犬耳と尻尾

「ふぅ……」

 ジャックとゲイリーは自分達のデスクに戻るとため息を吐いた。


 普段なら何人か相談できる刑事や警官が居るが、刑事がの目の前で起きた交通事故やバーグ警部が撃たれた事で殆どが出払っていた。


「アイツが言ってることは本当だと思うか?」

 バーグ警部の個人ファイルを読みながらジャックがそう言うと、ゲイリーは椅子にもたれ掛かり天を仰いだ。


「個人ファイルに有る内容だけなら盗み見れば何とかなるんじゃないか?」

 完全な思い付きだったが、直ぐにジャックが否定した。

「無理じゃないか?俺達の個人ファイルは署内で保管されているし」


 今見ているバーグ警部の個人ファイルも、わざわざ担当課に出向き、鍵が掛かるロッカーから出してもらったものだ。

「で、言ってた事と矛盾は?」

 あの後、細かい所も質問し、バーグ警部の個人ファイルと矛盾が無いか見てはいるが……。


「……無い。バーグ警部はアイツの言った通りに第2次大戦で陸軍に入ってる。空挺師団らしい。で、少尉にまでなったが軍を止めてニューヨーク市警に入ったのも間違いない」

「社会保証番号は?」

 ジャックがメモとファイルを何度も見比べた。


「合ってる……」


 ふと、ゲイリーは自分のデスクで一番大きい棚を開けてみた。

「あいつが言ったとおりにサプライズが入ってる……」


 ー公式な書類だけだと盗み見たのだろうと思われたくない。


 犬耳男はそう言うと、「隣で見てるゲイリーのデスクに欲しがってたマグカップを包んで入れてある。入れたのは今朝だ、本人は知らない」と、人間だったバーグ警部が今朝、こっそりとサプライズプレゼントを入れた事を話したのだ。


「中身は?」

「あー、待ってくれよ」

 ゲイリーは慎重に包み紙を開け、中身を見ると一見困ったような顔をした。


「……マグカップだ。ヤンキースのロゴ入りの」

 確かにこれは欲しかったが、犬耳男の言った事がまた当たったので、素直に喜んでいいのか悩んだ。


「そういやあ、犬耳男が“他に人狼が居るかも”って言ってたよな?」

 ゲイリーは眉間に皺を寄せたまま、ジャックの方を見ると溜息を吐き、マグカップを机に置いてから煙草を出した。

「……あんなふざけた見た目のが他に居たら今頃通報されてるだろ?」


「そっちはどう?」

 中年のアフリカ系の女性刑事が2人のデスクに近付いてきた。


「いやもうダメダメ、さっぱりわかんないよ」

 ジャックが机に突っ伏しながら叫んだが、ゲイリーは口に咥えた煙草に火を着けゆっくりと吹かし始めた。


「あのイカレ野郎、自分の事をバーグ警部だと本気で思ってるようだ」

 ゲイリーが本気で手詰まりになった時に見せる態度……。椅子に深々と座り、黙々と煙草を吹かすので女性刑事は「んー……」と唸りながら視線をジャックの方へ視線を移した。


「いやさあ、ジェシー聞いてくれよ。あの犬耳男なんだけど、バーグ警部の経歴から家族構成、更には“今朝何をしたか”まで言い当てたんだ」

「ジャックがシャツのボタンを落としたことも知ってたからなあ」


 2人を交互に見ると、ジェシーは腕を組んで考え始めた。

 

 ジェシーもバーグ警部が撃たれた現場に居合わせていた。

 ジャックやゲイリーと違い、突入には参加していなかったが、救出された少女の面倒と聞き取り調査を担当していた。

 そんな中、救急車で運ばれるバーグ警部と腕を切り落とされた犯人、そしてパトカーに乗せられる犬耳男を目撃していた。


「あの耳と尻尾は本物なの?」

 嫌と言うほど目立つ耳もそうだが、犬耳男がパトカーに乗せられる前に、尻尾を股の間に巻いているのが印象に残っていた。

 作りものであれば、あの様に本物の尻尾のように自在に巻ける訳がない。


「……あぁ、どうやらそうらしい」

 ゲイリーが仏頂面のまま、歯切れが悪い返事をしたので、ジェシーは右眉を上げながら、ゆっくりとゲイリーが居る右方向へ振り向いた。


「“らしい”ってどういう事?」

 ジェシーが問い詰めたが、ゲイリーは特に悪びれる素振りを見せなかった。


「だって考えてくれ、誰が野郎のケツなんか見るんだ?」

「ああその、一応頭を触って耳は見たけど、多分本物っぽい。ちゃんと本物の犬みたいに垂直耳道が有るようだ」

 ジャックはそう言ったが、手錠を掛けた際のボディーチェックの時に軽く手が当たってしまっただけだ。 


「ちゃんと見てないわけ?」

「俺達は生物学者じゃない!てか、そっちはどうだった?犬耳男が言ってた事と矛盾は有った?」


 犬耳男の証言と誘拐されていた少女との証言に矛盾が無いか。ゲイリーの関心はそっちに移った。

 犬耳男の証言は、「気が付いたらあの場に居て、銃を持つ男が見えたから少女を守るために斬り掛かった」だったが。


「それが、誘拐されていたジュリアさんに話を聞いたけど、犬耳男の言うとおり、急に犬耳男が出てきて犯人の男に斬り掛かったのよ。最初が背中で次が犯人の手首ですって」

 ジャックが調書を取り出した。


「どう斬り付けたって?」

 ジェシーも誘拐されていたジュリアとの聞き取りで作成した調書を取り出し、読み上げ始めた。


「犯人の背中を真横に斬り付けたのが最初」

「犬耳男の証言と同じだ」


「次に銃を握っていた右手」

「コレも同じ……。特に会話を交わしてないのも同じかな?」


 ジェシーは調書から顔を上げた。

「ええ、特に会話は無かったって。……ねえ、犬耳男と話をしていい?」

「え!?」


 ジェシーがいきなり、犬耳男と話したいと言い始めたので、2人は驚いた。





「はぁ……」

 一方の犬耳男こと、フランツ・バーグは一人残された取調室で天井を眺めていた。


「どうしてこうなったんだ?」

 何が起きたのか。当のフランツも状況が呑み込めなかった。しかし、さっきの刑事とのやり取りで確信できたことが有った。


 自分は前世で死んだ場面に転移した。


 ラジオで聞いたニュースや天気、部下だったジャックとゲイリーがこの2,3日前にしでかした事をすべて言い当てられたのだ。


「コーヒー飲む?」

「!?」

 ジェシーがいきなりドアを開け、コーヒーを飲むか尋ねてきた。


「ああ、プレーンで頼む」

 少し声が上擦っていたが、普段のバーグ警部と同じ口調だった。

「はいはーい」

 ジェシーはドアを閉め、部屋は静かになった。


「どう思う?」

「何がだ?」

 ジャックはともかく、ゲイリーは未だに神経質だった。


「本当に警部だったらどうする?」

「バカバカしい」


 2人が見守る中、ジェシーがマグカップにコーヒーを入れ取調室に戻ってきた。


「はいどうぞ」

 フランツは机に置かれたマグカップを見つめた。


「……俺のマグカップだ……何処に有った?」

 バーグ警部のマグカップが2,3日前から何処かに消えていたが、目の前に置かれたマグカップは、まさにそのバーグ警部のマグカップだった。


「資料室に置きっぱなしだったのを見付けたの」

「……そうかぁ」

 懐かしむように両手でマグカップを握ると、フランツはコーヒーを一口飲んだ。


「あっつ!……ああ、不味いなぁ」

 記憶に有ったコーヒーの味とはかけ離れ、ただただ苦く、酸味も旨味もなかった。


「同じ豆で、普段通りの淹れ方だけど?」

 ジェシーはそう言ったが、フランツは臭いを嗅いだり、再び一口飲むなどして味を確かめていた。


「そうか?……こんな不味かったか?」


 フランツがしきりにコーヒーを調べる間も、ジェシーは机に腰掛け、フランツの耳と尻尾が動く様子を観察していた。


「触ってもいい?」

「……ん?何を?」


 質問で返事をしたフランツにジェシーは顔を近づけた。

「耳と尻尾」


 額にジェシーの鼻息が当たるのが判るほど、彼女は近付いてきた。


「良いけど、デリケートだからあまり強くはっ」

 まだフランツが喋っているにも関わらず、ジェシーがフランツの耳を弄り始めた。


「おい、ジェシー……、もう少し……」

 フランツが注意したが、聞く耳を持たなかった。

「あー……、本物だわ温かい……。あっ!」


 フランツの尻尾が、犬が不機嫌になった時のように立ち上がったので、ジェシーは手を離した。


「やりすぎだぞ」

「ごめん、つい」

 我を忘れて、耳を揉んだ事をジェシーは心の中で反省した。


「ところで、バーグ警部にしてはその、若く見えるけど?」

 今のフランツの見た目は30後半ぐらいだろうか?

 少々くたびれた見てくれだった。


「……ああ、違う世界で生まれ変わって。今、30歳だ」

(見えないなあ)


「老けてるな」

「若白髪か?」

 歳の割に白髪混じりなのも相まってそれ以上に見えた。


「向こうでは何を?」

 ジェシーに聞かれ、フランツはマグカップを机に置くと、手を組み始めた。


「……色々有ってな」

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