別ルート企画 吸血鬼後編
裏路地というのは基本的に広くは設計されていない、それに理由はやはり単純で、広く作る意味がないからだ。
裏路地は裏にあり、使われないから裏路地である、店の裏口やゴミ置き場、果てには突然行き止まりになることもある。
横幅なんて三メートルもないぐらいで、物だって置かれている。
何が言いたいかと言えば、こんな状況下で使われる大規模な魔術はかなり限定されるということだった。
「うーん......蝙蝠相手は僕嫌いなんだよねぇ......」
風に靡く黒髪を抑えて忌々しげにアイは吐き捨てる。
前方に展開された魔術陣形、幾何学模様の数々は全てバラバラの方向へ向いて、それぞれが複雑な術式を実行していく。
魔術というのは太古の言語ーーかつて神の種族が天地創造に使ったとされる言語の廉価版である。
本来ならば一言で大地を生み出し、海を作り、それこそ太陽すら想像してしまえる神の技。
人はそれを傲慢にも再現し、科学という分野に落とし込んだ。
魔術陣形という方陣を描き、描かれた幾何学模様は長い時間をかけて発展、制作された命令式。
それをなぞって魔力が駆け巡り、擬似的に神の言語、その廉価品を再現。
耳障りな音を奏で、描かれた方陣の数々から氷柱が吐き出される。
狭い通路、特に直線上の裏路地において、豪速球で襲う氷柱は致命的だ。
それこそ暴漢や、不良の類であれば、瞬く間に殲滅してしまえるだろう。
迫る氷柱に対してアイが行うのは極めてシンプルで、見慣れた動作だった。
致命の一撃が襲いくる、だというのに至って落ち着いて、冷静に、親指をそっと中指に当てて。
パチンっと、指を鳴らせば数万度の業火が現れ、氷柱を一瞬にして蒸発させてしまう。
本来ならば、致命の一撃だった、けれどそれは通じない、理解できぬその光景にメイリーは立ち尽くすほかなかった。
戦いを挑んだのは彼女だ、奇襲に近い形で攻撃をした、けれどそれも同じ方法で防がれてしまった。
その方法は理解不明で、全くもってわからない。
彼女の手札は八枚、そのうちの一枚である氷柱の魔術、彼女が最も精通したそれは通用しない。
その事実だけでも悲観的になってもおかしくないというのに、相手は自分が知らぬ術を使い攻撃を無効化してくる。
生まれて二度目のーー一度目は勇者と対面して会話した時以来の冷や汗を垂らしながら、メイリーは魔術を展開。
再び宙に刻まれる幾何学模様が方陣を描き、氷柱を吐き出す。
その光景に嫌気がさしたとでもいう風にアイはため息を吐いてその口を開いた。
「ねぇ......君らコウモリはどうしてここまで弱いんだい?もう少しどうにかすることはできないのか。何故脳がなく愚かな行為しかできないのか。ねぇ教えてよ?」
「おしゃべりがすぎるやつが一番死ぬって知ってたかしら!」
虚空、メイリーの姿はアイの視界には映っていない。
その姿を晒したのは先程の刹那、攻撃を受け、黒い外套が焼かれたその一瞬だけ。
魔術、もしくは何かしらの加護を使いその身を消しているーーならば。
「君に本当の魔術の使い方を教えてあげるよ。『光あれ』ってね」
迫り来る氷柱、先ほどと違う点があるとすればそれはその切先を確かにアイへと届かせて、完全に停止している。
一切の運動エネルギーを失い、まるで見えざる力により宙に縫い付けられたかのようなその光景。
「まず、魔術というのはあらかじめ記憶し、脳裏に公式とその理論を持っていなければ使えない。それが第一段階である『準備』」
クルクルと氷柱が回転しだし、ゆっくりとその形を変えていく。
放たれた十二の氷柱は全て固まりあって、まるで水のように姿を変えれば、一つ一つが体のパーツの形へと変形していく。
まるで陶器を象るように、一瞬にして鎧騎士へと姿を変えた氷は静謐さの中佇んでいた。
くるくると人差し指を回しながら、アイは笑って。
「そして指先から、体内にある魔力を外へと吐き出すように宙へと出して、方陣を描く。脳裏に描いた理論を元にその幾何学模様を描く。これが『展開』。本来ならば詠唱が必要だけれど、才能のあるものならば詠唱不要。特に僕みたいな天才ちゃんとか、ね」
嘲るようにケラケラと笑いをこぼしながら振った指を鎧へと向けて彼女は術式を展開。
生み出された氷の騎士を包み込むように三次元上の球体、複雑な幾何学模様が描かれて眩い光を発する。
莫大な魔力、けれど本人の疲労を一切見せない底無しのそれ。
光が晴れる頃、騎士の頭部には緑色の液体が載っていた。
おおよそ先程生み出された莫大な魔力からは予想もつかないような、その貧弱そうな生命体。
二つの目と口があった、けれどそれ以外が緑色の、透明な液体。
最もポピュラー、初心者ならば一度は目にしたことがあるその存在、スライムがそこにいた。
ポヨンポヨンと揺れるスライム、まるで見知らぬ世界に心を躍らせているようで可愛らしい。
ふるふると震える姿は庇護欲を掻き立てる。
けれど。
空中に展開された方陣、あきあきとした様子でそれを一瞥したアイはわかりやすく肩をすくめた。
「ねぇ、君ワンパターンすぎない?もう氷柱飽きたんですけど。あっごめんね?君才能ないのかな?だから氷柱以外使えないの?ねぇねぇ姿を表しなって、楽に殺してあげるからさ。それにーー」
方陣から生み出され、射出される氷柱、先ほどと同じく十二本の鋭利なそれは加速し、宙を切り裂き氷の騎士へと迫る。
突然命の危険が迫ってスライムは恐怖に震えるように体を揺らして。
シャクリ。
「君勘だけはいいから早いうちに処分しようと思ってたんだ」
瞬きの合間、まさに刹那という二文字がふさわしい一瞬の間に絶大な威力を持つ氷柱は一つ残らず消滅。
ゲップをこぼすスライムは舌を出して口周りを舐める。
その光景に満足げにアイは笑い、タイルの下に仕込んでいた回復薬、それが詰まった瓶を放り投げる。
シャクリ......ぺっ。
「おー、芸に見えるな、これ」
やはりまた、目にも止まらぬ速さで口を開いて、瓶を器用に飲み込んで、中身を飲み込んだスライム。
一瞬その内容物の旨味に心底嬉しそうにふるふると震えたが、まるで不味いとでも言いたげに瓶を吐き出した。
ぱちぱちぱちと拍手しながらアイは頷いて、その指をそっとスライムへと向ける。
「魔術を発動させるために、最後にやるべきことはただ一つ、指先から術式へとつながる魔力を切れば安全ピンを抜いた爆弾のように魔術は発動するのさ」
閃光、またしても出現した球体型の魔術陣はスライムを包み込み、そしてーー
背後、アイの真後ろ、音一つなく着地したメイリーは苦々しげに手の中の剣を睨む。
できることなら使いたくなかった切り札の二つ目、切り札は切らなくていいのならば、できるだけ切りたくない、何よりこれは使い勝手が悪すぎる。
彼女が手にしているのは短剣、複雑な民族模様のようなものが朱色に刻まれた剣。
魔術を使うには、術式が必要だ、理論が必要だ、そしてそれを律する公式が必要だ。
そしてその剣に刻まれているのはその全てであった。
この世界には魔道具というものが存在し、凡庸な魔術師が魔術を行使するために生み出した叡智の結晶。
魔力を流し込むだけで、魔術を作動させる、ただそれだけだが、非魔術師ですら擬似的に魔術を使えるようにするその技。
そうきたか、とアイは笑って、背後から腹部を貫いた短剣を心底愉快そうに見る。
「なるほど、さっきから馬鹿の一つ覚えみたいに氷柱を前から撃ってきてたのは場所を誤魔化すためか」
「私たち蝙蝠に狩られるエルフなんて本当に無様ね!ご丁寧にグダグダと喋ってくれて助かったわーー死んで頂戴!」
短剣に刻まれた紋様が魔力に触れて輝き出す、その致命の力を魔術として顕現させ。
メイリーはその時、ほぼ物事を理解していなかった。
目で捉え、脳で考えるよりも早く、体を先に動かしていた。
魔術を発動しつつある短剣をアイの腹部に残し、全力で、身体中の力全てを振り絞って上へと飛ぶ。
そしてすぐに、自分自身ですら理解していなかった脅威が漠然と目の前に現れる。
耳をつんざく爆音、瞬き一つを終えた時には建物がゆっくりとその切線にそって滑り出していた。
空、全力で羽ばたいたメイリーの視界には信じられない光景が映る。
ゆっくりと崩壊していく街、王都の商業街と謳われるその地域、立ち並ぶ建築物の悉くがたった一撃によって崩れ始めていた。
何が起こったか、理解できたら苦労しない、ただただその光景を瞳に写して脳の警鐘がまだ消えていないことに数秒遅れて気がついた。
そしてその数秒が命取りだった。
「ご丁寧に、ペラペラと喋ってくれて助かったわ、と君は言ってくれたのはいいんだけど僕は別に蝙蝠にそれを言われたところで嬉しくないんだよね、というか喧嘩腰だけどツンデレ?っていうやつかな?」「
「なっーー」
眼前、鼻と鼻がついてしまいそうなほどの至近距離に、忽然とアイはその姿を表して、にこりと微笑みをこぼす。
目と目があった、それでもうダメだった、脳内が恐怖で染まり尽くして、どうしようもなくなった。
メイリーの瞳にはただひたすら深淵のように暗く、底の見えないアイの両眼が淡々と映っていた。
金縛りに、似たような状況だ。
蛇に睨まれたカエルは動けなくなる、狂人を前にしてメイリーの体は脳の命令を無視して停止。
そんな彼女の両頬を包み込むようにアイはそっと手を触れて。
「魔術っていうのはこうやって使うんだよ」
腹部が、焼けるように熱かった。
メイリーの脳内には酷く漠然とした感情が広がっていた。
燃えるような熱が、子供の頃、彼女を、彼女の集落が焼け落ちて亡くなる時のような、熱が腹を焼いた。
視界に映ったのは炎の槍だった。
まるで世界の終わりのように美しく、ただひたすら広がる炎の槍。
細い針のようでいて数万度を超える熱で白く光る炎。
腹部に、痛みが走った、胸を、熱が焼いた。
右腕がどこかへと飛んでいくのが見えて、焦げ臭い匂いが鼻についた。
身体中が槍に貫かれていく、段々と、淡々と、降り注ぐ槍は容赦なく体を焼いて、飛ばして、切り刻んでいく。
視界の遠く、空で炎の槍を撃つアイへと左腕を伸ばす、それと同時に左腕が裂けて千切れる。
吸血鬼には、古来より特殊な能力があった。
体を黒い霧に変えて、逃げる術。
王族であり、正当後継者たる彼女ならば使えた、けれど炎、この炎はダメだと彼女は根元で理解した。
吸血鬼には銀の弾丸と等しく、耐えられないものがある。
それは。
「なぜ......エルフが......聖火を.......」
朧げな視界、身体中は最早炎で焼き尽くされて、死までの数秒間どうにか意識を紡いでるような状態。
周りの建物の悉くが氷の騎士の一撃で崩されて、原型を留めていない。
彼女の体を、日光から守っていた魔術もとうに溶けて、燦々と降り注ぐ陽の光が不死の体を焼いていた。
「『ああ、私、結局何もできずに、死んでくんだ......』」
もう体の感覚などどこかへと消えた。
不老不死と謳われる吸血鬼といえど、聖火に焼かれ、日の光に焦がされてはもう生きてはいけない、灰になるのを座して待つことしかできない。
視界に、ふと緑色の液体が写った。
ふるふると震えながら、その液体は先程の氷の騎士のような形から、スライムへと姿を変えて。
「『もし叶うならーー少しの間、親子みたいで楽しかったって、あの馬鹿な勇者に言ってやりたかった』」
「メーーー!!」
どこかから憎い奴の声が聞こえて笑みをこぼして。
しゃく。
小さな咀嚼音と共にメイリーの意識は完全に暗転した。
「計画とはちょっと違うけど、これはこれでいいか。候補者も殺せたし、概ねの目標は完了ってところかな」
展開した炎の槍を消しながらアイは晴れやかな笑みを浮かべる。
瀕死の重症、いやもう死んでいるに等しいだろう、眼下の吸血鬼の生命力に思わず感嘆の声を漏らして。
「メイリー!!」
ああ、耳障りな声だ、とアイは深く、心の底から思った。
これだから勇者という存在はいけない、今完全に理解した。
眼下、吸血鬼がスライムに飲み込まれ姿を消すと同時、崩れ去った建物の瓦礫の上を飛び越えて、肉親ーー父親の姿を視界に映す。
「久しぶり、おとーさん」
こうやって、視界にその姿を映して、胸中を包み込んだ感情にふとアイは驚きの声を上げた。
「あんまり嬉しくないなぁ......どうしてだろう。やっぱり本物じゃないからかな?っとーー」
ふいっと風魔術で体を動かして、迫り来る鎌の斬撃をアイは躱す。
「アイ!一体あなたは何をしているんですか!」
「お母さん、久しぶり、元気にしてた?ーーいや、その顔じゃ、元気そうじゃないね、どうしたの?」
これまたどうしたものかとアイは首を傾げる。
なぜ今母は涙をこぼしながら、背後から斬り殺そうとしてきたのか。
これは挨拶のつもりなのかなぁ?と思考する。
けれど本当にどうして。
「お母さんは、そんなに悲しそうな顔をしてるんだい?」
母が泣いているのを見るのはこれで二度目だった。
一度目は母が父を想い、命日に手紙を書いて、暖炉で燃やす時。
二度目の母の泣き顔は、酷く悲しそうで、苦しげな表情だった。
爆発音が響く。
緑色が膨れ上がっていく。少女を飲み込み、緑色はだんだんと広がっていく。
タイルの下に、美味しい飲み物があるのに気づいて、ひとつひとつ飲み込んで、スライムは爆発的にその大きさを増やしていく。
建物を飲み込みながら広がるそれはマコトへと一瞬で迫る。
「行きなよ、お母さん。あの玩具が大事なんでしょ?」
「ッ......!アイ、どうしてこんな事をーー」
一瞬で風魔術により加速スライムから逃げるマコトを助けに母の姿は小さくなっていく。
久しぶりに見たその顔は、心の底から苦しげで。
そんな母の姿を見て、アイは、なぜか、もやもやとした気分を感じていた。
「喜んで欲しかっただけなのにな」
ボソリとつぶやいて、アイはそっとその場を後にしたのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます