーベルSiebel少佐?」


 声の主の耳と尻尾が見え、男は確信した。


「久しぶりだな……。悪いが怪我を治してくれないか?ここに来る途中で警官に撃たれた」

 上半身裸のジーベル少佐は頭頂部に生えた左耳付近に銃弾を受け、負傷していた。

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